帰宅部男子ですが、強豪バド部のエース兼部長の鷹乃先輩にめちゃくちゃ構われて困ってます

 数日が経っても、最悪な気分のループからは抜け出せなかった。こんなにガチで落ち込んだのなんて、それこそ中学最後の大会以来なんじゃないかと思う。
 あの後、先輩から届いた『会ってちゃんと話したい』というメッセージ。
 会ってしまったら、絶対に泣いて甘えたくなる――そんな確信があった。結局、無駄なプライドが邪魔をして、既読だけつけて放置している。
 勝ち続けたいと言う先輩から見れば、俺なんてクソダサいんだろうな。負けたからって引き下がるのは、ただの逃げだ。どんだけプライドが高いんだよって、自分でも嫌になるけれど、そういう自己嫌悪すらもうしんどい。
 バドへの未練は、ラケットと一緒に部屋の隅へしまい込んで、もう二度と開けないと決めたはずなのに。

「……叶羽、元気ないね」
「えっ?」
「なんか……月曜日からずっとじゃん。どうしたの?」
「いや……えっと」

 雀部が心配そうに、机で腕枕をする俺の顔を覗き込んできた。その手には、大会前の願掛けで作ってるんだろう、羽の部分を切り落としたシャトルのコルクが握られている。軸の部分に毛糸を巻きつけていくのを見ていると、自然とお互いに沈黙した。
 そういえば、雀部の練習にもあれ以来付き合えてない。
 「気にしないで」って言われたけど、なんか違うよな。そもそもバド部辞めたいって相談されて、中途半端に首突っ込んで。助け舟出したのは、俺の方なのに。

「あのさ……もし違ってたらゴメン。もしかして、鷹乃先輩と何かあった?」
「……何で、そこで先輩の名前が出てくんの?」
「えっと……俺が見てる限り、だけど。鷹乃先輩もなんていうか、調子悪そうで……二人とも、すれ違っても話さなくなったじゃん。喧嘩でもしたの?」

 雀部は目を伏せながら、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
 確かに、昇降口や下駄箱で先輩と顔を合わせたことは何回かあった。だけどその度に、俺の方が先に顔を伏せて、目を合わせないようにしてきた。
 そうやって避けているうちに、いつの間にか先輩は、俺の方を見ることすらしなくなって。
 ……なんで俺は、それを思い出しただけで、こんなに寂しいって思ってるんだろう。
 雀部はまだ毛糸を巻き終えていないお守りを、そっと机の上に置いて口を開いた。

「大会、叶羽も観に来るでしょ。その前に仲直りしたら?」
「でも、今更……」

 作るの大変だから一個手伝ってよ、と雀部にシャトルを握らされる。
 口ではうだうだ言いつつも、コルクを見て真っ先に頭に浮かんだのは、やっぱり鷹乃先輩の顔だった。

「今度は俺が叶羽に教えてあげるから、一緒に作ろう?」

 差し出されたカラフルな毛糸が入った袋から、迷わず紫色を選ぶ。それを見た雀部は、何も言わずにただ小さく笑った。
 教室の片隅で教わりながら、不器用な手つきでシャトルに糸を通すたび、上手くいかなくて何度もやり直す。
 めっちゃ作るのムズいじゃん、と思うのに、それでも不思議と手を止める気にはなれなかった。

 *

 出来上がったお守りを手に、二年生のフロアに来てみたけれど、先輩の姿は見つけられなかった。
 ……最悪、鵜野先輩に頼んで手渡して貰うとか?
 そんなヘタレな考えが過って、すぐに逃げようとする自分が嫌になる。
 半ば諦めモードで駐輪場へ向かい、自転車のハンドルを握った、その時だった。

「っ、鷹乃先輩」

 自転車の前カゴにスクールバッグを乗せようとする背中を見つけて、思わず声が出た。
 だけどその声は、情けないくらい震えていて。呼びかけるというより、弱々しく空気に溶けて消えていくような音だった。

