帰宅部男子ですが、強豪バド部のエース兼部長の鷹乃先輩にめちゃくちゃ構われて困ってます

 五月三十日、春季大会当日。
 俺は約束通り、応援団や部員たちがひしめく二階スタンドで、雀部と肩を並べていた。
 コート上には、俺が選んだ紫色のグリップを握る鷹乃先輩の姿がある。存在感というか、オーラはやっぱりエグかった。
 白地に黒のラインが入ったユニフォーム姿。ファンサなのか分かんないけど、手を振る姿はまるで別人のように見える。
 先輩が軽くラケットを振って、コートを確認するように視線を走らせる。
 その目が一瞬だけ俺を捉えたような気がして、思わず息を止めた。

『ナイッサー鷹乃、押せ押せナイスキー!』

 今日の先輩は、マジで神がかっていた。準決勝まで、相手を寄せ付けないスピードで次々とシャトルを叩き込んでいく。
 コートを縦横無尽に駆けて仕留めていく姿は、二人で打ち合っていた時とは別次元だ。あれは先輩の、ほんの一部でしかなかったんだと見せつけられる。
 隣で雀部が「すごい……」と呪文みたいに繰り返しているけれど、俺はただ黙って、その背中を追い続けた。

『これより、男子シングルス決勝を行います』

 順調に勝ち上がった先輩の前に立ちはだかったのは、やっぱり鷲見だった。
 ネット越しに無言で視線をぶつけ合う二人のあまりの圧に、さっきまで応援の声を出していた後輩たちも自然と押し黙った。会場に静けさが広がり、俺の手のひらにじわりと汗が滲む。

『サーバー鷹乃、レシーバー鷲見。ファーストゲーム、ラブオールプレイ!』

 試合は息を呑むような壮絶なラリーの応酬になった。どちらも一歩も引かない、意地とプライドのぶつかり合い。
 鷲見側の応援団が轟音のような声援を送れば、うちも負けじと声を張り上げる。その応援の渦の中で、俺はずっと先輩の動きだけを追っていた。
 先輩が強いのは分かってる。だけど、鷲見はその上をいく。あいつの打球には、ただ速いとか鋭いとかじゃない、相手の心を削ってくるような「重さ」がある。
 それを誰よりも知っているのは俺だ。だからこそ、じれったいほどの焦燥感に駆られて、スタンドの手すりをぎゅっと握りしめていた。

 一進一退の攻防の末、ファイナルゲームへ突入した。スコアは目まぐるしく動き、取っては取られを繰り返す。
 隣で雀部が俺の袖をぎゅっと掴み、俺も気づかないうちに膝の上で拳を握りしめていた。
 ……やばい、押されてる。このままじゃ厳しいかもしれない。
 そんな不安は的中し、鷲見にマッチポイントを握られた。あと一点取られたら、終わる。
 張り詰めた空気の中、サービスラインに立った先輩の背中が、一瞬だけ強張った。

『サーブカット、ワンカットー!』

 相手コートから応援が飛んでくる。その音を聞きながら、俺は先輩の背中に「かつての自分」を重ねていた。
 マッチポイントを握られたあの焦燥感。コートが急激に広く感じられて、体は動こうとするのに、プレッシャーでラケットが重く沈む感覚を、俺は知っている。
 だからこそ、今の先輩が立っているその場所がどれほど辛いか、胸が痛くなるほど分かってしまう。
 気がつけば、俺は立ち上がっていた。
 サーブを打とうと硬く背筋を伸ばす先輩の背中へ、声を張り上げる。

「鷹乃せんぱーい! 一本集中!!」

 スタンドの応援を突き抜けて、俺の声が響いた瞬間、先輩の肩がピクリと跳ねた。
 振り返りはしない。だけど、構え直したその背中から、さっきまでの迷いが消え去るのが分かった。
 鷲見の鋭いスマッシュを拾い、次の一点を力ずくで奪い取る。
 流れが変わったのがスタンドからでも分かった。先輩の足がさっきより速く、打球がさっきより重い。
 一点、また一点。
 最後はライン際に強烈なスマッシュを叩き込み――試合終了のコールが体育館に鳴り響いた。

