万年桜の生贄婚〜咲かぬ桜の神と生贄乙女の一年契約〜

 湯気の立つ茶器を盆に乗せ、奈珠那は縁側へ戻った。先ほどよりも風が通るようになり、草木がさらさらとそよいでいる。
 
「お待たせしました」

 奈珠那が差し出した茶を最初に手に取ったのは天寧だった。彼女は香りを確かめるように鼻先に寄せ、ひと口含む。

「……っ!? なにこれ、にっがーい!」
「え……」
「こんなの苦くて飲めないわ! ねえ、瓊環!」

 大袈裟な声が屋敷に響く。

「うるさいぞ、天寧」
「そうですよ。奈珠那様の淹れてくれるお茶は、とっても美味しいんですから」

 即座に返った瓊環と珀弥の言葉に、天寧は眉をひそめた。二人は何事もなかったかのように奈珠那が淹れたいつもの茶をすする。

「申し訳ございません……。次からは、天寧様のお口に合うよう調節いたしますので……」
「奈珠那、こいつの相手などしなくていい」
「せっかくのお茶も冷めてしまいます」

 頭を下げようとした奈珠那を瓊環が冷静に止める。珀弥も同意するように「うんうん」と頷き、茶を飲み進めた。
 
「なによ、二人して……! 私だって、別に飲めるんだから」

 不機嫌そうに奈珠那を睨み、湯呑みへ口をつける。やはり顔をしかめていたが、その顔は茶の苦味からくるもののようには見えなかった。

 ⁂

 茶も飲み終わり、奈珠那は一人台所で茶器の片付けをしていた。湯呑みをすすぐ水音だけが空間に落ちる。

 ──天寧様……。

 彼女の姿が、ふと脳裏に浮かぶ。艶やかな翡翠の髪、華やかな笑み。見た目だけなら、神という存在に抱いていた印象そのままの美しい人だった。
 だが、お茶を「苦い」と言ったときの表情は、どこか人間らしいと思った。散々浴びてきた、千佳と沙都子のような嫌悪が込められた視線に似ていたのだ。

 ──だけど……天寧様は、本当はきっと……。

 思考を巡らせていると背後で声が落ちた。

「あなた、だいぶ瓊環に気に入られてるのね。契約の印までつけちゃって」

 ドスの利いた声だった。目を向けると、戸口にもたれかかり腕を組んだ天寧が立っている。
 
「……え?」
「私は認めないから」

 さらに声が沈み、鋭さを帯びる。先ほど瓊環たちに向けていた甘ったるい猫撫で声からは、想像もできないほどだった。
 
「瓊環を愛しているのは私よ。だから当然、愛されるのも私なの」
「……あの……?」
「人間なんかに本気になるわけないじゃない」

 吐き捨てるだけ吐き捨てて、天寧は軽やかに風と共に姿を消した。わずかに揺れた衣擦れの音だけが台所に残る。
 奈珠那はしばらくその場から動けなかった。

 ──人間、なんかに……。

 胸に残ったざらつきが何なのか、彼女にはまだ言葉にできそうにない。
 やがて、小走りに近づいてくる足音がした。

「奈珠那様! 先ほど天寧様の姿が見えましたが、いらっしゃいましたか?」

 少し息を切らした珀弥が顔を覗かせる。
 
「あ、はい……。でも、突然消えてしまって……」
「本当に、天寧様はいつも突然やってきて、突然帰っちゃいますね」

 珀弥は慣れた様子で苦笑し、肩をすくめた。その仕草から、これが決して珍しい出来事ではないのだとわかる。
 
「珀弥……天寧様って、どんな方……ですか?」

 恐る恐る訊ねた声は、自分でも驚くほど慎重で小さかった。
 
「見たまんま、賑やかな神ですよ。天真爛漫……というよりは、奔放、ですね。清らかさとか、慎みとか、そういうものはあまり期待できません」

 冗談めかした口調だったが、どこか本音も混じっている。奈珠那は少しだけ視線を伏せた。

「あの……瓊環様とは……どういったご関係なんですか?」

 口に出した瞬間、しまった、と思う。それと同時に、どうしてこんなことを訊ねてしまったのか、という疑問も浮かんだ。
 珀弥はきょとんとまばたきをしたあと、あっさりと答えた。

「古くからのお付き合い、というだけですよ。天寧様はひと山向こうで祀られている神なのですが、瓊環様に惚れ込んでしまったらしくて。こうして度々、押しかけて来られるんです。自由な方でしょう?」
「……そう、ですか」

 惚れている──その言葉が、胸の中で反芻(はんすう)した。
 去り際に向けられた、あの軽蔑と嫌悪のこもった視線と言葉。瓊環を想う気持ちが本物だからこそ、突如現れた奈珠那の存在が許せなかったのだろう。
 そう考えれば奈珠那への態度も理解できる。しかし理解はできても、胸の奥に残るざらつきは消えてくれなかった。