「……え? イオ……?」
「……、」
イオは不器用に瞬きをする。
至近距離で僕を見つめたまま、いまおれどんな顔してる、と聞いてきた。
「え……すごく赤くなってる、けど」
「……そっか」
こつん、とイオは僕のひたいに自分のひたいをぶつけてきた。そこが見た目よりも熱くて、その事実に体が戸惑う。
……なんでイオのひたいはこんなに熱くなってるんだろう。さっきまではなんともなかったのに。
「熱いけど大丈夫……?」
「…………」
なかなか返事がない。イオ、ともう一度呼びかけると「どんかん」と彼はつぶやいた。
「恋ちゃんとキスしたから熱でたに決まってるじゃん」
「……? なんで……」
「なんで、って」
イオは半分照れて半分すねたように目を閉じる。
「そんなの……」とつづけた声はかすかに震えていた。
「恋ちゃんのこと……ずっとまえから好きだったからだよ」
言葉の意味をすぐに理解できなかった。
「すき、って」――好きって。イオが、僕を?
幼なじみとして、じゃなくて……?
「――――」
なにか言わなきゃ、と思ったけど口を開いても言葉がなにもでてこない。
いままでずっとただの幼なじみとして過ごしてきた。なのに突然イオに好きだと言われても事実として受けとめられない。
「そ……」
「…………」
「そのわりには、女の子とたくさんつきあったりしてた……」
「……恋ちゃんへの気持ち忘れようとしたからだよ。『女の子を好きになれないかも』って相談されたから」
「あ……」
中学にあがってすぐだ。みんながかわいいかわいい騒いでいる女子を見ても僕はなんとも思えず――それどころか例によって恐怖みたいなものを感じてしまったので、イオに相談したのだった。
「それ聞いて……あ、そっか、ダメなんだなって思った」
「…………」
「脈ないんだなって。おれは恋ちゃんのこと好きだけどあきらめなくちゃいけないんだなって。だっておれの好きな子は恋愛にたいして怯えてるんだから。……じゃあ男はどうなのって聞いたらおれの気持ち一発でばれるし。それで恋ちゃんに拒絶されたら……もう幼なじみですらいられなくなっちゃうし」
『べつにいいじゃん? 恋愛だけが人生じゃないんだからさ』
あのときイオはそう言って笑ってくれた。それで僕の価値が変わることなんてないんだから深く悩まなくて大丈夫だよって。
でも、ほんとうは。
「脈ないのに好きでいてもつらいだけだから女の子とつきあってみたけど――すぐにばれちゃった。伊織くんてほかに好きな子いるよね、って。私といてもその子のことしか考えてないよねって。
だれとつきあってもそう。一ヵ月くらいでみんなにばれちゃう。……そんなにわかりやすいのかな、おれ」
『本命にぜんぜんその気がないんだから』
今日、イオはそう言っていた。あのときはだれのことかわからなかったけど、そういうことだったんだと今更気がついた。
イオが告白されるままに女の子とつきあっていたのは――僕のせい。
そのことを知って胸がちくりと痛んだ。
僕がなにも気づけなかったから、イオは――
「謝らなくていいよ」
ごめん、と口にするまえに彼が言う。
「でも……」
「おれが勝手にやったことなんだから。恋ちゃんが恋愛苦手になったのも恋ちゃんのせいじゃないし。……まあ、幼なじみとして一緒にいるのもそりゃちょっとつらかったけど」
ちょっと、と言ってごまかすにはイオの声は痛々しかった。
彼はいままでどんな思いで僕のそばにいたのだろう。恋愛の話になると逃げてしまう僕の隣でどれだけ傷ついていただろう。
それでも彼はずっと我慢していた。僕を怯えさせないように。なのに――
「……初めてはおれがいいとか。そんなの、言っちゃダメだよ」
謝っても謝っても彼はゆるしてくれない気がした。
だから――僕はカーペットの上に置かれたイオの手に自分の手を重ねる。
イオは目を開けると僕からすこし顔を離した。
その顔を見つめながら、「も……」僕は声を絞りだす。
「もういっかい、したい」
「……え、」
「もういっかいすれば、わかると思う……から」
彼の瞳が期待で輝くのがわかった。
「……いいの?」
なにかを隠すような声で問いかけられて、小さくうなずく。
