アフタージャーニー

 だいたい、隣人同士で「蒼樹さん」「珠生ちゃん」とか。
 この国って、親しげに名前を呼び合う文化だったっけ? と、俺には不思議で仕方がない。

「最初ね 『玉城(たまき)です』 って名乗ったらさ。彼女、目を輝かせて 『私も同じです!』 って言うもんだから。聞き返したら、芹沢珠生(せりざわたまき)ちゃんだって。お互いの名字と名前の響きが同じって、偶然だねって。それだけで仲良くなっちゃったんだよなぁ」

「あぁ、そう……」

 ……俺は、兄貴と隣人の感性をちょっと理解できそうにない。
 
 あの夜から、一週間。ドアの開閉音やかすかな生活音に、隣人である彼女の気配は感じる。後ろ姿を見かけることもあるし、きっとまた顔を合わせることもあるだろう。キムチをぶちまけて途方にくれていた姿を思い返すと、悪い子じゃなさそうだった。

 蒼樹は彼女との出会いがツボだったらしく、グラスを磨く手を止め、喉の奥で笑っている。兄貴が思い出し笑いをするぐらいには可愛がっている、素直な子なんだろうなと思う。

 ひとしきり笑った兄貴が、ふと顔をあげる。

「そうそう。この前まで、韓国料理屋でバイトしてたんだって」
「へぇ、だからあんなにキムチを……」

「お忍びであっちの芸能人とかが来る店みたいでね。結構詳しくってさ。もしかして侑樹のいたグループのことも知っ──」

 その唐突な投げかけに、心臓がドキリと跳ねたのがわかった。
 あぁ。そんな話は、最後まで聞きたくない。 

「知ってるわけないだろ。大して売れずに、解散に追い込まれた無名のアイドルなんて」

 耳を塞ぐ代わりに、俺は遮るように言葉を吐き捨てた。

 それきり、バーに沈黙が落ちる。
 グラスの中の氷が、小さな音を立てて溶けてゆく。

 ふと、カウンターの上に置いたスマホに目を遣れば、バーの開店時間が迫っていた。

「じゃあ、俺そろそろ」

 手伝いも済んだことだ、長居したって仕方ない。グラスの中の水を飲み干すと、俺は立ち上がった。

「侑樹。おまえ、これからどうするつもり」

 再びグラスを磨き始めた、蒼樹の静かな声が響いた。