満月狐に想われて

「……晴臣(はるおみ)様、あの、もう十分ですから……」

 とまどいながら晴臣に声をかけるも、彼はきっぱりと首を横に振る。

「いや、全然足りないな。着物をもう二着……そちらの赤と、こちらの青紫の反物がよさそうだ」

 彼の言葉に、呼ばれてきた仕立屋たちが次々と反物を取り出し、わたしの体にあてがっていった。

 昨日の夜、晴臣は、わたしの実家である東藤(とうどう)の家にあいさつに行くために、準備をすると言い出した。

 しかし具体的に何をするのか聞かされないまま、わたしはこうしてなすがままになっていたのだ。どうやら彼は、わたしの服を仕立てようとしているらしい。

 もしかして『準備』って、これのことだろうか。

 確かにわたしが着ているものは、とても古くて傷んでいるし、橘花(たちばな)家の当主である晴臣の隣に立つには不釣り合いにもほどがある。愛着はあるけれど、きちんとした場には向いていない。

 こっそり納得していたら、わたしの姿をまじまじと見つめていた晴臣がさらりと言った。

「普段着は、ひとまずこれでいいとして……」

「えっ、これ、普段着だったんですか!?」

 橘花家がずっと懇意にしているという仕立屋、その名も鶴羽屋(つるはや)。物静かな老婆と、店主だという中年の男性、そして真面目そうな二十歳ほどの娘の三人が運び込んできた布地は、どれもこれもため息が出るくらいに上等な、素敵なものばかりだったのだ。

 だからわたしは、てっきり正装かよそいき着を仕立てるのだとばかり思っていた。

「ああ。君は着物のほうが着慣れていると思ったから、普段着は着物を主にした。それとも、洋装が欲しいのだろうか? ……軽やかなワンピースも似合うかもしれないな。よし、そちらも作らせよう」

「あ、いえ……」

 どうにも、話がかみ合ってない。わたしは、こんな高価な布を使った着物なんてとうてい普段着になんてできないと主張したいのに、晴臣は気づいてくれない。いや、気づいているのかもしれないけれど、無視されている。

「いずれ、夜会服も用意しなくてはな。サチ、また相談に乗ってくれ」

 それどころか、さらに恐ろしいことを言い出した。サチと呼ばれた老婆はゆったりとうなずくと、娘に呼びかけた。

「晴臣様のお望みとあらば、喜んでお話をうかがいますよ。民江(たみえ)、今のうちに、デザインの案をいくつか用意しておくれ」

「分かりました、お祖母様」

 和やかな会話を聞きながら、ひとり震え上がる。普段着ですらこんなに上等な生地を使うのなら、特別な日に着る夜会服は、どれだけ豪華なものになってしまうのだろうか。想像もつかない。

「それはそうと、今日君たちに来てもらったのには訳がある」

 ひっそりと青ざめるわたしをよそに、晴臣は鶴羽屋の三人に声をかけた。

「服飾の専門家である君たちの意見を、ぜひとも聞かせてもらいたい」

 鶴羽屋の三人が作業の手を止めて、同時に晴臣を見つめる。

「僕はいずれ、紅子(べにこ)とともに彼女の生家にあいさつに行くつもりだ」

 そして晴臣は、朗々とした声で宣言した。

「その際、彼女をうんと着飾らせて、生家の人間たちを驚かせてやりたい」

 ……驚かせ……というより、度肝を抜いてやりたい、が正しいような気がする……。

 内心頭を抱えつつ、昨夜のことを思い出す。

 晴臣はあのあと、わたしを質問攻めにしてきて、東藤の家でわたしがどんな目にあっていたのかを聞き出してしまったのだ。どうにかしてお茶を濁そうとしたのだけれど、失敗した。

