待ち合わせ場所の図書館には十分前に着いたのだが、弟くんはすでに待っていた。
「ごめん、待たせちゃったかな。ずいぶん早いね」
「俺のわがままに付き合ってもらってるんだ、待たせるような失礼なことはできない」
彼にそんな気遣いができるなんて、と俺は内心で失礼なことを考えた。
彼は本当に礼儀がしっかりしている。育ちが良いとはこういうことか。
「いつから待ってたの?」
「九時半くらいだ」
朝といえども夏の九時半はかなり暑い。照りつける日光に、蝉の声が加勢して本来の気温よりも高く感じる。
彼もさすがにバテているのか、口角が下がっていた。
この暑い中二十分も前から待ってたなんて、まるで忠犬だ。そう思うとなんだかおかしくて笑ってしまいそうになる。
熱中症にならないようにお茶をあげるが、笑いを堪えているのが顔に出ていたようで、彼は訝しげな目で見てきた。その姿さえ人慣れしていない犬が餌をもらうように見えて駄目だ。
俺は必死に誤魔化したが、彼はずっと不審げだった。
そうこうしている間に図書館が開く。
まずは朱花さんの本を返却して、彼女の居そうなコーナーや司書さんに話を聞いたりして回った。
館内全てを歩き回ったが、彼女の姿は見つけられなかった。
図書館にいるとはあまり期待していなかったので、早々に見切りをつけ新たな場所へ。
次は朱花さんがたまに行っていたというボドゲカフェだ。
カフェに着くと俺たちの前に二人組の女性客がいて、弟くんの顔を見るとそわそわし出した。
知っていたけれど、おモテになるようで。
二人は少し話し込んだ後、意を決したようにこちらに話しかけてくる。俺も普段なら舞い上がってしまうような場面だが、わかりやすすぎる態度になんの感情も湧かなかった。
「おふたりですか? よかったら相席しません? ほら、ボドゲって大人数の方ができるゲーム多いですし」
彼女たちの視線はほとんど唯我に向いていたが、提案自体はもっともだ。
それに俺たちの目的は店内を確認することと、店員さんに話を聞くことなので、彼女たちがいてもなんら支障はない。
お目当ては弟くんのようだし、と俺は彼に返答を任せることにした。
僻みをこめて彼を見ていたら、手首をグイッと掴まれる感覚とともに引きずり出される。
「すんません。この人とふたりで遊ぶために来てるんで」
いきなり矢面に立たされ、俺は目を白黒とさせる。彼女たちも急に出てきた人間に茫然としているようだ。
まさか断るとは思っておらず彼に耳打ちする。彼は褒められるのが好きそうなので喜ぶと思っていたのだ。
「俺に気を使ってるなら別に大丈夫だけど?」
俺のせいで彼の機会を奪うのは忍びない。そう思ったのだが、彼は少しバツが悪そうに前髪をいじった。
「違う。実はちょっと楽しみにしてたんだ。今日の外出。普通の友だちみたいだろ」
よく見ると彼の耳はうっすらと赤い。
どうも心待ちにしてくれていたらしいと知って思わず笑みがこぼれる。
そういうことならば仕方がない。俺の方からも女性たちに丁重にお断りすると、彼女たちは残念そうに店に入っていった。
正直ここまでずっと他人を気にしないような人間だと思っていたので、初めて見る年下らしさに親しみを感じる。
本来の目的を忘れるつもりはないが、素直に楽しませてやりたいと思った。
「せっかく来たし何かしようか。弟くんは何がしたい?」
二人用のボードゲームの棚の前に立ち、中身を確認しながら話しかける。
「その弟くんっての、唯我でいい。あんたの方が年上だし」
彼は目に付いたものを手に取り、俺に伺いを立ててきたので首を縦に振った。
「そっか、じゃあ俺も穂天でいいよ。けど君、本当は敬語使ったほうがいいぞ。だから陽稀とも揉めるんだ」
親しみやすさを感じていたせいでつい口が滑ってしまう。陽稀の話はあまり触れてほしくないのに、自分から振ってしまうなんて。
急に気まずくなって目を伏せる。
彼は何か言いたげな顔をしていたが、返事がこないことをわかっていたのか何も言わなかった。
席に着く前にドリンクバーのコーナーに寄る。
彼はこういったところが初めてらしく、妙に興奮していた。
