鷹乃先輩と休日を過ごしてから、数日が経った。
あれだけ「相手しろ」って凄んできた先輩が、最近は強引に迫ってくることはなくなった。
その代わり、やたらとちょっかいをかけられる。
全校集会や移動教室で顔を合わせるたび、わざわざこっちまで来て話しかけてきたり。
それは、雀部と一緒に購買で唐揚げを買って戻る今日も、例外じゃなかった。
「あーっ、『ちむほわ』じゃん! おい鷹乃、ほら、あそこ」
自販機でジュースを買っていた雁谷先輩が、俺と雀部を指差した。その隣には、当然のように鷹乃先輩の姿もある。そのまま二人でこっちに歩いてきた。
うげぇ、また出た。とりあえず挨拶だけでやり過ごそうとした矢先、鷹乃先輩がいきなり手元のペットボトルを、俺に向かってひょいと投げてきた。
「は? なんすかこれ」
「自販で当たったから、やる」
慌ててキャッチして手元を見たら、俺の好きなミルクティーだった。
「部活用のスポドリとか、選べばよかったのに」
「普通はありがとうございます、だろそこは」
「……あざーっす」
先輩はポケットに両手を突っ込んだまま「ったく、生意気な奴」とだけ言って、さっさと歩いて行く。
……この前俺が飲んでいたのを、覚えてくれてたってことなのか?
ぱちぱちと瞬きして、ペットボトルのラベルに視線を落とす。
「良かったね、叶羽!」
俺よりも雀部の方が嬉しそうにしている。正直、この状況を素直に喜んでいいのか分からない。
なんだか餌付けでもされてるみたいで癪だし、そもそも先輩が何をしたいのかマジで意味不明だ。
だけど、その日を境に、廊下ですれ違うたびに頭をぐしゃぐしゃと乱されるようになった。俺が振り返ると、先輩はもう先を歩いていて、こっちを見向きもしない。
何がしたいんだよ。そう思うのに、構われて触れられることを、それほど嫌がっていない自分がいた。
*
「おい、鴨下。体育館行くぞ」
「えっ、ちょっ、何すかいきなり!」
「男に二言はねぇんだよ。ほら、さっさと立てよ」
その週の金曜日。昼休みの教室に、鷹乃先輩が突然現れた。
手にしているのは、ガットを張り替えたばかりのあのラケット。一年の教室に二年が直々に、という光景にクラス中がざわついた。突き刺さるような周囲の視線を浴びながら、俯いて先輩の後ろを小走りで追いかける。
たどり着いた体育館。先輩は重い扉を開けると、慣れた手つきでスイッチを押し、遮光カーテンを閉め切った。
先輩は俺の分のラケットを放り投げてくると、そのまま無言でコートの奥へと歩みを進める。
「十五分までで良いですか?」
「あ? なにお前、そんだけあれば俺のこと倒せるって意味?」
「違いますよ、ただ終わる時間は決めておかないと……」
俺の言葉を遮るように、先輩が鋭いロングサーブを放ってきた。
最後まで人の話を聞けよ、と思いつつ打ち返すと、そこからは自然とラリーが続いていく。
お互い初めこそ黙って打ち合っていたけれど、シャトルが行き交うたびに、打球音と声が重なり始めた。
「へえ。口では面倒くさそうにしといて、足めちゃくちゃ動いてんじゃん。やっぱり身体はバドやりたがってんじゃねーの?」
「別にそういうんじゃないですよ。インハイ帰りのわりに球が甘いなぁって」
生意気に返してやると、先輩の目が座った。直後、ラインギリギリのコースへ鋭いドライブを突き刺してくる。
……うわ、ガチじゃん。思いっきり顔キレてんじゃん。完全に地雷踏んだわ。
でも、真剣だと分かるからこそ、俺も引く気にはなれなかった。
「おっそ。先輩、ジュースじゃなくてプロテイン飲んだ方がいいんじゃないですか? ほら、前ガラ空きですよ」
「おいおい、さっきからネット際ばっか狙いやがって。もしかしてスタミナ切れ? 帰宅部だもんなー」
「視線でコース丸わかりなんですよ。先輩、意外と単純だし」
口でも絶対に負けたくない。必死にレシーブを拾いながら、頭とは裏腹に、楽しさで身体がどんどん軽くなっていく。セーブしなきゃ、ブレーキかけなきゃって思ってるのに、どうしても足が止まってくれない。
「勝ちたい、って頭に血が上りすぎてフォーム崩れてますよ。焦ってそんなゴミみたいなレシーブ返して来ないで下さい」
「……っ、お前マジで……! 顔は死ぬ程可愛いくせに、性格ブス過ぎんだろ!」
はぁ? 今、可愛いって言った!?