イオは唾を飲みこんだ。喉仏が動くのがなぜかはっきりと視界に焼きつく。
彼は重ねていた僕の手を上からつかみなおす。
もう片方の手で僕の髪を耳にかけて、その仕草と耳にふれた指にどきりとしたすぐあとに彼の唇が近づいてくる。
さっきより熱い唇がふれる。
――と、ぬるりとしたものが唇を割って口内に入ってこようとしたのでびっくりして僕は飛びのいた。目を丸くしているとイオと視線が合う。
「恋ちゃん?」
「え、あ……」
「……あ、そっか」
イオは僕の手を離さない。ぎゅ、と上からきつくにぎりなおされる。
「知らないんだ。えっちなキス」
「――え、」
片手で頬をつかまれて逃げられなくされる。
イオはもう一度僕に唇を押しつけると――舌、を入れてきた。
「……っ」
知らない。感じたことのない感覚。
鳥肌が立ったけれど、それは気持ち悪いからじゃなかった。
イオの舌が僕の舌を舐める。上側も。下側も。
どうすればいいかわからなくてただ翻弄される。
イオの舌と――そこから生まれる甘いようなとろけるようなうずきに。
「ん、……」
ふいにイオが唇を離すと僕をカーペットの上に押したおした。
上気した瞳で見下ろされ、「ま、ほんとに待って……!」と僕は自由なほうの手でイオの胸を押す。一ミリも動かなかったけど。
「……なに?」
「し……下、母さんいる、から」
「……?」
「これいじょう……だめ……」
「…………」
イオはきょとんとした。数秒考えたあと、くすっと笑う。
「恋ちゃん……なんでディープキス知らないのにそういうことは知ってんの?」
「だ、だって……保健の授業で……」
「いや、保健じゃ男同士についてはやんない……」
まあいいけど、とイオは笑いを噛みころす。
……言われてみるとそのとおりで。じゃあなんでそういうことをされると思ったのかと聞かれると、それはものすごく恥ずかしい理由だったので彼が流してくれて助かった。
イオにキスされるのが気持ちよくて女の子になったような気がしたからとか、まさか、そんなこと口にできるわけないし。
彼は愛おしそうに眼を細めると僕の頬をなでてくる。
その動きは繊細で、なにかあったらすぐ壊れてしまうガラス細工にふれているみたいで。……ああ、イオが僕を好きだというのはほんとうなんだと思った。
胸が張りさけてしまいそうなくらい、こんなに。
「……ね、恋ちゃん。いつからおれが恋ちゃんのこと好きだったと思う?」
「え? えっと……」
「四歳のときだよ。幼稚園がない日、恋ちゃんの家に遊びにいったら恋ちゃんが女の子の格好してたの。髪にリボンつけてフリフリのワンピース着て」
「う……」
そのときのことは脳内から丸ごと削除している。
わからないというのが顔にでていたのだろう、「恋ちゃんは憶えてないだろうけど」とイオは微笑む。
「おれ、そのとき思わずつぶやいちゃったんだよ。『お姫さまみたい』って」
「……男なのに」
「うん、おれのことをぐいぐいひっぱってくれるヒーローみたいにかっこいい男の子なのに。恋ちゃんは恥ずかしがってクローゼットに隠れちゃったけど、おれがかわいいって何度も言ってたらドアを開けてくれた。それでね……『じゃあ、イオくんが僕の王子さまになる?』って聞いてきたんだよ」
この部屋で、とイオは言う。
物心ついたときにはもうあったクローゼット。小さいけれど、あの中には幼稚園児ならふたりくらい入れる。
そこでイオとおしゃべりするのが好きだったことをふと思いだした。なんでもない話でも、クローゼットの中ですると秘密の話をしているみたいにわくわくした。
王子さまがさらわれたお姫さまを助けにいく。
そんな、王道のアニメ映画の話をしているときでも――
「『なる』、っておれは答えた。そしたら恋ちゃんが言ったんだよ。『誓いのキスして』って」
「僕が……?」
「だからおれは一緒にクローゼットに入って。内側からドアを閉めて。
恋ちゃんに……おれのお姫さまに、キスしたんだ」
そのときのことは憶えてない――はずだけれど、暗闇の中で唇をくっつける幼い僕たちが脳裏によみがえった。
これは十年前の記憶? それともイオの話を聞いていま作られたもの?