「噂には聞いていたが、こんな感じなのか。ファミレスとやらにあるとは聞いていたが行ったことがなくてな」
生まれが違うので悪意がないことは百も承知なのだが、煽られているようにしか聞こえない。
「む? コップが一つしかないぞ、味が混ざるじゃないか。店員が取り換えに来てくれるのか?」
仕方がない、庶民として上流貴族様に教えてさしあげるか。そう思い、あたりを見回す彼の隣に並ぶ。
「店員が動いたらセルフの意味ないだろ。ほら、あそこに替えのコップがあるから、飲み終わったら交換するといいよ」
俺の教えになるほど、詳しいな! と、尊敬の眼差しを向けてくる。その目に俺はなんだか虚しくなった。もっと違うところで褒められたいものである。
唯我はテンションがあがって周りが見えていなかったらしく、後ろにいた女性客とぶつかった。
彼が持っていたコップが宙を舞う。
キャッという叫び声があがるより早く、俺は無我夢中で飛び出した。
女性客とコップの間に割り込み、オレンジ色の液体をなんとか受け止める。服にかかったそれを、どこか他人事のようにシミになるなと思った。
ぶつかってしまったことを謝罪するために、相手に声をかける。
「すみません俺のツレが。大丈夫ですか? 濡れてません?」
幸い、飲み物がかかった様子はない。
「ほらお前も」
そう言って少し唯我を小突くと、狼狽した様子で彼も謝った。
謝られた彼女は気を悪くした様子もなく、気にしないで、と言ってその場を離れて行く。優しい方で良かった。安堵して胸を撫で下ろす。
店員さんにタオルをもらい、濡れた服から水気を取っていると、唯我はしっぽを垂らした犬みたいな顔で見つめてきた。
「悪い。俺のせいであんたの服が」
しょげています。そう言わんばかりの顔に笑ってしまう。
彼は本当に感情が豊かだ。見ていて飽きない。
「いいよ、どうせ安物だし。それに俺で良かったじゃん。あの子みたいなかわいい服ダメにするよりかはさ」
本当に俺はそう思っているのだが、唯我は固まって言葉を失った。
「あんたも……そんな風に言うのか」
彼の言いたいことが理解できず、俺は聞き返す。
「あんたも、って?」
けれど彼はいや……と言ったきり、黙り込んでしまった。
まだ落ち込んでるのだろうか。ならば、と彼を元気づけるために思いついたことを提案する。
「じゃあここが終わったら、服買いに行こう。選んでくれる?」
そう言うと彼は急に明るくなり、俺に任せてくれと胸を張った。う〜ん、やっぱり大型犬だ。
水気も取り終わり、本格的にボードゲームで遊び始める。
俺たちは二人とも詳しいわけではないから、箱に記載された説明を見ながら進めた。
そのゲームは二人で協力し、誘拐された少女を助け出すというゲームだ。吸血鬼であるラスボスを倒し、少女がどこにいるかを探し当てるらしい。
内容を知らないまま取ったのだろうが、少し今の俺たちみたいだと思った。
「なあ、ちょっと俺たちみたいじゃないか?」
彼も同じことを考えていたらしい。
「この少年らが俺たちで、誘拐された少女が朱花さん? じゃあラスボスはどうするんだ?」
「警察とか? 後は、教師とか」
「ドラマの見すぎだろ。ガキかよ」
この短時間で彼を気安い存在に感じており、つい漏らしてしまう。
そんな俺の発言を彼は見逃してくれなかったらしい。へそを曲げて苦言を呈してきた。
「頭が良くて、運動もできて、顔もいい、この俺のどこがガキなんだ!」
顔がいい自覚もあるのね、あんま言わない方がいいぞ、と内心で呆れる。
「そういうところがガキなんじゃないか?」
俺の軽口にまた言ったな! と立ち上がって彼が怒るフリをする。俺はテンプレみたいな反応に声をあげて笑った。
なんだか、本当に友達みたいだ。
俺は今日の外出が楽しくなり始めていた。
ゲームをセットしていざ始めようとした時、彼は妙に実感のこもる声で呟く。
「後は親? それか自分自身かな」
どうやらそれは、先程の話の続きらしい。
店内は賑やかなジャズの音が流れていて、近くの卓の声は聞こえない。
良い機会だしこの際少し腹を割って話してみようか、そう思った。
「ねぇ、せっかくだし色々聞いていいかな? なにか役立つかもだし。朱花さん、親と仲悪かったの?」
