弔想夜夢

 うちの家は2DKの賃貸マンションだ。
 母親が女手一つで俺を育ててくれており、少額だが俺もバイト代などで手助けをして二人で細々とやっている。
 裕福な唯我を招くのは憚られたが、彼は意外にも少し物珍しそうな顔をするだけだった。

「まあ座ってよ、大したものは出せないけど」

 ベッドを背に腰掛けさせ、キッチンに飲み物を取りに行く。適当なグラスに入れて戻ってくると、彼は小さくなってお行儀よく正座していた。
 飼い主の指示をちゃんと聞く忠犬のようで、笑いそうになる。

「もっと楽にしていいよ。母さんが帰ってくるのも遅いし」

 そう言いながら安物の麦茶を机の上に置き、彼の隣に腰掛ける。彼はそうか、と返事するとぎくしゃくとした動きであぐらをかいた。
 ギギギ……とでも鳴りそうな、固い動き。しばらく油をさされていないロボットのようだ。ついに我慢しきれなくて笑いが漏れる。

「なんでそんな緊張してるんだよ? どうした?」

 半笑いで言う俺の反応に、彼は少しムキになりながら答える。

「悪かったな、人の家にお邪魔するのは初めてなんだ。粗相したらいけないと思ってだな……」

 ゴニョゴニョと言い訳がましく口ごもる彼を見るのは初めてで、もっとツボに入ってしまう。

「そっか、悪い。馬鹿にするつもりはなかったんだ」

 そういうもののまだ笑いは収まらなくて肩が揺れる。
 そんな俺を彼は目を細めて見やり、ガンガンと肩をぶつけてきた。

「痛い、痛い痛い、ごめんって」

 まだ笑いは収まりそうになかったが、彼が本格的に拗ねてしまう前になんとか堪える。
 空気を入れ替えようと咳ばらいをひとつした。そして気持ちを落ち着けるために、深く息を吸う。
 これから話すのは俺にとって大事な話。やっぱり人に話すのは不安で勇気がいる。
 彼の方を見ると穏やかなまなざしがそこにはあった。
 彼の瞳はいつだって雄弁だ。雲に隠れていても太陽は熱を放つように、彼の瞳もまた静かに熱を宿している。
 けれど彼が強いのは生まれつきなんかじゃない。自分で自分を律することが出来るからではないだろうか。
 彼を見ているとなんだか勇気が出て、俺はとつとつと語り出す。

「俺と陽稀は幼馴染なんだ。幼稚園の頃から一緒だった。昔は今と違って仲が良かったんだ」

 幼少期のことを思い出すと今でも苦しくなる。
 俺が終わらせてしまったんだ、あの関係を。

「陽稀の家は昔から仲が悪かった。父親がちょっと問題のある人でさ。母さん同士は仲が良かったから、あいつはよく俺の家に来ててな」

 記憶にある陽稀の母親はいつも困った顔をしていた。申し訳なさそうに陽稀を迎えに来て。

「陽稀は俺の霊が見えるって話も、バカにしたりしなくて居心地が良かったんだ。信じてはなかったみたいだけど」

 だから俺は陽稀が好きだった。息子が一人増えたみたいだ、なんて母さんも。
 でも、そんな日は長く続かない。

「ある日陽稀の母親が家を出て行った。そして、そのまま帰ってこなかった。――――帰らぬ人に、なったんだ」

 死因までは知らない。俺の母さんは働き過ぎが原因なんじゃないか、なんて言ってたけど。

「けどな、亡くなった陽稀の母親は陽稀の傍に帰ってきたんだ。霊になって」

 彼女は変わらず申し訳なさそうな顔をしてた。
 陽稀……って。

「陽稀に伝えたけど、信じてくれなかった。あいつは母親に捨てられたと思ってたから」

 多分、もっと上手い伝え方があった。けど俺もガキだったから、上手くいかなくて。

「陽稀とはその件で喧嘩して、俺が嘘つきだっていじめが始まった。俺がさっさと母親の話は嘘だって言えば、すぐに終わってたと思う」

 でもできなかった。俺は幽霊たちが大好きで、大切だったから。
 霊が見えるって話、誰も信じてくれてなかったから彼らだけが理解者だったんだ。俺がいないものとして無視したら、彼らの居場所がなくなってしまう。

