アリスのワンダーランド計画

 ──数時間後、ふて寝をしていた立河がベッドから起き上がり、着替えを始めた。

(……今がチャンスかな)

 どこかへ出かけるつもりなのかもしれない。その様子をチェシャのノートパソコン越しに見ていたアリスは、スマートフォンを取り出すと電話帳のアプリを開いた。右手の人差し指でスクロールをしていき、「帽子屋」と書かれた名前をタップする。呼び出し音が鳴り始めたと同時にスマートフォンを耳に当てた。
 帽子屋は、アリスの仲間の一人。立河を捕えるために外で待機してくれているのだ。タイミングを見計らって電話をかけると伝えていたはずなのだが、なかなか出ない。
 何度も鳴り続ける呼び出し音。一度切ってかけ直すかと思ったそのとき、呼び出し音が切れた。

《はいはーい、こちら帽子屋》
「遅い」
《ごめんって。ちょっと三月ウサギがヘマしちゃって》
「えー? しっかりしてよね。二人にかかってるんだよ?」
《大丈夫、なんとかなったから。結果オーライってやつ?》

 三月ウサギもアリスの仲間だ。帽子屋と行動を共にしている。少し、いや、かなり癖のある二人だ。

「たっちーが外に出そうだから捕まえて」
《え? たっちーって立河彩乃のこと?》
「そうだってば! ってか、このくだりはチェシャとやったからもういいって!」
《オレ達はそれ知らないから怒られても……で、こいつもこれまでどおりでいい?》

 これまでどおり──とは、帽子屋と三月ウサギが乗っているミニバンで標的に当たりに行くことを指す。轢くほどのスピードではなく、身体をミニバンに打ちつけさせて気絶させることが目的だ。
 アリスは立河の状況を見るためにノートパソコンへと目をやる。
 しばらく見ていない間に腹部が膨らんでいたが、所詮は偽りの妊婦。その大きな腹の中に、命は宿っていない。
 
「いいよ、次はヘマしないように気をつけてよね。殺さないでよ」
《おけ。三月ウサギー、いつもみたいにやっていいって。ただ、殺すなってさ》

 電話の向こうから帽子屋とは違う声で「あいあい」と返事が聞こえてきた。

「じゃあ、よろしくね。チェシャと待ってるから」
《アリスの仰せのままにー》

 通話を終え、アリスはスマートフォンをポケットに仕舞った。
 相手の体型からどこまですれば命を奪うことになるか、彼らは加減を知っている。殺すなと言っておけば、殺さない程度に痛めつけて連れてくるだろう。

「チェシャ、わたし達も行こっか」
「オッケー。どっちが運転する? じゃんけんで決め」
「チェシャ」
「……はいはい、アリスの仰せのままに」

 必要なものをキャリーバッグへ詰め込み、チェシャと共に部屋を出た。駐車場へと向かい、軽自動車のトランクに荷物を載せる。
 はたから見れば、カップルが旅行へ行くようにしか見えないだろう。アリスは助手席に座り、チェシャが運転席へと座る。車のエンジンがかかり、アリス達を乗せた車は目的地へと出発した。
 車内はチェシャが選曲した音楽が流れている。最近流行りっているアイドルの曲らしいが、アリスにはよくわかない。それを耳にしながら、アリスは窓の外を流れていく景色をぼんやりと眺めた。

『アリスの仰せのままに』

 チェシャだけではなく、帽子屋や三月ウサギも、アリスの意思に沿うときは必ずこのように言う。
 これは「お母さん」からそうやって言うように教え込まれたからだ。

(お母さん、わたし達頑張ってるよ)