俺の問いかけに彼は首肯し、カードを置いた。
こういった話をする時、片手間にせず向き合ってくれるところを好ましく思う。
「いや、表立ってそういうことは特に無かったよ。けどうちは結構男尊女卑の思考が強いって言うか、父親にみんな言いなりなんだ」
そう言って溜息とも、吐息ともつかない息を漏らす。
彼の様子から、そんな関係を苦々しく思っていることは見て取れた。
「だから、仲が良いとか以前に何も生まれない。俺はそう思っている」
傍から見れば羨ましいような皇家も、中に踏み込んでしまえば意外とドロドロとしているのかもしれない。
「その髪色とピアスも反抗の意志とかだったりするの?」
朱花さんに関係はないのかもしれないが、つい気になって聞いてみる。
少し逡巡した後、彼は自嘲気味に笑った。
「一番はかっこいいからだが、そういう意味もあるかもな。でもこれは父さんに、というより姉さんに、だ」
思いがけない言葉が出てきて少しびっくりする。彼は姉を慕っていると思っていたので意外だったのだ。
「どうして朱花さん?」
俺の問いかけに彼は昔話を始めてくれた。
「姉さんは昔からすごくかっこ良かった。芯があって、誰かのためなら自分が傷つくことも厭わず、どんな相手にも立ち向かえる」
彼は過去を懐かしむように視線を上げる。在りし日に想いを馳せる彼は少しだけ幼い。
「幼心に憧れたよ。日曜の朝にやってるヒーローよりかっこいいと思ってた」
それは彼を見ていればよくわかる。
みんな彼女のことを優しいとか、美人だとか形容するが、彼だけはずっと眩いものを見るような眼差しだった。
「俺が四年生ぐらいの頃だ。厳しい教育とか自由のない生活に嫌気がさした時、姉さんは内緒だよって俺を連れ出してくれた」
不自由だった彼にとって、自由で意志の強い姉は憧れになったんだろう。昔の姉を語る彼は凄く幸せそうだ。
「行き先は教えてくれなかったけど、とっておきの場所に連れていってくれると」
姉に手を引かれ、後を追いかける彼。
とても微笑ましい光景だというのに、話す彼の表情は曇りだした。
「でも、その道中で俺は事故に遭った。信号無視した車と接触しかけたんだ。捻挫程度で済むような大したことのないものだがな」
唯我はそう言うが、大事な一人息子の怪我をあの過保護だというお母さんが放置するとは思えない。
「家族は姉さんを責めた。どうして子供だけで出かけたんだって。今まで一度もそんなこと言わなかったのに」
やっぱり。案の定な結果に俺は胸を痛めた。
ルールを守らなかった大人のせいで彼女がひどく詰められるなんて。
「それからだ。姉さんがかっこよくなくなったのは。言われたことに一切反抗しない。何を言われてもだんまりになってしまった」
優しい朱花さんは唯我を傷つけてしまったことをひどく後悔したのかもしれない。そんな彼女が親に言い返せなくなるのは容易に想像できた。
「親の要求はどんどんエスカレートしていくのに、姉さんはいつだって言いなりだった」
唯我は言わなかったが、自分のせいだと感じていたんじゃないだろうか。姉が反抗できなくなってしまったこと、彼も苦しかったのだと思う。
「俺は納得がいかなくて親に反発するようになった。けれどそんなある日、姉さんが進路のことで揉めてるのを見たんだ」
思いがけない話に俺はつい口を挟んでしまう。
「進路? 朱花さんの学力ならどこでも問題なかっただろ?」
彼女は成績優秀で、先生からの評価も高かったと聞いている。
俺の疑問に彼は力なく笑いを漏らした。
「父さんは進学させる気がなかったんだよ。お前には良い場所をあてがってやるって。母さんもそうしておきなさい、って言いなりでな」
安物のグラスについた結露が一つ、流れ落ちて潰れた。
耳に入る軽快な曲と相反して、重苦しい空気を纏う彼は少し浮いている。
苦しそうに、それでも彼は続ける。
「姉さんもそれを受け入れようとしてたんだ。医者になりたいって言って、隠れてでも勉強してたのに」
隠れて、ということは反対されると彼女もわかっていたのか。それでも努力していたのに、その夢さえ叶えられないなんて。