「俺は幽霊なんていないって言えなくて、どんどん孤立していった。しびれを切らした陽稀はとうとうあの廃屋に俺を呼び出したんだ」

 そこは幽霊が出るって子供たちの間でも有名な場所。
 なんとなく俺も怖くて行きたくなかった。けど、陽稀が呼んだから。

「陽稀はそこで幽霊がいることを証明して見せろ、って俺に言うんだ」

 あの日も暑い夏の日だった。
 今日と同じようにあの廃屋はずっとそこにあって、嫌な空気が流れてた。
 中に入ろうとする陽稀と止める俺。
 俺が陽稀を止め切れなくて、あいつが中に入った瞬間、上から大きな塊が落ちて来た。
 砂埃が舞って、陽稀を吞み込んでいく。
 俺は何もできなかった。
 瓦礫に埋まっていくあいつを見ていることしかできなかったんだ。

「そのままそこで陽稀は事故に遭ったんだ。近くの大人に助けを求めてなんとか一命は取り留めたけど、あいつの足はもう……」

 まともに歩くことはかなり努力しないと難しいだろうと、陽稀は医者に言われたらしい。

「大人たちは劣化が進んでた床板が、タイミング悪くあの時落ちてきたんだって。子供が助かる重さじゃないから、生きているのは奇跡だって喜んでた」

 でも、あの時俺は見てたんだ。廃屋に開いた穴の隙間から、化け物が笑っているのを。
 無数の手足や体、顔を寄り集めて、練り合わされたようなおぞましい何かがニタニタと。手ぐすね引いて俺たちを待ってたんだ。
 その時俺は知った。霊には良い奴も悪い奴もいるということを。

「まあそういうわけで、俺はあそこが苦手になったんだ。あいつはどうもあそこから動けないらしい。近づかなければ、大丈夫だから」

 曖昧に困ったように笑う俺を、彼は眉間にシワを寄せて沈痛な面持ちで見ている。
 俺より苦しそうな彼に、なんだか笑ってしまう。初対面の時を思えば、彼がこんな表情をするとは想像もできなかった。苦手意識があったことが嘘みたいに感じる。
 知れば知るほど彼は律儀で実直だ。たどたどしい俺の話を、じっと待って聞いてくれる。
 ある程度自分の中で整理がついている話で、もう平気だと思っていた。けどいざ話してみると、鼓動が早くなり手も震えている。
 唯我に伝わらないように握り締めて誤魔化そうとした時、彼が優しく手を取ってくれた。

「まだ思い出すんだな。それなのに俺のためについてきてくれてありがとう。あんたはやっぱり優しくてかっこいいよ」

 震える俺の手を優しく握り込む。彼のぬくもりがじんわり伝わってきて安堵する。
 こんなふうに手を取ってもらえたのが初めてで、なんだか泣きそうになった。
 陽だまりのような彼の言葉に、俺の強張った心が静かに溶けていく。
 涙をぐっとこらえて、なんとか続きを話す。

「陽稀の件を機に、うちの両親も仲違いをするようになった。陽稀の父親が俺たちを責め立てて嫌がらせをするようになったからだ」

 息子の足の怪我は俺のせいだとか。俺の母さんは子供一人まともに育てられないだとか。陽稀の父親は町内中にあることないこと言いふらして回った。

「二人の関係が悪化した頃、父の浮気が発覚した。俺が霊から教えてもらったことを、何も考えず母さんに伝えてしまったからだった」

 本当に何気ないことだった。
 霊が教えてくれた落とし物の口紅を、母さんに渡しただけ。たったそれだけで、俺の世界は壊れてしまった。

「それで両親は離婚して、俺はしばらくこの町を離れてた」

 そんな積み重ねのせいなのか、俺は自分の意見を言うのが怖い。
 俺は少しずつ、殻に閉じこもるようになった。人と話す時は、相手が欲しい言葉を伝えるだけ。そうすれば間違えることはないから。
 そうやって、いつしか俺は空っぽの人間になっていた。

