墨染式部日記 〜或る中宮付女房の聞き伝へ〜

 先ごろ、長患いでございました小野の内府(内大臣)さま、儚くなりまして、春の除目を過ぎたばかりでございましたが、小除目が行われるとのことにて、公卿方はじめ、内官外官みなせわしなく、内裏に出入りしておられました。
 この除目と申しますのは、次の官職が決まる重要な儀式でございますれば、それまでのご功績、お引き立てくださる公卿へのお心づけ(賄賂)、また今の官職の続きごと(出世コース)など、さまざまに渦巻いてございます。
 特に内大臣の空席は、大納言、権大納言から繰り上がることが通例となりますゆえ、公卿の末の席、参議がひとつ、空くこととなりまする。
 
 登華殿においても、次の参議さまはいずれかと、噂の種になっておりました。

「参議任官は、蔵人頭から選ばれるが通例。中宮さまのお父君、左大臣さまは頭中将さまをとお望みで
いらっしゃるのだから、決まりではないかしら」

「されど、先に任じられたるは頭の右中弁さまでございましょう?お年も五つも上でいらっしゃいますよ」

「さりとて、中将さまは中宮さまの弟君、左大臣さまのご嫡男でございますれば、なんとしても公卿にとお思いなのではございませんか」

「さりとてさりとて、右中弁さまは赫子内親王さまのご後見、主上(おかみ)も手厚く取り計らっておいでです」

 登華殿の女房衆はみな、中宮さまのご生家、左大臣家の差配にて召し抱えられてございますゆえ、左大臣派とでも申しましょうか。
 しかしそれだけではなく、この頭中将さまという方、女房の噂話にもありましたとおり、左大臣さまご嫡男にして中宮さまの弟君というやんごとなき身の上に限らず、その見目の麗しきこと、登華殿に上がる折には一目見んと、弘徽殿、清涼殿、藤壺、梅壺と女房みなこぞってまいります。その色香の芳しいこと、源氏絵巻の薫君、匂宮になぞらえて語られております。

「我が弟のことなれど、何事も先例が大事ですよ。さる小野宮右大臣は、このためしいまだあらず、と先例なきこと畏れ多く、禍となると書き記しておいでだったとか。それに何より、除目は主上(おかみ)がお決めになること」

 中宮さまのお言葉に、女房たちは恥じて小さくおなりになっています。
 噂話の落ち着く先がなくなってしまい、仕方なくどこぞの女房が恋をしたとか、衛府の官人に見目麗しき殿方いるとか他の噂話をして紛らわしておりますと、奥より帝がお出ましになり、みな伏してお迎えいたします。

「よい。折角たのしげにしていたのだから、面を上げて続けよ。いかような話をしておった?」

「女房たちはみな、いつもの恋のお話が好きでございますから」

「中宮、そなたもか?」

「お話を聞くのは、好きでございます」

「話はせぬのか?」

「まぁ。私の恋はもう実って、済んだ話と思うておりましたのに」

「これはしもうた。そのようなつもりではない。噂話などを、と思うて聞いたのだが、これは困った。誰ぞ、中宮が聞いてくれる、お話、などしてたもう」

 慌てた帝をお救いしようと、女房たちがおもしろき懸想のこと(恋話)などお聞かせしますが、中宮さまのご機嫌はなかなか元のとおりにはなりません。
 困り果てた帝は、ついに墨染はいかにとお声掛けます。

「これにございます」

「よきかな。なんぞかおもしろき話などしてたもう」

「みなさまおもしろき話ばかりなれば、いささか面妖なお話など、いかがでございましょうか」

 女房たちも顔を合わせて、奇妙な恋の話とはと興味を示します。自信ありげな墨染の顔を見て、小宰相が聞きたしと声を上げました。

「そはいかに」

 墨染と小宰相が示し合わすのを見て、中宮さまも続けるように促します。

「これは、往き方知れずの想い人を偲んで、儚くなられたやんごとなき女人のお話でございます」

 墨染の言うことには、やんごとなき女人の懸想の人、霧のごとく消え失せましたが、然る調べによると、霧の君は女人の養父が化けた姿にて、女人の持つ宝を他人の物とするを惜しく感じられ、女人の心など知らで、気鬱の病か、儚んで尼にでもなればよしと仕組んだことでございました。
 そうとは知らずに、霧の君がいなくなり、先々を憂いた女人は自らいのち儚くされてしまったとのことにございます。

「あな恐ろしきは、男の浅ましき欲かな」

「その男はいかになりました?」

 女房たちは口々に、その霧の君になりすました養父を非難いたします。
 その真ん中で、けしきばむだご様子の帝を案じられ、中宮さまがお手を取られて、優しくさすって差し上げておられるのは、いとあはれにございました。

「その男、女人の財をひとりじめとして、それを元手に官職など得たと聞き及んでございます」

「なんと浅ましい……」

「神罰がくだりましたらどれほど良いことか」

 帝のご気分芳しからず、中宮さまは思うところがあったのか、墨染と小宰相に目配せなどなさいます。

「憚りながら申し上げます」

 小宰相の声に、帝は良いと頷かれます。

「いずれの異朝のことか知れず(どこの外国の都のかとかはわからない)、主上の都には主上がおられますれば、かような男には、神仏が罰を下すまでもないものと心得ます」

「悪しきやからはどれだけ化けても尻尾を出すと申します。日頃の言い習い(口癖)や筆の似たりなど、端々に顕れるものにございますれば、よくお調べになれば立ちどころにございます」

 二人の言葉に、帝は眼を閉じて力強く頷かれますと、その場に立ち上がりみなを見渡されます。

「相分かった。朕の世では、正道を以て王道となそう」

 みな伏して、かしこきところのまつりごとに涙したのでございます。

 小除目ののち、朝儀の末席には、見目麗しき左大臣の若君さまがお座りになられたとのことでございます。小宰相の父君、二位参議さまは権中納言に昇られ、内大臣には、左大臣さまのお腹違い、四条大納言さまが昇られました。
 新参議中将(中宮の弟)と争われた頭の右中弁さまはと言いますと、因果とは巡るものにございますれば、太宰の大弐を申し付けられ、西国へと向かわれる道すがら、我が参議、我が参議とうわ言のように繰り返し、任地に着くと間もなく憤死なされたとの由にございます。

 こののち、内親王さまは髪を下ろされ、御仏の道に入られました。宇治に庵を建てられ、後に尼寺として再建されてからは、悪しき男を遠ざける縁切り寺として広く知られるようになりまする。入道内親王さまの元には、帝や中宮さまも折に触れては行幸なさいまして、末長く縁を育まれたとのことです。
 入道内親王さまが残されました荘園各所は、帝の心づくしのお返しにと遺されまして、世に宇治女院領として、帝と皇統の繁栄の礎となりましたことは、やはりずっと後の話にございます。

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