人見知り勇者さんは、今日もどこかでぼっち飯。

 ナイフを入れると──ふす、と沈む。
 抵抗もなく、ナイフが生地の中へ吸い込まれていく。
 断面からは湯気がふわりと立ち上がり、フォークでそっと持ち上げると、ぷるんと震える。
 見ているだけで、なんというか、心がほどけていく。

 ひと口。
 舌で受け止め、──そして、消える。

 口に入れた瞬間、スフレは空気みたいに溶けた。
 残ったのは、柔らかな甘みと、ほんのりとした花の香り。
 マンドレイクの蜜の余韻が長く続く。

 ……これは……食べる、ベッドか……?

 思わず口から漏れそうになる。
 いや、比喩じゃなく本気でそう思った。
 宿屋のベッドより柔らかい。
 沈み込むような食感で、包み込まれるような甘さ。
 安息。解放。救済──。

 二口目は、ゆっくりと。
 パンケーキの端に溜まった蜜をすくい、フォークの背で少し押しつぶして、また口へ。

 ──うまい、なんて言葉じゃ到底足りない。

 心が“本来の姿”を取り戻していく。
 今日一日で大幅に削られた大事な部分が修復されるように、ひと口ごとに何かが戻ってくる気がした。

 外の寒さも、無茶振り気味の王も、婚約フラグも。
 蜜の安らぎに上書きされる。
 音も景色も気にせず頬張り、堪能する。

 このパンケーキ、(とおと)い。

 そこへ、マスターがカップを静かに置いた。

「スライムフレーバーのコーヒーです」

 湯気の向こう、カップの中では深海のような青の光がゆらゆらと揺れていた。
 香りは、意外にも柔らかい。苦味の奥に、深い森を思わせる落ち着いた香り。嗅ぐだけで、疲労で凝り固まっていた肩の力が抜ける。

 俺は一瞬だけ躊躇(ためら)い、ぐいっと(あお)った。

 苦味が先に立ち、そのあとに、わずかな酸味と果実の香りが重なる。
 それがマンドレイクハニーの甘さをまた引き立てる。
 スライム特有のものか、この滑らかさが、舌に心地よい。

「……悪くない」
「でしょ?」

 至福……というより、これは“浄化”だ。

 喉を通ったあとも、静かな温もりだけが残る。

「なんか、あの……やっと人間に戻った気がします」
「ふふ、それはよかった。どうぞごゆっくり。……ねえ、勇者様」

 飢えたゾンビから(よみがえ)った俺に、マスターが笑い、最後の部分を小さく付け足すと、別の客のカップを取り出しその場を離れた。

 窓の外で黄昏(たそがれ)が夜に繋がっていく。
 遠くで鐘の音が響く。

 俺は、コーヒーをもう一口すする。
 青い光が、カップの底でゆっくりと揺れた。
 それを見つめていると、不思議と心が整っていく。

 ああ、世界はまだ捨てたもんじゃない。安心するようにそう思えた。