「高校生になって、母親の都合でまたこっちに帰ってきた。その時、陽稀と再会したんだ。陽稀の足は高校生になっても、治っていなかった」

 当然だ。普通の歩行は難しいと言われていたんだから。
 再会した陽稀は前よりもっと生きづらそうだった。

「今にも泣き出しそうなあいつを見て、俺は見て見ぬふりができなかった。それで陽稀が満足するなら、ってこの状況に甘んじたんだよ。陽稀の母親のためにも」

 でもそれが間違いだったんだ。俺は自分の意見を言うのが怖くて、陽稀とのぶつかりを避けただけだった。
 陽稀のためとか善人ぶってな。

「この状況が良くないことも、なんとかしなくちゃいけないこともわかってたけど、行動できずにいた」

 人間ってのはそう簡単に変われない。
 どうにかできる自信がなくて、安定を選んでしまった。

「けどお姉さんの件で後悔したんだ。そう。普通は死んだらもう会えないんだ。だから今伝えないとって。陽稀にも。遅くなってしまったけど朱花さんにも」

 決意を新たにして、彼の目をまっすぐ見つめる。
 彼は表情を和らげて言った。

「じゃあなおさら、姉さんをちゃんと見つけないとな」

 気づけば明るい光が射す。
 ずっと暗闇を一人で歩いてると思ってた。どこに行けばいいのかも、ちゃんと歩けているのかも不安だったけど。
 太陽の形をした君は笑う。

「余計なことを言うのが怖いってあんたは言ったけど、ばあちゃんの死に目に会えたのはあんたのおかげだ。全部が悪かったと思わないでほしい。穂天はすごいよ」

 平坦な道じゃない。歩きづらい道だけど。
 その光があるなら大丈夫。

「俺は最初に幽霊を信じてないって言った。自分の目で見たものしか信じないからだ。だから適当なことは言えない。だけど俺はあんたを信じてる。だからあんたが見たものを俺は信じたい」

 裏表のない彼の言葉はゆっくり胸に広がっていく。

「ありがとう。唯我、君こそ俺のヒーローだよ」

 もしかしたらちょっと涙が出てしまっていたかもしれない。震える声で伝える。
 本当に君はすごい。俺のすべてを拾い上げてくれる。俺が隠して捨てたもの、全部大事だったって言ってくれる。
 そうだ。昔の俺はこういう人間に憧れてたんだ。
 公園で泣いていた女の子を思い出す。あの子を助けたくて頑張ったのが俺の始まりだった。
 ヒーローみたいってあの子が褒めてくれたから。
 それから霊でも、人間でも、みんなの大事なものを守れるヒーローになろうって。
 唯我の手を強く握り返してから、ゆっくりほどく。

「なぁ、俺、あの悪霊もいつか解放してあげたいんだ。出来るかな?」

「さぁ、わからないな。でも何か方法はあるかもしれない。あんたがそうしたいなら諦めずに考えよう。俺も手伝う」

 難しいことだろうに、彼がそう言ってくれるなら出来てしまいそうな気がする。
 彼は、俺の情熱そのものみたいだった。

「俺、かっこいい人になるよ。君のおかげで大事なことを思い出せた」

 心からの感謝を伝える。

「こちらこそ、話してくれてありがとう」

 唯我の優しい笑顔、俺はそれだけで十分だった。
 気づけばかなり話し込んでいたようで、日が沈み始めている。
 話し込んで喉がカラカラだったので、麦茶のお代わりを取りにキッチンに向かおうとした時、彼の腹が鳴った。
 かなり豪快な音で思わず笑ってしまった。
 腹の音なんて生理現象だから仕方ないと俺は思うのだが、育ちの良い彼はそうでもないらしかった。ごにょごにょと昼から何も食べてなくて、なんて言い訳している。
 昼からは普通だろうがと内心でツッコミしつつ、そういえば彼は燃費が悪いんだっけということを思い出した。

「よかったらなんか食べてくか? 適当なものでよければ作るけど」

 冷蔵庫に何かあったっけなんて、考えてから思い出す。
 通いの家政婦さんがいるという話だったから、もう晩御飯を用意して待ってるかもしれない。晩ごはんが食べられなくなると申し訳ない、先ほどの言葉を取り消そうと唯我の方を見ると彼の目は爛々と輝いていた。

「あんた、飯が作れるのか!?」

 彼の期待の籠った眼差しに気圧される。

「つ、作れるけど、ごめん、晩御飯のこと考えてなかった。食べられなくなったらまずいから、さっきのは取り消し――」

「食べられる!」

 彼は食い気味に被せてきた。よっぽどお腹が空いているらしい。

「で、でも」

「大丈夫だ。俺ならいける」

 目は口ほどにものを言う。
 キラキラとした目に、ついには根負けして軽い料理を一品作ってやることにした。
 冷蔵庫にあった豚肉、キャベツ、人参で回鍋肉もどきを作る。母親が家に居ないことも多かったので、自炊には慣れていた。
 俺が料理をしている間、唯我はずっと瞳を輝かせてこちらを見ている。彼の年下らしい姿に頬が緩む。
 俺はちょっと、簡単に流されすぎかもな。
 けれどなんだか弟ができたみたいでかわいいと思ってしまうのだ。弟とキスなんてしないけどな。
 自分で考えて墓穴を掘る。
 忘れようとしていたのに昼間のことを思い出してしまった。勢いに任せてフライパンを振り、余計な思考を追い払う。
 そうして出来上がった料理は、適当に作ったにしては悪くなかった。男の料理といった感じで、肉が多めになってしまったのが気になるけれど。
 皿に盛り付けて唯我の前に出す。待ちきれないという様子の割には、丁寧に手を合わせてから口をつけ始めた。
 たまに母親に作って一緒に食べたりするが、仕事で忙しい彼女と食べられる機会はあまりない。だからこういう、家族みたいなやりとりは胸を温かくしてくれる。

