あっという間に18時になった。ネットを片づけ、床にモップ掛けをして18時半までに体育館を出るのがルールだ。
部室に戻って汗臭いTシャツを脱ぐ。今日もたっぷり汗かいたな。
「うわっ、ユッキーの体、相変わらずえぐいな」
Tシャツを脱いだ先輩の上半身は筋肉の鎧みたいだった。
「すげぇ! 触ってみてもいいですか?」
「構わないが」
そっと二の腕に触れるとパリっとした張りと弾力があって、色気すら感じるほどだった。おれの細腕との差よ。
「早朝ランキングと筋トレで鍛えてるからな」
いとも簡単に力こぶを作って見せる。うわあ、カッコイイ。
「先輩って本当にすごいですね。尊敬します」
「褒めても何もでないぞ」
と言いながら気恥ずかしそうに視線を背ける。意外と照れ屋さんなのかな。
「保志は駅まで歩きか? 俺も同じ方向なんだが一緒に帰らないか? せっかくペアになったのだから色々と話したい」
どきっとした。
おれももっと話したいと思ってたんだ。
「いいですよ。じゃあみんなで……」
いつも一緒に帰っているメンバーを振り向くと、部長がパンパンと手を叩いた。
「秋の大会に向けて緊急ミーティングを行うからみんな残ってくれ。あ、保志と幽霊部員のペアは帰っていいぞ」
「え、でもおれたちも……」
「部長がそう言うんだ。帰ろう、保志」
ぐいっと腕を引かれ、納得できないながらも部室を後にした。
「仲間外れなんてひどくないですか?」
「さしずめ、俺たちが二人で話しやすいよう気を遣ってくれたんだろう。アイツはそういう奴だ」
ザアッと冷たい風が吹いて先輩の前髪を揺らした。顔立ちが整っているから髪型が乱れても全く気にならない。
こうして並んで歩いているとモデルみたいだ。身長が高く、手足は長く、しかも中身は筋肉ムキムキ。理想的すぎる。
「どうした、じっと見て」
「見惚れてました。格好いいなぁって」
正直に告白すると「変なことを言うな」と口元を緩めた。
「俺からすれば保志の方が羨ましい。明るく、まっすぐで、学年に関わらず部員のみんなと親しく話しているだろう。俺は人付き合いが苦手だから、保志や涼太みたいな人間に憧れる」
「よく陽キャって言われます。おれはそのつもりないんだけど。……ペアの性格は似てくるって言いますから、先輩も陽キャに化けるかもしれないですよ? ま、おれが長身イケメンになることはないのが残念ですけど。あはは」
ちょっとした笑いを誘うつもりが、先輩は「ぷっ」と噴き出した。
「はは、保志は本当に面白いな」
顔をくしゃくしゃにして笑い声を上げる。
「正直で、裏表がなくて、どこまでも真っ直ぐだ。そんな保志だから目が離せないのかもしれない」
目を細めてゆっくりと瞬きする。
あんまり優しい表情をしているから、胸の奥がきゅんっと疼いた。まともに顔を見られない。一体どうしたんだおれ。目の前がぐるぐるして視点が足元がおぼつかない。
「――保志!」
突然ぐいっと腕を引かれた。直後に猛スピードの自転車が横を走り抜けていく。
気がつくと先輩の腕の中に納まっていた。
「歩道をあんなにスピードで走るなんて危ないな。大丈夫か?」
顔が近い。ポッと火がついたよう顔が熱くなった。
「だい、じょぶ、です」
呂律が回らない。
心臓がうるさい。
「……あの、答えたくなければいいんですけど」
「ん?」
「幽霊部員になった事情って、なんですか」
「――ああ」
先輩はしずかに微笑んだ。街路灯に寂しそうな眼差しが浮かび上がる。
「歩きながら話そうか」
そう言って歩き出した。大きな背中を追いかけておれも足を進める。身長差があるから歩幅が違うはずだけど、置いていかれることはない。先輩がおれに合わせて歩いてくれてるからだ。
「耳に入っているかも知れないが、昨年、前顧問の先生とトラブルがあったんだ」
暴力事件があった、と噂されていた。
でもおれは信じられない。
「先輩が暴力を振るうなんてありえないです。もし殴って解決するような人だったら伊吹部長も二年生たちも拍手で出迎えたりしないですよね?」
