中学の同級生とルームメイトになった話。

夏太郎(なつたろう)って呼びづらいから、ナツでいい?」
「いいけど。じゃあ俺もイチって呼ぶわ」
壱哉(いちや)は別に呼びづらくないだろ」
席替えで初めて話したとき、あいつはそう言って笑った。


中学3年の2月。

受験が終わり、残すは結果を待つのみ。
3年のクラスは開放感と緊張感がごちゃまぜになり、どこか浮き足立っていた。
俺はというと、試験がまあまあうまくいき、まだ結果も出ていないというのに参考書やら問題集やら処分したい衝動にかられている。
参考書の無機質な文字が夢でうなされるほど嫌いだ。
とにかく何もかもすべて放り投げたい。
「はぁ、ロッカーの中、片付けないとな」
机に力なく腕を投げ出し、誰に言うともなく呟くと、隣の席でぼけーっと頬杖をついていたやつが、抑揚のない声で言った。
「ナツ、知ってるか?深淵をのぞくとき、深淵もお前を見てるぞってやつ」
俺は体を起こして、シンエンだのなんだの言ってる中川壱哉を見る。
頬杖をつく、体のわりに大きな手、ゴツゴツとした関節が目立つ長い指。
男から見てもかっこいい切れ長の二重が、今はほとんど閉じそうになっていた。

「なに?それ」
「どっかの誰かの有名な言葉らしい」
「意味分かんねぇ。それがなんだよ」
「ナツのロッカーには闇が広がってるってこと」
そう言われて、自分のロッカーを思い出してみた。
くしゃくしゃに丸めたテスト用紙、親に渡すはずだったプリント、インクが出なくなったペン、こっそり食べたお菓子のゴミ、ゴミ、ゴミ……
思わず眉を顰めると、壱哉はニヤッと笑った。
「イチに言われたくない」
「俺のロッカーには夢と希望が詰まってる」
「詰まってるのはミナミちゃんへの愛だろ?ほぼ闇じゃん」
壱哉のロッカーは少しの教科書とジャージが奥に詰め込まれ、手前にはアイドルグループ『idle』のメンバー、ミナミちゃんの推し活グッズがまるで祭壇のように飾られている。
雑誌の切り抜き、アクリルスタンド、キーホルダー、うちわ……なぜ学校のロッカーに?と聞いたら「テンションがあがるから」とのこと。
「愛は認める。でも、ミナミちゃんは闇じゃない、沼だ」
「どっちでもいーわ」
「全然違うだろ!闇は照らせば消えるけど、沼は一度はまったら抜け出せないんだぞ!」
やれやれと言うように首を振ると、壱哉がムッとしたのが分かった。
「分かった分かった。イチが沼にはまってたら重機で助けるよ」
「いーや、俺はそれを望んでない」
「重機はだめか…。ロープか、それとも水を全部抜いて…」
「そういうことじゃないだろ!!」
両手を握り、机をバンバンとたたく。怒っても全然怖くないから、つい、からかいたくなる。
「あははっ!…まあ、確かにミナミちゃん可愛いよ。歌もダンスも、最近は演技もがんばってるし」
俺がそう言うと、壱哉はパチンと何かが弾ける音がしそうなくらい、一瞬で表情が変わった。
さっきまでとは違い、目の奥に光が宿っている。
本当、コロコロ表情が変わるやつだよな。
「だよな!!ナツ〜やっぱ俺と沼に落ちようぜぇ」
「2人で落ちたら助けらんないだろ」
「いいじゃん!一生一緒に溺れていよう!」
「なんだ、そのクサいプロポーズみたいなセリフは」
俺の言葉に一瞬固まった後、今度はガバっと机に顔を伏せる。
一体なんなんだよ!
「おーい、壱哉さん?情緒不安定?」
「うるせーほっとけ」
くぐもった声で答える。
言われた通り、ほっとくことにした。
こんなおもれー男、さぞかしモテるだろうと思いきや…女子には『残念イケメン』なんて呼ばれ、恋愛対象には見られないようだ。

しばらくして、やっと顔を上げた壱哉。腕に押しつけていたせいか、鼻や額が赤くなっていた。まつ毛の先には、小さな綿埃がついていて、それとなく注視する。
「壱哉さん、復活しました?」
「うるせーほっとけ」
同じセリフを言われ黙った。
俺もそんなに暇じゃないので。
「はぁ」
なぜかため息をつかれ、壱哉はまた頬杖をついて空を見つめ、思案モードだ。
基本的にはテンション高めだけど、ここ最近はぼーっとしていることが目立つ。
卒業ブルーか?それとも受験のストレスから解放されたからか?
でもこいつは、早々に第一志望の私立に合格していたはずだ。
『友達』と言えるほどの仲でもない、1ヶ月前の席替えで隣になっただけのやつに、何かあったのか?なんて聞かれても、本当のところは教えないだろう。
俺もこのまま暖房の効いた暖かい教室でボーッとしていたかったが、意を決して動くことにした。
いい加減、ロッカーをなんとかしないと卒業できない。
「よし!片付けよう!」
と自分に宣言し、勢いに任せて立ち上がると、椅子がガラッと鳴る。
壱哉はだるそうに横目で俺を見上げてきた。
「夏太郎、ついに深淵をのぞく、の巻」
「イチも自分のシンエンと向き合えよ。…………イチ、動くなよ」
壱哉の前に立って、腰をかがめた。
悔しいほど整った顔をのぞきこみ、まじまじと見つめる。
「えっ!な、なに?」
頬杖を解いて反射的に後ろに下がろうとするが、手首を捕まえて阻止する。
さっきからずっと、気になりすぎてソワソワしてしょうがなかった。
そろりとその顔に向かって、手首を掴んでいるほうとは反対の手を伸ばす。
壱哉はピクッと肩を動かし、パチパチと瞬きした。
「おい、動くなって。ちょっと待って」
人差し指と親指で、まつ毛にのった綿埃をつまむ。
無事に捕獲したそいつを、唇をとがらせて、フッと息で吹いて飛ばした。
そいつはふわふわと漂い、放課後の教室に消えていく。
「ついてた。……………イチ?」
壱哉は目を見開いて、俺を見つめたまま固まっている。
と思ったら、ふーっと長く息を吐きながら、またもや机に突っ伏した。
「あぁ!……とうとう深淵をのぞいてしまった」
「そうですか、それより俺に感謝」
「神様、仏様、夏太郎様」
「伏して敬え、たてまつれ」
「ははーっ………ていうか、口で言えよ。普通にビビるじゃ〜ん」
なんとも情けない声で恨み言を言われた。
「あ、ごめん」
そりゃそうだ。
いきなり顔触ろうとしてきたらビビるよな。
パーソナルスペースへの配慮は大事だし、よく言葉が足りないと言われるんだった。
「ごめんってば」
「別にいいよ。……ありがと」
一応和解したらしいが、壱哉は相変わらず頭を上げない。
つむじが見える。柔らかそうな黒髪が、淡い午後の光をうけてツヤツヤ輝いている。
ポンと手を弾ませてみたら、やっぱり柔らかい。
さらさらと触り心地がよくて、髪の中に指を差し込んで撫でていたら無言で払われた。
これは…3度目の『ほっとけ』か。
まぁいいや。
踵を返し、自分のシンエンと対峙すべく、寒々とした廊下へ出た。