アフタージャーニー

 シャワーでも浴びたのか、まだ湿っぽいダークブラウンの髪を掻き上げる彼から、ふわりと甘い果実の香りが漂う。私を見て「コイツは何を言ってるんだ」とでも言いたげな瞳が、瞬きを繰り返す。はらはらと揺れるまつ毛まで繊細で美しくて、こんな状況でなければあまりにも魅惑的だった。

 固まったままの私に、彼はゆっくりと口を開いた。

「あぁ。兄貴に用だった? ここ、俺の部屋になったんで」
「えっと、その……キムチ。好きですか?」

「は? なんで……まぁ」
「小分けにしたのもあるんで、ちょっと待っててくださいっ」

 決して友好的ではない、気だるげな彼を前に、咄嗟に返せた言葉が「キムチ好きですか?」とか。語彙力のなさにもほどがある。けれど私の勢いに押されたのか、彼もコクリと頷いた。

「思ったより美味いかも」
「でしょでしょ」

 ベランダ越しに隣人とキムチをつまむって、誰かが見ていたらすごくシュールだろう。

 少なくとも、圧倒的顔面強者の同世代の男子が、ベランダで言葉少なにキムチをひたすら食べる姿は、私から見てもだいぶシュールだった。気になって視線をチラチラと彼に向けてしまう。

「……なんか懐かしい味がする」

 箸を持つ彼の手がふと止まり、声が少し低くなった。

 笑っているのに、どこか遠くを見ているような横顔。すうっと通り抜けていく夜風が、興味本位で踏み込むなと告げているみたいだ。私はただ「そっか」と小さく頷いた。

「兄貴にさ、俺と同い年だって聞いた。就職したばっかりだって」
「うん、毎日覚えることばっかりで。私なりに勉強もしてるんだけど……全然」

「毎晩夜遅くまで、明かりついてるもんな」
「え、もしかしてうるさかった?」

「別に、そうじゃない。ただ、夜中にここに(ベランダ)出てきた時とか。カーテンの隙間からいつも明かり、漏れてたから。遅くまで起きてんだって」

 彼はそう言うと、不意に視線を逸らした。でも決して、嫌な感じじゃない。同じ釜の飯もとい、同じキムチを食べたおかげなのか、少しだけ空気が柔らかくなった気がした。
 
 自分のことは語りたがらない彼に、今なら聞けるかもしれない。私は意を決して、ずっと引っかかっていたことを口にした。

「あのね。さっき、懐かしい味って。韓国にいたの? 実はその……最初に廊下で会った日、コンビニで侑樹くんっぽい人とぶつかって。スーツケースに仁川のラゲッジタグがついてたから」

 その問いに、彼はフッと笑うと、瞬きをした。