先輩はちょっぴり驚いたように目を見開く。
「……そうだな、力では何も解決しない。でも顧問の先生の考えは違ったんだ。表向きは真面目で善良を装い、学校や保護者たちの評判も良かったが、徹底した実力主義を敷いていた。二週に一度の練習試合で勝敗を競わせ、部内のランキングを決定していた。下位の選手は大会に出場する機会すら与えられず、出場しても不甲斐ない結果だったら容赦なく手を挙げた」
「最低じゃないですか!!」
腹が煮えくり返りそうになった。その先生ほどではないが、中学一年の時のソフトテニス部の顧問も似たような方針だった。上手い選手ばかりを優遇し、あまり上手くない選手を冷遇してマネージャーのように扱う。保護者の告発で顧問から外れたお陰で最後まで楽しく部活ができたけど、あんなに息苦しいのは御免だ。
「勝敗は人を狂わせる。俺は勝っても負けても何かを学べればいいと思っていたが、そんな方針が気に食わなかったのか、部室や体育館に入ることを禁じられたんだ。出禁というやつだな」
部室や体育館に入れなければ部活に参加できない。
退部届は本人しか出せないから、わざとそんな嫌がらせをしたんだ。
「……ひどい。ひどすぎます!」
悔しくて涙が出てきた。先輩は何も悪くないじゃないか。
「涼太たちが学校に訴えたことで顧問の職を解かれて異動になったが、上級生の中には快く思わなかった人もいたから、俺も顔を出せないままだった。そうこうしている内に父親が体調を崩してしまって、俺はバイトに精を出すようになったんだ。うちは父子家庭で、下に幼い弟妹がいるからお金は少しでもあった方がいいだろう。休日は二丁目交差点のコンビニにいるから良かったら顔を出してくれ」
さらりと、なんでもないことのように言うから、逆に何も言えなかった。
あれだけ上手い先輩は部内ランキングでも上位だったはずで、前顧問も目にかけていたと思う。
アルバイトだって、自分じゃなく家族のために働いている。
先輩いつだって自分じゃなく他人のために頑張ってるんだ。
今回のペアだっておれが困っていたから。
「事情はそんなところだ。バイト先に頼んで休日以外のシフトは外してもらったから安心してくれ」
大変ですね、すごいですね、気が利いた言葉が出てくれば良かったけど、軽い気持ちで労うのは先輩の頑張りを無下にしているような気がした。
おれが言うべきは、哀れみや同情の言葉じゃない。
「――先輩!」
キッ、と視線を上げて姿勢を正した。
「話してくれてありがとうございました。あと、おれのペアになってくれてありがとうございます! 短い間ですけどよろしくお願いします!!」
深々と頭を下げる。いまのおれに出来るのはこれだけだ。
しばらくして先輩の笑い声が漏れてきた。
「保志は本当に声が通るな。周りに丸聞こえだ」
「あ、すみません!」
顔を上げると先輩は肩を震わせて笑っていた。
「でも、そんな保志だからペアを引き受けたんだ。こちらこそよろしく頼む」
手を伸ばして髪を優しく撫でてくれる。気持ちいいけど、ちょっと変な感じだ。
「あの……なんで髪の毛に触ってくるんですか?」
「イヤだったか?」
「別にイヤじゃないですけど、部長に撫でられてた時もじっと見てましたよね」
そう聞くと、自分でも驚いたように手のひらを見つめていた。
「――自分ではまったく意識してなかった。たぶん、保志に触れたかったんだ」
気恥ずかしそうに頬を掻く姿に、とくん、と胸が鳴る。
触れたかった、なんて言われて、平常心でいられるわけがない。
「イヤだったならやめるよ。悪かったな」
「だめです!」
気がつくと先輩に腕を掴んでいた。
目が合って、急に恥ずかしくなる。
でもこの気持ちは本当だ。
「気兼ねなく触ってくれていいです。先輩は部長みたいに乱暴じゃないから……その……嬉しいです」
蚊の鳴くような声でぼそぼそ告げると先輩の顔に笑顔が広がった。
「じゃあ遠慮なく」
後頭部のあたりをくしゃっと掴まれる。
