臆病な少女は生贄として溺愛される

 あばずれの子、いらない子。
 そんなこと何度言われたって慣れやしない。
 凛は耳に届く罵詈雑言に俯くしかなかった。

「お前捨てられたのに何で村にいるんだよ」

 凛と同じ十歳の孫一はこんな村には珍しく整った容貌だ。
 女の子たちからは騒がれているし、いつもみんなの和の中心人物である。
 胸までの黒髪が俯いたことで顔を隠す。
 周りは孫一以外にも村で目立つ少女たちがいた。
 何度も罵る孫一の言葉に泣きそうになって、凛は古ぼけたお古の着物をぎゅうと握る。
 それがまた気弱そうに見えて、孫一の顔の調子が上がった。

「お前はいらない子なんだから大人しくしてればいいんだよ」

 大人しくしている。
 凜はいつも目立たないようにしているし、話すことだってほとんど「はい」と「わかりました」だ。
 いらない子なのもわかっている。
 凜は誰よりもわかっているのだ。

「孫一さあ、いつも凛に声かけてるよね」

 同い年のなかでは村一番目立つ少女。
 楓が不愉快そうにふんと鼻を鳴らした。
 いつも孫一のまわりにいるので、自然と凛とも顔をあわせることになる。
 それだけ孫一が声をかけてくるのだ。
 面白くなさそうな楓の言葉に、孫一があからさまに動揺してうろたえた。

「そんなことあるわけないだろ!」

 カッと頬に朱を走らせた孫一が凛を怒鳴りつける。

「お前なんか好きじゃないからな!」

 捨てゼリフを吐いて孫一が肩をいからせながら去って行く。
 楓たちも凛を見下す眼差しで、くすくすと笑いながら歩き去って行った。
 全員が去ったあとに、凛はのろのろと俯いたまま駆け出す。
 村の外には山がある。
 そこには池があり、その横には小さな祠があることを凛は知っていた。
 古い物らしく、誰も来ない場所だ。
 凜の逃げ場所でもある。
 駆けて来たそのままに、凛は祠の前にしゃがみ込んだ。
 薄汚れていたものを凜が少しずつ拭いて、前よりはマシになったものだ。
 しゃがみ込んだまま、凛の目に涙が溢れだしたけれどそれが流れないように目に力を込めた。

「な、泣かない、泣かない」

 喋るのが下手くそな凜の口癖だ。
 泣くと怒られる。
 母親もそうだったし、村の人間もそうだった。
 ぐす、と鼻を鳴らしてもう一度「泣かない、泣かない」と繰り返す。
 震える唇を噛みしめようとしたときだ。

『無駄な努力をする暇があったら、さっさと泣けばいいだろう』

 突然、声が聞こえた。

「え……?」

 聞いたこともない、何重にも音が重なったような声だ。
 男か女かもわからない。

「だ、だれ?」
『お前、いつもここでうじうじとしているだろう。さっさと泣いて切り替えろ。その方が建設的だ』

 辛辣な言葉だった。
 けれど、悪意は感じない。
 それに。

(わたしにちゃんと話しかけてくれた人、はじめてだ)

 ぽかんと思わず口が開いてしまう。

『まぬけ面をするな』

 呆れた物言いに、慌てて口を閉じる。
 もうすっかり涙は引っ込んでいた。
 凛はしゃがんだ体勢から祠のなかを見ようとするけれど、小さな扉のある形の祠はぴっちりと隙間がなく、なかなんて見えはしない。
 扉を開けるなんて罰当たりなことができるわけもないので、どこから声がしているのかわからないけれど、確実に祠からだろうと当たりをつける。

「だ、れ?」

 おそるおそる声をかける。
 怖いとは感じない。
 言い方は怖いけれど、悪霊なんかには思えなかった。

「かみ、さま?」
『それは……』

 そっと問いかけると歯切れが悪い。
 神様だから本当の姿を明かせないのか、神様じゃないのかわからない。
 それでも凛は嬉しくて、少しだけ口角を上げた。

「あ、あの」
『日が暮れる。さっさと帰れ』

 話しかけようとしたら遮られた。
 顔を上げれば確かに薄暗くなっている。
 かなり遅い時間だろう。
 夏は空が暗くなるのが遅い。
 慌てて凛は立ち上がった。
 あまりのんびりしていると怒られる。
 村で世話になっている凛は村はずれの廃屋で生活しているけれど、食事は村長に恵んでもらっている。
 遅くなると食いっぱぐれるので、それは阻止したい。
 凜は村に戻ろうと茂みの方へ戻っていくけれど、最後に振り向いた。
 そこには笑顔があって、ふんにゃりと力の抜けた顔をしている。

