「おれとキスすれば、恋がなにかわかるかもよ?」
0歳からの友達。
今年で十五年以上のつきあいになる幼なじみはそう言った――
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「恋ちゃん、部活終わったなら一緒に帰ろ?」
「……ん」
部室棟をでると見慣れた金髪が九月の夕陽に照らされていた。玄関の前にある花壇に座っていたイオは僕に気づき、ふわっとした笑顔を浮かべて立ちあがる。
イオは演劇部だ。全国の高校が参加する演劇コンクールは夏に終わり、次の舞台は十一月の文化祭。
いまは谷間の期間だから僕よりはやく終わったらしい。もっともイオはサボりがちみたいだけど。
不真面目ではあるものの、中学に入ってからぐんぐん伸びた背丈と西洋人風の顔立ちは舞台上でかなり映える。演劇部では重宝されているようで、一年にも関わらずコンクールでは準主役級の役をもらっていた。
素人目ではあるけどイオは演技だって上手だ。ちゃんと部活にでればいいのに、と思ってしまう。
「僕と帰るってことは彼女と別れたんだ」
「うん、夏休み最終日に別れちゃった」
九月になってもまだ西日は厳しくて、すこし歩いただけで汗がにじむ。
暑くないのかな、と僕はハーフアップにしたイオの髪を見上げた。イオの頭は僕よりひとつぶんは高いところにあって、その差は年々開いている。僕が停滞しているから。
「ちょうど一ヵ月?」
「そーだね、一ヵ月」
「……まえにも言った気がするけど、そういうのあまりよくないと思う」
「まえにも言った気がするけどだいじょーぶだよ。二股だってたまにしかしてないし」
「たまにしてるんだ……」
この容姿で、女の子にも気軽に絡めて、演劇部ではスター役者。
当然イオはもてる。でも、いつの間にかイオを好きな女子たちのあいだで不思議なルールができていた。
それは『つきあって一ヵ月で伊織くんを本気にできなかったら別れる』というもの。
イオの彼女希望者が多すぎるからそんなことになったのだろうか。
僕にはよくわからないけど、風の噂で知ったそのルールはどうやら事実みたいでそれは高校にも持ちこされたようだった。
「だれだっけ、一番新しい彼女」
「二年の平先輩。……ね、恋ちゃんがおれに恋バナ振ってくるのめずらしくない? なんかあった?」
「そんなことないけど……」
平先輩。ちらっと見かけたことがあるけど、モデルみたいに長身ですらっとした美女だ。イオと並んで歩いているところは映画かなにかの撮影みたいに見えた。
「そのまえは?」と僕は聞いてみる。
イオはにこっと笑った。
「そんなの忘れちゃった」
悪びれなく言うから怖い。
他校の子だったので僕は名前も知らなかったけれどアイドルみたいにかわいい子だった。
……なのに本気になれなかったって、なんで?
中学のときから何度も思ったことだ。でも僕が踏みいっていいのかわからなくてなにも聞けずにいると、「だってしょうがないじゃん」とイオが口をとがらせる。
「本命にぜんぜんその気がないんだから」
「……? 本命って?」
「……じょーだん」
そんなのいないよとイオは笑う。
一瞬、真面目な顔になったのは見間違いだったのかもしれない。
「伊織、お疲れー」
「水代くん、またね」
駅のホームに行くと電車を待っていた同級生や先輩たちがイオを見つけて手を振ってくる。時には向かいのホームからも。
イオは「じゃーねー」とそのぜんぶに人懐っこく手を振りかえす。
「このあとヒマ?」とある女子グループが声をかけてきたけど、「見りゃわかんじゃん、恋ちゃんと帰んの」と返してイオは僕の背を押した。行こ、と最後尾のほうへ向かう。
イオがやってることは彼女をとっかえひっかえしていると非難されてもおかしくはないはずだけど、元カノたちが彼をぜんぜん責めていないのとイオの天性の人たらし力で受けいれられている……ようだ。そのあたりは僕にはわからない。
「今日恋ちゃんの家寄っていい? たしか『海洋記』の新刊でてたよね」
「……いいけど、読むのは宿題やってからね」
