中学の同級生とルームメイトになった話。

1番にリュックを背負った鍛治原が大きな声で言った。
「いっちー、なっつん、早くしろー!混むだろー」
すぐ前の席なんだから、そんなに叫ばなくてもいいものを。
といっても、俺と壱哉がなかなか立ち上がらないのが原因なんだろう。
「……なんだよ、これ!言葉の意味が全然分かんねぇんだけど。モルとかアボカド数とか!」
「アボガドロ数な。ナツはまず、用語を正しく読んで」
教科書を指でトントンとたたく壱哉の声は、俺と違って落ち着いている。
「モルっていうのは、物質の個数を表す単位で………」
なるほど、壱哉の説明はものすごく分かりやすい。
学校の先生にでもなれそうだ。
うんうんと頷いていると
「2人とも、行くよ」
さすがに痺れを切らしたらしい日向が、俺の肩をポンとたたいた。
今日は4人でモックに行くことになっている。
俺が「たまにはジャンキーなものが食べたい」と言ったから、テスト勉強がてら、わがままに付き合ってくれることになったのだ。
「はいはい、行きますよ〜」
一段落つき、急いで机の上を片付ける。
鍛治原は待ちきれないというように、教室のドアのところで俺たちを振り返っていた。
「なっつんには専属の家庭教師がいていいねぇ」
日向がいつも通り、のんびりした口調で言う。
「お前らもイチに教われよ。頭良くなった気分になるから」
「2人の時間、邪魔しちゃ悪ぃだろ?それに、なっつんはマンツーマンで教わらねぇとヤベェからな」
鍛治原がそう言って、俺はムッとして唇を尖らせた。
聞き捨てならない言葉が2つ聞こえたぞ?
「そんなことないよな?寮ではずっと一緒だし、俺のテストの点数は右肩上がりだろ」
後ろにいる壱哉を振り返ると、意味ありげな含み笑いを浮かべている。
「まぁ、俺はナツと2人がいいな。それに、30点が40点になったくらいだと、右肩上がりとは言えないかも」
ことごとく否定する壱哉を横目で睨んだ。
かじはじコンビは「やっぱり!」と言いながら、顔を見合わせてニヤニヤしている。
お前らもたいがい仲良いよな!

昇降口で靴を履き替えて、校舎を出る。
梅雨の中休み。
真夏と言っていいくらいの強い日差しに目を細めた。
壱哉が隣に並び、おもむろに見上げる。
そこで、はたと気づいた。
「あれ?もしかしてイチ、背伸びた?」
前は俺とほとんど変わらなかった目線が、今は少し上にある。
「うん、そうかも」
少し照れたように前髪を触る壱哉。
「うわ、ずり〜!俺も伸びたい!」
俺はぴょんぴょんとジャンプして、壱哉に肩をぶつけた。
日頃から鍛えている壱哉は、それくらいじゃビクリともしない。
「なっつんは成長期きた?」
と、振り返る日向に
「んーと、中2かな。1年で15センチくらい伸びた!」
得意げに答えると、鍛治原が「ふふん」と笑って、顎を上げる。
「じゃあ、もう伸びねぇな!諦めろ!オレはまだこれからだから、どんどんデカくなる予定!」
「ゆうは小6からそれ言ってるよな」
この中で1番背が高い日向は余裕の笑顔だ。
俺だって一応、高1男子の平均くらいはある。
「で、いっちーは?」
「俺は成長期ってまだ分かんねー。今がそうなんかな。でも、あんま伸びたくない」
あまりにも欲のない壱哉に顔を顰める。
「なんでだよ。背は高ければ高いほどいいもんだろ?」
「そうでもないよ。俺にとっては……」
「ふーん」
そんなもんなのか?
話題は他のことに変わり、かじはじコンビが前を向く。
その瞬間、壱哉が俺の耳元に口を寄せて
「だって、ナツを抱きしめたとき、顔が近いほうがドキドキするじゃん」
と、低い声で囁いた。
「はぁっ?」
あまりにも大きい声を出したもんだから、前の2人が振り返って「何々?なっつん、どうした?」と訝しんでいる。
どうしたっていうか……!壱哉がどうした?だよ!
前は「可愛い」って言うだけで噛みまくってたのに!
俺はカーッと熱くなった頬を、不自然に腕で隠して「なんでもねーよ!」と喚いた。
反対の腕で、壱哉に思いっきり肘打ちを食らわせる。
壱哉はそれを軽く受け止めた。
「お前はスカイツリーくらい伸びろ!」
「はははっ!」と笑って、俺の頭をワシャワシャと撫でてくる壱哉。
その耳と首が真っ赤になっているのに気づいて、俺はちょっとだけ安心した。

「イチ、眠い?」
風呂上がり、椅子に座る壱哉の後ろに立ってドライヤーをかけてやってると、参考書を持ったまま、うつらうつらと船を漕いでいる。 
勉強が忙しい壱哉のため、俺が提案し、今ではすっかり定着した毎日の習慣だ。
「ん〜……」
壱哉は返事とも言えないような声を出している。
だらりと力が抜けて、パタンと参考書が閉じた。
あ、こりゃダメだ。
「お〜い、イチさ〜ん。寝るならベッド行けよ。風邪引く」
肩を揺すり、椅子をクルッと回転させると、壱哉が薄目を開けて愛おしそうに微笑んだ。
「あ〜ナツだぁ」
言いながら、俺の腰にぎゅっと抱きついてくる。
こんなふうに甘えてくる壱哉は初めてだ。
「何言ってんだよ。ほら、行くぞ」
俺は努めて冷静に、肩を押して引き剥がそうとするが
「あ〜俺の好きなナツのにおいだぁ」
と、筋肉の薄い腹にグリグリと顔を押しつけてくる。
これは完全に寝ぼけてんな。
「ったく、しょうがねぇな」
胸の鼓動が速くなったことに気づかないフリをして、壱哉の腕を俺の肩にかけて立ち上がった。
肩にズシッと重さが乗る。
「おっも!……おい、運んでやるから、ちったぁ自分で歩け」
ベッドまでの数歩がこんなに遠く感じたのは初めてだ。
2人で雪崩込むように倒れると、肩に回った腕の重みで、俺もそのまま壱哉の胸に頬をつける。
離れようと腕に力を入れるが、びくりともしない。
もがけばもがくほど、逆にぎゅうぎゅうと抱きついてきた。
「イチさ〜ん……動けないんすけど」
見上げると、壱哉は安心しきったような寝顔で、思わず「ふっ」と頬が緩む。
まぁ、前も一緒に寝たことあるしな。
あの時は知らないうちに壱哉に腕枕されてたんだっけ。
諦めて力を抜くと、「ドク、ドク」と俺よりもゆったりした心臓の音が、耳に直接届いた。
風呂上がりにつけた強めの冷房が、こうして体をくっつけていると、むしろちょうどいい。
「明日の朝、どうなっても知らねぇぞ」
スーッと息を吸い込むと、俺と同じボディーソープのにおいと、壱哉のにおい。
不思議と落ち着いてきて、瞼が重くなる。
このにおいにはきっと安眠効果があるんだろうな。
そんなことを考えながら、無自覚の世界へと落ちていった。