「あ、ありがとう、ございます」
『……は?』

 お礼だけ言うと急いで山の中へ入ってしまったので、凜の背後で毒気を抜かれた声がしたのは聞こえなかった。
 山の中をぱたぱたと駆けながら、凛は込み上がってくる笑みを抑えられなかった。
 優しい言葉とは言いづらいけれど、それでも凛には嬉しかった。
 凜とあんなふうに会話してくれる人なんて、この村にはいない。
 村に近づくにつれて駆けるスピードが遅くなっていくのを、足を叱咤して村長の家へと向かった。
 そっと外から声をかけると、村長の妻が大きな葉の上にのった木の実を手に出てくる。
 その顔は忌々し気だ。

「遅いんだよ。人様から飯を貰おうってのに何だいそのふてぶてしさは」
「……ご、ごめんなさい」
「まったく、あいかわらずイライラする子だね」

 ばしりと葉が凜の顔へと投げつけられた。
 木の実がばらばらと地面に散らばるのを、慌てて膝をつき拾い上げる。
 そんな凛を蔑むように村長の妻は見下ろした。

「ああ、嫌だ嫌だ。なんで村を捨てた女の子供なんか養わなきゃいけないんだか。ほら!さっさとあっち行きな」

 しっしと手ではらうしぐさをされたので、凛は慌てて落ちた木の実を葉でくるんで走り出した。
 そのままねぐらにしている廃屋に入ると、ほっと息をつく。
 この村では凛の安全なところなんて、ここくらいしかない。
 けれど、ここだって孫一や楓に押しかけられて酷い言葉を投げかけられたりする。
 だから、凜にとって本当に安全だと思えていたのは一人きりになれる祠の場所だった。

「神様、だよね?」

 おどおどした物言いは、一人のときは鳴りをひそめる。
 今日あった出来事を思い出しながら、手にある木の実を見下ろした。
 凜に分け与えられるのは、いつも木の実だけだ。
 村の人間のように米や魚、まして果実など口に入れたこともない。
 ときおり森でキノコなんかを見つけるけれど、一度お腹を壊してから怖くて食べられなくなった。
 まともな物が食べられなくても飢えるよりマシだ。
 けれど。

「これでも、お供えになるかしら」

 今日話かけてくれた声は、やっぱり凛は神様だと思う。
 もし違っても、凜はそう信じたい。
 それに、あの声のおかげで今日は泣くこともなく悲しい気持ちもすぐに消えた。
 そんなことははじめてだ。
 凜は空腹を我慢して、木の実を大事に抱えるとそのまま横になる。
 明日もいるだろうか、いるといいなと思いながらそっと目を閉じた。
 翌日。
 茂みのなかから、そっと祠を見つめてみた。
 祠のまわりには人も動物もいない。
 ドキドキしながら池のほとりを歩き、祠へ近づく。
 きょろきょろと見まわして何もいないことを再確認すると、凜はふところから布を取り出して祠をごしごしと拭いた。
 布が真っ黒になるまで拭いても古びているけれど、拭かないよりはマシだろう。
 自己満足だけれど、凛は何かしたかった。
 そして持ってきていた木の実の葉を開き、それを供える。
 それを見たとたん、ぐうとお腹が鳴ったけれど少しの動揺のあとで気をとりなおした。
 手をあわせようとしたときだ。

