あやかしの癒し子〜祓い屋の出来損ないは、鬼の王の最愛〜

そこは、人の世ではなかった。

 奈津は思わず息を呑む。
 空は深い群青色に染まり、巨大な満月が静かに浮かんでいる。
 淡い青白い灯籠が、石畳の道をぼんやりと照らしていた。

 見たことのない世界。
 なのにどこか懐かしいような、不思議な感覚が胸を掠める。

「ここが……」

幽世(かくりよ)です」

 小さな妖が答えた。

 道の脇では、人ではないものたちがこちらを見ていた。

 猫の耳を持つ女。
 異様に背の高い男。
 顔のない子ども。
 
 その誰もが、奈津を見るなり目を見開く。

「人間……?」
「どうして現世の者が……」
「まさか……」

 ざわめきが広がる。
 けれど、小さな妖は構わず奈津の手を引いた。

「急がないと……紫鬼様が……」

 奈津は小さく頷く。

 胸の奥が、不思議にざわついていた。

 怖いはずなのに。
 逃げ出したいはずなのに。
 なぜか、この先へ行かなければならない気がする。

 やがて辿り着いたのは、巨大な屋敷だった。

 黒塗りの門。
 重苦しい空気。
 その瞬間。

「……っ」

 奈津は思わず胸元を押さえた。

 苦しい。
 空気が重い。
 肌がびりびりと痺れるようだった。

(これ……瘴気……?)

 瘴気。
 妖が放つ負の気配。
 人を蝕み、弱い者なら触れただけで命を落とすこともある。

 祓い屋として、その存在は知っていた。

 けれど――。

(こんなの、初めて……)

 今まで感じたどんな瘴気とも比べものにならない。

 濃密で、禍々しくて。
 まるで屋敷そのものが巨大な怪物になったようだった。