先の小除目から十日と過ぎぬ、ある日のことでございます。
穏やかな陽気に、珍しく筆を置き、軒先に座り込んで外など眺めておりますと、伊勢宣旨が慌ただしく参りまして、墨染の名を繰り返しお呼びします。
「あなわわし。日頃さわがしきことはあさましきことおっしゃっておいでなのは宣旨さまでございましょう?」
伊勢宣旨とは、名のとおり伊勢守さまの細君でありますが、宣旨と申しますと、数多さぶろう女房どもの頭に当たる職にございまして、つねひごろ、上下に登華殿かくあるべしと説いて回る厳しき方にございます。
それが童のごとく足音を立てながら奥に参りますので、墨染とて何ぞかありやと不可思議に思うております。
「それどころではない!墨染、袖は……おう、良きかな、良きかな。今日は物書きなどしておらぬのか。羽織りは……まぁ、よい。早うかしづいてお待ちせぬか」
まるで帝が奥までおいでになったような慌てよう。普段であれば皮肉の一つや二つ飛ばしてみせるところでございますが、この伊勢宣旨には朝夕のお仕えは免除として恩がございますれば、おとなしく伏して誰ぞかが参られるのを待つことといたしました。
「宣旨よ。そう仰々しくいたすな。女房一人の顔を見るのに大層な振る舞いをされても私が困る」
伏したまま目に入る足袋やお召しの裾を見るに、鮮やかな仕立ての織物でございますので、これはやんごとない位の公卿であろうと当たりをつけます。
中宮さまのおわす登華殿にお越しになられる、やんごとなき位の方、論じるまでもなしと墨染は伏したまま申し上げました。
「関白さま、墨染にございます」
「こ、これ、関白さまがお声をお掛けになるのを待たぬか」
「さりとて、女房一人にお会いになられたと今し方おっしゃられましたが」
宣旨と墨染のやり取りを見て、関白左大臣さまが大きなお声でお笑いになります。
「中宮さまの物書き女房は千里眼と聞いておったが、まことであったな」
「そのような、仙人とも、ものの怪ともわからぬ輩が中宮さまの御所におるはずがございません」
関白さまに物怖じ一つしない墨染に、宣旨は肝を冷やしたのか鳩尾をそっと摩ってございます。
さる美男、元の頭中将・今参議さまのお父君でございますれば、関白さまも名うて美丈夫でございますれば、膝を折って宣旨の手を取り、案内感謝と申されますので、宣旨も生娘のようになりて、紅いお顔を袖で隠されながらお下がりあそばしました。
「墨染式部は登華殿におりながら、女院御所の女房や、さる内親王さまのお悩みも立ち所に解してみせたと聞き及んでおる」
「たまたま、勘が当たっただけにございます」
「それほど勘が鋭いのであれば、陰陽寮にでも出仕すれば良いものを」
「女の身なれば、甲斐なく」
絶やさぬ笑みの奥に、如何程の含みをご覧になったのでしょうか。関白さまは幾度か深く頷かれます。
「今日はその鋭き勘に礼を言いに参ったのだ。男の身で陰陽師となれば、禄(給料のこと)でも上げれば済むが、中宮さまの女房となれば、お目通りの上、ご挨拶申し上げねばな」
「勿体なき次第にて。さて、然しながら、私の勘が、如何ように関白さまのお役に立ちましたやら」
しらを通す墨染に、また関白さまは深く頷かれてお笑いになります。
「私は帝の一の臣。帝のお喜びは我が喜び。内親王さまのお心お健やかなること、主上は殊更にお喜びである。故に礼をと申した。何か望むものはあるか?」
「左様におっしゃられるのであれば、紙を。叶うならば、筆と墨もいただけらば」
「叶わぬわけもなし。唐物を好むと中宮様にお聞きした。硯と筆洗も見繕おう。本来であれば、官職など与えるべきところ、これしきのこと如何ようにもなる」
「ありがたく。官職などは、中宮さまへのお仕えが御免となりましたら、お願いに参ります。登華殿におりますことが、私の何よりのありがたきことにございますれば」
中宮さまへの忠心に関白さまも感じ入っておられますと、気分を良くされたのか、敷物もないままに縁に腰を下ろされます。
「登華殿の集いは花の集いとも賢人の集いとも聞く。ひとつ、私も謎掛けなどしてみんと思うが、如何か?」