『そんなものは必要ない』
「か、かみさま!」

 昨日の声にぱあっと凛は喜色を浮かべた。
 はじめてだと自分でも思うくらいの笑顔が広がる。

『……』
「か、かみさま、昨日は、ありがとうございます」

 つっかえながらも身を乗り出すと、凜はやっぱりはじめて大きな声を出した。

「あの、これ」
『いらぬ』

 木の実をと言いかければ、ぴしゃりと言い切られてしまった。
 やっぱり木の実なんかじゃ、としょんぼりと顔を下に向けたけれど、祠の向こうから小さなため息が聞こえた。

『腹を鳴らしただろう。私は食べる必要が無い。お前が食べろ』
「た、食べなくても、へいき?」
『そうだ。さっさと食べろ』

 促してくる声に、凛はぎこちなく頷いた。
 そしてほんのりと嬉しさで目尻が色づく。
 やっぱり凛の考えに間違いはなかった。
 この声は悪いものなんかじゃない。
 きっと、とても優しい神様だ。
 祠の前に座ると、凛は木の実をのせた葉を自分の膝へと移動させた。
 そして小さな実を口に入れる。
 ぽりぽりと食べていると『おい』と声をかけられた。

『腹を鳴らしていたが、もしかして飯はそれだけか?』
「き、きのうの、ご飯」
『昨日? 昼はどうした』

 すでに午後をだいぶ過ぎている。
 村のなかも昼食なんてとっくに終わっているだろう。

「い、いっかいだけ」
『まさか食事は一日一度か?』
「うん」
『……人間は食わねば死ぬだろう』

 そのとおりだ。
 だから村人は最後の温情で凛に食べ物をくれる。
 それが一日一度、数個の木の実でも。
 ぽりぽりと木の実を食べ進めると、すぐに無くなってしまった。
 空腹なんて全然まぎれないけれど贅沢は言えない。

『……魚の食べ方はわかるか?』
「魚?」
『食べ方はわかるかと訊いている』
「わ、かる」

 何故そんなことを思いながら頷くと、後ろでばしゃんと音が鳴った。
 慌てて振り向くと、池のほとりにびちびちと魚が一匹転がっている。
 凜が目を丸くしていると、再びばしゃんと音がした。
 池の水が跳ねあがり、魚がそれに押し上げられるようにぼとりへと投げ出されて地面に落ちる。
 凛はありえない光景に目を瞠った。

『大人しくなったら持っていけ。ああ、隠していけよ』

 声の言葉に勢いよく祠へ振り向くけれど、やっぱり誰もいない。
 でも、と池のほとりを見れば魚が二匹びちびちと元気に跳ねている。

「す、ごい」

 ぱちぱちと何度も睫毛を上下させると、凛は祠へ深々と頭を下げた。

「あ、りがとう、ございます」
『貧相すぎて見苦しいからだ』

 やっぱり辛辣だ。
 でも、とても優しい。

「うれしい」
『……』

 笑ってそう言うと、何ともいえないような沈黙が返ってきた。
 それにまた笑ってしまう。

『貴様、何故そんな身なりをしている』

 声の質問に凛は自分の体を見下ろした。
 胸までの黒髪は痛んでいる。
 村の同年代の子たちはそんなことはないし、裕福な家の子など専用の油を使っているらしく艶々だ。
 着物もほつれて古ぼけた、丈の短いもので窮屈なもの。
 足もとなどボロボロの藁の草履で、履く意味があるのかわからないものだった。
 体もやせ細り、棒切れで肌もガサガサのみずぼらしいものだ。
 いまさら恥ずかしいなどと考えたりはしなかったけれど、この声の人物にそんなふうに見られたことが酷く恥ずかしく感じて凛は俯いてしまう。

「あ、あばずれの子って……」

 言いたくはなかったけれど、祠の声には嘘をついたりしたくなかった。

『あばずれ?』
「お、お母さん、村にきた商人と私をつくったって……でも、べつの商人と村を出ていっちゃったから」
『それであばずれか。母親と子供は別物だろうに、くだらぬ』
「べ、べつもの?」
『別物だろう。お前は母親と同じように男を追いかけるようなことをしているか?』
「し、してない!」

 慌てて凛は首を振った。
 祠の声にそんな風に思われたくない。

『だったら別物だろう』

 言われた瞬間、ぼろぼろと涙が溢れた。
 そんなことを言われたのははじめてだった。
 いつもあばずれの子と言われて、何もしていないのにいやらしい子と言われる。
 そして侮辱的な目で見下されるのだ。
 あとからあとから、あふれてくる涙を凜は両手で何度も拭う。

『おい』

 とまどったような居心地悪そうな声は責める響きはなくて、いつもの「泣かない泣かない」という言葉がまったく出てこない。
 結局、凛はわんわんと泣き続けて声にいい加減に戻れと言われるまで祠の前にいた。