「姉さんと喧嘩したのはそのことでなんだ。俺は我慢できなくてな。全部諦めてしまう姉さんに」
優遇される自分と、冷遇される姉。姉を愛しているからこそ、彼は悩んだのだろう。
途切れ途切れに言葉を紡ぐ彼はひどくつらそうで。
無理に話すことはない、いつもの俺ならそう言ってただろう。けれどひたむきに話す姿に、俺は最後まで話を聞きたいと思ってしまっていた。
「俺はつい言ってしまったんだ、昔の姉さんの方がかっこよかった。今の姉さんはかっこよくないって」
それで仲直りも、言い合いもできずに朱花さんは死んでしまったのか。
机の上で固く握りしめられた手が震えている。
彼の痛みが伝播して胸が張り裂けそうになった。
「俺は姉さんのことが大好きだった。尊敬してた。憧れてた。なのにひどいことを言ってしまった」
彼は懺悔するように顔を伏せる。
「姉さんが死んだのも俺のせいなんじゃないかって、考えてしまうんだ」
できるのなら否定してあげたい。けれど俺は何も言えない。
だって俺はまだ、朱花さんのことも、唯我のことも、何も知らないから。無責任な言葉で、彼を傷つけることはしたくなかった。
「だからもう一度会いたいんだ。謝りたい。また会えるなら、恨み言だってなんだって聞かせてほしい」
俺はずっと彼のことを不謹慎だと、チグハグだと思っていた。けれど本当は実感が持てなかっただけなのかもしれない。
彼はずっと映像の中の世界を見ていたのだ。ここではない、どこか別の世界を。
そして今も、その世界から帰れていないのかもしれない。
「見つけよう、絶対に」
もう二度と、そんな風に悲しみを背負わずに済むようにしてやりたいと思った。
俺にできることは必ずする。言外にそう告げて、彼を強く見つめる。
彼は泣き出しそうだった顔を少し緩めて、ありがとうと呟いた。初めて見る傲慢さのない、ありのままの笑顔だった気がする。
なんだか変になってしまった空気を散らすように大きな声を出す。
「続きやろっか!」
止まっていた時が、動き出したような気がした。
結局、最後までプレイしたが誘拐された少女は見つけ出せなかった。
帰り際、トイレから戻ると唯我が支払いを終えて待っていた。あまりのスマートさに悔しさを覚えつつ、俺も払うよと財布を出す。
けれど、姉さんと違って小遣いも多いから気にしないでくれ、と笑えないジョークを言われては何も言えない。
店を出て、そのまま本屋、楽器屋と朱花さんの生活を辿った。
大きなショッピングモールだったので、軽食を挟み、約束していた服屋にも寄る。
彼に、あんたは壊滅的に服のセンスがない、と言われ、高校生なら尻込みするような値段の服をプレゼントされてしまった。
それを着た俺を見て、似合ってると笑った彼はあどけない。
遊びに来たつもりではなかった。
それでも、彼との外出は意外と楽しくて、時間はあっという間に過ぎていく。
楽しいと思うたび、朱花さんのことを考えてしまった。
高校三年生という若さで亡くなった女の子は、幸せだったのだろうか。自由に生きることも許されず、早くに亡くなった彼女の人生とは一体何だったんだろう。
遠くから蝉の鳴き声が聞こえた気がした。その声は途中で弾けて消える。
少しずつ夏が終わりに近付いていた。
「なぁ、やっぱりやめない? ほら、店内なら外からも見えるし」
彼女の道筋をたどるなら、当然避けて通れないのがここだった。
いや、正直俺としては避けてもいいところだと思うんだけれど。
水色を中心としたパステルカラーで仕上げられた店の外観は、到底男二人で入るものではなかった。
朱花さんが友人と行く約束をしていたというだけであって、特に思い入れ深い場所ではないだろう。
俺はそう思うのだが、彼はそうではないらしかった。
「あんたさっき絶対に見つけようって言ってくれなかったか」
その話を出されてしまうと、俺は何も言い返せないんだが。
「だからってここはさぁ、なんか違うじゃん」
「なんかってなんだよ。こういうところに行かないから、話しかけるのがオッサンばかりになるんじゃないか。ここなら若い霊もいっぱい居るだろう?」
じゃあ聞くけど。お前が霊になった後も、パンケーキ屋に行きたいと思うのか?