予想外すぎる単語をぶち込まれ、手元が狂いそうになるのを必死に抑えてシャトルを押し返す。
「顔とか関係ないでしょうが! 下手くそ!」
もはや小学生レベルの悪口の応酬だ。床にギリギリで手を突いて、必死にシャトルを拾い上げる先輩の姿が視界に入る。
俺はラケットを握る手にぐぐっと力を込め、ありったけの力でスマッシュを叩き込んだ。
シャトルが床に落ちるのと同時に、お互いに息を切らして、ネット前にどさっと腰を下ろす。
「鴨下、俺のこと殺す気か? やってる時の目、別人すぎんだろ」
「そうですか? 自分じゃよく分かんないです」
「お前とのラリー、マジで楽し過ぎて死にそう」
「先輩、必死こいて羽追いかけてますもんね」
うるせぇな、と言いながら、先輩はゴツゴツした指で乱暴に自分の前髪をかき上げ、額に浮かんだ汗を拭った。
そういう先輩の仕草を、いちいち目で追っている自分に気付いて、思わず目を逸らす。
「鷹乃先輩のことボコボコにできて嬉しいです。握力ゴリラだし、物理じゃ絶対勝てないんで」
「誰がゴリラだよ。やっぱ生意気だなー、お前。ほら、もう一回くらいやれんだろ?」
シャトルを拾い上げた先輩は、「やりますって言え」と俺の顔を覗き込んできた。髪からふわ、と漂うワックスと汗の匂いが混ざって届く。
やばい。距離、近い。今の顔見られたら、絶対からかわれる。
自異常な動揺を隠すのに必死で、俺はわざとらしく鼻で笑ってみせた。
「いいですよ。特別にもう一回だけ相手してあげます」
「よし、吠え面かかせてやるよ。さっさとコートに――」
「先輩が負けた後は、今度のオフにタルトもドリンクも全部奢りでお願いしますね」
「お前、俺が負ける前提で話してんじゃねーよ! マジで性格ブス!」
「ほら。お喋りしてると、またネット際で顔面に叩き込まれますよ」
先輩は大声で俺を責めるけれど、目も口元もどう見ても喜んでいるようにしか見えない。
怒ってんのか笑ってんのか、どっちなんだよ。……まあ、どっちでもいいか。
俺は盛大なため息をつき、次こそは喋る隙も与えてやらないという気持ちで、ラケットを握り直して立ち上がった。
あれだけ「相手しろ」って凄んできた先輩が、最近は強引に迫ってくることはなくなった。
その代わり、やたらとちょっかいをかけられる。
全校集会や移動教室で顔を合わせるたび、わざわざこっちまで来て話しかけてきたり。
それは、雀部と一緒に購買で唐揚げを買って戻る今日も、例外じゃなかった。
「あーっ、『ちむほわ』じゃん! おい鷹乃、ほら、あそこ」
自販機でジュースを買っていた雁谷先輩が、俺と雀部を指差した。その隣には、当然のように鷹乃先輩の姿もある。そのまま二人でこっちに歩いてきた。
うげぇ、また出た。とりあえず挨拶だけでやり過ごそうとした矢先、鷹乃先輩がいきなり手元のペットボトルを、俺に向かってひょいと投げてきた。
「は? なんすかこれ」
「自販で当たったから、やる」
慌ててキャッチして手元を見たら、俺の好きなミルクティーだった。
「部活用のスポドリとか、選べばよかったのに」
「普通はありがとうございます、だろそこは」
「……あざーっす」
先輩はポケットに両手を突っ込んだまま「ったく、生意気な奴」とだけ言って、さっさと歩いて行く。
……この前俺が飲んでいたのを、覚えてくれてたってことなのか?