「えー」
「えーじゃない。宿題はちゃんとやる。部活にはちゃんとでる」
「相変わらず真面目だなー……」
そんなの適当でいいのに、とイオは肩をすくめる。冗談じゃない。
『海洋記』こと『十二少年海洋記』は僕たちが小学生のころからやっている少年漫画だ。
三ヵ月に一回のペースででるコミックを僕とイオは交互に買っている。小遣いがむかしより増えたいまでも、まだ。
……こうしていればイオが僕の家に遊びにくる口実ができるとか。
そんなこと、思ってるわけじゃないけど。
僕たちが乗る電車が線路の向こうからやってくる。
帰宅ラッシュの時間だ。ホームにはどんどんひとが増えてきていて乗車位置にならぶ列は長い。
降りる駅まで十五分程度だから座れないのはべつにいいけど、他人の体と密着したらいやだなとちょっと思った。
「――恋ちゃん、こっちおいで」
電車が止まってドアが開く。
わざわざ最後尾まで移動したのに乗客が多い。満員とはいかないけれど八割くらいは埋まった車両の中でイオは僕を手招く。
そしてドアの脇に立たせると自分は僕のまえに立った。ほかの乗客からかばうみたいに。
「イオ、悪いよ」
「いいから。人混み苦手でしょ」
「そうだけど――」
いいから、とイオは笑う。「王子さまだったら絶対こうするでしょ?」
コンクールでイオは演じたのは女性好きの第三王子の役だった。「あ、アルノルト?」と僕は役の名前を言う。
「ん? ふふ、どうだろ」
イオが王子役になってくれたおかげで気が楽になった。せめて鞄持つよ、と言ってみたけど「お姫さまにそんなことさせる王子とかいないでしょ」とかわされる。そこまでなりきらなくていいのに。
「……イオ、スマホ鳴ってない?」
「ん?」
マナーモードにしていなかったらしく、イオが肩にかけた鞄から着信メロディがかすかに聞こえてくる。「あー……」とイオは遠い目をした。
「たぶん女の子からだろうけど……ま、べつにいいでしょ。これから遊びいことかそんなんだから」
「いいの?」
「うん」
それよりも、とイオは僕の背後のドアに手をつく。「恋ちゃんを守るほうが大事」
「あ、ありがと……」
さらっと言われてこっちが照れくさくなる。ラインじゃなくて電話してくるなんて大切な話じゃなかったのかな、とは思ったけどそう言われるともうなにも言えない。
イオはきっと彼女にもこうするんだろうな。彼を見上げて思った。軽薄なように見えるかもだけど――イオは優しいから。
……イオっていつまで僕より身長が低かったんだっけ。演劇部で一応鍛えられているのか、制服の下の厚い胸板を見て思う。
ずっと隣にいるのにイオはどんどん僕より先にいってしまうみたいだ。さびしいのか苦しいのかよくわからない、もやもやしたものが胸に溜まる。
電車を降りて、古びた駅舎をでると見慣れた街が僕たちを迎える。
商店街のシャッターは年々増えてて、このまえ駅前にあった大きなビルは建てこわされてしまったけれど。それでも生まれたときから住んでいる大切な街だ。
「演劇部は文化祭でなにやるの?」
「宝探しゲーム」
「公演じゃなくて?」
「うん、コンクールでみんな燃えつきちゃったからね。三年の先輩たちも引退しちゃったし。しばし休憩ってことで生徒会と協力してレクリエーションを担当することになってる」
「へー……」
他愛のないことを話しながらぶらぶら歩きだす。
僕がイオとこうして隣にいられるのは、家がすぐ近くだから。
幼なじみだからだ。
地味でなんの取り柄もない自分のことをかえりみて思う。
もし幼なじみじゃなかったらイオは僕のことなんて視界にも入れなかっただろう。
こんなふうに『恋ちゃん』なんて呼ばれることはなかっただろうし、僕たちの人生が交わることさえなかったにちがいない。
小学生のときは毎日一緒に学校から帰ってた。
中学生になって、イオに彼女ができるようになってからはふたりで帰れる日のほうがすくなくなった。高校生になってからは――
宵の星を見上げて思う。
僕たちはいったいいつまで一緒にいられるんだろう、と。



