[Side 侑樹]
俺は、さっき日本に帰ってきたんじゃなかったのか。
重いスーツケースを転がし、空港から居候先の兄・蒼樹の住むマンションに直行した。長旅と言えるほどの距離でもなかったが、朝から動き回っていたし。まとわりつく倦怠感が、長い一日だったと訴えてくる。シャワーでも浴びて、ゆっくりしようと思った時のこと。
「きゃぁぁぁっ──!」
廊下から誰かの叫び声が聞こえて、何事かと玄関に向かった。
「……何だ、これ」
扉を開けると、部屋の前の廊下に何かが派手に飛び散っていた。目がソレをキムチだと認識するよりも先に、ツンとした独特の匂いが鼻をかすめる。
「帰国早々、日本食よりも先にまたそっちかよ」と、過去を捨てきれない自分に、皮肉を突きつけられた気すらした。胸の奥が重く沈み、息が浅くなる──疲れた頭で過剰反応したって、ドロっとした感情の沼に引き摺り込まれるだけなのに。
廊下に立ち尽くす女の子と目が合うと、その子は気まずそうに笑った。
こういう時、なんて声をかければいいんだっけ。
咄嗟に返す言葉が思い浮かばず、俺はただ戸惑うだけ。
遅れてこちらへ来た兄貴が、その子に向かって「珠生ちゃん」と親しげに呼びかけたから、俺は彼女が隣人であることを知った。見事にふたりの巻き添えを喰らい、飛び散ったキムチを片付けているうちに──深夜を回っていた。
「あの。ふたりとも、おやすみなさい! 本当にご迷惑をおかけしました」
申し訳なさそうに、でも最後は笑顔で自分の部屋に帰っていく、隣人の子が眩しかった。
俺が最後に、あんなふうに笑えたのは、いつだったっけ。
誰もいなくなった廊下で、俺は静かに息を吐いた。
……ここから、俺の新しい生活が始まるというのに。
俺は、さっき日本に帰ってきたんじゃなかったのか。
重いスーツケースを転がし、空港から居候先の兄・蒼樹の住むマンションに直行した。長旅と言えるほどの距離でもなかったが、朝から動き回っていたし。まとわりつく倦怠感が、長い一日だったと訴えてくる。シャワーでも浴びて、ゆっくりしようと思った時のこと。
「きゃぁぁぁっ──!」
廊下から誰かの叫び声が聞こえて、何事かと玄関に向かった。
「……何だ、これ」
扉を開けると、部屋の前の廊下に何かが派手に飛び散っていた。目がソレをキムチだと認識するよりも先に、ツンとした独特の匂いが鼻をかすめる。
「帰国早々、日本食よりも先にまたそっちかよ」と、過去を捨てきれない自分に、皮肉を突きつけられた気すらした。胸の奥が重く沈み、息が浅くなる──疲れた頭で過剰反応したって、ドロっとした感情の沼に引き摺り込まれるだけなのに。
廊下に立ち尽くす女の子と目が合うと、その子は気まずそうに笑った。
こういう時、なんて声をかければいいんだっけ。
咄嗟に返す言葉が思い浮かばず、俺はただ戸惑うだけ。
遅れてこちらへ来た兄貴が、その子に向かって「珠生ちゃん」と親しげに呼びかけたから、俺は彼女が隣人であることを知った。見事にふたりの巻き添えを喰らい、飛び散ったキムチを片付けているうちに──深夜を回っていた。
「あの。ふたりとも、おやすみなさい! 本当にご迷惑をおかけしました」
申し訳なさそうに、でも最後は笑顔で自分の部屋に帰っていく、隣人の子が眩しかった。
俺が最後に、あんなふうに笑えたのは、いつだったっけ。
誰もいなくなった廊下で、俺は静かに息を吐いた。
……ここから、俺の新しい生活が始まるというのに。