「関白さまのお掛けになる謎など、私に解けましょうや?」
墨染の下手な芝居に、関白さまはお声を上げてお笑いになります。寛いだご様子で、扇を取りながら続けておっしゃられます。
「私が掛けた謎に、そなたは幾たびか問い掛けることを許す。そなたの問いに、私は、是か非か(はいかいいえか)、関わりあらず、と答える。問いが十五の内であれば、そなたの勝ちといたそう」
「十五の内、でございますか。負ければ何か罰せられましょうや?」
「そのようなことはない。勝てば褒美を取らす。これで如何か?」
「承りましてございます」
墨染が深々と頭を下げます。
関白さまは庭先をじっくりと眺められてから、思いつかれたように扇で膝を叩かれます。
「隋唐よりもはるか昔、七雄よりも前の話である。ある国に、徳化「徳による政治。理想的な政治)に憧れる王がいた。王には、聡明な太子がいつも傍らにいた。ある日、長く続く戦を終わらせるため、どうすべきかと宰相に問うたところ、太子さまに率いさせるのが良いと言うので、王は言われるまま太子を遣わせた。太子は軍を率いて見事に勝利したが、太子が都に戻ると国は滅びていた。何故か」
「戦に勝って、国が滅びる……。はて、何のことやら想像もつきませぬ」
「そう易々と解かれては甲斐がない。十五を聞いて考えてみよ」
深くも思案する墨染に、大層満足げな関白さまは頬を緩ませながら、局の中をご覧になります。
書と紙と筆。およそ女人の住まいとは思えぬ簡素な持ち物に関心を持たれました。
「関白さまにお伺いします」
「それ、来た。何ぞか」
「国が滅びたのは、異国によるものですか?」
「否。国が滅びたは異国のためにあらず」
一つ目の問いが予想通りであったのか、関白さまはしたり顔で何度か頷かれます。
「では、二つ目を問います。国が滅びたは、王のお血筋が途絶えたからにございますか?」
「同じく、否。王の血筋は絶えておらず。太子は勝って国に帰ったゆえ、大層、父王を恨んだそうな」
今度は墨染が得意げに何度か頷きます。
関白さまとお目が合うと扇で口元を隠して、また問い掛けを続けます」
「しかれば三つ目。仏門は関係がございますか?」
「残念ながら、関わりなし。古いことゆえ、仏僧はまだおらなかったのではなかろうか」
墨染は笑みを浮かべながら、手元の紙に一本、線を引きます。
「四つ。王が儚くおなりになったのでしょうか?」
「否。王は御存命である」
「五つ。王は位をお下がりになられたのでしょうか?」
関白さまは墨染を見やり、膝を打って身を墨染の方にお屈めになります。
「是なり。王は自ら譲位なさった」
「御譲位あそばされたのですか。しかれば、六つ、位を継がれたのは、太子ではございませんね?」
「流石は墨染、六つの内にここまで迫るか。答えは、是なり。太子は践祚できなかったゆえ、大層怒った」
笑みをこぼす墨染に、関白さまは扇をずいと差し出されます。
「勝ちにはまだ早いぞ。譲位だけでは国は滅びぬ。滅びの故と、企みの主まで突き止めよ」
「しかれば、続けまする。七つ。譲位は、戦ゆえにございますか」
「うむ。も少し仔細に」
「改めます。七つ。譲位は、太子が戦に赴かれたゆえか」
関白さまは扇を膝に置かれ、腕組みをしながら顎をお触りになりながらしばらく思案なさいます。
「うむ。是なり。墨染には何かひらめきがあったのであろう。端々まで詰めてもおもしろからず」
「お心遣い、染み入ります。さすれば、譲位は禅譲(血筋によらず、才能ある者に譲位すること)にございましょうや?」
「墨染、見事である。是なり。さて、誰に禅譲したか」
墨染は、遠くを眺め、少し思案いたします。答えに行き着いているものと思っておられた関白さまは不思議に思っておいでです。
「いかがした?」
「お尋ねの仕方を、思案しておりました。では、九つ。その方は、花に関わりがございますか?」
「花?どうであろう。私は存じぬが、この謎掛けには出て来ぬゆえ、関わりなし、といたそう」
墨染は、また紙に一筆、線を引きます。
「十。では、その方は宰相にございましょうや?」
「是なり。王は宰相に位を譲った。」
