墨染式部日記 〜或る中宮付女房の聞き伝へ〜

 帝と中宮さまが並んで庭など眺めておりますと、関白さま、二位中納言さまなど連れ立って登華殿に参られました。

「関白、いかがした」

 並び立つ顔立ちに、何か大事があったのかと、険しい面持ちで帝がお尋ねになります。
 公卿方は深く伏したあとで頭を振り、さにあらずとお返しになります。

「先日、登華殿の賢人から、除目のお差配など賜りましたゆえ、我が見立ては如何にと、お心伺いに参り越しました」

「そのような差配……」

 帝は覚えがないとお答えになろうとなさいますが、中宮さまがお袖を摘んでお止めしますと、何やらお囁きになります。

「なるほど、登華殿の賢人か。朕もこれにおるゆえ、関白らの見立てを賢人にご覧ぜよ」

 二位中納言さまが恭しく折文を開いて読み上げてまいります。

 一つ、前の若狭介何某
 一つ、前の太皇太后宮少進何某
 一つ、前の刑部大録何某
 一つ、前の右馬寮大允何某

 幾人もの名前が連なります。
 散位の者ともなれば、帝に覚えなき者にございますので、いかような者かとお一人お一人お尋ねになります。
 関白さまと二位中納言さまがお選びになられた方でございますので、和歌や漢詩、楽器など何事かに秀でられた方々でございます。
 しかしながら、女房どもの顔色芳しからず、帝がお気付きになられまして、関白さまたちをお止めになります。

「何か気付いたことがあれば、朕が許すゆえ、みな、申してみよ」

 帝のお許しにも、関白さまの選人に否を唱えることに憚りがあり、女房どもが躊躇っておりますと、中宮さまがお声を上げられます。

「では、登華殿の主人から、順に申し上げてまいります。前の太皇太后宮少進、和歌の詠み手として知られておりますが、女官に手を出し、亡き太皇太后さまにその任を解かれたというは、宮中の女子はみな知っております。次は、宣旨、そなたじゃ」

「ぉ、恐れながら申し上げますと。前の若狭介さまと申されますと、任国にあって狼藉を働き、若狭守さまの交代に乗じて懐を肥やしたと、我が父・伊勢守より聞いております」

 散位には散位のゆえがあるようにございますれば、女房どもの噂好きが高じて、お勤め常々行き届いていらっしゃる二位中納言さまでもご存じのない話が次々に出てまいります。
 思い掛けないことに、関白さまも頭を抱えてしまわれました。

「されば、誰か、良き案はないか。主上(おかみ)にお召しいただく良き機会と思うておったというに」

 お嘆きになる父君・関白さまを憐れんで、中宮さまが下座にて控えておりました墨染を、奥から呼び寄せます。

「父上さま、こちらは登華殿の賢人に負けず劣らずの才媛、墨染式部と申します。我らでは賢人に知恵比べで敵わずとも、墨染であれば幾ばくか食らいつけましょう」

 伊勢宣旨が慌てるさまを尻目に、初めて顔を合わすように関白さまが申されます。

「墨染というか。賢人に教えに叶う者は誰ぞかおらぬか」

「恐れながらお伺いいたします。登華殿の賢人と申される方は、関白さまにどのような方をお召しになれと申されたのでしょう」

「散位の者で、学識高き者に官職を与えよ、と。それから、私に関わりなき者を関わりあるようにせよと仰せであった」

「関白さまに関わりなき者とはどのような方でございましょう?」

「会うたことのなき者か、任国勤めの多い者か、わからぬゆえ幾人か見繕ったが違うたようじゃ」

 墨染が関白さまにのみお分かりになるように笑みを見せます。

「されば、さればでございますよ?関わりありは、是か非か」

 是か非かと問われますと、関白さまも驚きになられて、昨日の謎掛け遊びを思い出されます。

「"仏門"に入られたか、はたまた"花"の精か、"夜"に紛れてお顔がわからぬか。見当たらぬ理由は色々ございますな?」

「仏に、花に、夜……。これは、やられた。元慶寺であるか……」

「鳥は、しばしと啼きませぬ」

 関白さまはお手に持たれた扇をはたとお止めになりました。

 元慶寺と申しますと、時の花山帝がご寵愛された女御が儚くなられ、悲しみに暮れて、宵闇の内に御所を抜け出し剃髪なされた門跡にございますれば、このような歌が詠まれております。
 
『待てといはば いとも畏し 花山に しばしと啼かん 鳥の音もがな』

 小宰相が墨染の話に割って入ります。
 父の二位中納言さまははしたないと慌てておいででごさいました。

「花山帝のご近臣といえら、世に五位摂政とあだ名された弁の入道さまも、散位のころがあったと聞いたことが……」

 話の元でございました小宰相の父・二位中納言さまを伺いますと、さしもの直ぐに得心なさって帝に申し上げます。

「弁の入道は、東宮学士推任の前は散位。散位の前は、文章得業生にございます」

「かしこきものか」

 帝がお手を叩かれます。
 中宮さま、女房ども、口々に得業生なれば(墨染より賢いかも)と密やかにお話になります。

「私が蔵人頭であったころ、蔵人雑色を務めておりました文章得業生が、吏僚としての力量申し分なく、学識深く、その道の者より物知りの若人がおりました」

 帝もその得業生に大層関心を持たれ、関白さまが墨染の顔を窺いますと深く伏したまま、顔を上げようといたしません。その姿は、まるで神仏に祈るようでございました。

「その者、急ぎ召し出して、主上(おかみ)の御前に参らせます」

 関白さまが高らかに宣言なさいますと、みな感じ入って笑みをたたえておりました。
 この得業生、六位蔵人に任じられてのち、東宮学士として次代の帝に重んじられ、五位蔵人にあっては検非違使佐、権左中弁を兼ねて三事兼帯(天皇近侍、行政事務、警察・司法業務を兼ねる栄誉)を経て、今蕭何(蕭何は漢の高祖・劉邦に仕えた三傑の一人。名宰相、内政家として知られる)と呼ばれることになりますが、それはまた別義にございます。

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