月夜に珍客

 僕の住んでいる山であった事だ。

 突然、風が土埃と鉄の匂いをさせた。

 バリバリバリバリ!

 はげしく木の倒れる音。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴ…………

 地面が揺れて、下から中身の飛び出すような音に、巣穴で眠っていた僕は飛び起きて、すぐに外に出た。

 空にはカラスたちが巣をほっぽり出したまま飛び立ち、ウサギやリスはピョンピョンと音の逆方向に走り出していた。

 一体何が起こっているのか……?

 僕が振り返ると、そばには幼なじみが震えながら音のする方を見て身体を硬くしてた。

 ゴゴゴゴゴゴ…………

 振動はどんどん大きく、近づいてくる。

「逃げるぞ!!」

 僕が叫ぶと、弾かれたように幼なじみも駆け出した。

 何も考えられなかった。

 親も、兄弟も、ほかの友達も、いまどこにいるのか。

 そんなことよりも、いま、自分の命を守らなければならない。

 とにかく僕たちは、ひたすら走った。
 ポキポキと枯れ枝を踏み抜き、肉球が擦りむけるのも構わず、デコボコ道を無我夢中で駆け抜けた。


   ******



 やっと息をつけたのは、一つ山を越えてからだった。
 水たまりに鼻をつけて飲み始める。
 ザラザラした砂の感触に

「べぇ」と幼なじみは声をあげた。

「ガマンしろよ」と僕も言ったが、僕も同じ気持ちだった。

 さらさら流れる小川に鼻をつけて水を飲む。冷たい感触や、キラキラした光の反射、映る自分の姿、ときどき跳ねる川魚……

 そんなあたりまえのものが恋しく、でも、もう永久に失われてしまったのが、ウソみたいだった。

「……泣いてるの? ポン太……」

 幼なじみが顔をあげた。泥だらけの口周りは茶色で、身体の毛の色とおんなじで、どこが口か分からないほどだった。

「ないて……ないっ! ポン吉の顔がおかしくて笑ってただけだ! なんだよ、その顔。真っ茶っ茶じゃないか!」

 ポン吉も怒って言い返す。

「君だって、口周り泥だらけで熊みたいだぞ!」

「仕方ないじゃないか! 僕たちの小川はここにないんだから!……っ……」

 そういうと、また悲しくなった。
 ポン吉も、ひげを落として

「ごめん……言い過ぎた……」
 
 そう言って側に寄って来た。

 二匹の小さなタヌキは、大きな木の陰でひっそりと身体を休めた。



「これから、どうしようか? 鳥たちが言うには、みんな散り散りに逃げたって言ってた。どこかでまた会えるといいんだけど」
 
 ポン吉が言う。

「そうだね……。でももっと困ったのは、僕たち、お腹が空いちまった事だ……。何か探さないと……」

 空にはようやく青い月が昇り始め、お日様は赤く西に消えてゆこうとしていた。
 山の下には、ぽつりぽつりと人間の住む家の明かりが灯り始める。

 母親から言われていたことだ。
 人間の住むところには行ってはいけない。
 もし、どうしても行くならば、日が落ちてから、誰にも見つからないように、そうっと行くこと。そうしなければ、捕まって、殺されてしまう。

 でも、このまんまでは、僕もポン吉も飢え死にしてしまう。
 僕は、意を決して言った。

「ポン吉。もっと暗くなったら、食べ物を探そう。――人里へ、降りるんだ」

 月が空の一番高いところに登ったころ、僕たちは静かに動き始めた。

 硬い地面に爪がカリカリと引っかかる。
 途中、あなぼこが空いていたり、ふと気を抜くと

「ワンワン!」

 と鎖でつながれた犬に吠えられたり、鼻を頼りに食べ物を探せば、すでに先客の猫たちが金色の目を光らせて

「フシャ――!」

 と追い払われた。
 美味しそうに実っている野菜を見つけて近づけば、パッと明るい光が僕たちを照らし、慌てて逃げ出した。

 硬い地面だけが続き、二匹は途方に暮れた。
 クンクンとまた鼻を動かすと、土の湿った匂いがする。少しの匂いではない。たくさんの土の匂いだった。
 
 二匹が走り出して、ついたそこは

「広い……」
 
 僕とポン吉は同時につぶやいた。

 緑色の金(かね)の囲いの中には、土の広場が広がっている。
 自分たちが暮らしていた山一つ分くらい、ゆうに入りそうなそこは、まったくの平で、不思議と草木が生えておらず、僕は大きな動物が走り回って均(なら)してしまった地面なのかな、と思った。

 大きな建物もその奥には見えるけれど、小さな明かりが灯るだけ。他の家々のように煌々(こうこう)としていなかった。
 ぐるぐると囲いぞいに歩くと、ちょうど体が通りそうな穴を見つけた。

「入ってみようか?」と僕が言うと、ポン吉も面白そうに
「うん」という。

 金網横のすすけた看板に
「関係者以外立ち入り禁止 第一中学校」と書かれているが、二匹には知る由もなかった。

「やったあ!」

「ひゃっほー!」

 二匹は大興奮でグラウンドを走り回って遊んだ。
 喉が渇いたら、小さな池に顔をつけ、小魚をよけて水を飲んだ。
 
 そして、お腹はやっぱり空いていて、あたりを見回すと、小さな畝が見えた。
 まだ葉っぱはあまり茂っていないが、この土の下に何かありそうだ。
 二匹は前足を使って掘り出すと、なんとそこには小さな芋がたくさんなっていた。

 思わず、宝物を見つけたように顔を見合わせた。

 夢中で芋を掘り当て、やっとお腹がいっぱいになった。眠くなり、安全な場所を探すと、ちょうど良い木の洞があった。二匹は丸まって底で眠った。

 こんな素敵な場所なのに、他の動物たちがいないことを不思議に思いながら――


   ******

 朝日がのぼると、その謎の答えが分かった。
 ガヤガヤ、ワイワイ、人間の子供の声が響いている。一人二人ではない。一体何人いるのだろう。

 キーンコーンカーンコーン
 
「おはようございます」

「生徒の皆さんは……」

「おりやぁ!」
 
 パパ――ッ! ドンドンドン!