どっちかはわからない、けど。
きっとその瞬間にイオは恋に落ちた。そのことだけは、はっきりわかった。
「恋ちゃん――」
イオは僕を見つめる。幼いときから変わっていないミルクティー色の瞳で。
大好きだよ、と。
「王子さまにはぜんぜんなれてないかもしれないけど。
……おれに、あなたの初恋をくれますか?」
「……、」
イオは不器用に瞬きをする。
至近距離で僕を見つめたまま、いまおれどんな顔してる、と聞いてきた。
「え……すごく赤くなってる、けど」
「……そっか」
こつん、とイオは僕のひたいに自分のひたいをぶつけてきた。そこが見た目よりも熱くて、その事実に体が戸惑う。
……なんでイオのひたいはこんなに熱くなってるんだろう。さっきまではなんともなかったのに。
「熱いけど大丈夫……?」
「…………」
なかなか返事がない。イオ、ともう一度呼びかけると「どんかん」と彼はつぶやいた。
「恋ちゃんとキスしたから熱でたに決まってるじゃん」
「……? なんで……」
「なんで、って」
イオは半分照れて半分すねたように目を閉じる。
「そんなの……」とつづけた声はかすかに震えていた。
「恋ちゃんのこと……ずっとまえから好きだったからだよ」
言葉の意味をすぐに理解できなかった。
「すき、って」――好きって。イオが、僕を?
幼なじみとして、じゃなくて……?
「――――」
なにか言わなきゃ、と思ったけど口を開いても言葉がなにもでてこない。
いままでずっとただの幼なじみとして過ごしてきた。なのに突然イオに好きだと言われても事実として受けとめられない。
「そ……」
「…………」
「そのわりには、女の子とたくさんつきあったりしてた……」
「……恋ちゃんへの気持ち忘れようとしたからだよ。『女の子を好きになれないかも』って相談されたから」
「あ……」
中学にあがってすぐだ。みんながかわいいかわいい騒いでいる女子を見ても僕はなんとも思えず――それどころか例によって恐怖みたいなものを感じてしまったので、イオに相談したのだった。
「それ聞いて……あ、そっか、ダメなんだなって思った」
「…………」
「脈ないんだなって。おれは恋ちゃんのこと好きだけどあきらめなくちゃいけないんだなって。だっておれの好きな子は恋愛にたいして怯えてるんだから。……じゃあ男はどうなのって聞いたらおれの気持ち一発でばれるし。それで恋ちゃんに拒絶されたら……もう幼なじみですらいられなくなっちゃうし」
『べつにいいじゃん? 恋愛だけが人生じゃないんだからさ』
あのときイオはそう言って笑ってくれた。それで僕の価値が変わることなんてないんだから深く悩まなくて大丈夫だよって。
でも、ほんとうは。
「脈ないのに好きでいてもつらいだけだから女の子とつきあってみたけど――すぐにばれちゃった。伊織くんてほかに好きな子いるよね、って。私といてもその子のことしか考えてないよねって。
だれとつきあってもそう。一ヵ月くらいでみんなにばれちゃう。……そんなにわかりやすいのかな、おれ」
『本命にぜんぜんその気がないんだから』
今日、イオはそう言っていた。あのときはだれのことかわからなかったけど、そういうことだったんだと今更気がついた。
イオが告白されるままに女の子とつきあっていたのは――僕のせい。
そのことを知って胸がちくりと痛んだ。
僕がなにも気づけなかったから、イオは――
「謝らなくていいよ」
ごめん、と口にするまえに彼が言う。
「でも……」
「おれが勝手にやったことなんだから。恋ちゃんが恋愛苦手になったのも恋ちゃんのせいじゃないし。……まあ、幼なじみとして一緒にいるのもそりゃちょっとつらかったけど」
ちょっと、と言ってごまかすにはイオの声は痛々しかった。
彼はいままでどんな思いで僕のそばにいたのだろう。恋愛の話になると逃げてしまう僕の隣でどれだけ傷ついていただろう。
それでも彼はずっと我慢していた。僕を怯えさせないように。なのに――
「……初めてはおれがいいとか。そんなの、言っちゃダメだよ」
謝っても謝っても彼はゆるしてくれない気がした。
だから――僕はカーペットの上に置かれたイオの手に自分の手を重ねる。
イオは目を開けると僕からすこし顔を離した。
その顔を見つめながら、「も……」僕は声を絞りだす。
「もういっかい、したい」
「……え、」
「もういっかいすれば、わかると思う……から」
彼の瞳が期待で輝くのがわかった。
「……いいの?」
なにかを隠すような声で問いかけられて、小さくうなずく。