「っしゃああ、おらぁ!!」

 拳を握りしめ、咆哮するみたいに叫ぶ先輩。
 歓声に飲み込まれる体育館の喧騒の中、俺はその姿から一瞬たりとも目を逸らせない。
 泣くつもりなんて、なかったのに。気づけば、景色がゆらゆらと揺らいでいる。
 あの日、同じこの場所で泣き崩れた俺の過去を、先輩が全部ひっくり返してくれたような気がした。
 自分がどうしても届かなかった場所に、今、先輩が立っている。その事実が、ただひたすらに嬉しい。
 それだけじゃない。バドミントンが好きだって、もう一度思える日が来るなんて。
 溢れ出す感情をどうすることもできなくて、俺はくしゃくしゃになった顔を両手で覆い隠すので精一杯だった。

 *

 表彰式が終わった後、監督や部員と喜び合う先輩の姿に視線を送って、俺は雀部や他の一般応援で来ていた友達とスタンド横の通路を抜け、出口へ向かった。

「鷹乃先輩、すっごくカッコよかったー! 次はインターハイだね、叶羽」
「……あ、うん」

 興奮気味に試合を語り出す雀部の後ろを歩きながら、先輩にラインしようかな、とポケットに手を突っ込んだ瞬間だった。
 ――ぐいっ、と勢いよく体を後ろから引き寄せられる。
 驚いて振り向く間もなく、通路の角へと引き込まれ、身体をがっちり抱きすくめられた。さらに、驚いて開いた口を大きな手で覆い隠される。
 斜め上を見上げると、背後から俺を抱きしめていたのは鷹乃先輩だった。

「……あれ? 叶羽が居ない」
「トイレじゃね? 向こうで待ってようぜ」

 俺が動揺して硬直している間に、雀部たちは笑いながら歩いて離れていく。
 先輩は覆っていた手をゆっくりと解くと、今度は俺の顔の横に腕をついて壁際に閉じ込めた。

「……っ、先輩?」
「聞こえたぞ。お前が叫んだの」
「……人、めちゃくちゃいたし。聞き違いじゃないですか」

 恥ずかしすぎて必死に誤魔化そうとする俺の頭上で、先輩が小さく笑う。もっとうまい照れ隠しを探して口を開きかけると、先輩の指が俺の頬をすっとなぞった。

「ベンチに戻ってから、控えの全員に『あの子誰だよ』って弄り倒されたくらい、ばっちり聞こえてたわ」

 返す言葉が見つからなくて黙り込んだ瞬間、反対の手で頭をぐっと抱き込まれた。
 先輩の胸に耳と頬をくっつけると、鼓動がトクン、トクンとユニフォーム越しに伝わってくる。

「鴨下」
「……はい」
「なんであんなに、俺のことガチで応援してくれたの?」

 耳元で囁かれる低い声に、思わず息が詰まる。
 俺は先輩の胸に顔を埋めたまま、ぽつりぽつりと言葉を零した。

「分かるんです、あの場面の怖さが。足がすくんで、ラケットが重くなる感じも。知ってるから……先輩には、あのまま終わってほしくなかった」

 しばらく、どちらも黙っていた。先輩の腕の力が少しだけ強くなって、肩口に顔を埋められる。
 言葉にせずとも、先輩の体からは気持ちが溢れかえっているみたいだった。

「俺、去年はこの会場の、あの辺で泣いてたんですよ。なんか、そう思うと……先輩と体育館で出会ったのも……その、運命だったのかな、とか」

 言ってから、しまったと思った。なんでそんなこと口走ったんだろう。けど、勢いで出た言葉に、嘘は混じってなかった。
 先輩がいない世界線で生きてたら、俺はどうなってたのかな。たぶん、ずっとバドを好きになれないまま、適当に日々をやり過ごしてたと思う。
 先輩がすっと息を吸う気配がして、一拍の沈黙が流れる。
 それから、低くて静かな声が、すぐ耳元に落ちてきた。

