黒板に白いチョークで書かれた『卒業おめでとう』の文字。
その周りには、誰にともなく向けられたメッセージと、落書きのようなふざけた絵が隙間なく描かれていた。
クラスメイトは別れを惜しんで手紙のやりとりをしたり、こっそり持ちこんだスマホで写真を撮ったりしている。
俺もたいして話したこともないやつらに誘われて、愛想笑いで写真にうつった。
そろそろ表情筋が死にそう…と思っていたところで解放されて、うんざりしながら席にもどる。
「ナツ、俺らも撮る?」
ふいに壱哉に声をかけられた。
さっきまで他グループに混ざって「ウェーイ!」なんてやっていたのに、いつの間にか隣に立っている。
「別にいいけど。俺と撮ったって面白くないよ」
「いいじゃん、記念記念」
顔を作る暇もなくサッと肩を組まれ、やけに顔を寄せてきて、パシャリと1枚。
と、思ったら連写された。
「あははっ!なんで連写?うわ〜絶対変な顔になってるじゃん」
「ははっ!なんか間違えたわ。…これ送るからさ、LIME教えてよ」
壱哉が素早くスマホを操作する。
俺は両方の手のひらを開いて見せた。
「俺、スマホ持ってない」
「今日持ってこなかった?親に預けた?」
「いや、ていうかそもそもスマホ持ってない」
「は?ウソだろ?」
壱哉は心底驚いたように目を丸くした。
そんな変か?
「だって必要性を感じなかったから」
「連絡とれないじゃん」
「連絡する用もないし」
壱哉は額に手を当てて「うーん」と唸っている。
それから思いついたように俺の肩をつかんだ。
「じゃあいいや。俺の番号教えるからさ、スマホ買ったら登録しといて。で、なんかあったら電話してよ」
なんかってなんだろう。
考えているうちに、壱哉はすばやくルーズリーフを破いて番号を書き、俺の手に握らせるように渡してきた。
「はい、これ!よろしく」
受け取ってしまったものを返すわけにもいかず、見もせずに学ランのポケットに滑り込ませる。
「……できたらする」
「お〜い!それ、行けたら行くのやつじゃん」
俺の気持ちを見透かされたらしく、じとりと見られた。
「だって、何を連絡するんだよ。『お元気ですか?』とか?」
「ぶふっ!それでいいよ。待ってるから」
「待たなくていいよ」
「冷たいこと言うなよぉ。ま、いいや。どうせまた会えるだろ」
「はぁ?」
確信めいた言い方に、気の抜けた声が出る。
さすがにそれはないだろう。
高校が家から遠い俺は、寮に入ることになっていた。
それに俺は会いたくない。
壱哉に限らず、地元の同級生とはもう関わらない。
大人になって写真を見返したときに「こいつ誰だっけ?」と思われるくらいの存在感でいいんだ。
リハーサルやらなにやらが終わり、あと30分ほどで体育館に集合するというとき、最後に忘れ物がないか確認することにした。
卒業してからまた来なきゃいけないなんて嫌だし。
下駄箱、机、教室のうしろの棚、ロッカー。
ロッカーはほとんどゴミだったものを捨てたから、空っぽなのは分かりきっているけど、念のため開けてみた。
「ん?」
真ん中にポツンと、折りたたまれた紙が置いてある。
これだけ捨て忘れたのだろうか。
首を傾げつつ、手に取った。
一瞬そのまま丸めて捨てようとしたが、なんとなく開いてみる。
字が書いてあった。
『浅間夏太郎様、たぶん好きです』
誰だ?こんないたずらをしたのは。
破かれた紙に、走り書きの文字。
「たぶん……」
1番引っかかった言葉を呟く。
たぶん…ってなんだ?曖昧すぎるだろ!
手で雑にノートを破いたようで、変にカーブしている。
普通は便箋を使うか、ノートを破くにしてもハサミとか使わないか?