「……鴨下?」

 振り返った先輩は、俺以上に驚いた顔でこちらを見つめていた。
 「あの、これ」と言いかけて、お守りを出そうとポケットに突っ込んでいた手が止まる。先輩は無言のまま、ずいっと距離を詰めて歩み寄ってきた。
 次の瞬間、ふわりと俺の手が掴まれる。
 その手つきが驚くほど優しくて、俺は弾かれたように顔を上げた。一度だけ、親指の腹で手の甲をそっと撫でられる。
 動揺して固まる俺の顔を見つめ、先輩は苦しげに眉を寄せて静かに言った。

「お前に逃げられんのは慣れてるけど、避けられるのはマジで無理だった」

 見たこともないくらい弱り切った、先輩の表情。ずきん、と胸の奥が痛んだ。
 あぁ、そうだ。お守りを渡すことなんかより先に、俺にはこの人にちゃんと話さなきゃいけないことがある。

「……ちょっと、今いいですか。話したいことがあって」

 覚悟を決め、俺と先輩は駐輪場の奥にある外階段へ向かった。
 段差に腰を下ろす。震えを隠すように膝の上で自分の手をぎゅっと握りしめ、全部打ち明けると決めた。

「俺、小三からずっとバドミントン漬けだったんです。地元のクラブチームがメインだったので、中学の部活は籍を置くだけ。大会の時だけ駆り出される、そんな生活でした。……それで、最後の全中で鷲見と当たって、ボロ負けしたんです。悔しくて、恥ずかしいくらい泣いて。こんなに惨めな思いをするくらいならって、逃げたんです」

 話している間、先輩は一度も視線を逸らさなかった。
 まっすぐ見つめられるのは緊張したけど、真剣に聞いてくれているのが伝わってきて、出来るだけ正直に話そうと必死だった。

「両親はプロにしたがってたから優勝が当たり前で、小学生の頃からバド以外の思い出なんて何一つなくて。燃え尽きて『もうやらない』って宣言したら、親同士の喧嘩も増えていって……入学直前に苗字が変わることになったので、生まれ変わるつもりで高校に入ったんです。帰宅部に入って、友達と『普通の高校生』を味わおうって決めて。……それで雀部と仲良くなりました。あいつにバド部の相談をされたときは、さすがに想定外でしたけどね」

 やってみたかったことは、この春でそれなりに叶った。スポッチャに行くのも、クレープを食べるのも、プリクラを撮るのも。どの思い出も楽しかったし、遊ぶのはやっぱり最高だった。
 けれど、本当の俺の「楽しい」っていう気持ちのコアな部分は、どこか満たされないままで。

「……雀部が悩んでんのは知ってた。けど、あいつ変に気遣いだから何も言ってこねぇし。上手いこと声かけてやれなくてさ」
「俺の方から『辞めないで、教えるから』って言ったんです。続ければ、もっと……」
「もっと、何だよ。言ってみろよ」

 先輩は、その先まで全て分かっているような笑みを浮かべ、俺の頭を無造作に撫でた。
 伝わってくる掌の温もりが、胸を苦しくさせる。俯いたまま、俺は声を振り絞った。

「……バドって楽しいんだって、分かる瞬間が、絶対にくるから」

 言葉にした瞬間、それが雀部へじゃなく、ずっと昔の自分へ向けた言葉だったと気づいた。
 中三の夏から止まっていた時計の針が、この人のそばでゆっくりと動き始めている。それが嬉しくて、怖くて、なんだか泣きそうだった。

「あんだけ上手いのに、なんでお前が入部を嫌がるのかずっと気になってた。経験者なのに帰宅部なんて、勿体ねぇって思ってたけど……今の話聞いて、変わった。鷲見に負けたのは死ぬほど悔しかっただろうけど、お前の中ではもう、全中の大会で出し切ったってことだろ?」
「え……っ。はい……」
「それって、やり切った奴にしか出せない悔しさじゃん。そこまでやったお前はマジでかっけぇよ」

 くしゃくしゃと先輩に頭を撫でられ、髪が乱れる。
 「最悪」なんて口から漏れたのは、照れ隠しが過ぎる俺の悪い癖だ。
 ふと視線を上げると、先輩は目が合った瞬間に目を細めて微笑んだ。

