「腰を低く」
「はい」
「フットワークは軽く、地面を滑るように」
「はい!」
「静と動、緩急を意識」
「はい!!」
大会前日。おれたちは体育館で最後の調整に入っていた。
先輩と組んでから一ヶ月しか経ってないけど、自分でも驚くほど成長していると思っている。
「ゲーム。マッチ・ウォン・バイ鳴神、保志ペア。21-18、16-21、25-23」
「「「「ありがとうございました!!」」」」
頭を下げてコートを出る。
「お疲れ。ファイナルゲーム、よく耐えたな」
先輩が三本の指を立ててハンドサインを送ってきた。
「はい! お疲れ様です!」
おれも同じハンドサインを返した。相手の部長が呆れ顔で近づいてくる。
「たった一ヶ月でオレたちに勝つなんて怖すぎるんだけど」
「それだけ保志と俺は相性がいいってことだ」
「はいはい、お熱いことで」
「涼太、この後シングルスの相手をしてやろうか? 少しは成長しただろう?」
不敵な笑みを浮かべる先輩を見て「結構だ!」と部長が逃げていった。少し前に痛い目にあったのが余程トラウマなんだろう。
「保志、少し休憩するか」
体育館の外を示すのでついていった。大会前日とあって部内の空気がピリピリしている。大会は勝ち抜きのトーナメント方式で、明日はダブルス、明後日はシングルスだ。
「先輩、シングルスにはエントリーしなかったんですね。あんなに強いのに」
「俺はダブルスの助っ人として来たから、保志との時間に全力を尽くしたいんだ。……それにシングルスに時間をかけると保志と一緒にいる時間が減るからな。寂しいだろう」
冗談なのか本気なのか分からないことを言って、優しく髪を撫でてくれる。
嬉しい。
でも、寂しい。
この大会が終わったら先輩はいなくなってしまうのだ。
「……明日、もし負けても、また会ってくれますか?」
「もちろん。学校内でいつでも会えるし、バイト先にも気軽に来てくれて構わない」
そうじゃない。時々会って話すだけじゃなくて、隣にいて欲しいのだ。こうやって撫でて欲しいのだ。
「先輩……明日、試合が終わったら……」
この想いをぶつけてしまおうか。先輩は優しいから、おれの気持ちを受け入れて『恋人』として側にいてくれるかも知れない。
でも、おれは先輩の厚意に甘えて足を引っ張りたくない。
対等でいたい。肩を並べていたい。隣にいたい。
「――どうした?」
頬に触れられた瞬間、ほろりと涙がこぼれた。
先輩がびっくりしたように目を開く。
「あはは、すんません。先輩と離れること考えたらセンチメンタルな気持ちになっちゃって。へへ、情けないなぁ」
止めようとするのに堰を切ったようにあふれてくる。
ダメだ、とまれ。なきやめ。先輩を困らせてどうするんだ。
「保志」
カラン、とラケットが落ちた。先輩の大きな腕に引き寄せられ、きつく抱きしめられる。
「セン……パイ……?」
どきん、どきん、と心臓の音が聞こえてくる。
おれの? 先輩の?
分かんない。混じり合って一つになってる。
きれいな顔がすぐ間近に迫ってくる。キスされる? ぎゅっと目をつぶった。
「鳴神先輩、どこですかー? フォーム見て欲しいんですけどー」
一年生の声が聞こえた。先輩は我に返ったように手を放し、ラケットを拾い上げる。
「悪かった」
ぽつりと呟いて立ち去った。
まだ心臓がドキドキしている。
なにが『悪かった』なんだろう。先輩は何をしようとしたんだろう。
明日、おれは……どんな顔して先輩と接すればいいんだろう。
※ ※ ※
迎えた試合当日。
始発の電車に乗って座っていると、おれの他にもラケットを背負ったユニフォーム姿の生徒たちが何人も乗っていた。
みんな強そう。どうしよう、緊張してきた。
落ち着け、落ち着け。
必死に深呼吸するけど不安は消えない。次の駅からは強豪と言われる私立高校の生徒たちが大量に乗り込んできた。その内の一人がおれの前に立つ。
「お。月丘高校の一年生じゃん。保志だっけ」
「……どうも。桜花高校の和泉さんでしたよね」
桜花高校の現エース、和泉 誠(いずみ まこと)。シード枠に入っていて、前大会のダブルスでは手も足も出なかった。
パッと見は黒髪だけど鮮やかな赤のインナーカラーが入ってる。正直関わりたくないタイプだ。
「ひとりか? ペアの相手は?」