イオは唾を飲みこんだ。喉仏が動くのがなぜかはっきりと視界に焼きつく。
彼は重ねていた僕の手を上からつかみなおす。
もう片方の手で僕の髪を耳にかけて、その仕草と耳にふれた指にどきりとしたすぐあとに彼の唇が近づいてくる。
さっきより熱い唇がふれる。
――と、ぬるりとしたものが唇を割って口内に入ってこようとしたのでびっくりして僕は飛びのいた。目を丸くしているとイオと視線が合う。
「恋ちゃん?」
「え、あ……」
「……あ、そっか」
イオは僕の手を離さない。ぎゅ、と上からきつくにぎりなおされる。
「知らないんだ。えっちなキス」
「――え、」
片手で頬をつかまれて逃げられなくされる。
イオはもう一度僕に唇を押しつけると――舌、を入れてきた。
「……っ」
知らない。感じたことのない感覚。
鳥肌が立ったけれど、それは気持ち悪いからじゃなかった。
イオの舌が僕の舌を舐める。上側も。下側も。
どうすればいいかわからなくてただ翻弄される。
イオの舌と――そこから生まれる甘いようなとろけるようなうずきに。
「ん、……」
ふいにイオが唇を離すと僕をカーペットの上に押したおした。
上気した瞳で見下ろされ、「ま、ほんとに待って……!」と僕は自由なほうの手でイオの胸を押す。一ミリも動かなかったけど。
「……なに?」
「し……下、母さんいる、から」
「……?」
「これいじょう……だめ……」
「…………」
イオはきょとんとした。数秒考えたあと、くすっと笑う。
「恋ちゃん……なんでディープキス知らないのにそういうことは知ってんの?」
「だ、だって……保健の授業で……」
「いや、保健じゃ男同士についてはやんない……」
まあいいけど、とイオは笑いを噛みころす。
……言われてみるとそのとおりで。じゃあなんでそういうことをされると思ったのかと聞かれると、それはものすごく恥ずかしい理由だったので彼が流してくれて助かった。
イオにキスされるのが気持ちよくて女の子になったような気がしたからとか、まさか、そんなこと口にできるわけないし。
彼は愛おしそうに眼を細めると僕の頬をなでてくる。
その動きは繊細で、なにかあったらすぐ壊れてしまうガラス細工にふれているみたいで。……ああ、イオが僕を好きだというのはほんとうなんだと思った。
胸が張りさけてしまいそうなくらい、こんなに。
「……ね、恋ちゃん。いつからおれが恋ちゃんのこと好きだったと思う?」
「え? えっと……」
「四歳のときだよ。幼稚園がない日、恋ちゃんの家に遊びにいったら恋ちゃんが女の子の格好してたの。髪にリボンつけてフリフリのワンピース着て」
「う……」
そのときのことは脳内から丸ごと削除している。
わからないというのが顔にでていたのだろう、「恋ちゃんは憶えてないだろうけど」とイオは微笑む。
「おれ、そのとき思わずつぶやいちゃったんだよ。『お姫さまみたい』って」
「……男なのに」
「うん、おれのことをぐいぐいひっぱってくれるヒーローみたいにかっこいい男の子なのに。恋ちゃんは恥ずかしがってクローゼットに隠れちゃったけど、おれがかわいいって何度も言ってたらドアを開けてくれた。それでね……『じゃあ、イオくんが僕の王子さまになる?』って聞いてきたんだよ」
この部屋で、とイオは言う。
物心ついたときにはもうあったクローゼット。小さいけれど、あの中には幼稚園児ならふたりくらい入れる。
そこでイオとおしゃべりするのが好きだったことをふと思いだした。なんでもない話でも、クローゼットの中ですると秘密の話をしているみたいにわくわくした。
王子さまがさらわれたお姫さまを助けにいく。
そんな、王道のアニメ映画の話をしているときでも――
「『なる』、っておれは答えた。そしたら恋ちゃんが言ったんだよ。『誓いのキスして』って」
「僕が……?」
「だからおれは一緒にクローゼットに入って。内側からドアを閉めて。
恋ちゃんに……おれのお姫さまに、キスしたんだ」
そのときのことは憶えてない――はずだけれど、暗闇の中で唇をくっつける幼い僕たちが脳裏によみがえった。
これは十年前の記憶? それともイオの話を聞いていま作られたもの?
どっちかはわからない、けど。
きっとその瞬間にイオは恋に落ちた。そのことだけは、はっきりわかった。
「恋ちゃん――」
イオは僕を見つめる。幼いときから変わっていないミルクティー色の瞳で。
大好きだよ、と。
「王子さまにはぜんぜんなれてないかもしれないけど。
……おれに、あなたの初恋をくれますか?」