 それからというもの、彼はずっと東藤の人間にひどく腹を立てている。だからといって、そこまで気合を入れてわたしを着飾らせようとするなんて、まるで子どもだ。

 しかし彼は堂々と、さらに言葉を続けている。

「その際のよそいき着としては、どのようなものが適切だろうか?」

「洋装でしょうね」

 サチさんがすぐに答え、あとのふたりが同時にうなずく。それを確認すると、サチさんはこちらを向いてさらに続けた。

「紅子様のつややかで美しいおぐしと凛とした面差しには、古典的な柄の着物がよく合います。実際、これまではそういったお召し物が多かったのでは?」

「はい、そうですが……」

 いきなり話を振られてちょっととまどいながら、それでも行儀よく答える。サチさんはそうでしょうとも、と笑い、また晴臣に向き直った。

「ですので、あえて西洋風の服をまとうことで、大きく雰囲気を変えることができるでしょう。晴臣様と並ばれたときのつり合いも、取りやすくなりますし」

 晴臣は、夜以外いつも洋装だ。といっても特にこだわりがあるわけではなく、単に明るい栗色の髪に合うから、という理由らしい。

 彼の祖母は海の向こうの生まれで、金の髪に灰青色の目をした、とても美しい方だったらしい。そして晴臣のこの髪の色は、祖母の血が出たのだろうという話だ。

 ……個人的には、子狐だった山吹(やまぶき)の毛の色が影響している可能性もあるなと思っている。今のわたしが前世のわたしと同じ、赤い左目を持っているように。

 すると、黙って話を聞いていた娘、民江と呼ばれた女性が、さらさらと紙に何か書きつけ、サチさんに差し出した。

「お祖母様、このようなデザインはどうでしょうか……」

 それを見たサチさんの顔が、ふわりとほころぶ。

「おや、これは確かに、紅子様にはぴったりだねえ。清楚で儚げで、でも芯の強さも感じさせる」

 どうやら民江さんが今描いたのは、服のデザイン画らしい。どんなものか気になって近づこうとしたら、それよりも先に晴臣がサチさんの手から紙を受け取ってしまった。

「これは……見事だ……!」

 紙を見た晴臣の顔が、ぱあっと輝く。当主としての演技を忘れてしまったのか、わたしとふたりきりのときにだけ見せる、子どものような表情をしていた。

 先ほどのおかしな質問には少しも動じなかった鶴羽屋の三人が、ぽかんとした顔になってしまっている。これ、それとなく晴臣に気づかせてやったほうがいいのだろうか。

 しかしひと呼吸おいて、彼は自力で我に返ったようだった。きりりと顔を引き締めて、悠然と言い切った。

「決まりだ。このデザインで、紅子のよそいき着を仕立ててくれ。大至急だ。金に糸目はつけない」

 デザイン画をサチさんに渡しながら、晴臣はまたしてもとんでもないことを言っている。金に糸目はつけない、って……いったい、どんな服が仕上がってしまうのだろう。やっぱり気になる。

 そろそろとサチさんに近づいてデザイン画をのぞこうとしたら、晴臣に止められた。

「紅子、せっかくだから君のことも驚かせたい。服が完成するまで、内緒ということにさせてくれ」

「は、はあ……」

 やっぱり子どものようだと思いながら、小さくうなずく。晴臣、やっぱりまだ浮かれているのかもしれない。

 とまどっていたら、ここまで黙っていた中年男性が控えめに口を開いた。

「晴臣様。靴や帽子、その他の装飾品についても、こちらで手配いたしましょうか」

「ああ、任せる。康史(やすふみ)、君の目利きは一流だ。信用している」

「信頼いただき、ありがとうございます。そのお心に恥じぬ働きをいたしましょう」

 晴臣が目を輝かせて指示を出しているのを、ただ呆然としながら見守る。これからどうなるのだろうというほのかな不安が、心の片隅に居座っているのを感じていた。



 それからさほどかからずに、鶴羽屋の三人が連れ立ってやってきた。わたしのよそいき着が、ついに完成したのだ。思っていたよりも、かなり早かった。

 どんなものになっているのだろう。わくわくしながら案内された一室には、大きな姿見以外何もなかった。メイドたちと鶴羽屋の民江さんが、ずらりと並んでわたしを待っていた。