蛇のような目で周囲を見回す。
「今回悠斗は出場しません。おれは別の人と出ます」
「へぇー。まぁ誰が相手でもいいけど、前回みたいにつまらない試合はやめてくれよ。息抜きにもならない。だるすぎて逆に疲れるんだ。なぁ?」
周りの生徒たちもゲラゲラと笑い声を上げた。
挑発されてる。悔しい。でもここで言い返したところで意味がない。
「おれたちが弱いかどうか、ご自分の目で確かめてみたらどうですか?」
まっすぐ目を見て告げた。へらへらしていた和泉さんの目がスッと細くなる。
「ずいぶん生意気なこと言うんだな。身の程知らずが」
手を伸ばしてくる。怖い。
ぎゅっと目をつぶった直後、低い声が聞こえた。
「保志は事実を言っただけだ」
和泉さんの腕を掴んでいるのは鳴神先輩だ。おれに見せる笑顔とは打って変わり、冷たい眼差しで睨んでいる。
「久しぶりだな、和泉。中学以来か?」
「鳴神……!? なんで、幽霊部員だったんじゃ……」
知り合いなのだろうか。険しい表情のまま睨み合っている。
「少し前に戻ってきた。今回は保志とダブルスを組んで出場する。ところで何故幽霊部員だったことを知ってるんだ?」
「――うっせぇな! 離せ!」
無理やり腕を引き剥がした。ちょうど駅に到着したこともあり、逃げるように出て行ってしまう。
「大丈夫か?」
差し出された手を掴むと自分でも思った以上に震えていた。
先輩は安心させるようにポンポンと頭を撫でてくれる。
「気にするな。アイツとは同じ中学だったが、自分の力を過大評価して弱い人間を見下す悪癖があったんだ。保志はもう前とは違う。一ヶ月の間で信じられないくらい成長した。自信をもっていい」
低く優しい声を聞いていたら次第に落ち着いてきた。
「……もう大丈夫です。ありがとうございます」
駅の改札を出て、一緒に体育館を目指した。
「でも、和泉さんはどうして先輩が幽霊部員だと知っていたんでしょう? 誰か知り合いがいるんでしょうか」
「――いや。俺の予想が正しければ……」
プルルル、とスマホが鳴った。先輩のポケットからだ。
「はい。なんだ涼太」
『大変だユッキー。会場に着いて気づいたけど、アイツがいる』
「アイツ?」
『前の顧問だよ。榊原! アイツ、ちゃっかり転職して桜花高校の顧問になってた! あの性悪な和泉がいるところだよ!』
先輩を出禁にした前の顧問が桜花高校の顧問に?
「分かった。あとで落ち合おう」
電話を切った先輩は何か考え込むように遠くを見ていた。
前の顧問がいるってことは、去年までいた選手の情報はほぼ筒抜けになっているだろう。和泉さんに先輩が出場することも知られてしまったから、対策を打たれるかもしれない。
「保志、顔色が悪いぞ。不安か?」
「……正直言うと、目の前が真っ暗です。色々対策してくるだろうし、もし負けたら、先輩いなくなっちゃうのに……」
そんなのイヤだ。少しでも長く一緒にいたいのに。
「俺は何も心配してない。次期エースがペアなんだから」
「やめてくださいよ。おれなんてまだまだで……」
がくがく震えていると先輩が拳を突き出してきた。ハンドサインだ。
「諦めるな。まだ終わってない。始まってすらいない」
続いて親指と小指を立てる。
「リラックス。気楽に行こう。目の前の試合を全力で楽しめばいい。勝敗は後からついてくる。俺は保志とのダブルスでバドミントンの楽しさを思い出させてもらったんだ」
最後に人差し指を立てて『愛してる』のハンドサインをする。
「シングルスはすべての結果をひとりで背負うしかないが、ダブルスは二人だ。狭いコートの中でお互いの欠点を補い、支え合い、喜びも苦しさも分かち合う。だから俺はダブルスが好きなんだよ。得点が入った瞬間の保志の笑顔を特等席で見られるから」
ぎゅっと胸が押しつぶされそうになった。
先輩、おれも、ダブルスが好きです。
点が入ると、先輩は真っ先におれを見てくれる。眩いばかりの笑顔を浮かべて『愛してる』のハンドサインをしてくれる。先輩の笑顔を独り占めできる瞬間が、たまらなく幸せなんだ。
「今日、死に物狂いで闘います。最後まで」
「ああ。最後まで二人で頑張ろう」
視線が重なる。おれも『愛してる』のハンドサインを作り、こつ、と指先を合わせた。試合会場はすぐそこだ。