「堯舜のお話にございますね。儒家に曰く、易姓(姓が易わること。王朝が変わること。)と呼ぶとか」
「左様。流石は墨染。文章得業生にもなれよう」
「関白さま、またごと(繰り返し。デジャヴ)にございますれば」
「すまぬ、すまね。では、残り五つ。この企みの仔細を明らかにせよ」
「相勤めます。では、十と一つ目。宰相は王に譲位を迫りましたか?」
「否。前に申したとおり、王は自ら位を下がった」
「十と二つ目。王は、夜のうちに譲位されましたか?」
「うむ。否、いや、関わりなしであるな。昼夜は問わず」
「十と三つ目。譲位は徳化(徳による政治。理想的な政治)のためにございましょうや?」
「是なり。春秋の時代より、禅譲は堯舜の倣いから、最も徳高き政のひとつである」
「十と四つ目。王は、賢君でございましょうか」
「否。政の一才は太子とさいしょうに任せきりとした。さて、次で十五となる。我が謎掛けの答えを示せ」
「十四までお尋ねしてまいりました。されば、さればでございます。十五にお示しいたしますのは、国の滅びは、王の徳化への妄執によるもの。宰相は王に強いずとも、禅譲は最も徳高き行いと唆せばよく、太子が傍にあれば止めることもできましょうが、戦場にて術なく、戦勝の甲斐なく、易姓のうえ、国が滅びてございます」
「是なり。見事。約束のとおり、褒美を取らす」
「ありがたき幸せ。されど、私が求める、墨や筆は、すでに頂戴いたしました。さすれば、一つ、お願いしたきことがございます」
「申せ。私にできることであれば、取り計らおう」
「私より賢き者で、散位(官職がない状態)の者があれば、お役をお与えください。関白さまに関わりなき者を、是非にも関わりある者にお取り立てください」
「それは随分と難問であるな」
関白さま、相わかったとおっしゃいますと、立ち上がりました背筋を正され、首を垂れ、登華殿の賢者の教えに、と一礼して局を後にされました。
珍しくも墨染は長々と伏したまま、神仏にでも縋るように、関白さまの去る背なに願い奉っておりました。
・ー・ー・ー・ー・ー・ー・
穏やかな陽気に、珍しく筆を置き、軒先に座り込んで外など眺めておりますと、伊勢宣旨が慌ただしく参りまして、墨染の名を繰り返しお呼びします。
「あなわわし。日頃さわがしきことはあさましきことおっしゃっておいでなのは宣旨さまでございましょう?」
伊勢宣旨とは、名のとおり伊勢守さまの細君でありますが、宣旨と申しますと、数多さぶろう女房どもの頭に当たる職にございまして、つねひごろ、上下に登華殿かくあるべしと説いて回る厳しき方にございます。
それが童のごとく足音を立てながら奥に参りますので、墨染とて何ぞかありやと不可思議に思うております。
「それどころではない!墨染、袖は……おう、良きかな、良きかな。今日は物書きなどしておらぬのか。羽織りは……まぁ、よい。早うかしづいてお待ちせぬか」
まるで帝が奥までおいでになったような慌てよう。普段であれば皮肉の一つや二つ飛ばしてみせるところでございますが、この伊勢宣旨には朝夕のお仕えは免除として恩がございますれば、おとなしく伏して誰ぞかが参られるのを待つことといたしました。
「宣旨よ。そう仰々しくいたすな。女房一人の顔を見るのに大層な振る舞いをされても私が困る」
伏したまま目に入る足袋やお召しの裾を見るに、鮮やかな仕立ての織物でございますので、これはやんごとない位の公卿であろうと当たりをつけます。
中宮さまのおわす登華殿にお越しになられる、やんごとなき位の方、論じるまでもなしと墨染は伏したまま申し上げました。
「関白さま、墨染にございます」
「こ、これ、関白さまがお声をお掛けになるのを待たぬか」
「さりとて、女房一人にお会いになられたと今し方おっしゃられましたが」
宣旨と墨染のやり取りを見て、関白左大臣さまが大きなお声でお笑いになります。
「中宮さまの物書き女房は千里眼と聞いておったが、まことであったな」
「そのような、仙人とも、ものの怪ともわからぬ輩が中宮さまの御所におるはずがございません」
関白さまに物怖じ一つしない墨染に、宣旨は肝を冷やしたのか鳩尾をそっと摩ってございます。