「紅子様、少し失礼いたします」

 民江さんがそう言って、わたしに近づいてくる。彼女はそのまま、わたしに目隠しをしてしまった。

「あの、これは……?」

「晴臣様の命なのです。お着替えが済んでから、衣装を見ていただきたいとのことで……少しでも、紅子様に驚いていただきたいとかで……」

 どことなく申し訳なさそうに、民江さんが答えた。言いたいことは、分からないでもない。しかしそのためだけにここまでするとは、晴臣は何を考えているのだろう。

 内心ぼやいていると、隣の部屋から何かが運び込まれるような音がした。そうして、されるがまま衣装を身につけていく。着付けは、民江さんとメイドたちが手伝ってくれていた。

 思いのほか、軽い。洋装は初めてだけれど、こんなものなのだろうか。腕がむき出しで、首元も大きく開いていて……すかすかしていて、落ち着かない。下着でも、もう少し肌を隠してくれるというのに。

 服自体は、すぐに着せ終わったらしい。けれどそれから首飾りや耳飾りをつけられて、髪をゆったりと結われた。さらに、その上に何かがそっと載せられる感触がある。

「ああ、なんて美しい……!」

 そのとき、晴臣の感極まったような声がした。しゅるりという音がして、目隠しが外される。

 今まで見たこともない姿の自分と、その隣で陶酔している晴臣の姿が、大きな姿見に映っていた。

 驚きに目を真ん丸にしたまま、自分の姿を食い入るように見つめる。

 柔らかな生地で仕立てられた袖のないワンピースは、優しい菜の花色だ。腰のところに、淡い牡丹色のサッシュベルトが結ばれている。ベルトには、共布の造花が飾られていた。

 たっぷりと胸元に垂れ下がっている三重の首飾りは、驚いたことに真珠だ。耳元には、もう一回り大きな真珠が輝いている。

 いつもは下ろしている髪は、肩につくかつかないかのところまで垂れ下がり、そこから後ろへ流して結われている。赤い左目を自然に隠すよう、それでいてしゃれた形になるよう、工夫のされた結い方だった。

 そしてその上に、大きなつばがついた菜の花色の帽子が載っていた。足元は柔らかなビロードの靴で、足を優しく包み込んでくれている。

 帝都では洋装の女性もよく見かけるけれど、ここまで見事な服をまとった人は見たことがない。自分がそんな服を着ていることが、まだ信じられなかった。

 晴臣は少し潤んだ目でわたしを見つめていたけれど、すぐに咳払いをして振り返る。そうして、朗々たる声で言った。

「これだけのデザインをすぐに描いた民江、見事な生地を調達し装飾品を見立ててくれた康史。さらに多くのお針子を束ね、これだけの早さでここまで見事な服を完成させたサチ。君たちの働きには、ただただ脱帽するしかない」

 彼の視線の先を追うと、いつの間にか、部屋の片隅にサチさんと康史さんが立っているのが見えた。サチさんがおっとりと微笑んで、深々と頭を下げた。康史さんと民江さんも、それに続いている。

「お褒めいただき、ありがとうございます。私どもとしても、これほど美しいお方を着飾らせることができて、楽しゅうございました」

 そうして三人は、そのまま帰っていく。他の服については、また後日納品にくるのだとか。

 華やかなよそいき着をまとったまま、晴臣と一緒に三人を見送る。サチさんが去り際にほんの少し長くわたしの顔を見つめて、優しくささやいた。

「どうか幸せになってくださいませ、紅子様」

 どことなく思わせぶりなその言葉に、わたしはとっさにうなずくことしかできなかった。