「初めはお前のこと、部活に引っ張り込んで戦力にしようって考えてたけど……やっぱりなんか、ちげーんだよな」
「ど、どういうことですか」
「……ただ部員を増やしたかったわけでも、お前に勝ちたかったわけでもねぇ。ただ、鴨下と一緒に居る時間そのものが、死ぬほど楽しかったんだと思う」

 真っ直ぐにぶつけられた瞳と、低く熱を帯びた声。
 あまりの直球に言葉を打ち返す余裕なんてなくて、俺はただ暴れ出す心臓を抑え込むように、右手で胸元のシャツをぎゅっと掴み締めた。

「……お前だって、あんな目パキでラケット振ってたんだ。相当楽しかっただろ?」
「目パキってなんですか。変な言い方しないでください」
「普段は『ちむほわ』のくせに、コート立つと一瞬で牙剥くっつーか。……まぁ、そういう生意気なところも含めて、好きなんだけど」

 ……えっ。今のって、どういう種類の「好き」?
 そんな問いかけと、湧き上がる期待が脳内で激しく殴り合っている。
 後輩としてか、単なる言葉の綾か。言い訳を並べて自分を落ち着けようとするけれど、それだけ必死になっている時点で、俺の気持ちにはもう答えが出ているようなものだ。

「今までの分の青春を取り戻すのも、大事な時間なんじゃねぇかと思うし」

 ドクドクと早まる鼓動と熱に、もうこれ以上は耐えられそうにない。

「……あの、これ」

 ポケットに手を突っ込んで、さっき渡しそびれたお守りを取り出す。紫色の毛糸を巻いたシャトル。不器用な自分でも分かるくらい、マジでヘタクソな出来だった。
 差し出したその瞬間、こんなの渡されても迷惑だったかも、と後悔したけどもう遅い。
 先輩はしばらくの間、それをじっと見つめたまま動かなかった。

「何これ」
「お守りです。雀部に作り方教えてもらって……大会、頑張ってください」

 ぼそぼそと、早口に言い切る。先輩は無言のまま、ゆっくりとお守りを受け取った。
 怪訝な顔をされるかと思いきや、なんだか困ったような、それでいてどこか嬉しそうな顔で、俺の片頬をむにっと指先で摘まんだ。

「……お前、本っ当にクソ可愛いな」

 むすっとした顔を必死で作り、左手で赤くなった頬を庇う。
 けれど、それ以上言い返せないのは、先輩にこうして構われるのが、正直に言えば嬉しくて仕方がないからだ。

「来いよ」
「……えっ?」
「春季大会。絶対に観に来い」

 立ち上がった先輩が、階段の手すりに手を置いて上から見下ろしてくる。
 つられて顔を上げると、今まで見たことのないくらい真剣な眼差しで、俺の瞳をまっすぐ見つめていた。

「お前がもう一度、バドミントンを好きになる瞬間を見せてやるから。スタンドから俺だけ見てろ」

 有無を言わせないその口調に、俺はそれ以上何も返せなくなって、小さくコクンと頷くことしか出来なかった。
 その反応に満足したのか、先輩は手の中の紫色のお守りをもう一度見つめ、それを大切そうにブレザーのポケットへと仕舞い込む。

「五月三十日の土曜日。他の予定入れんなよ」

 そう言って、先輩は駐輪場の方へと歩き出した。自転車を出す金属音がして、背中が遠ざかっていく。
 誰もいなくなった駐輪場。そのまま階段の段差にへなへなと座り込んだ。
 ……ちょっと待って。俺だけ見てろって、何。恥ずかしすぎて死ぬ。しかも真顔で言うの、やめてほしい。どう受け取ればいいか分かんなくなる。

「勘違いしたくなるじゃん……」

 頭を抱えたまま、顔を隠すように膝の間に突っ込んだ。ふぅー、と長く息を吐き出しても、まだ心臓がトクトクと脈打っていた。
 好きになるつもりなんて、なかったのに。
 あんなに勝ち負けにこだわってきたはずなのに――先に好きになった悔しさが霞むくらい、俺は鷹乃先輩に惹かれていた。