帰宅部男子ですが、強豪バド部のエース兼部長の鷹乃先輩にめちゃくちゃ構われて困ってます

 鷹乃先輩との出会いから、一週間と少しが経った週末。
 俺は鏡の前で髪にワックスを揉み込みながら、金曜日のやり取りを思い返していた。

《日曜日、十一時に駅の東口な》

 先輩から送られてきた、あまりにも素っ気ない待ち合わせのライン。
 一緒に俺のスマホでショート動画を見ていた雀部が、画面にその名前が見えた瞬間、「え、やりとりしてるんだね……!」と目を丸くして口元を覆った。

「なんで雀部が嬉しそうにすんの。別に仲良くなってるわけじゃないし」

 手を軽く振って遮ると、雀部は突然、これでもかと鷹乃先輩の魅力を語り始めた。
 元々は他県出身で中学時代に優秀選手賞を獲ったとか、バド部の絶対的エースで女子人気がエグいとか。
 熱弁されればされるほど、雀部は先輩に弱みを握られて、無理やり宣伝させられてるんじゃないかとすら思えてくる。
 だけど、実際に校舎で見かける先輩はいつも誰かしらに囲まれていて、コートに立つ鬼のような表情とは裏腹に、楽しそうに笑っている。
 そういう姿を見るたびに、なんだか無性に面白くなくて。俺は心の中でふて腐れることしかできなかった。

 *

 待ち合わせ場所に着いて、思わず足が止まった。
 改札近くの柱に、鷹乃先輩が先に着いてる。私服姿を見るのは、これが初めてだった。
 黒のカットソーに、少しダボっとしたブルゾン。シンプルな服なのに、スタイルの良さとアンニュイな雰囲気のせいで、遠くから見てもめちゃくちゃ目立つ。通り過ぎる女子たちがチラチラ振り返るのも、まぁ……納得できる。
 正直、普通に格好良すぎて焦る。並んで歩くの、急にハードル高すぎなんですけど。
 腹を括って近づくと、スマホを見ていた先輩が俺に気づいて顔を上げた。そのまま俺の私服を上から下までジロジロ見て、一瞬だけ言葉に詰まる。

「……おう。ワンチャン来ない説あったけど、ちゃんと来たな」
「だって約束したじゃないですか。さすがにバックレませんって」
「じゃあ、行くぞ。迷子になんなよ」

 いつも学校でぶつけられるのとは違う、柔らかい声だった。
 不意にそんな風に言われ、俺は気の利かない「はい」と返すのが精一杯。店に入る前だというのに、すでに自分のテンションがどうかしている。
 促されるまま半歩後ろをついて歩くと、先輩がさり気なく俺を歩道側へと押し出した。
 ……いや、俺は女子じゃねぇんだけど。何その自然な車道側ガード。男同士だぞ。でもこれ、素直に優しさとして受け取っていいやつ?
 そう思いつつも、嫌な気はしない自分がいる。
 すれ違いざまに微かに香った香水のせいで、先輩の横顔はいつもに増して大人っぽく見えた。

「なに、言いたいことあんならハッキリ言えよ」
「……別に。俺、ただ歩いてるだけですよ」
「ふーん。ならいいけど。……でも、そんなに熱い視線送られると、こっちが困るんだわ」
「見てないし。……大体、自意識過剰だと思います」
「あー、もしかして照れてんの? ったく、素直じゃねぇな」
「……先輩って、時々すごく痛々しいこと言いますよね。……そんなに俺に見ててほしいんですか?」

 図星を突かれて、マウントを取るのに必死になる。
 言い返そうとムキになっている自分が、今は何よりもガキっぽく思えて、本当はたまらなく恥ずかしくなった。

 *

 目的のカフェに入り、注文を済ませて窓際の席に座る。
 窓から差し込む光が、先輩の髪を透かしていて綺麗だった。学校の時なら普通に話せるのに、なぜか今はまともに顔も見ていられない。恥ずかしくて、すぐに視線を逸らしてしまう。
 ……なんだこれ。これじゃ会話どころじゃなくね?
 お冷を飲んで落ち着こうとしたところで、先輩が頬杖をついて、じ、とこちらを見つめてきた。