さる美男、元の頭中将・今参議さまのお父君でございますれば、関白さまも名うて美丈夫でございますれば、膝を折って宣旨の手を取り、案内感謝と申されますので、宣旨も生娘のようになりて、紅いお顔を袖で隠されながらお下がりあそばしました。
「墨染式部は登華殿におりながら、女院御所の女房や、さる内親王さまのお悩みも立ち所に解してみせたと聞き及んでおる」
「たまたま、勘が当たっただけにございます」
「それほど勘が鋭いのであれば、陰陽寮にでも出仕すれば良いものを」
「女の身なれば、甲斐なく」
絶やさぬ笑みの奥に、如何程の含みをご覧になったのでしょうか。関白さまは幾度か深く頷かれます。
「今日はその鋭き勘に礼を言いに参ったのだ。男の身で陰陽師となれば、禄(給料のこと)でも上げれば済むが、中宮さまの女房となれば、お目通りの上、ご挨拶申し上げねばな」
「勿体なき次第にて。さて、然しながら、私の勘が、如何ように関白さまのお役に立ちましたやら」
しらを通す墨染に、また関白さまは深く頷かれてお笑いになります。
「私は帝の一の臣。帝のお喜びは我が喜び。内親王さまのお心お健やかなること、主上は殊更にお喜びである。故に礼をと申した。何か望むものはあるか?」
「左様におっしゃられるのであれば、紙を。叶うならば、筆と墨もいただけらば」
「叶わぬわけもなし。唐物を好むと中宮様にお聞きした。硯と筆洗も見繕おう。本来であれば、官職など与えるべきところ、これしきのこと如何ようにもなる」
「ありがたく。官職などは、中宮さまへのお仕えが御免となりましたら、お願いに参ります。登華殿におりますことが、私の何よりのありがたきことにございますれば」
中宮さまへの忠心に関白さまも感じ入っておられますと、気分を良くされたのか、敷物もないままに縁に腰を下ろされます。
「登華殿の集いは花の集いとも賢人の集いとも聞く。ひとつ、私も謎掛けなどしてみんと思うが、如何か?」
「関白さまのお掛けになる謎など、私に解けましょうや?」
墨染の下手な芝居に、関白さまはお声を上げてお笑いになります。寛いだご様子で、扇を取りながら続けておっしゃられます。
「私が掛けた謎に、そなたは幾たびか問い掛けることを許す。そなたの問いに、私は、是か非か(はいかいいえか)、関わりあらず、と答える。問いが十五の内であれば、そなたの勝ちといたそう」
「十五の内、でございますか。負ければ何か罰せられましょうや?」
「そのようなことはない。勝てば褒美を取らす。これで如何か?」
「承りましてございます」
墨染が深々と頭を下げます。
関白さまは庭先をじっくりと眺められてから、思いつかれたように扇で膝を叩かれます。
「隋唐よりもはるか昔、七雄よりも前の話である。ある国に、徳化「徳による政治。理想的な政治)に憧れる王がいた。王には、聡明な太子がいつも傍らにいた。ある日、長く続く戦を終わらせるため、どうすべきかと宰相に問うたところ、太子さまに率いさせるのが良いと言うので、王は言われるまま太子を遣わせた。太子は軍を率いて見事に勝利したが、太子が都に戻ると国は滅びていた。何故か」
「戦に勝って、国が滅びる……。はて、何のことやら想像もつきませぬ」
「そう易々と解かれては甲斐がない。十五を聞いて考えてみよ」
深くも思案する墨染に、大層満足げな関白さまは頬を緩ませながら、局の中をご覧になります。
書と紙と筆。およそ女人の住まいとは思えぬ簡素な持ち物に関心を持たれました。
「関白さまにお伺いします」
「それ、来た。何ぞか」
「国が滅びたのは、異国によるものですか?」
「否。国が滅びたは異国のためにあらず」
一つ目の問いが予想通りであったのか、関白さまはしたり顔で何度か頷かれます。
「では、二つ目を問います。国が滅びたは、王のお血筋が途絶えたからにございますか?」
「同じく、否。王の血筋は絶えておらず。太子は勝って国に帰ったゆえ、大層、父王を恨んだそうな」
今度は墨染が得意げに何度か頷きます。
関白さまとお目が合うと扇で口元を隠して、また問い掛けを続けます」
「しかれば三つ目。仏門は関係がございますか?」