ぱちぱちと瞬きして、ペットボトルのラベルに視線を落とす。
「良かったね、叶羽!」
俺よりも雀部の方が嬉しそうにしている。正直、この状況を素直に喜んでいいのか分からない。
なんだか餌付けでもされてるみたいで癪だし、そもそも先輩が何をしたいのかマジで意味不明だ。
だけど、その日を境に、廊下ですれ違うたびに頭をぐしゃぐしゃと乱されるようになった。俺が振り返ると、先輩はもう先を歩いていて、こっちを見向きもしない。
何がしたいんだよ。そう思うのに、構われて触れられることを、それほど嫌がっていない自分がいた。
*
「おい、鴨下。体育館行くぞ」
「えっ、ちょっ、何すかいきなり!」
「男に二言はねぇんだよ。ほら、さっさと立てよ」
その週の金曜日。昼休みの教室に、鷹乃先輩が突然現れた。
手にしているのは、ガットを張り替えたばかりのあのラケット。一年の教室に二年が直々に、という光景にクラス中がざわついた。突き刺さるような周囲の視線を浴びながら、俯いて先輩の後ろを小走りで追いかける。
たどり着いた体育館。先輩は重い扉を開けると、慣れた手つきでスイッチを押し、遮光カーテンを閉め切った。
先輩は俺の分のラケットを放り投げてくると、そのまま無言でコートの奥へと歩みを進める。
「十五分までで良いですか?」
「あ? なにお前、そんだけあれば俺のこと倒せるって意味?」
「違いますよ、ただ終わる時間は決めておかないと……」
俺の言葉を遮るように、先輩が鋭いロングサーブを放ってきた。
最後まで人の話を聞けよ、と思いつつ打ち返すと、そこからは自然とラリーが続いていく。
お互い初めこそ黙って打ち合っていたけれど、シャトルが行き交うたびに、打球音と声が重なり始めた。
「へえ。口では面倒くさそうにしといて、足めちゃくちゃ動いてんじゃん。やっぱり身体はバドやりたがってんじゃねーの?」
「別にそういうんじゃないですよ。インハイ帰りのわりに球が甘いなぁって」
生意気に返してやると、先輩の目が座った。直後、ラインギリギリのコースへ鋭いドライブを突き刺してくる。
……うわ、ガチじゃん。思いっきり顔キレてんじゃん。完全に地雷踏んだわ。
でも、真剣だと分かるからこそ、俺も引く気にはなれなかった。
「おっそ。先輩、ジュースじゃなくてプロテイン飲んだ方がいいんじゃないですか? ほら、前ガラ空きですよ」
「おいおい、さっきからネット際ばっか狙いやがって。もしかしてスタミナ切れ? 帰宅部だもんなー」
「視線でコース丸わかりなんですよ。先輩、意外と単純だし」
口でも絶対に負けたくない。必死にレシーブを拾いながら、頭とは裏腹に、楽しさで身体がどんどん軽くなっていく。セーブしなきゃ、ブレーキかけなきゃって思ってるのに、どうしても足が止まってくれない。
「勝ちたい、って頭に血が上りすぎてフォーム崩れてますよ。焦ってそんなゴミみたいなレシーブ返して来ないで下さい」
「……っ、お前マジで……! 顔は死ぬ程可愛いくせに、性格ブス過ぎんだろ!」
はぁ? 今、可愛いって言った!?
予想外すぎる単語をぶち込まれ、手元が狂いそうになるのを必死に抑えてシャトルを押し返す。
「顔とか関係ないでしょうが! 下手くそ!」
もはや小学生レベルの悪口の応酬だ。床にギリギリで手を突いて、必死にシャトルを拾い上げる先輩の姿が視界に入る。
俺はラケットを握る手にぐぐっと力を込め、ありったけの力でスマッシュを叩き込んだ。
シャトルが床に落ちるのと同時に、お互いに息を切らして、ネット前にどさっと腰を下ろす。
「鴨下、俺のこと殺す気か? やってる時の目、別人すぎんだろ」
「そうですか? 自分じゃよく分かんないです」
「お前とのラリー、マジで楽し過ぎて死にそう」
「先輩、必死こいて羽追いかけてますもんね」
うるせぇな、と言いながら、先輩はゴツゴツした指で乱暴に自分の前髪をかき上げ、額に浮かんだ汗を拭った。
そういう先輩の仕草を、いちいち目で追っている自分に気付いて、思わず目を逸らす。
「鷹乃先輩のことボコボコにできて嬉しいです。握力ゴリラだし、物理じゃ絶対勝てないんで」
「誰がゴリラだよ。やっぱ生意気だなー、お前。ほら、もう一回くらいやれんだろ?」
シャトルを拾い上げた先輩は、「やりますって言え」と俺の顔を覗き込んできた。髪からふわ、と漂うワックスと汗の匂いが混ざって届く。
やばい。距離、近い。今の顔見られたら、絶対からかわれる。
自異常な動揺を隠すのに必死で、俺はわざとらしく鼻で笑ってみせた。
「いいですよ。特別にもう一回だけ相手してあげます」
「よし、吠え面かかせてやるよ。さっさとコートに――」
「先輩が負けた後は、今度のオフにタルトもドリンクも全部奢りでお願いしますね」
「お前、俺が負ける前提で話してんじゃねーよ! マジで性格ブス!」
「ほら。お喋りしてると、またネット際で顔面に叩き込まれますよ」
先輩は大声で俺を責めるけれど、目も口元もどう見ても喜んでいるようにしか見えない。
怒ってんのか笑ってんのか、どっちなんだよ。……まあ、どっちでもいいか。
俺は盛大なため息をつき、次こそは喋る隙も与えてやらないという気持ちで、ラケットを握り直して立ち上がった。