「鴨下と一番仲良いのって、やっぱ雀部なん?」
「あー……そうですね。クラスにも仲良い奴はいますけど、雀部が一番波長が合うというか」
「なんか分かる。確かに、お前ら『ちむほわ』だもんな」
「ち、ちむほわって何すか」
「え? 『チームほわほわ』。雁谷(かりや)が命名した」

 雁谷、と言われて眉間に皺を寄せると、先輩は「茶髪の方」とスマホの画面を見せてきた。
 そこには、バド部のレギュラー陣で撮ったらしい写真。うろ覚えだった顔と名前が繋がる。
 その背景、部室の壁に掲げられた黒地に白文字で「戮力協心(りくりょくきょうしん)」の四字熟語。かっけぇ横断幕だな、とそれを見ていると、先輩はスマホをしまって、俺の目を正面から捉えた。

「で、本題だけど。……お前が今帰宅部っつーのは有り得ねぇんだよ。ガチで勿体ない」
「またそれ……? 勿体なくないです」
「でも、あのセンスは普通じゃねぇって。絶対バドやった方がいい、今からでも即レギュラーになれるぞ」
「雀部からいつも練習の話聞いてますけど、俺には絶対無理です。ハードすぎて一日で死にます」
「は? あのトレーニングメニュー考えてるの、俺なんだけど」
「バチボコ鬼メニューじゃないですか。元凶、先輩だったんですか。エグすぎますって」

 俺が本気で突っ込むと、先輩はちょっとバツが悪そうに視線を落として、グラスの水滴を指先でなぞった。
 雀部が毎日半泣きしてる地獄みたいなメニューも、全部この人が考案してる。とんだブラック部活のボスが目の前に座っている。

「なんであそこまで追い込みメニューなんですか。ぶっちゃけ引くレベルなんですけど」
「そりゃ、負けたくないから。勝ち続けたいからだろ」

 先輩は指先を止め、はっきりとした声で言った。

「限界まで追い込んで、本番のプレッシャーに負けないようにしてぇんだよ。あんだけやったんだって思えれば、それが自信に繋がるだろ」

 その表情があまりに真剣で、俺は胸の奥に押し込めていた過去を、まるごとギュッと掴まれたような感覚に襲われた。
 先輩の言ってることは分かる。自分を追い込まないと、あのコートのど真ん中になんて立てない。そうやって積み上げたものだけが、勝負の時に自分を支えてくれる。
 でも、一度コートから逃げ出した俺からすると、その意思の強さが眩しすぎて、ちょっと嫉妬していた。
 この前コンビニで見せた弱音だって、たぶん嘘じゃないはずだ。でも今の先輩は、どう見たって選手として格好いい。
 レギュラーの前で見せる顔とは違う、鷹乃先輩の本当の強さ。その姿を前にして、俺はどうしようもなく心を持っていかれそうになった。

「そのメニューのおかげでうちのバド部が強豪であり続けてるんだとは思いますけど。入部は嫌です」
「じゃあ、昼休みだけでもいいから。なぁ、マジで頼む。お前とガチで試合したい」
「いや……でも、俺は……」
「……あの時、お前は楽しくなかったか?」

 楽しいか楽しくなかったかで言えば、圧倒的に楽しかった。興奮して、封印した過去の自分が蘇るくらいには。

「……じゃあいいですよ。百歩譲って、昼休みくらいなら。雀部も一緒で良いですか?」

 俺なりの妥協案のつもりだった。だけど先輩は低く、それを遮るように言った。

「違う。俺とだけやれって言ってんの。雀部は放課後でも良いだろうが」
「先輩の友達も誘えば、雀部も混ぜてダブルスとか出来るじゃないですか」
「いや。アイツらがいると、普通に邪魔だし」

