アリスのワンダーランド計画

 排除という言葉に反応したのか、立河は小さな悲鳴をあげる。アリスは顔を離すと立河の左隣へと移動し、彼女と視線を合わせるようにして中腰になった。

「ほら、たっちー。前を見て?」

 二人の一直線上には、立河と同じように椅子に座り、両手両足を結束バンドで拘束されている男性がいた。まだ意識は戻っておらず、項垂れている。

「あの人じゃ、ない。だ、誰?」
「だから言ったじゃん。数時間前にたっちーにぶつかってきたおじさんだよ。チェシャ、そろそろ起こして」
「オッケー。おっさん、起きてー」

 チェシャは項垂れている男性の胸ぐらを乱雑に掴み、グラグラと前後に揺らした。頭部からの出血が酷いというのに遠慮がない。まあ、遠慮する必要もないので、生死に関わらない限りは止めるつもりもないが。
 その様子を眺めつつ、立河の頭部を右手でリズムよく二回ほど優しく叩く。

「ワンダーランドに招待されるのは、アリス(わたし)が認めた者だけなの。君達は精査した結果、駄目でした! 残念だったね!」
「だ、駄目とか、残念とか、意味わかんない! 何であたしが排除されなきゃいけないわけ!?」
「赤ちゃんができたって嘘吐いて人を騙して、挙句奥さんを自死に追いやった奴が排除されないとでも?」
「は……? 自、死? 最近見かけないとは、思ってた、けど……」

 今回の依頼人は、立河と同じ会社に勤める人物。二人の関係は、ただの上司と部下だ。依頼人の妻も同じ会社なのだが、立河は何も知らなかったようだ。
 それもそうかと、アリスは中腰から姿勢を戻した。
 依頼人を手に入れることで必死で、その妻は邪魔者にすぎない。姿を見かけないことを、ラッキーとでも思っていたはずだ。
 何故姿を見かけないのかを、気にかけることなく。

「全部調べたよ。関係を持ったとされる日のこととか」
「な、何してんのよ! あたしにもプライバシーってものが」
「こういう奴ほどプライバシーとかほざくよね。あの人と何の関係もなかったのがバレたくなかったのかな?」
「はっ、証拠は?」
「ゴミ箱に捨てた避妊具」

 思い当たることがあったらしい。立河の表情は怒りから一転、苦々しいものへと変わり、アリスから視線を逸らした。
 依頼人曰く、その日は飲み会で立河の隣だったようだ。目や席を離した隙に薬を盛られたかもしれないと言っていた。途中から記憶がなく、気が付けば服を着ずにホテルのベッドで眠っていたそうだ。
 立河は既に着替えを済ませており「また激しく抱いてくださいね」と言い残して出て行ったとのこと。よくもここまで気持ちの悪い台詞を言い残していけるものだ。
 それはさておき、この状況であれば大抵の人間ならば慌ててしまうが、依頼人は慌てることなく冷静に動いた。
 記憶がないほど飲んでいるのであれば、行為には及べない。その自覚が彼にはあったのだ。
 ゴミ箱に捨てられていた避妊具を調べ、実際に事は起きていなかったという確証を得た。袋から出し、未使用の避妊具をティッシュに包んでいただけだったのだ。

(たっちーの嘘は穴だらけ。でも、そこに救われた)

 だというのに、立河は強引にワンナイトがあったかのように見せかけ、依頼人を追い込んでいった。それでも中々依頼人が認めようとせず、自分のものにならなかったため、立河は最終手段へ出る。
 ──あの日の行為で、妊娠したと。
 それはついてはならない嘘であり、依頼人の妻の心を鋭いナイフで抉った。
 彼女は、ある疾患が原因で子どもができない身体となっており、そのことで長年心を痛めていたのだ。
 依頼人が、子どもを欲しがっていたことを知っていたから。
 けれど、それは妻との子どもであり、他の女との子どもではない。依頼人は依頼人で、子どもはいなくてもいい。二人だけの生活を楽しもうと妻に言い、前向きに生きていた。
 そこに、立河のタチの悪いという言葉では到底済ますことができない嘘。依頼人は否定し続けたが、立河の膨らんでいる腹部を目にした依頼人の妻の心は壊れてしまった。
 眠れなくなり、薬が増え、家から出ることができなくなり──やがて、自死を選んだ。自ら刃物で腹部を何度も刺し、風呂場で息絶えていたそうだ。
 遺書を見せてもらったが、「子どもを産めない出来損ないでごめんなさい」とだけ書かれていた。

