あのとき助けたのって俺じゃないんだけど。

日曜日の夜、朝起きたら具合が悪くなっていますようにと願ったが、叶わなかった。
あんなに雨に打たれたのに、俺の体はピンピンしている。
散々泣いたせいで目が腫れてるのと、少し頭が重いだけだ。



教室には時間ギリギリに入った。
悠生と顔を合わせられないから。
悠生の机にはリュックが置いてあるが、姿は見えなかった。
悠生はチャイムが鳴り終わるころ、静かに教室に入ってきた。



1時間目はホームルームだった。

「もう1ヶ月過ぎたし、席替えするぞー」

担任が宣言した。
俺は正直ホッとした。

くじ引きの結果、俺は廊下側の一番前、悠生は窓側の一番うしろ。
一番遠くなった。

席を移動するとき、西原がうしろを振り返った。
俺の顔を見て、一瞬目を見開いたが、何も言わなかった。
西原は俺の斜めうしろの席になった。

誰とも話したくなくて、休み時間はずっと机につっぷしていた。



お昼休み。
西原のお昼ごはんの誘いを断って、顔を洗って廊下に出ると、使われていない教室から悠生と真郷が出てきた。

悠生、真郷に告白したのかな。

心臓が絞られるように痛い。
目の奥が熱くなって、もう溢れそうだった。
すぐにもう一度トイレに駆け込んで、顔に水をバシャバシャとかけた。



午後も同じように過ごした。

このまま時間が経てば、また前の俺に戻れるのかな。
悠生を想う気持ちはいつか消えてくれるのだろうか。



放課後、チャイムと同時に立ち上がった。
一刻も早く、すぐにでも帰りたい。
誰とも顔を合わせたくない。
リュックを背負って、一番に廊下に飛び出す。
そのとき

「麻人……」

俺を呼ぶ声が聞こえた。
俺は立ち止まった。
振り返らなかった。
走り出したかったけど、足が動いてくれなかった。

「麻人、話したい。一緒にきて」

俺が黙ったまま動かないでいると、悠生が俺の手をとって歩き出した。

行きたくない……
話したくない…!

足が動くのを拒んでる。

悠生は俺の気持ち全部分かってるみたいに、優しく、強引に、俺の手を引く。
時々振り返って、俺の足がちゃんとついてきてるか確認する。
俺は悠生と目が合わせられなくて、顔を横に背けながらただついていくしかなかった。



たどりついたのは屋上手前の階段の踊り場だった。
球技大会のあと、悠生がクリームパンをくれて、泣き出した俺を抱きしめてくれた場所だ。

「麻人……」

何か言い淀んでいるようだった。
「好きだと言ったのは間違いだった」と言うのだろうか。

そのとき、初めて悠生の顔を見た。
怒り、悲しみ、後悔、苦しさ……想像していたのはそんな表情だった。

だけど俺の目に映る悠生は、何かを決意したような、すっきりした、いっそ清々しい顔だった。
そして、まっすぐに俺を見ている。
たまらなく怖くなって、悠生が話し出す前に口を開いた。

「ゆう、せい………なんかごめんな。俺、ちょっと浮かれてた。ほんと、忘れてくれていいから!こんなの、悠生にとったら黒歴史でしかないでしょ?俺、全然気にしないし、これからも普通に友達として……」

なんでもないことのように明るい声を出した。
うまく笑えているだろうか。
溢れだしてしまいそうな目の奥の熱を、息をとめて堪えた。

そんな俺を、悠生は優しく抱き寄せた。
どうやってもごまかせない。
もう、堪えることなんてできなかった。

「麻人、ごめん……真郷と話した。……やっぱり麻人の言う通り、俺を助けてくれたのは真郷だった。ちゃんとお礼も言えたよ」

俺は悠生の胸に額を押しつけて、とめどなくこぼれる涙はそのままにした。
床にポタポタと落ちていく涙を見ながら、あとで拭かなきゃなぁ、なんて思っていた。

「でさ、真郷と話してるうちに気づいたことがある…」

「麻人が、小さいころ俺を助けてくれた子かもしれない、って考えるより前」

「クラス替えで、初めて麻人の顔を見たとき」

「俺、もう麻人に一目惚れしてたんだよ」


……え?


「それから麻人と関わるうちに、もっと好きになってた」

「思い出は思い出として大事、だけど」

「俺は、今の俺の気持ちを大切にしたい」

悠生は少し体を離して、上を向かせるように、右手で俺の顎を持ち上げた。
目が合う。
絶対、ひどい顔してる。

「初恋は真郷だったかもしれない。でも、今の俺が好きなのは、どうやっても麻人なんだ。俺が可愛いって思うのは…かっこいいと思ってもらいたいのは…抱きしめてキスしたいのは………麻人だけなんだよ」

悠生は俺をまっすぐ見つめて、ひとつひとつ俺に言い聞かせるように言葉を吐き出した。

ドクンドクンと、心臓が息を吹き返したように脈打つ。
胸に広がったのは、さっきまでの怖さじゃなくて、温かさだ。

「……ねえ、麻人は?俺のことどう思ってる?お願い、言って」

悠生が微笑んだ。
俺の大好きな笑顔。
でも、少し泣きそうにも見える。

「ゆ、悠生、俺……言ってもいいの?」

俺を見つめる悠生の目は、隠しきれない熱をはらんでいる。

「お願いだから言って……俺、もう待てないよ」

俺はこくんと喉を鳴らした。

「俺も…っ!……俺も悠生が好き!大す…っ!」

言い終わるか終わらないかのうちに、悠生の顔が近づいて、優しいキスが降ってくる。

最初そっと触れるだけだったキスは、絶対離さないというように、押しつけるような重たいキスに変わっていく。

息が苦しくて、でも離したくなくて、悠生の胸にすがるようにして全部受け止めた。
嬉しすぎて……とろけそう。

だけど今はひどい顔なのに……と、どこか冷静に考えている自分もいて、だんだん面白くなってくる。

唇が離れると、はーっと息を吐き出し、お互いの吐息が混ざり合った。
それから、額と額をくっつけて、2人してふっと吹き出した。

少し笑ってから、悠生が制服の袖で俺の顔を拭いてくれて、またキスをする。
さっきよりも深く、甘く。




そうして、俺たちは恋人になった。