「はい」
「フットワークは軽く、地面を滑るように」
「はい!」
「静と動、緩急を意識」
「はい!!」
大会前日。おれたちは体育館で最後の調整に入っていた。
先輩と組んでから一ヶ月しか経ってないけど、自分でも驚くほど成長していると思っている。
「ゲーム。マッチ・ウォン・バイ鳴神、保志ペア。21-18、16-21、25-23」
「「「「ありがとうございました!!」」」」
頭を下げてコートを出る。
「お疲れ。ファイナルゲーム、よく耐えたな」
先輩が三本の指を立ててハンドサインを送ってきた。
「はい! お疲れ様です!」
おれも同じハンドサインを返した。相手の部長が呆れ顔で近づいてくる。
「たった一ヶ月でオレたちに勝つなんて怖すぎるんだけど」
「それだけ保志と俺は相性がいいってことだ」
「はいはい、お熱いことで」
「涼太、この後シングルスの相手をしてやろうか? 少しは成長しただろう?」
不敵な笑みを浮かべる先輩を見て「結構だ!」と部長が逃げていった。少し前に痛い目にあったのが余程トラウマなんだろう。
「保志、少し休憩するか」
体育館の外を示すのでついていった。大会前日とあって部内の空気がピリピリしている。大会は勝ち抜きのトーナメント方式で、明日はダブルス、明後日はシングルスだ。
「先輩、シングルスにはエントリーしなかったんですね。あんなに強いのに」
「俺はダブルスの助っ人として来たから、保志との時間に全力を尽くしたいんだ。……それにシングルスに時間をかけると保志と一緒にいる時間が減るからな。寂しいだろう」
冗談なのか本気なのか分からないことを言って、優しく髪を撫でてくれる。
嬉しい。
でも、寂しい。
この大会が終わったら先輩はいなくなってしまうのだ。
「……明日、もし負けても、また会ってくれますか?」
「もちろん。学校内でいつでも会えるし、バイト先にも気軽に来てくれて構わない」
そうじゃない。時々会って話すだけじゃなくて、隣にいて欲しいのだ。こうやって撫でて欲しいのだ。
「先輩……明日、試合が終わったら……」
この想いをぶつけてしまおうか。先輩は優しいから、おれの気持ちを受け入れて『恋人』として側にいてくれるかも知れない。
でも、おれは先輩の厚意に甘えて足を引っ張りたくない。
対等でいたい。肩を並べていたい。隣にいたい。
「――どうした?」
頬に触れられた瞬間、ほろりと涙がこぼれた。
先輩がびっくりしたように目を開く。
「あはは、すんません。先輩と離れること考えたらセンチメンタルな気持ちになっちゃって。へへ、情けないなぁ」
止めようとするのに堰を切ったようにあふれてくる。
ダメだ、とまれ。なきやめ。先輩を困らせてどうするんだ。
「保志」
カラン、とラケットが落ちた。先輩の大きな腕に引き寄せられ、きつく抱きしめられる。
「セン……パイ……?」
どきん、どきん、と心臓の音が聞こえてくる。
おれの? 先輩の?
分かんない。混じり合って一つになってる。
きれいな顔がすぐ間近に迫ってくる。キスされる? ぎゅっと目をつぶった。
「鳴神先輩、どこですかー? フォーム見て欲しいんですけどー」
一年生の声が聞こえた。先輩は我に返ったように手を放し、ラケットを拾い上げる。
「悪かった」
ぽつりと呟いて立ち去った。
まだ心臓がドキドキしている。
なにが『悪かった』なんだろう。先輩は何をしようとしたんだろう。
明日、おれは……どんな顔して先輩と接すればいいんだろう。
※ ※ ※
迎えた試合当日。
始発の電車に乗って座っていると、おれの他にもラケットを背負ったユニフォーム姿の生徒たちが何人も乗っていた。
みんな強そう。どうしよう、緊張してきた。
落ち着け、落ち着け。
必死に深呼吸するけど不安は消えない。次の駅からは強豪と言われる私立高校の生徒たちが大量に乗り込んできた。その内の一人がおれの前に立つ。
「お。月丘高校の一年生じゃん。保志だっけ」
「……どうも。桜花高校の和泉さんでしたよね」
桜花高校の現エース、和泉 誠(いずみ まこと)。シード枠に入っていて、前大会のダブルスでは手も足も出なかった。
パッと見は黒髪だけど鮮やかな赤のインナーカラーが入ってる。正直関わりたくないタイプだ。
「ひとりか? ペアの相手は?」