愛の告白にしてはずいぶんお粗末だ。
読まれないまま捨てられる可能性を考えなかったのだろうか。
いや、どうせいたずらだ。どっちでもいいんだろう。
飾り気のない言葉、答えを求めない手紙。
本当だったらあの出来事を思い出して、嫌悪感でいっぱいになるはずなのに、不思議と心は凪いでいる。
なぜだろう、字が優しいから?
もう今日で終わりだから?
そのとき
「ナツ?」
声をかけられて、とっさにその紙を学ランのポケットに突っ込んだ。
なぜか。
あいつみたいに、壱哉に見せて2人で笑い飛ばすこともできただろうけど、しなかった。
そんなこと、したくなかった。
「イチ…」
「ナツ、大丈夫か?」
壱哉が気遣わしげに俺を見つめる。
俺、そんな酷い顔してるだろうか。
「何が?イチはちゃんと片付けたのかよ」
そう言いながら、バタンとロッカーの扉を閉めた。
壱哉は「ふっ」と笑って
「俺のミナミちゃんは無事、俺の部屋に帰ってきた、ぜ」
と、なぜか照れている。
「なんか…キモ…」
「ちょっと酷〜い」
「ごめんごめん、悪かった。言い方がキモかっただけだよ、気にすんな」
「ちゃんと言い直しただけじゃん。全然フォローになってない。ごめんの意味!」
「あははっ」
壱哉のおかげで笑えたから良かった。
壱哉も笑ってる。
「それより集合時間だってさ」
「うん、行くよ」
頷いて、あとに続いた。
卒業式は滞りなく行われ、終了した。
名残惜しそうに玄関前に集まる同級生や後輩を尻目に、さっさと帰ろうとしていたとき、辰己の姿が見えた。
その瞬間、胸に嫌な衝撃が走り、思わず呻いた。
辰己は笑いながら泣いているようで、目の周りが赤くなっている。
両隣にいるのも知ってる顔だった。
そいつらは、どうやら部活の後輩に囲まれてるらしい。
「あんなやつでも慕う後輩がいるんだな」
言いたくもない嫌味をボソッと呟く。
小学校から変わらずいつもつるんでいる3人。
その誰もが、嫌なことを思い出させる。
4つの小学校が合併したこのマンモス校で、3年間ほとんど関わりがなかったのは幸いだった。
俺には自分の過去と物理的に距離をとることでしか、自分を守る術がない。
だから、寮がある高校を選び、だれにも進学先を教えなかった。
まぁ知りたがるのは壱哉くらいだったけど。
目を反らしたいのに反らせず、睨むようにして見つめ続ける。
「おーい、ナツ!お前さっさと帰ろうとしてただろ」
そのとき、壱哉がまたしても肩を組んできた。
強制的に後ろを向かされ、辰己から目を離す。
すぐ隣にある壱哉の顔をチラッと見た。
こっちも泣いたらしく、目尻と鼻が赤くなっている。
「そんなことないよ。母校を目に焼きつけてた」
白々しく答えると
「うーわ、うそっぽ」
と、やはり見透かされている。
「今日さぁ、ナツんち遊び行っていい?家教えてよ」
「ななし川を渡って、その先の名もない川を4つか5つ渡った山のてっぺん」
「わははっ!全部名もなき川じゃん。もしかして、道もない?」
「そう、たどり着くのに1週間かかる」
「やばぁ、俺のRPG魂が刺激されるんだけど」
「しかも、青くてぷにぷにした魔物が出る」
「うわっ、ちょっと遭遇したいかも!」
俺はつい、「ふっ」と笑った。
壱哉は適当だし、ちょっとヘタレなところがあるけど、いいやつだ。
もっと早く知り合えていたら、俺も少しは名残惜しい気持ちになったんだろうな。
「イチ、ありがとな!お前のおかげで楽しかった」
最後くらい…と思って、ありったけの感謝を込めてニコッと笑ってやった。もう会うことはないだろう。
その瞬間、固まってしまった壱哉の肩をポンポンとたたき、俺は母校をあとにした。