この時間が永遠に続けばいいと思った。
部室に戻って汗臭いTシャツを脱ぐ。今日もたっぷり汗かいたな。
「うわっ、ユッキーの体、相変わらずえぐいな」
Tシャツを脱いだ先輩の上半身は筋肉の鎧みたいだった。
「すげぇ! 触ってみてもいいですか?」
「構わないが」
そっと二の腕に触れるとパリっとした張りと弾力があって、色気すら感じるほどだった。おれの細腕との差よ。
「早朝ランキングと筋トレで鍛えてるからな」
いとも簡単に力こぶを作って見せる。うわあ、カッコイイ。
「先輩って本当にすごいですね。尊敬します」
「褒めても何もでないぞ」
と言いながら気恥ずかしそうに視線を背ける。意外と照れ屋さんなのかな。
「保志は駅まで歩きか? 俺も同じ方向なんだが一緒に帰らないか? せっかくペアになったのだから色々と話したい」
どきっとした。
おれももっと話したいと思ってたんだ。
「いいですよ。じゃあみんなで……」
いつも一緒に帰っているメンバーを振り向くと、部長がパンパンと手を叩いた。
「秋の大会に向けて緊急ミーティングを行うからみんな残ってくれ。あ、保志と幽霊部員のペアは帰っていいぞ」
「え、でもおれたちも……」
「部長がそう言うんだ。帰ろう、保志」
ぐいっと腕を引かれ、納得できないながらも部室を後にした。
「仲間外れなんてひどくないですか?」
「さしずめ、俺たちが二人で話しやすいよう気を遣ってくれたんだろう。アイツはそういう奴だ」
ザアッと冷たい風が吹いて先輩の前髪を揺らした。顔立ちが整っているから髪型が乱れても全く気にならない。
こうして並んで歩いているとモデルみたいだ。身長が高く、手足は長く、しかも中身は筋肉ムキムキ。理想的すぎる。
「どうした、じっと見て」
「見惚れてました。格好いいなぁって」
正直に告白すると「変なことを言うな」と口元を緩めた。
「俺からすれば保志の方が羨ましい。明るく、まっすぐで、学年に関わらず部員のみんなと親しく話しているだろう。俺は人付き合いが苦手だから、保志や涼太みたいな人間に憧れる」
「よく陽キャって言われます。おれはそのつもりないんだけど。……ペアの性格は似てくるって言いますから、先輩も陽キャに化けるかもしれないですよ? ま、おれが長身イケメンになることはないのが残念ですけど。あはは」
ちょっとした笑いを誘うつもりが、先輩は「ぷっ」と噴き出した。
「はは、保志は本当に面白いな」
顔をくしゃくしゃにして笑い声を上げる。
「正直で、裏表がなくて、どこまでも真っ直ぐだ。そんな保志だから目が離せないのかもしれない」
目を細めてゆっくりと瞬きする。
あんまり優しい表情をしているから、胸の奥がきゅんっと疼いた。まともに顔を見られない。一体どうしたんだおれ。目の前がぐるぐるして視点が足元がおぼつかない。
「――保志!」
突然ぐいっと腕を引かれた。直後に猛スピードの自転車が横を走り抜けていく。
気がつくと先輩の腕の中に納まっていた。
「歩道をあんなにスピードで走るなんて危ないな。大丈夫か?」
顔が近い。ポッと火がついたよう顔が熱くなった。
「だい、じょぶ、です」
呂律が回らない。
心臓がうるさい。
「……あの、答えたくなければいいんですけど」
「ん?」
「幽霊部員になった事情って、なんですか」
「――ああ」
先輩はしずかに微笑んだ。街路灯に寂しそうな眼差しが浮かび上がる。
「歩きながら話そうか」
そう言って歩き出した。大きな背中を追いかけておれも足を進める。身長差があるから歩幅が違うはずだけど、置いていかれることはない。先輩がおれに合わせて歩いてくれてるからだ。
「耳に入っているかも知れないが、昨年、前顧問の先生とトラブルがあったんだ」
暴力事件があった、と噂されていた。
でもおれは信じられない。
「先輩が暴力を振るうなんてありえないです。もし殴って解決するような人だったら伊吹部長も二年生たちも拍手で出迎えたりしないですよね?」
