配られたトーナメント表を確認すると「鳴神・保志」ペアは左上のブロックに配置されていた。当然ノーシードだ。桜花高校の和泉さんたちは第一シード。おれたちが勝ち進むと三回戦でぶつかることになる。
「……先輩?」
先ほどから黙っているので不思議に思って見上げると、体育館の入口辺りを見つめていた。見慣れないスーツ姿の男性が白石先生と談笑している。
「榊原先生だ。大会にはいつも目立つスーツで来て、鋭い目で選手たちを睨んでいる」
「あの人が?」
ふと、目が合った。何を思ったかこちらに近づいてくる。
「やぁ鳴神くんじゃないか。久しぶりだね」
一見すると穏やかそうな相貌だけど、目が笑ってない。先輩は「どうも」と頭を下げた。おれもそれに倣う。
「トーナメント表を見てびっくりしたよ。お父さんの体調はどうだい? バイトと部活の両立は大変じゃないかい?」
「……あなたには関係ありません」
声がかすかに震えている。頭を下げたまま目を合わせようとしない。
「相変わらずだな。まぁいい。今回はダブルスに出場するようだが……コレが、ペアか?」
視線を向けられた瞬間にぞくっと鳥肌が立った。
怖い。怖い。怖い。本能が叫ぶ。
まるで獣に睨まれているみたいだ。冷や汗が出てきた。膝ががくがく震えて身動きとれなくなっていると、先輩がぎゅっと肩を抱いてくれた。
ああ、大丈夫だ。おれには先輩がいる。大好きな人がいる。何も怖いものなんてない。
すぅ、と息を吸い込んだ。
「――月丘高校一年! 保志大輝です!! よろしくお願いしますっ!!!」
ありったけの大声で挨拶した。
周りの選手たちが何事かと振り返る。
「なんて迷惑な……」
相手は表情を歪めている。一方で先輩はこらえきれないように口元を押さえていた。
「榊原先生、聞きましたか。こいつが俺の大事な相棒です。二度と『コレ』なんて言わないでください」
はっきりと、凛とした声で答えた。
榊原先生がチッと苦々しそうに舌打ちした。
「よく良かった。対戦する時はお手柔らかに頼むよ」
くるりと背を向けて逃げてしまった。姿が見えなくなった途端、膝の力が抜けて座り込みそうになったところを先輩に支えられる。
「いいぞ、よくやった保志。さすが俺の相棒だ」
ぐしゃぐしゃと嬉しそうに髪を撫でてくる。
先輩が嬉しそうだとおれも嬉しい。好きだって気持ちがあふれそうになる。
試合が始まった。
最初の試合は他校の一年生ペア。出だしは緊張したけど前衛の先輩が浮き球を確実に処理してくれたお陰で危なげなく勝利した。
二戦目は二年生ペアだ。スマッシュの猛攻で耐える時間が多かったけど、少ないチャンスを狙って確実に点を稼ぎ、勝利した。
「順調そうじゃん」
次の試合までの間、観客席で昼飯を食べていると部長たちが隣に座った。
「お疲れ様です。部長たちも勝ち進んでるんですよね」
「これでも第二シードだからな。負けたらユッキーに怒られる」
「当たり前だ」
部長はおかしそうに肩を揺らしたけど、急に真顔になった。
「さっきウチの二年ペアが桜花高校の一年ペアに負けた。結構な点差で。試合を観ていたけど相当研究されている印象だった。気を付けろよ」
空気がピリッと張りつめた。やはり二年生の情報は榊原先生を通じて共有されているのだ。
「涼太、アドバイス感謝する。だが俺は心配してない。伸び盛りの保志が突破してくれる。な?」
ぐいっと肩を抱き寄せてくれる。かぁっ、と体が熱くなった。
「は、はい。頑張ります!!」
精いっぱい頷くと部長は「元から心配してねぇよ」と笑いながら立ち上がった。
