くたびれた作務衣姿で、奈津は廊下の雑巾掛けをしていた。
冬の廊下は冷たい。
冷水で荒れた指先が、じんじんと痛む。
「ちょっと、いつまでもたもたやっているの」
鋭い声に顔を上げると、母が嫌そうに眉を寄せていた。
「夕餉が終わったんだから、早くあちらを片付けなさい」
「……はい。ごめんなさい、お――」
反射的に零れかけた呼び方を、奈津は慌てて飲み込む。
――“お母さん”なんて、あなたみたいな出来損ないに、呼ばれたくない。
何度も、何度もそう言われてきた。
母はそんな奈津を、冷え切った目で見下ろした。
「本当に気味が悪い子」
吐き捨てるようにそう言って、母は去っていく。
奈津は俯いた。
その時、ぐう……と小さく腹が鳴る。
今日はまだ、湯で薄めた僅かな粥しか口にしていない。
そこへ、鈴を転がしたような笑い声が近づいてくる。
「お姉様、まだ掃除してたの?」
現れたのは、双子の妹・綾乃だった。
淡い色の着物に身を包んだ綾乃は、その場に咲く花のように華やかだった。
その隣には父の姿もあった。
奈津へ向けられた視線は、家族に向けるものとは思えないほど冷たかった。
「今日、まだご飯を召し上がっていないのでしょう?」
綾乃はくすくすと笑った。
「あちらに私の食べ残しがありますから、好きになさって? お姉様には十分ご馳走ですものね」
父が鼻で笑った。
「綾乃、そんなのと話すな。無能が移るぞ」
「はい、お父様」
二人は楽しそうに笑いながら去っていく。
奈津は雑巾を握りしめた。
濡れた布が、ぎゅっと指先へ食い込む。
この家に、私の居場所はない。
*
この世には、妖が存在する。
人を喰らい、人々を脅かす恐ろしい存在。
彼らは幽世に住み、人間の住む現世とは、本来関わらない。
不干渉の契り。
遠い昔、人と妖の争いの末に結ばれた契りによって、ふたつの世界はかろうじて均衡を保っている。
けれど、時折その契りを破り、現世に現れる妖がいる。
“妖はすべて悪”
その教えに則り、そんな妖たちを祓うのが、祓い屋の役目だった。
奈津は祓い屋の名門・一条家の分家にあたる九条家の長女として生まれた。
もっとも、その肩書きに意味などない。
奈津は、出来損ないだった。
冬の廊下は冷たい。
冷水で荒れた指先が、じんじんと痛む。
「ちょっと、いつまでもたもたやっているの」
鋭い声に顔を上げると、母が嫌そうに眉を寄せていた。
「夕餉が終わったんだから、早くあちらを片付けなさい」
「……はい。ごめんなさい、お――」
反射的に零れかけた呼び方を、奈津は慌てて飲み込む。
――“お母さん”なんて、あなたみたいな出来損ないに、呼ばれたくない。
何度も、何度もそう言われてきた。
母はそんな奈津を、冷え切った目で見下ろした。
「本当に気味が悪い子」
吐き捨てるようにそう言って、母は去っていく。
奈津は俯いた。
その時、ぐう……と小さく腹が鳴る。
今日はまだ、湯で薄めた僅かな粥しか口にしていない。
そこへ、鈴を転がしたような笑い声が近づいてくる。
「お姉様、まだ掃除してたの?」
現れたのは、双子の妹・綾乃だった。
淡い色の着物に身を包んだ綾乃は、その場に咲く花のように華やかだった。
その隣には父の姿もあった。
奈津へ向けられた視線は、家族に向けるものとは思えないほど冷たかった。
「今日、まだご飯を召し上がっていないのでしょう?」
綾乃はくすくすと笑った。
「あちらに私の食べ残しがありますから、好きになさって? お姉様には十分ご馳走ですものね」
父が鼻で笑った。
「綾乃、そんなのと話すな。無能が移るぞ」
「はい、お父様」
二人は楽しそうに笑いながら去っていく。
奈津は雑巾を握りしめた。
濡れた布が、ぎゅっと指先へ食い込む。
この家に、私の居場所はない。
*
この世には、妖が存在する。
人を喰らい、人々を脅かす恐ろしい存在。
彼らは幽世に住み、人間の住む現世とは、本来関わらない。
不干渉の契り。
遠い昔、人と妖の争いの末に結ばれた契りによって、ふたつの世界はかろうじて均衡を保っている。
けれど、時折その契りを破り、現世に現れる妖がいる。
“妖はすべて悪”
その教えに則り、そんな妖たちを祓うのが、祓い屋の役目だった。
奈津は祓い屋の名門・一条家の分家にあたる九条家の長女として生まれた。
もっとも、その肩書きに意味などない。
奈津は、出来損ないだった。