「美味しい。穂天、あんたすごいな。店でも開けるんじゃないか?」

 正直家の方がいいものが出るだろうと思うけれど、それでも素直に喜んで食べてもらえると嬉しい。
 目の前のお皿が空になるのは一瞬だった。
 彼は律儀に手を合わせて、ご馳走様と言う。それにお粗末様でした、と返し後片づけに取り掛かろうとしたが、彼は神妙な面持ちで声をかけてきた。

「――なぁ、俺あんたに姉さんの遺書を見せたか?」

 急な彼の質問に驚く。

「えっ? いや、見せてもらってないけど……なんで?」

「姉さんの遺書に、あんたがさっき言ってたのと同じような文があったことをふと思い出してな。ちょうどいい。何か参考になるかもしれないからあんたも見てくれないか」

 ガサゴソと彼は鞄の中からスマホを取り出し、写真の一ページを開いた。それは誰かが書いた手紙を写真に撮ったもののようで、冒頭に震えた文字で遺書と書いてある。
 朱花さんが最後に残したものだと思うと、緊張でスマホを取り落としそうになった。
 本当に見てもいいのだろうか、そう目で問いかけると彼は無言で肯定した。
 震える手でゆっくりと読み込んでいく。けれど、それは拍子抜けするほどすぐに読み終わってしまう。
 遺書というのはもっとこう支離滅裂なものだと思っていた。死を前にして書いているのに、推敲する余裕なんて無いと思っていたからだ。
 しかし、予想に反して彼女の遺書はまとまりのあるとても綺麗なもの。
 確かに遺書という文字と文末の『かっこいいお姉ちゃんになるよ』という一文は乱れているがそれだけで、とても死の直前の人間が書いたとは信じられない。

「遺書というより、手紙みたいだな」

 俺の言葉に彼は同意を示す。

「あぁ。震えた字があるだろう? そこだけ姉さんの手紙に誰かが書き足したと言われた方が納得するぐらいだ」

 彼の言うことももっともで、内容も二つの文面では心持ちが違うような気がした。

「これ誰かが書き足したのか?」

「いや、この乱雑な字も正真正銘姉さんの字だ。俺たちもそう判断してるし、筆跡鑑定も済んでる。この遺書は俺宛のもののようだから、両親も見せてくれたんだ」

 そうなってくるとなんだか少し変な遺書だ。

「ごめん。違和感のある遺書だなってことしかわかんないや」

 俺がそういうと彼は全く気にしてないという様子で返す。

「いや、大丈夫だ。一応共有しておいた方がいいかなと思っただけだから」

 スマホをカバンに片付けながら、彼はこちらを見る。

「重ねて見てるとかそういう意味じゃないから気を悪くしてほしくないんだが、やっぱりあんたと姉さんは少し似てる気がする。気質とか考え方が」

「うーん、でも本当に交流とか特になかったんだけどな」

 俺の答えに、それでも彼は何かが引っかかるという顔をしていたが、結局謎は解けなかった。
 洗い物は彼がしてくれるとのことだったのでお願いして、食器を拭いて棚に戻す。

「なぁ、あんたの幼なじみのハルキさん? あの人の足ってさ――」

 洗い物をしていた彼は、何か言いかけて言葉を濁す。

「陽稀がどうかした?」

 俺は片付けながら続きを促したが、彼はやっぱり今はやめておく、と答えてくれなかった。
 すべて片付け終えて彼を見送る。

「しかしまぁ、もう他に姉さんがいそうなところが思い浮かばないな。このあたりは一通り見てしまったぞ」

「確かにそうだな。あとは虱潰しに探すか、もう一度情報を振り返るか? 見落としが何かあるかもしれない」

 俺の答えに彼はそうだなと返す。ふたりの予定を確認すると、しばらくは捜索にあたれそうになかった。

「まあ体育祭もあるしな、それが終わってからにしよう」

 そう、体育祭は結局開催することに決まったのだ。
 生徒会長の自殺という事件があったので、学校側はぎりぎりまで悩んでいた。それでも生徒の要望や、唯我の父親の支援を受け開催する運びになったらしい。
 そうは言ってもいつもより縮小して、準備期間もほとんどないレクリエーションのようなものだったが。
 そういうものなので、いつもなら異例の平日にやるらしい。

「まずは情報の見直しからしよう。日にちはまた連絡する」

 そう約束をしてその日はお開きになった。