「残念ながら、関わりなし。古いことゆえ、仏僧はまだおらなかったのではなかろうか」
墨染は笑みを浮かべながら、手元の紙に一本、線を引きます。
「四つ。王が儚くおなりになったのでしょうか?」
「否。王は御存命である」
「五つ。王は位をお下がりになられたのでしょうか?」
関白さまは墨染を見やり、膝を打って身を墨染の方にお屈めになります。
「是なり。王は自ら譲位なさった」
「御譲位あそばされたのですか。しかれば、六つ、位を継がれたのは、太子ではございませんね?」
「流石は墨染、六つの内にここまで迫るか。答えは、是なり。太子は践祚できなかったゆえ、大層怒った」
笑みをこぼす墨染に、関白さまは扇をずいと差し出されます。
「勝ちにはまだ早いぞ。譲位だけでは国は滅びぬ。滅びの故と、企みの主まで突き止めよ」
「しかれば、続けまする。七つ。譲位は、戦ゆえにございますか」
「うむ。も少し仔細に」
「改めます。七つ。譲位は、太子が戦に赴かれたゆえか」
関白さまは扇を膝に置かれ、腕組みをしながら顎をお触りになりながらしばらく思案なさいます。
「うむ。是なり。墨染には何かひらめきがあったのであろう。端々まで詰めてもおもしろからず」
「お心遣い、染み入ります。さすれば、譲位は禅譲(血筋によらず、才能ある者に譲位すること)にございましょうや?」
「墨染、見事である。是なり。さて、誰に禅譲したか」
墨染は、遠くを眺め、少し思案いたします。答えに行き着いているものと思っておられた関白さまは不思議に思っておいでです。
「いかがした?」
「お尋ねの仕方を、思案しておりました。では、九つ。その方は、花に関わりがございますか?」
「花?どうであろう。私は存じぬが、この謎掛けには出て来ぬゆえ、関わりなし、といたそう」
墨染は、また紙に一筆、線を引きます。
「十。では、その方は宰相にございましょうや?」
「是なり。王は宰相に位を譲った。」
「堯舜のお話にございますね。儒家に曰く、易姓(姓が易わること。王朝が変わること。)と呼ぶとか」
「左様。流石は墨染。文章得業生にもなれよう」
「関白さま、またごと(繰り返し。デジャヴ)にございますれば」
「すまぬ、すまね。では、残り五つ。この企みの仔細を明らかにせよ」
「相勤めます。では、十と一つ目。宰相は王に譲位を迫りましたか?」
「否。前に申したとおり、王は自ら位を下がった」
「十と二つ目。王は、夜のうちに譲位されましたか?」
「うむ。否、いや、関わりなしであるな。昼夜は問わず」
「十と三つ目。譲位は徳化(徳による政治。理想的な政治)のためにございましょうや?」
「是なり。春秋の時代より、禅譲は堯舜の倣いから、最も徳高き政のひとつである」
「十と四つ目。王は、賢君でございましょうか」
「否。政の一才は太子とさいしょうに任せきりとした。さて、次で十五となる。我が謎掛けの答えを示せ」
「十四までお尋ねしてまいりました。されば、さればでございます。十五にお示しいたしますのは、国の滅びは、王の徳化への妄執によるもの。宰相は王に強いずとも、禅譲は最も徳高き行いと唆せばよく、太子が傍にあれば止めることもできましょうが、戦場にて術なく、戦勝の甲斐なく、易姓のうえ、国が滅びてございます」
「是なり。見事。約束のとおり、褒美を取らす」
「ありがたき幸せ。されど、私が求める、墨や筆は、すでに頂戴いたしました。さすれば、一つ、お願いしたきことがございます」
「申せ。私にできることであれば、取り計らおう」
「私より賢き者で、散位(官職がない状態)の者があれば、お役をお与えください。関白さまに関わりなき者を、是非にも関わりある者にお取り立てください」
「それは随分と難問であるな」
関白さま、相わかったとおっしゃいますと、立ち上がりました背筋を正され、首を垂れ、登華殿の賢者の教えに、と一礼して局を後にされました。
珍しくも墨染は長々と伏したまま、神仏にでも縋るように、関白さまの去る背なに願い奉っておりました。
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