先輩はちょっぴり驚いたように目を見開く。
「……そうだな、力では何も解決しない。でも顧問の先生の考えは違ったんだ。表向きは真面目で善良を装い、学校や保護者たちの評判も良かったが、徹底した実力主義を敷いていた。二週に一度の練習試合で勝敗を競わせ、部内のランキングを決定していた。下位の選手は大会に出場する機会すら与えられず、出場しても不甲斐ない結果だったら容赦なく手を挙げた」
「最低じゃないですか!!」
腹が煮えくり返りそうになった。その先生ほどではないが、中学一年の時のソフトテニス部の顧問も似たような方針だった。上手い選手ばかりを優遇し、あまり上手くない選手を冷遇してマネージャーのように扱う。保護者の告発で顧問から外れたお陰で最後まで楽しく部活ができたけど、あんなに息苦しいのは御免だ。
「勝敗は人を狂わせる。俺は勝っても負けても何かを学べればいいと思っていたが、そんな方針が気に食わなかったのか、部室や体育館に入ることを禁じられたんだ。出禁というやつだな」
部室や体育館に入れなければ部活に参加できない。
退部届は本人しか出せないから、わざとそんな嫌がらせをしたんだ。
「……ひどい。ひどすぎます!」
悔しくて涙が出てきた。先輩は何も悪くないじゃないか。
「涼太たちが学校に訴えたことで顧問の職を解かれて異動になったが、上級生の中には快く思わなかった人もいたから、俺も顔を出せないままだった。そうこうしている内に父親が体調を崩してしまって、俺はバイトに精を出すようになったんだ。うちは父子家庭で、下に幼い弟妹がいるからお金は少しでもあった方がいいだろう。休日は二丁目交差点のコンビニにいるから良かったら顔を出してくれ」
さらりと、なんでもないことのように言うから、逆に何も言えなかった。
あれだけ上手い先輩は部内ランキングでも上位だったはずで、前顧問も目にかけていたと思う。
アルバイトだって、自分じゃなく家族のために働いている。
先輩いつだって自分じゃなく他人のために頑張ってるんだ。
今回のペアだっておれが困っていたから。
「事情はそんなところだ。バイト先に頼んで休日以外のシフトは外してもらったから安心してくれ」
大変ですね、すごいですね、気が利いた言葉が出てくれば良かったけど、軽い気持ちで労うのは先輩の頑張りを無下にしているような気がした。
おれが言うべきは、哀れみや同情の言葉じゃない。
「――先輩!」
キッ、と視線を上げて姿勢を正した。
「話してくれてありがとうございました。あと、おれのペアになってくれてありがとうございます! 短い間ですけどよろしくお願いします!!」
深々と頭を下げる。いまのおれに出来るのはこれだけだ。
しばらくして先輩の笑い声が漏れてきた。
「保志は本当に声が通るな。周りに丸聞こえだ」
「あ、すみません!」
顔を上げると先輩は肩を震わせて笑っていた。
「でも、そんな保志だからペアを引き受けたんだ。こちらこそよろしく頼む」
手を伸ばして髪を優しく撫でてくれる。気持ちいいけど、ちょっと変な感じだ。
「あの……なんで髪の毛に触ってくるんですか?」
「イヤだったか?」
「別にイヤじゃないですけど、部長に撫でられてた時もじっと見てましたよね」
そう聞くと、自分でも驚いたように手のひらを見つめていた。
「――自分ではまったく意識してなかった。たぶん、保志に触れたかったんだ」
気恥ずかしそうに頬を掻く姿に、とくん、と胸が鳴る。
触れたかった、なんて言われて、平常心でいられるわけがない。
「イヤだったならやめるよ。悪かったな」
「だめです!」
気がつくと先輩に腕を掴んでいた。
目が合って、急に恥ずかしくなる。
でもこの気持ちは本当だ。
「気兼ねなく触ってくれていいです。先輩は部長みたいに乱暴じゃないから……その……嬉しいです」
蚊の鳴くような声でぼそぼそ告げると先輩の顔に笑顔が広がった。
「じゃあ遠慮なく」
後頭部のあたりをくしゃっと掴まれる。
この時間が永遠に続けばいいと思った。