その周りには、誰にともなく向けられたメッセージと、落書きのようなふざけた絵が隙間なく描かれていた。
クラスメイトは別れを惜しんで手紙のやりとりをしたり、こっそり持ちこんだスマホで写真を撮ったりしている。
俺もたいして話したこともないやつらに誘われて、愛想笑いで写真にうつった。
そろそろ表情筋が死にそう…と思っていたところで解放されて、うんざりしながら席にもどる。
「ナツ、俺らも撮る?」
ふいに壱哉に声をかけられた。
さっきまで他グループに混ざって「ウェーイ!」なんてやっていたのに、いつの間にか隣に立っている。
「別にいいけど。俺と撮ったって面白くないよ」
「いいじゃん、記念記念」
顔を作る暇もなくサッと肩を組まれ、やけに顔を寄せてきて、パシャリと1枚。
と、思ったら連写された。
「あははっ!なんで連写?うわ〜絶対変な顔になってるじゃん」
「ははっ!なんか間違えたわ。…これ送るからさ、LIME教えてよ」
壱哉が素早くスマホを操作する。
俺は両方の手のひらを開いて見せた。
「俺、スマホ持ってない」
「今日持ってこなかった?親に預けた?」
「いや、ていうかそもそもスマホ持ってない」
「は?ウソだろ?」
壱哉は心底驚いたように目を丸くした。
そんな変か?
「だって必要性を感じなかったから」
「連絡とれないじゃん」
「連絡する用もないし」
壱哉は額に手を当てて「うーん」と唸っている。
それから思いついたように俺の肩をつかんだ。
「じゃあいいや。俺の番号教えるからさ、スマホ買ったら登録しといて。で、なんかあったら電話してよ」
なんかってなんだろう。
考えているうちに、壱哉はすばやくルーズリーフを破いて番号を書き、俺の手に握らせるように渡してきた。
「はい、これ!よろしく」
受け取ってしまったものを返すわけにもいかず、見もせずに学ランのポケットに滑り込ませる。
「……できたらする」
「お〜い!それ、行けたら行くのやつじゃん」
俺の気持ちを見透かされたらしく、じとりと見られた。
「だって、何を連絡するんだよ。『お元気ですか?』とか?」
「ぶふっ!それでいいよ。待ってるから」
「待たなくていいよ」
「冷たいこと言うなよぉ。ま、いいや。どうせまた会えるだろ」
「はぁ?」
確信めいた言い方に、気の抜けた声が出る。
さすがにそれはないだろう。
高校が家から遠い俺は、寮に入ることになっていた。
それに俺は会いたくない。
壱哉に限らず、地元の同級生とはもう関わらない。
大人になって写真を見返したときに「こいつ誰だっけ?」と思われるくらいの存在感でいいんだ。
リハーサルやらなにやらが終わり、あと30分ほどで体育館に集合するというとき、最後に忘れ物がないか確認することにした。
卒業してからまた来なきゃいけないなんて嫌だし。
下駄箱、机、教室のうしろの棚、ロッカー。
ロッカーはほとんどゴミだったものを捨てたから、空っぽなのは分かりきっているけど、念のため開けてみた。
「ん?」
真ん中にポツンと、折りたたまれた紙が置いてある。
これだけ捨て忘れたのだろうか。
首を傾げつつ、手に取った。
一瞬そのまま丸めて捨てようとしたが、なんとなく開いてみる。
字が書いてあった。
『浅間夏太郎様、たぶん好きです』
誰だ?こんないたずらをしたのは。
破かれた紙に、走り書きの文字。
「たぶん……」
1番引っかかった言葉を呟く。
たぶん…ってなんだ?曖昧すぎるだろ!
手で雑にノートを破いたようで、変にカーブしている。
普通は便箋を使うか、ノートを破くにしてもハサミとか使わないか?