 アリスは静かに目を瞑った。
 チェシャ、帽子屋、三月ウサギ。彼らはアリスにとって仲間であり、家族でもある。
 全員、血は繋がっていない。生まれも知らない。物心ついた頃には今の名で呼ばれており、家族として一緒に「お母さん」と暮らしていた。
 その「お母さん」から常日頃言われていたのは、この世の中は善人が損をするようにできているということ。
 では、善人が平和で幸せに笑顔で暮らせる世界にするためにはどうすればいいか。アリスは毎日「お母さん」からそう問いかけられていた。
 今となっては、懐かしい問いかけだ。最初の頃は、何もわからなくて答えることができなかった。答えられなくてもいい、考え続けることが大切だと言われていたが、アリスが答えられなければチェシャ達が折檻を受けることになる。痛々しい姿を見ていられず、必死に「お母さん」の書斎にある本を端から読んだ。毎日毎日、寝る間も惜しんで読み続けた。
 物語、歴史書、ノンフィクション、社会、思想、人文。
 歴史を知ったということもあり、特に印象に残っているのは社会、思想、人文あたりだろうか。どのような思想からそのような社会を作ろうとしたのか、文化ができたのか。知れば知るほど興味深く、おかげでアリスの答えを見つけることができた。
 そして、ある日。いつものように「お母さん」から問いかけられた際に、アリスは自信を持って答えを口にした。

「消えた方がいい人間を、世界から消すこと」

 この答えが正解なのか間違いなのかは教えてはもらえなかった。だが、チェシャ達への折檻はなかったところを鑑みると、間違ってはいなかったのだろう。次の日からは「お母さん」の問いかけもなくなり、アリスが出した答えを実行できるよう教育が始まった。
 全員朝五時に起床し、夜は日付が変わってから眠るという日々。
 たくさんのことを教わった。なかなかに大変ではあったが、「お母さん」の教育のおかげで今のアリス達がある。
 善人が笑顔で暮らせる世界を作るために、今日も行動に移せている。

「アリス、着いたよ」

 チェシャの声に、意識が引き戻された。目を開けて運転席を見ると、彼はシートベルトを外しているところだった。
 アリスもシートベルトを外し、扉を開けて外へと出る。

「ただいま」

 目の前にあるのは、大きな屋敷。アリスやチェシャ達はここで育った。何年も前に誰もいなくなったため、壁には蔦が生え、窓ガラスは曇り、ところどころにひびが入っている。
 けれど、ここはアリスにとってもチェシャ達にとっても大事な場所。世の中を変えるならばこの屋敷からと決めている。
 屋敷を眺めていると、車が走ってくる音が聞こえてきた。待ち人がやってきたようだ。音がした方向へ顔だけを向けると、男性二人がひらひらとこちらに向かって手を振った。
 アリスとチェシャの近くに車が止まり、運転席と助手席からそれぞれ降りてくる。

「ごめんごめん、待たせた?」

 黒色の帽子を深く被った大柄の男性は両手を合わせて謝罪を口にした。

「ううん、わたし達も今来たところだよ。帽子屋」
「ねえ、アリス。この女おかしいよ! お腹が膨らんでたのに、オレ達が車を当てたら萎んだんだ!」

 大きなウサギの垂れ耳がついた白い帽子を被った男性がスライドドアを開ける。
 そこには、頭から血を流し、膨らんでいたはずの腹が萎んでいる立河が寝転んでいた。肩が動いているところを見ると、息はしている。アリスの言うとおりに死なせずに連れてきてくれたようだ。

「偽物の妊婦だって、最初に言ってあったでしょ。三月ウサギ」
「あれ? そうだっけ? ああ、そうだったね!」
「ってか、ヘマしたって何したの?」
「加減ミスって、うっかり殺しそうになった!」
「やっぱり! 殺すなって言ってんのに!」

 三月ウサギはこういうところがある。人の話を聞いているようで聞いていない。

「まあ、生きてるみたいだしいいけどさ。帽子屋と三月ウサギで連れてきてくれる?」
「任せといてよ」
「あいあい!」

 まずは立河が帽子屋によって車から降ろされる。
 こうして眠り続けられるのも今だけ。アリスは立河の顔を覗き込むと、目を細めて口角を上げた。

アリス(わたし)に選ばれなかった人の末路は、悲惨だよ」