「……あははは……!」

 いつまでもいつまでも音は続く。

 二匹は、木の洞の奥に身体をちぢめて息を潜めていた。
 
 けれど、近くまでガサガサと草を分けてくる足音がした。

「ほら、ここなのよ、平屋くん。見て、一面食べられてる」

「……本当だ。熊じゃないんだろ?」

「うん、生物の佐伯先生は、もっと小さな動物だろうって……。ハクビシンだと厄介だから、調査してくれる?」

「……わかった。今日からうちの男子どもと調べてみるよ」
 
 女の子供と男の子供が話してる。

 ふっと男の方がこちらの洞を見たような気がして、僕は首を引っ込めた。


   ******

 そして、夜。
 四人の男の子供がやってきた。
 そのうちの二人がふざけて、騒いで

「お前ら! それじゃ動物逃げるだろ!」
 
 と昼間の男の子供に怒鳴られてる。
 あまりの賑やかさに、僕たちは彼らが去るまで洞から出られなかった。


 また、次の日の夜も同じ四人がやって来た。
 
 まだ一昨日、たらふく食べたばかりだから、我慢できた。
 昨日と同じく、四人が居なくなるまで、静かにしていた。
 声が聞こえる。ちょっと高い声。
 人間の年齢なんて知らないが、僕たちと同じ、巣立ちしたての頃かもしれない。

「今日も来ないみたいだな……。
 お前ら、もう今日は上がっていいぞ。気をつけてな」と一人が言う。
 
 彼が一番の『兄』らしかった。
 他の『弟』たちは、

「さよーならー」
 
 と帰るが、一番小さな『弟』は振り返り、『兄』に言う。

「先輩は、帰らないんですか?」

「うん、もう少し観察してくよ。気をつけてな」と手を上げた。

『兄』は、静かに草むらに腰掛けている。

 また月が高いところへ昇っていく。

 彼の目が月の光に照らされて光っていた。
 
 これは、何という色だろうか?

 ――あの小川の中の、底に光っていた茶色い石のような、さらに透明にした、そんな色。

 
 彼は音もなく、すっと立ち上がった。
 静かに手元に持っていた、四角い道具を置いた。

 まるで、月のしずくでもすくい取ろうとしているのか。

 宙(そら)を見て、手を差し伸べる。

 そして、ふっと腰を落としたかと思うと、静かに体が回り出す。

 指先、目線、首のかしげ方。
 
 空気を揺らさぬ静かな動きの中に
 ぴん、と命がこもるような、そんな動き。

 「わあ……」

 ポン吉はため息をついた。
 僕も、鳥たちの求愛のダンスみたいだと思った。

 ――月明かりに照らされて、それはとてもきれいだった。

 けれど、なぜ彼がたった一人で踊っているのかわからなかった。
 
 そこには、彼の踊りを見るメスも、群れもいなかった。

 もしかしたら、彼も居場所を追われた身なのかもしれない。
 彼の目を見ながら、僕は思った。

 一通り舞い終わり、ふう、と彼は背中で息をしてから

「……下手になってるな」とつぶやき、また四角いものを持って帰って行った。

 ――二匹は静かにまた芋を食べた。

 

 ******

 翌日の夜。

 昨日の『兄』と一番小さな『弟』だけがやって来た。
 彼らはまた四角い板を枝で固定して、芋の畑を見ていた。

 二人はなにかぽつりぽつりと話している。
 静かな時間に、なぜだろうか。

 『人間の住むところには行ってはいけない。そうしなければ、捕まって、殺されてしまう』
 そう言われていたはずなのに。

 彼は、そんなことはしない。
 なんとなく、そう思えた。

「いこう、ポン吉」

 怯えるポン吉の首元を鼻先で叩いて、僕は畑に向かった。
 
 二匹が現れても、『兄』も『弟』も微動だにしなかった。

 ただ、あの茶色い瞳と、タヌキの瞳が、

 チカリ、

 かち合ったような気がした。


 僕とポン吉は、もう残り少ない土の中の芋を掘り当てて、かじり始める。

 ――それでも、彼らは動かなかった。
 
 不思議なのに、なぜかひどくあたりまえのことのようにも感じた。

 あらかた芋を食べ終わり、僕はもう一度人間達に目を向けた。


 ふっと、くすぐったくなって鼻先を地面にこすり、もう一度顔を上げた。

 すると、二人の子供は驚いたように目をまるくした。


 僕は、その二人の顔がちょっとおもしろくて、おかしくなって

「ふん」

 とポン吉を呼ぶと、木々が生い茂る暗がりへと進んで行った。

 

 その仕草が、まるで人のお辞儀のようであったことは、二匹のタヌキと、二人の子供だけの秘密となった――


 終わり