「そういえばさっき益岡が飲み物を差し入れしにきてくれたぞ」
「悠斗が?」
「ああ。応援してるってさ。じゃあ決勝で会おうな」
ひらひらと手を振って行ってしまった。おれの元々のペア、悠斗。骨折して大会に出られないことを悔しがっていたからあまり話題を振らなかったけど、来てくれたんだ。
「益岡悠斗って、保志の本来のペアだったな」
「はい。今度試合に出場した時は必ず優勝しようって約束してて――」
「羨ましいな」
ぽつりと寂しそうに呟いた。
「え? いまなんて……」
「――いや、聞かなかったことにしてくれ。さぁいこう」
差し伸べられた手を握り締める。心のどこかでは期待していた。大会でいい成績を出せば先輩がまたバド部に戻ってきてくれるかもしれないって。でもそれは独りよがりだった。先輩はきっと家族の方を選ぶ。おれとの時間を捨てて。
秋の大会は地区単位で開催されるものだから、たとえ優勝しても上位の大会はない。今日だけ。
本当に、これが最後なのだ。
※ ※ ※
「――保志! しっかりしろ!」
ハッと我に返った。
おれが打ったサーブがネットに掛かってしまったのだ。これで何回目のサーブミスだろう。
「11-3、インターバル」
審判のコールを受けて、先輩がおれの手を掴んでコート外に連れ出した。
「落ち着け。まだ挽回可能だ」
「……はい」
差し出されたタオルで汗を拭くけど、いくら拭っても止まらない。
変だ。
スポドリを飲んでも喉の渇きが収まらない。
変だ。
やばい。練習試合でサーブミスしたことなんて数回しかないのに。心と体がうまく繋がらない。雰囲気に呑まれている。
しっかりしなくちゃ、と思うのに、手足が震えて視界がにじむ。
「すみません、すみません、すみません……」
こんなところで負けわけにはいかないのに、気持ちとは裏腹にミスばっかりしている。
目の前が真っ暗だ。
「はは、向こうの1年テンパってミスばっかりだ。集中的に狙っていこうぜ!」
和泉さんの笑い声が響き渡った。
ますます委縮するおれをよそに、先輩がつかつかと主審に近づく。
「審判。相手チームから大声で侮辱されました。禁止されている違反行為(ミスコンダクト)の可能性があります」
「ミスコン……え、と、あ、桜花高校チーム、以後発言に気を付けるように」
主審は前の試合で負けた高校生なので、専門知識などもなく、しどろもどろになりながら和泉さんに注意を促すしかない。
「はーい。……ったく、ちょっと大きい声で作戦会議していただけだろ」
あっという間にインターバルが終わった。
「行こう、保志」
背中を叩かれる。あまりに自分が不甲斐なくて顔を見られない。
「保志、俺を見ろ」
「……え?」
後ろからぼそっと囁かれた。
「11-3、プレー」
視界再開。次は和泉さんのサーブだ。レシーバーは先輩。真剣な眼差しで相手を睨んでいる。あと何回この横顔を眺められるだろう。
――パン! 不意打ちのロングサーブだ。
しかし先輩はすぐさま反応し、高らかに跳躍した。
胸を大きく開き、ラケットを振りかぶる。肘、手首、指先の順で腕がしなり、シャトルを叩く。
――パァンッッ!!
シャトルがミサイルみたいに突き刺さる。相手はまったく反応できない。
「11-4」
次はこっちがサーブだ。先輩が前に立ち、ハンドサインを送ってくる。
グーに握った手を二回、上下に揺らす。『諦めるな』って意味だけど、なぜか、『俺を信じろ』と言われているような気がした。
ショートサーブ。からの、クリアだ。でも中途半端に浮いている。またしても先輩の体が浮いた。
――パァンッッ!!