愛の告白にしてはずいぶんお粗末だ。
読まれないまま捨てられる可能性を考えなかったのだろうか。
いや、どうせいたずらだ。どっちでもいいんだろう。
飾り気のない言葉、答えを求めない手紙。
本当だったらあの出来事を思い出して、嫌悪感でいっぱいになるはずなのに、不思議と心は凪いでいる。
なぜだろう、字が優しいから?
もう今日で終わりだから?
そのとき
「ナツ?」
声をかけられて、とっさにその紙を学ランのポケットに突っ込んだ。
なぜか。
あいつみたいに、壱哉に見せて2人で笑い飛ばすこともできただろうけど、しなかった。
そんなこと、したくなかった。
「イチ…」
「ナツ、大丈夫か?」
壱哉が気遣わしげに俺を見つめる。
俺、そんな酷い顔してるだろうか。
「何が?イチはちゃんと片付けたのかよ」
そう言いながら、バタンとロッカーの扉を閉めた。
壱哉は「ふっ」と笑って
「俺のミナミちゃんは無事、俺の部屋に帰ってきた、ぜ」
と、なぜか照れている。
「なんか…キモ…」
「ちょっと酷〜い」
「ごめんごめん、悪かった。言い方がキモかっただけだよ、気にすんな」
「ちゃんと言い直しただけじゃん。全然フォローになってない。ごめんの意味!」
「あははっ」
壱哉のおかげで笑えたから良かった。
壱哉も笑ってる。
「それより集合時間だってさ」
「うん、行くよ」
頷いて、あとに続いた。
卒業式は滞りなく行われ、終了した。
名残惜しそうに玄関前に集まる同級生や後輩を尻目に、さっさと帰ろうとしていたとき、辰己の姿が見えた。
その瞬間、胸に嫌な衝撃が走り、思わず呻いた。
辰己は笑いながら泣いているようで、目の周りが赤くなっている。
両隣にいるのも知ってる顔だった。
そいつらは、どうやら部活の後輩に囲まれてるらしい。
「あんなやつでも慕う後輩がいるんだな」
言いたくもない嫌味をボソッと呟く。
小学校から変わらずいつもつるんでいる3人。
その誰もが、嫌なことを思い出させる。
4つの小学校が合併したこのマンモス校で、3年間ほとんど関わりがなかったのは幸いだった。
俺には自分の過去と物理的に距離をとることでしか、自分を守る術がない。
だから、寮がある高校を選び、だれにも進学先を教えなかった。
まぁ知りたがるのは壱哉くらいだったけど。
目を反らしたいのに反らせず、睨むようにして見つめ続ける。
「おーい、ナツ!お前さっさと帰ろうとしてただろ」
そのとき、壱哉がまたしても肩を組んできた。
強制的に後ろを向かされ、辰己から目を離す。
すぐ隣にある壱哉の顔をチラッと見た。
こっちも泣いたらしく、目尻と鼻が赤くなっている。
「そんなことないよ。母校を目に焼きつけてた」
白々しく答えると
「うーわ、うそっぽ」
と、やはり見透かされている。
「今日さぁ、ナツんち遊び行っていい?家教えてよ」
「ななし川を渡って、その先の名もない川を4つか5つ渡った山のてっぺん」
「わははっ!全部名もなき川じゃん。もしかして、道もない?」
「そう、たどり着くのに1週間かかる」
「やばぁ、俺のRPG魂が刺激されるんだけど」
「しかも、青くてぷにぷにした魔物が出る」
「うわっ、ちょっと遭遇したいかも!」
俺はつい、「ふっ」と笑った。
壱哉は適当だし、ちょっとヘタレなところがあるけど、いいやつだ。
もっと早く知り合えていたら、俺も少しは名残惜しい気持ちになったんだろうな。
「イチ、ありがとな!お前のおかげで楽しかった」
最後くらい…と思って、ありったけの感謝を込めてニコッと笑ってやった。もう会うことはないだろう。
その瞬間、固まってしまった壱哉の肩をポンポンとたたき、俺は母校をあとにした。