「……好きだ」
「えっ?」

 少しだけ掠れた声だった。
 ゆっくりと身体が離れる。俺を捉えて離さない、先輩の瞳。
 先輩は苦しげに眉を下げて、さっきの続きを紡いだ。

「恋愛として、お前のことが好きだって言ってんだよ」

 飾りも何もない、ただ真っ直ぐなその一言に、頭が一瞬で真っ白になった。でも、拒む理由なんて最初からなくて。
 俺が言葉を詰まらせている間に、先輩の腕が再び背中に回った。されるがままに、先輩の胸へと額を預ける。

「……バドやってる時の先輩のことは、マジで意味わかんないくらい強くてかっこよくて、尊敬してます。でも、普段のぶっきらぼうで意地悪なところも好きで……」

 一度言い始めると、気持ちが次々に溢れて、もう止まらなかった。

「捻くれてる俺に、無理やり踏み込まずに、一歩引いて待っててくれる……そういう優しいところは、もっと好きです。本当は、もっと俺のこと構えよって、ずっと思ってて――」

 涙を拭いても拭いても止まらない俺を見て、先輩がユニフォームの上に羽織ってたジャージを脱いで、俺の頭からすっぽり被せてきた。
 視界が少しだけ暗くなる。次に何が起こるかなんて分かりきってるのに、不思議と逃げ出したいとは思わなかった。

「……鴨下。キスしたいから、顔上げろ」

 先輩がジャージの裾をぎゅっと引き寄せて、俺の唇に、カサついた唇を重ねてくる。
 至近距離で先輩の息がかかって、恥ずかしくて、どうにかなりそう。
 たまらずぎゅっと目を閉じる。
 ふっと気配が離れて、恐る恐る顔を上げると、先輩は珍しくうろたえたような顔をしていた。

「お前のこと……大事にしたさすぎて、どうにかなりそう」

 動揺で肩がぴくりと跳ねる。……最悪だ、顔が熱い。こんな茹でダコみたいな顔、絶対に見られたくない。
 ジャージで視線を遮るように、カーテンのように閉じると、なんとか努めてぶっきらぼうな声を絞り出した。

「……っ、ホント、反則。ずるい。言われるこっちの身にもなってください。それ以上言ったら殴りますよ」
「その生意気な口のが、反則だろうがよ」

 そう言って先輩は、俺が口を開く隙も与えないみたいに、両手首を握ってまた唇を重ねてきた。
 さっきよりずっと甘くて、柔らかい感触に息が詰まる。角度を変えて重ねてくるキスは、絶対に離す気なんてないって言われてるみたいだった。
 ユニフォームの裾をそっと握りしめ、されるがままに息を合わせる。

「先輩、もう行かないと。ミーティング……」
「分かってるけど、普通に足りねぇ」

 鼻先が触れる距離で先輩が小さく笑う。
 それからようやく身体を離して、被せられていたジャージをそのまま俺の肩にぱさりと掛け直した。

「……もう一回だけさせて欲しい」

 じっと俺を見つめてくるその眼差しには、ノーとは言わせないという熱い意志が宿っている。

「部長が油売ってたら、監督に怒られますよ。他の部員に示しがつかないし」
「爆照れしてんのもクソ可愛い」
「……人の話、聞いてます?」
「聞いてる。でも、今は譲りたくない」

 口では「もっと屈んでくださいよ」と怒りながら、手は先輩の肩へと伸びていた。
 スニーカーのつま先に力を込めて背伸びをし、今度は俺の方から唇を重ねる。
 ふわりと離れて顔を見上げると、先輩は言葉を失って固まっていた。耳まで真っ赤に染め上げ、口を閉じたり開いたりしている。
 あんなに強かったはずの人が、俺からのキス一つでたじたじになっている。それが何だか可笑しくて、愛おしくて。
 先輩の胸元に顔を押しつけて、俺は堪えきれずに声を上げて笑った。

<終>