蛇のような目で周囲を見回す。
「今回悠斗は出場しません。おれは別の人と出ます」
「へぇー。まぁ誰が相手でもいいけど、前回みたいにつまらない試合はやめてくれよ。息抜きにもならない。だるすぎて逆に疲れるんだ。なぁ?」
周りの生徒たちもゲラゲラと笑い声を上げた。
挑発されてる。悔しい。でもここで言い返したところで意味がない。
「おれたちが弱いかどうか、ご自分の目で確かめてみたらどうですか?」
まっすぐ目を見て告げた。へらへらしていた和泉さんの目がスッと細くなる。
「ずいぶん生意気なこと言うんだな。身の程知らずが」
手を伸ばしてくる。怖い。
ぎゅっと目をつぶった直後、低い声が聞こえた。
「保志は事実を言っただけだ」
和泉さんの腕を掴んでいるのは鳴神先輩だ。おれに見せる笑顔とは打って変わり、冷たい眼差しで睨んでいる。
「久しぶりだな、和泉。中学以来か?」
「鳴神……!? なんで、幽霊部員だったんじゃ……」
知り合いなのだろうか。険しい表情のまま睨み合っている。
「少し前に戻ってきた。今回は保志とダブルスを組んで出場する。ところで何故幽霊部員だったことを知ってるんだ?」
「――うっせぇな! 離せ!」
無理やり腕を引き剥がした。ちょうど駅に到着したこともあり、逃げるように出て行ってしまう。
「大丈夫か?」
差し出された手を掴むと自分でも思った以上に震えていた。
先輩は安心させるようにポンポンと頭を撫でてくれる。
「気にするな。アイツとは同じ中学だったが、自分の力を過大評価して弱い人間を見下す悪癖があったんだ。保志はもう前とは違う。一ヶ月の間で信じられないくらい成長した。自信をもっていい」
低く優しい声を聞いていたら次第に落ち着いてきた。
「……もう大丈夫です。ありがとうございます」
駅の改札を出て、一緒に体育館を目指した。
「でも、和泉さんはどうして先輩が幽霊部員だと知っていたんでしょう? 誰か知り合いがいるんでしょうか」
「――いや。俺の予想が正しければ……」
プルルル、とスマホが鳴った。先輩のポケットからだ。
「はい。なんだ涼太」
『大変だユッキー。会場に着いて気づいたけど、アイツがいる』
「アイツ?」
『前の顧問だよ。榊原! アイツ、ちゃっかり転職して桜花高校の顧問になってた! あの性悪な和泉がいるところだよ!』
先輩を出禁にした前の顧問が桜花高校の顧問に?
「分かった。あとで落ち合おう」
電話を切った先輩は何か考え込むように遠くを見ていた。
前の顧問がいるってことは、去年までいた選手の情報はほぼ筒抜けになっているだろう。和泉さんに先輩が出場することも知られてしまったから、対策を打たれるかもしれない。
「保志、顔色が悪いぞ。不安か?」
「……正直言うと、目の前が真っ暗です。色々対策してくるだろうし、もし負けたら、先輩いなくなっちゃうのに……」
そんなのイヤだ。少しでも長く一緒にいたいのに。
「俺は何も心配してない。次期エースがペアなんだから」
「やめてくださいよ。おれなんてまだまだで……」
がくがく震えていると先輩が拳を突き出してきた。ハンドサインだ。
「諦めるな。まだ終わってない。始まってすらいない」
続いて親指と小指を立てる。
「リラックス。気楽に行こう。目の前の試合を全力で楽しめばいい。勝敗は後からついてくる。俺は保志とのダブルスでバドミントンの楽しさを思い出させてもらったんだ」
最後に人差し指を立てて『愛してる』のハンドサインをする。
「シングルスはすべての結果をひとりで背負うしかないが、ダブルスは二人だ。狭いコートの中でお互いの欠点を補い、支え合い、喜びも苦しさも分かち合う。だから俺はダブルスが好きなんだよ。得点が入った瞬間の保志の笑顔を特等席で見られるから」
ぎゅっと胸が押しつぶされそうになった。
先輩、おれも、ダブルスが好きです。
点が入ると、先輩は真っ先におれを見てくれる。眩いばかりの笑顔を浮かべて『愛してる』のハンドサインをしてくれる。先輩の笑顔を独り占めできる瞬間が、たまらなく幸せなんだ。
「今日、死に物狂いで闘います。最後まで」
「ああ。最後まで二人で頑張ろう」
視線が重なる。おれも『愛してる』のハンドサインを作り、こつ、と指先を合わせた。試合会場はすぐそこだ。