再びのスマッシュ。あまりに早すぎて目が追いつかない。すごすぎる。
「11-5」
呆然としていると、先輩と目が合った。笑顔を浮かべて親指を立てる。
「俺、格好いいだろ?」
なんだそれ、と思ったけど、あまりにドヤ顔だから可笑しくなってきた。
先輩なに言ってるんだろう。
格好いいのは当たり前じゃないか。
だから好きなんだよ。大好きなんだよ。いっそ大声で告白してやろうか。
「ナイスショットです!」
おれは親指を立てた。先輩も嬉しそうに肩を揺らした。
「それでいい。外野の声に心を揺らすな。俺だけ見て、俺の声だけ聞いていればいい。保志は俺の相棒(パートナー)なんだから」
「……先輩?」
先ほどから黙っているので不思議に思って見上げると、体育館の入口辺りを見つめていた。見慣れないスーツ姿の男性が白石先生と談笑している。
「榊原先生だ。大会にはいつも目立つスーツで来て、鋭い目で選手たちを睨んでいる」
「あの人が?」
ふと、目が合った。何を思ったかこちらに近づいてくる。
「やぁ鳴神くんじゃないか。久しぶりだね」
一見すると穏やかそうな相貌だけど、目が笑ってない。先輩は「どうも」と頭を下げた。おれもそれに倣う。
「トーナメント表を見てびっくりしたよ。お父さんの体調はどうだい? バイトと部活の両立は大変じゃないかい?」
「……あなたには関係ありません」
声がかすかに震えている。頭を下げたまま目を合わせようとしない。
「相変わらずだな。まぁいい。今回はダブルスに出場するようだが……コレが、ペアか?」
視線を向けられた瞬間にぞくっと鳥肌が立った。
怖い。怖い。怖い。本能が叫ぶ。
まるで獣に睨まれているみたいだ。冷や汗が出てきた。膝ががくがく震えて身動きとれなくなっていると、先輩がぎゅっと肩を抱いてくれた。
ああ、大丈夫だ。おれには先輩がいる。大好きな人がいる。何も怖いものなんてない。
すぅ、と息を吸い込んだ。
「――月丘高校一年! 保志大輝です!! よろしくお願いしますっ!!!」
ありったけの大声で挨拶した。
周りの選手たちが何事かと振り返る。
「なんて迷惑な……」
相手は表情を歪めている。一方で先輩はこらえきれないように口元を押さえていた。
「榊原先生、聞きましたか。こいつが俺の大事な相棒です。二度と『コレ』なんて言わないでください」
はっきりと、凛とした声で答えた。
榊原先生がチッと苦々しそうに舌打ちした。
「よく良かった。対戦する時はお手柔らかに頼むよ」
くるりと背を向けて逃げてしまった。姿が見えなくなった途端、膝の力が抜けて座り込みそうになったところを先輩に支えられる。
「いいぞ、よくやった保志。さすが俺の相棒だ」
ぐしゃぐしゃと嬉しそうに髪を撫でてくる。
先輩が嬉しそうだとおれも嬉しい。好きだって気持ちがあふれそうになる。
試合が始まった。
最初の試合は他校の一年生ペア。出だしは緊張したけど前衛の先輩が浮き球を確実に処理してくれたお陰で危なげなく勝利した。
二戦目は二年生ペアだ。スマッシュの猛攻で耐える時間が多かったけど、少ないチャンスを狙って確実に点を稼ぎ、勝利した。
「順調そうじゃん」
次の試合までの間、観客席で昼飯を食べていると部長たちが隣に座った。
「お疲れ様です。部長たちも勝ち進んでるんですよね」
「これでも第二シードだからな。負けたらユッキーに怒られる」
「当たり前だ」
部長はおかしそうに肩を揺らしたけど、急に真顔になった。
「さっきウチの二年ペアが桜花高校の一年ペアに負けた。結構な点差で。試合を観ていたけど相当研究されている印象だった。気を付けろよ」
空気がピリッと張りつめた。やはり二年生の情報は榊原先生を通じて共有されているのだ。
「涼太、アドバイス感謝する。だが俺は心配してない。伸び盛りの保志が突破してくれる。な?」
ぐいっと肩を抱き寄せてくれる。かぁっ、と体が熱くなった。
「は、はい。頑張ります!!」
精いっぱい頷くと部長は「元から心配してねぇよ」と笑いながら立ち上がった。
「そういえばさっき益岡が飲み物を差し入れしにきてくれたぞ」
「悠斗が?」
「ああ。応援してるってさ。じゃあ決勝で会おうな」