 フツーに邪魔って、なんでだよ。
 ちら、と先輩の顔を見やると、頬杖をしたままぶすっとした顔で横を向いている。

「俺はお前と二人きりが――」
「お待たせ致しました。こちら、アイスティーと……アイスコーヒー。本日の日替わりタルトがお二つです。ごゆっくりどうぞ」

 店員さんの声で、会話が遮られる。気まずそうに横を向いている先輩をよそに、俺はスマホを取り出してカメラを構えた。
 白い陶器の皿に乗った、お目当てのタルトとアイスティー。ピントを合わせた瞬間、横から先輩の大きな手が、わざとフレームインしてきた。

「ちょっと、入らないでください。何なんすかアンタ」
「え、匂わせ。『鷹乃先輩と来ましたー』って」

 んな写真、投稿するわけねぇだろ。
 筋の浮く手の甲をぽんと押し退けると、先輩は「なんか俺の扱い雑になってねぇ?」と笑いながら手を引っ込めた。その子供っぽい悪戯に、さっきまでの緊張が少しだけ解けていく。
 てか、さっきの……何を言いかけてたのかめっちゃ気になる。『俺はお前と』までしか聞こえなかったし。
 それを蒸し返す勇気もないまま、アイスティーと一緒に流し込む。
 タルトを一口大に切り分けフォークで運ぶと、濃厚なクリームの甘さとサクサクの生地の食感が、口いっぱいに広がった。

「……ん、先輩! これマジでうまっ……!」

 うん、これリピ確だわ。SNSの評判通り、マジで美味い。大好きなクリームチーズが入っていることに気が付いて、思わず口元が緩む。
 ふと視線を感じて顔を上げると、先輩がフォークを握ったままピタリと動きを止めていた。
 顎を乗せていた手も外れて、心底面食らったように目が丸くなっている。俺の顔を凝視したまま、先輩は何かを飲み込むように喉を小さく動かした。

「…………うわ、やば」

 先輩はハッと息を吐き、急にガシガシと乱暴に頭を掻いた。耳のあたりが少し赤い。
 ……え、何その表情。まさか照れてんのか? この人。

「なんすか、急にじろじろ人の顔を見て」
「鴨下の可愛さが更新された」
「はあ?」
「毎回、勝手にアップデートしてくんのやめろ。禁止だ禁止」
「先輩、頭沸いてます……? 美味しかったから、感動しただけなんですけど」

 頬杖をつきながら言うと、先輩はふて腐れた顔で窓の外を向いた。
 いつもの強引さなんてどこへやら、珍しく焦ったようにアイスコーヒーを煽っている。顔が真っ赤なのは、さすがにツッコめない。
 でも、余裕たっぷりの先輩をこんなふうに乱せるのは——ちょっと、楽しい。
 それ以上何も言わない先輩が何を考えているのかは分からなくて、俺はツンと顔を背けたまま、さっきより大きな口でタルトを頬張った。

 *

 カフェを出て、駅に向かって並んで歩いていたら、先輩がふと足を止めて通りの先にある看板を見上げた。ラケットにスマイルマークが描かれた、ちょっと可愛いイラスト。
『ラケットショップ・ウィング』というその店には、ガラス張りの向こうに大量のラケットやシャトル、バドミントンのポスターがこれでもかというほど所狭しと飾られていた。

「ちょっと、ここ寄ってっていいか? ガットの張り替え頼んでたの、引き取りたい」
「あ、はい。じゃあ俺、外で待ってますね」
「中入れよ。すぐ終わるから」

 肩をそっと押されて店内に一歩入ると、ラケットのグリップと新品のシューズ特有の、ゴムとナイロンが混ざった独特な匂いが鼻をくすぐった。胸がすこしチクリとする。

「え、なにその顔」
「いや、別になんでもないです」

 周りの棚を見ないよう視線を落として、先輩が店員と話しているのを少し離れた場所で待つ。
 なんか、先輩って思った以上に目ざとい気がする。俺、そんな分かりやすい顔してるつもりはないんだけどな。
 用件を済ませた先輩はラケットのガットを指で弾きながら、ラケットコーナーへ歩み寄った。