「風船なんか仕込んで偽の妊婦になってまで、楽しかった? 中に誰もいないのにあたかも赤ちゃんがいる風に装ってさ」
「た、楽しく、なんか」
「嘘。追い詰めていく様を楽しんでたくせに。じゃないと出来損ないなんて言えないよ。ま、自分がどれだけ出来てんだよって感じだけどね」

 逸らされていた視線がアリスに向けられる。怒りと羞恥心から顔を赤く染め、眉間には皺が寄せられていた。

「なっ、何でそんなに責められなきゃいけないわけ? あたしはあの人を好きになったから欲しくなっただけ! 奥さんが死んだのだって、勝手に死んだんじゃん!」

 堰を切ったように罵倒を口にする。
 あの人は子どもをほしがっていた。結婚をして数年経つというのにできないということは、出来損ないだ。出来損ないに出来損ないといって何が悪い。若くて健康な自分なら、子どもができる。
 立河が何を思っていたかを知りたいと依頼人は言っていたため、言わせるように仕向けたもののあまりにも酷い。この辺で黙らせようと、アリスは二つ持っていた器具のうち一つを床に置き、残りの器具を立河へと向けた。

「もういいや。これ以上は聞かせられないし、わたしも聞きたくない」
「ひっ……! な、何よそれ!」
「ワンダーランドに相応しくない者を排除するために用意した道具だよ」

 暴れる立河の後ろへ立ち、ベルトを首に巻き付けた。強引に顎を上げさせると、器具を顎の下の胸骨と喉の間に置き、弛まないようにベルトを締める。これで完成だ。

「あ、な、何、何なの」
「これはね、拷問具だよ。異端者のフォークっていうの。装着された人は、眠ることができなくなるんだ」

 依頼人の妻は、立河の嘘によって眠れなくなっていた。その間も立河はぐっすりと眠っていたのだから、眠れない苦しみを味わわせるにはちょうどいい。

「や、やだやだやだやだ! 取って!」

 取ってほしいと懇願する声が聞こえるも、取るわけがないので無視を決め込む。
 アリスは床に置いたもう一つの異端者のフォークを手に持ち、チェシャと男性の元へと向かった。

「い、いてえ……いてえよ……」
「さっきぶり、おじさん。ううん、まえぴょん」
「……二人に一応言っておくと、こいつ前沼って名前だからね」
「言わなくても知ってるよ、チェシャ」
「そうそう、わーかってるって! まえぴょんだろ?」

 立河にぶつかった際に、男性──前沼は社員証を首からぶら下げたままになっていたのだ。
 そこで顔はもちろん、社名と名前も覚え、チェシャに調べてもらった。幸いにも、監視カメラはそこら中に設置されている。監視カメラの数だけ、チェシャの目があるようなものだ。
 そうしてわかったのは、前沼は常習犯だということ。
 立河にしたように、これまでもわざとぶつかっていたのだ。それも、ターゲットは若い女性に限らず小さな子どもから老人まで見境なく。
 何とも悪質極まりない行為。アリスが作るワンダーランドには相応しくない。
 いつもなら依頼を受けてから精査して動くのだが、少し調べただけで余罪がごろごろと出てきた。ついでに排除してしまおうと連れてきたのだ。うまくいけば、立河のミスリードを誘えるかもしれないという魂胆もあったが。
 前沼の首にも立河と同じように異端者のフォークをつけ、器具の位置を整える。

「あ、あ? な、なんだ、これ」
「うん、いい感じ。これからたっちーとまえぴょんは、お互いに声を掛け合って頑張って起きててね」
「や、ね、ねえ、待ってよ! 外してよ!」
「もし寝ちゃうと、刺さって死んじゃうから。まあ、死んでほしいわけなんだけど」
「……っ、は、外せよ! 俺が何したってんだ! 別に誰も殺しちゃいねえだろうが!」

 チェシャ、帽子屋、三月ウサギが部屋を出ていく。最後に残されたアリスは、扉の前まで行くと喚き散らしている二人を振り向いた。

「あ、謝る! 謝るから!」
「お、おお、俺も! 謝るよ! だからさあ」
「謝ったところで、あんた達二人がしたことは消えないんだよ。じゃあね、世界のために死ね」

 電気を切れば、この部屋は窓がないため暗闇に包まれる。
 助けてと泣き叫ぶ二人に今度は振り向くことなく、鉄格子の扉を閉めた。