アフタージャーニー

 帰宅後、部屋の窓を開けてベランダに出れば、春の宵の風が頬を撫で、夜の匂いを運んでくる。

「ふわぁ。風、気持ちいい!」

 私はそそくさと小さなテーブルの上におつまみのキムチとビールを置くと、椅子に腰を下ろした。大通りを走る車やバイクの音が遠くに聞こえる中、見上げる夜空は周囲のマンションやビルに囲まれて狭い。でも私にとっては、それですら今は心地いい。

「今週もがんばった! お疲れ、私っ」

 缶ビールのプルトップを引くと、プシュッという小気味のいい音がした。迷わず喉に流し込めば「くぅぅ……たまらん! この瞬間のために生きてるのかも」と声が漏れる。

 女子力のカケラもないけれど、そこは自由気ままなひとり暮らしだ。そのままキムチにも箸を伸ばし、ビールとの相性の良さにひとり悶絶する。

「オンマのキムチ食べたら、他のもう食べられないよねぇ」 
 
 バイト最後の日にもらったキムチは、転んで廊下にぶちまけたせいで一口も食べられなかった。ようやく手に入れたその味に、ホッとして、心も胃袋も満たされる。

「……あれ?」

 その時、カラカラという音と共に、隣のベランダに誰か出てくる気配がした。

 ここに引っ越してきて、お隣さんこと蒼樹さんと一度だけベランダで遭遇したことがある。たまにタバコを吸っていると教えてくれたっけ。せっかくだしおすそ分けでもしたら、喜んでくれるかもしれない。

「こんばんは蒼樹さん! あの。よかったらこの前話したキムチの──」

 私は缶ビール片手に立ち上がると、手すり越しにお隣のベランダを覗き込んだ。 
 
「……え?」
「あっ?! どうも……」

 大きくて澄んだ、黒い瞳の持ち主と目が合った。