先輩、この恋も期間限定ですか?

 放課後の練習が終わり、おれと先輩はいつものように二人で帰ることになった。
「朝の部長との試合、めちゃくちゃ痺れました!!」
 結果は21-9。先輩の圧勝だった。
「ラインギリギリのえげつないクリアに、すごい角度でネット際に落ちるカット、なにより地面に突き刺さるような力強いジャンプスマッシュ! パーンって音速を超えるような打撃音は最高でした!!」
 いま思い出しても興奮が収まらない。あれが本当に上手い人たちのバドミントンなのだ。それに比べるとおれなんてお遊戯レベルだ。もっと頑張らないと。
「っていうか先輩ブランクあるはずなのに、なんでそんなに上手いんですか?」
「バイトの合間に筋トレや素振りしたり、動画サイトでプロの試合を研究したりしている。あとは週に一度、社会人サークルに参加させてもらっている。メンバーの中には元オリンピック選手や全国大会の入賞者もいて毎回コテンパンにされてる。ひどいザマだぞ。今度保志も来るか?」
「……か、考えておきます」
 バドミントンは楽しいけど先輩ですら負けるサークルに参加して勝てる気がしない。もっと力をつけて、いずれは挑戦したいけど。
「先輩は本当にバドが好きなんですね」
 部長が言ってた通りだ。だからこそ出禁にされた悔しさは想像できない。すごく苦しかっただろう。でも先輩は前顧問を恨むような発言はしてなかった。
 先輩はきっと優しすぎるんだ。だからこそ、おれは悔しい。先輩が大切にしていた場所が失われたことが。
 その事件さえなければ先輩は部活を続けていて、おれとも顔見知りになってて、もっと早くペアを組んでいたかもしれない(勝手な妄想だって分かってるけど)。
 期間限定だなんて……ヤだな。
「急に黙り込んでどうした? まだ背中が痛むか?」
 くしゃ、と髪を撫でてくる。
 暖かくて大きな手のひらに触れられると胸が熱くなる。
「背中はもう平気です。それより朝練で言いかけてたこと、聞かせてもらえませんか?」
 先輩の目を見ると、どきっとしたように手を放した。
「いまか?」
「はい。いま、聞きたいです」
 一歩近づくと逆に先輩が後ずさりした。
 何事か考えるように宙を見上げている。やがて「――うん、そうだな」と頷いた。
「保志に感謝を伝えたかったんだ」
「感謝って?」
 まったくピンとこなかった。
「五月の大会、涼太に誘われて試合を観に行ったんだよ。観客席の隅でこっそりとだけど」
 五月と言えばバド部に入って間もない頃だ。
「実はその時期、心身共に疲れ果てていたんだ。父の体調は思わしくなく、下の弟妹たちは反抗期。大好きなバドもできない。将来を悲観して、なんで俺ばっかりってイライラして物に当たることが多かった。涼太に誘われた時も嫌味にしか思わなかったが、バイトの空き時間にふらっと足を運んでみたんだ。そこで保志のダブルスを観た」
「ダブルスは一回戦負けでしたよ。一ゲーム目はとったけど、二、三ゲームと崩れて逆転負けした試合です」
 ペアを組んでた悠斗とも険悪なムードになって翌日まで口をきかなかった。
 自分にとっては苦い思い出だ。
「確かに試合内容は良くなかったが、俺が目を惹かれたのは最後まで諦めない姿だった。ペアの益岡は負けを覚悟して動きが止まっていたが、保志は最後まで声を出して粘ってた。『まだ終わってない、諦めるなよ!』って声が聞こえた時、なぜか――涙があふれてきたんだ」
 語尾が上ずった。
「……わるい。思い出したら、急に」
 こらえきれないように目元を隠す先輩。肩が小刻みに震えている。
「まだ終わってない。諦めるな。保志の言葉が強く胸に突き刺さって涙が止まらなかったんだよ。もちろん保志は知る由もないだろうが、あのバカでかい声に俺は救われたんだ。――ありがとう」
「先輩……」
 涙ぐむ先輩になんと声を掛けたらいいのか分からなかった。
「おれじゃないですよ。そこから頑張ったのは先輩です。先輩はやっぱりすごい人です」
 そっと右手を包み込んだ。
 苦しくてもラケットを手放さなかった。だからこんなにマメができてるんだ。
「保志――手を、つないでもいいか? 震えが収まるまで」
 先輩がためらいがちに掴んできた。
「いいですよ」
「ありがとう。できれば泣いたことは涼太には言わないでほしい。アイツはすぐ揶揄うから」
「もちろん。おれたちだけの秘密です」
「ああ。二人だけの」
 指を絡めて、お互いの体温を重ねる。
 夜の風は冷たいけど先輩の手はとびきり暖かい。
 ずっとこうしていたい。
 ちらりと視線を向けると目が合った。優しく微笑んで指先に力を込めてくる。それだけで胸がいっぱいだ。
 ああ――おれは、先輩に惹かれている。
 最初は無愛想で口調がきつくて怖いと思ったけど、誰よりもバドに真剣で、優しくて、こんなふうに涙を見せてくれる。強くて弱い先輩がたまらなく好きだ。
 ……でも、この気持ちは言わない。期間限定のペアだから。おれの想いを伝えたら先輩の足を引っ張ってしまう。
「どうした? 目元が潤んでるようだが?」
 指摘されて、慌てて手の甲で拭った。
「なんでもないです。それよりハンドサイン、決めなくちゃですね」
「ああ。ショートとロングはこれまで通りとして、あと二つ、こんなのはどうだ」
 つないだ手とは反対側で、グー、を作る。
「諦めるなって意味だ。どっちかが心が折れそうになったらこれで鼓舞する」
「分かりました。どちらかと言えばおれが鼓舞してもらう側になりそうですね」
「もう一つはこれ。親指と小指を立てる。手のひらを相手に向けることで『気楽に行こう』『リラックスしよう』という意味になる。緊張している時に使えると思うんだ。保志も何かあるか?」
 スマホでハンドサインを調べてみると、手話や海外で使われている様々なハンドサインが出てきた。
「先輩、試合に勝ったらこれ使いません? お疲れ様って意味で」
 親指、人差し指、小指をピンと立てるハンドサインだ。
「本来はどんな意味なんだ?」
「内緒です。あ、スマホで調べるのは無しで。変な意味じゃないんで安心してください」
 このハンドサインの意味は『愛してる』だ。
 もし調べられても先輩がおれの気持ちに気づくはずはないから、内輪での『愛してるぜー』って軽いノリだと受け止めるだろう。
 それでいい。
 おれの気持ちは誰にも言わない。ずっと胸の内に抱えたまま生きていくんだ。大会が終わったら、ちゃんと笑顔で見送るんだ。