「なぁ、これどう思う? どっちが好み?」

 振り返った先輩の手には、最新モデルが色違いで二本。言われるままに片方を受け取り、重さを確かめるように小さく素振りをする。
 掌に吸い付くようなグリップの感触。手首に伝わる絶妙なバランス。反射で、現役の頃の感覚が蘇った。

「俺、アイソメトリック派だからオーバルはあんま詳しくないんすけど。先輩ってトップヘビー派なんですか」

 ――あ、しまった。と思った時には、もう完全に手遅れだった。

「お前、やっぱ詳しいじゃん。俺、ただ色の好みを聞いただけなんだけど?」

 楽しげに見透かすような目が、俺を捉える。

「やっぱ経験者なんじゃん。いつからやってたのかくらい、教えろよ」
「……小三からです。でも、ホント齧った程度なんで」
「ふーん。齧る程度で、去年インハイ行った俺に勝てるんだ」

 ……うわ、やっぱクソ意地悪じゃん。
 慌ててラケットを棚に戻す俺の反応が可笑しかったらしく、先輩は喉の奥でくくっと笑いを堪えながら、下の段に並んだグリップに手を伸ばした。

「んじゃ、もう一個質問。グリップはウェットとタオルならどっちが好き?」
「ウェット一択ですね。ホールド感重視なんで」

 ノータイムで答えると、先輩は満足げに笑って、紫色と黒色のふたつを手に取った。
 意外と優柔不断なんだろうか。二つのパッケージを見比べて、なかなか決められないでいる。

「……紫がいいんじゃないっすか」

 見かねて口を挟むと、先輩が勢いよくこっちを見た。

「え、鴨下は紫が好きなの?」
「いや、先輩のイメージっていうか。……黒のアストロクスに紫って、なんかカッコいいなって思っただけです」

 先輩が使ってるラケット。さっきちらっと見た限りだけど、多分合ってる。
 渡そうとした拍子に指が触れて、「あ」と思って顔を見上げると、先輩は思いっきり視線を逸らした。
 距離を置くように紫のグリップテープを手に、靴下コーナーのカゴに手を突っ込んでいる。その様子を見ていたら、なんだか無性に笑えてきた。

「……なに笑ってんだよ」
「いや、別に。何でもないですよ」

 中学の時の俺も、好きな色のグリップを選ぶだけで気合が入ったし、大会前には決まって新しい靴下をおろす派だった。
 これを選んだら運気上がるかも――なんて、もはや願掛けを通り越して神頼みに近い。勝つことに必死だったから、道具一つ選ぶのにも真剣になる気持ちはめちゃくちゃ分かる。

 チリン、とドアのベルが鳴った。
 店を出て、駅へと続く道を歩く。中学生の頃から続けているという先輩の願掛け話に相槌を打ちながら、俺たちは肩を並べて歩いた。
 俺の一言一言に、先輩はくしゃりと表情を崩して笑う。コートに立つ時の、あの凍りつくような絶対零度のオーラとは別人だ。プライベートの先輩は、意外と笑い上戸らしい。

「……じゃあ、俺はこっちだから。また学校でな」
「えっと……あの、ケーキ。ごちそうさまでした」

 結局、カフェでのお会計は全部先輩が済ませてくれていた。
 照れ臭くて小さくお礼を言うけれど、先輩は何も言わずに、手をひらっと振って俺が改札をくぐるのを見届ける。
 別に、何があったわけじゃない。なのに、体が浮いてるみたいにふわふわしてて、胸の辺りがずうっとくすぐったい。
 電車のドアに凭れて、イヤホンを耳に突っ込む。
 お気に入りのアーティストの歌詞を頭の中で追うけれど、カフェで先輩が言いかけた言葉が頭からどうしても離れなかった。