ひらひらと手を振って行ってしまった。おれの元々のペア、悠斗。骨折して大会に出られないことを悔しがっていたからあまり話題を振らなかったけど、来てくれたんだ。
「益岡悠斗って、保志の本来のペアだったな」
「はい。今度試合に出場した時は必ず優勝しようって約束してて――」
「羨ましいな」
ぽつりと寂しそうに呟いた。
「え? いまなんて……」
「――いや、聞かなかったことにしてくれ。さぁいこう」
差し伸べられた手を握り締める。心のどこかでは期待していた。大会でいい成績を出せば先輩がまたバド部に戻ってきてくれるかもしれないって。でもそれは独りよがりだった。先輩はきっと家族の方を選ぶ。おれとの時間を捨てて。
秋の大会は地区単位で開催されるものだから、たとえ優勝しても上位の大会はない。今日だけ。
本当に、これが最後なのだ。
※ ※ ※
「――保志! しっかりしろ!」
ハッと我に返った。
おれが打ったサーブがネットに掛かってしまったのだ。これで何回目のサーブミスだろう。
「11-3、インターバル」
審判のコールを受けて、先輩がおれの手を掴んでコート外に連れ出した。
「落ち着け。まだ挽回可能だ」
「……はい」
差し出されたタオルで汗を拭くけど、いくら拭っても止まらない。
変だ。
スポドリを飲んでも喉の渇きが収まらない。
変だ。
やばい。練習試合でサーブミスしたことなんて数回しかないのに。心と体がうまく繋がらない。雰囲気に呑まれている。
しっかりしなくちゃ、と思うのに、手足が震えて視界がにじむ。
「すみません、すみません、すみません……」
こんなところで負けわけにはいかないのに、気持ちとは裏腹にミスばっかりしている。
目の前が真っ暗だ。
「はは、向こうの1年テンパってミスばっかりだ。集中的に狙っていこうぜ!」
和泉さんの笑い声が響き渡った。
ますます委縮するおれをよそに、先輩がつかつかと主審に近づく。
「審判。相手チームから大声で侮辱されました。禁止されている違反行為(ミスコンダクト)の可能性があります」
「ミスコン……え、と、あ、桜花高校チーム、以後発言に気を付けるように」
主審は前の試合で負けた高校生なので、専門知識などもなく、しどろもどろになりながら和泉さんに注意を促すしかない。
「はーい。……ったく、ちょっと大きい声で作戦会議していただけだろ」
あっという間にインターバルが終わった。
「行こう、保志」
背中を叩かれる。あまりに自分が不甲斐なくて顔を見られない。
「保志、俺を見ろ」
「……え?」
後ろからぼそっと囁かれた。
「11-3、プレー」
視界再開。次は和泉さんのサーブだ。レシーバーは先輩。真剣な眼差しで相手を睨んでいる。あと何回この横顔を眺められるだろう。
――パン! 不意打ちのロングサーブだ。
しかし先輩はすぐさま反応し、高らかに跳躍した。
胸を大きく開き、ラケットを振りかぶる。肘、手首、指先の順で腕がしなり、シャトルを叩く。
――パァンッッ!!
シャトルがミサイルみたいに突き刺さる。相手はまったく反応できない。
「11-4」
次はこっちがサーブだ。先輩が前に立ち、ハンドサインを送ってくる。
グーに握った手を二回、上下に揺らす。『諦めるな』って意味だけど、なぜか、『俺を信じろ』と言われているような気がした。
ショートサーブ。からの、クリアだ。でも中途半端に浮いている。またしても先輩の体が浮いた。
――パァンッッ!!
再びのスマッシュ。あまりに早すぎて目が追いつかない。すごすぎる。
「11-5」
呆然としていると、先輩と目が合った。笑顔を浮かべて親指を立てる。
「俺、格好いいだろ?」
なんだそれ、と思ったけど、あまりにドヤ顔だから可笑しくなってきた。
先輩なに言ってるんだろう。
格好いいのは当たり前じゃないか。
だから好きなんだよ。大好きなんだよ。いっそ大声で告白してやろうか。
「ナイスショットです!」
おれは親指を立てた。先輩も嬉しそうに肩を揺らした。
「それでいい。外野の声に心を揺らすな。俺だけ見て、俺の声だけ聞いていればいい。保志は俺の相棒(パートナー)なんだから」

