アフタージャーニー

「もしかして、これ弟さん(侑樹)が買ってきたんですか?」とは、聞けなかった。

 だって、あの日。
 コンビニで彼とすれ違った時、スーツケースに仁川空港のラゲッジタグがついていたから。 

 きっと韓国旅行のお土産だ。
 それなら、蒼樹さんにそう聞けばいいだけなのに。

「なにかこう……引っかかるんだよねぇ。侑樹くん、だっけ」

 旅行って楽しいものだよね? 長旅で疲れていたとしても、スーツケースを転がしている人たちってみんな、どこか満ち足りた顔をしている。

 彼は違った。
 疲労を隠そうともせず、肩を大きく落としていた。

 玄関の扉を開け、出てきた時もそう。ナチュラルブラウンの前髪の下から覗く瞳は、澄んでいるのにどこか疲れを含んでいた。

「でも、蒼樹さんにいろいろ言われて拗ねてたの、ちょっとかわいかったな……あっ。はい! すぐに行きます」

 隣人がイケメン兄弟なんて眼福でしかない。弟の生態は謎だけど……と、彼の透明感あふれる整った顔をまた思い出したところで、私は背後から声をかけられ、現実に引き戻された。

「いたいた! 芹沢さん、すぐに打ち合わせスペースに来れないかって。呼ばれてるよ」
「え、えっと。もしかして私、何かミスを……?」

 ガラス張りの打ち合わせスペースに呼び出され、何事かとそちらに出向けば、ブランドのディレクターやデザイナー、先輩が待ち受けていた。ビビり散らかし、足を止めた私に「違うって。いい話だから安心してええで」と声が飛ぶ。私が恐る恐る椅子に座ると「時間がないので本題を」と話を切り出された。

「芹沢さん、おめでとう!」
「……え?」

「 秋にね、ブランド初のユニセックスラインが立ち上がるの。去年からずっと動いてるプロジェクトなんだけれど、芹沢さんも加わってもらって、若い子の感性を出してってほしい」
「ほ、本当に?」

 予想外の話に、私は口をぽっかりと開けて固まった。にわかには信じられず、口から飛び出したのは「ドッキリですか?」ぐらいなもの。それを見た先輩が「本当だよ」とクスクスと笑った。

 新入社員の研修も兼ねているとか、ターゲット層に近い意見を取り入れたいとか。説明を受け、自席に戻る頃には、就業時間が迫っていた。

「もう、がんばるっきゃない! 楽しみすぎる」

 ユニセックスラインの立ち上げに加われるなんて! 自分らしさとリラックス感を打ち出した、性別問わず、メンズも着れる服。新しいことが始まると思うだけで、心が躍る。

 メールで送られてきた膨大な資料とローンチまでのスケジュールに、ほんの一瞬「さらに仕事量増えて、大丈夫なのかな」と不安が脳裏を掠めたけれど──それよりも高揚感が余裕で勝った。