なんて心の中で思ったが、ちょっとした手掛かりでも見落としたくないのだろう。彼の気持ちを思うとこれ以上ごねることも憚られ、しぶしぶ俺は店に入ることにした。
三時のおやつタイムは少し過ぎていたが、それでも店内は賑わっている。中は女性客の集団かカップルばかりで、男二人で来ている俺たちは明らかに浮いていた。
彼と歩いていると女性は基本的にキラキラした目で見てくるのだが、今回ばかりは奇妙な目で見られる。
元気ではきはきと明るい店員に案内され席に着くと、メニュー表を出しながらカップル割りもありますよ、なんて笑顔で告げられた。
俺たちがカップル割りを使うように見えるのだろうか、などと、どうも心が少し荒んでいるようで、詮無いことを考えてしまう。店員さんもどうせ仕事だから言っているに決まっているのに。
俺は一番オーソドックスなパンケーキを頼むことにした。
パンケーキが来るまでの間、適当な会話を振る。
「君のお姉さん、俺が幽霊見える事をどんな風に話したの?」
彼はもうすでに一品頼んだというのに、まだメニュー表を見ながら質問に答える。
「簡単な話だ。あんたがばあちゃんの危篤を教えてくれただろう。どうしてわかったんだって姉さんに聞いたら、教えてもらったって」
まあそりゃそうか、そう言うしかないもんな。
彼女の性格上あまり心配していなかったが、言いふらしたりしている訳ではなさそうで安心した。
「逆に聞きたいんだがあんたはどうやって分かったんだ? 三文字の制約があるだろう?」
あの時のことはもうかなり曖昧だがわかる範囲で答える。
「確か、彼女の周りをおじいさんの霊が飛んでたんだ。すごく悲しそうな顔をして、焦っている感じで。俺がその霊に話しかけると母さんって」
そう、ひどく必死な顔をしていたので放っておけず、おそらく親族かなとアテをつけて声をかけたのだ。
「その霊の見た目を伝えて、焦っている様子と母さんって言葉を伝えたんだ。それがおばあちゃんの話だって判断したのは彼女自身だよ」
正直俺は大したことをしてない。信じてもらえるかどうかはわからないけど、とりあえず伝えただけだった。
「そう思うと、朱花さんはどうしてあんなにすぐ俺の言葉を信じてくれたんだろう?」
あの時は伝えられたこと、彼女が信じて走り出してくれたこと、それだけで満足したから気にしていなかった。
「さぁな。けど、そういえば姉さんはこんなことも言ってたぞ。やっぱり彼は変わってなかったって。多分あんたのことだろう」
「俺、前に朱花さんに会ったことあったっけ?」
思わずこぼれた質問に彼は首を振る。
「俺が知るわけないだろう」
そう言いながら彼は店員さんを呼びつけ追加で注文をいくつかした。
「えっ、まだ食べるの?」
「あぁ、悪いか? 甘いものはいくらでも食べられる」
焦って財布の中を確認する。先ほどは彼に支払わせてしまったし、服まで頂いてしまったので今度は俺が出そうと思っていた。
年下に払わせてばかりではメンツが立たない、男子たるもの見栄を張りたい。そう思っていたのだが予想外に彼がかなり食べるので、冷や汗をかく。
育ち盛りをなめていた。
財布を確認するとバイト代が入ったばかりだったので、少し余裕があって胸を撫でおろす。
届いたスイーツを彼は呑むように食べた。胃もたれしそうな気分で眺めながら、今日の成果を確認する。
朱花さんは美人だったので覚えている人や幽霊も何人かいたが、大した情報はなく進展はなかった。
唯我は帰るまでに、追加で三皿とドリンクを二杯頼んでいた。結構燃費が悪いのかもしれない。
いい時間になってきたので、店を出ることにして伝票を持って席を立つ。
「結構食べてたけど晩ごはん食べられるの? 大丈夫?」
「無論。平気だ。自分の腹の具合ぐらいわかっている。それがわからず残す奴らは管理がなってないんじゃないか」
喋っていてわかったがこれは彼の悪癖だな。
自分ができることは、大抵の人間が出来て当たり前だと思っている。この差異が彼を孤立させるんだろう。
「君はちょっとあれだな、色々と厳しすぎるよ。もう少し肩の力抜きな」
先輩として軽くアドバイスをしてみたが、彼は不思議そうな顔をしていた。
うん、まぁ、上手く伝えられなかったなら仕方がない。これ以上言及する勇気はなくそのままレジに向かった。
財布を出そうとする彼を制して、俺が支払いをする。
先輩のメンツも立ててくれよ、そんなことを言うと彼は素直に引いてくれたのだ。
俺は意気揚々と支払おうとした。支払おうとしたのだけれど。
「お会計一万一千円です」
会計金額と財布の中を見比べる。足りる、が、高校生にとって安い出費ではない。
みるみる顔色が悪くなっていく俺を見て、彼は財布を出そうとする。
「やっぱり俺が――」
言葉の続きを遮って止めた。
「いい、いいんだ。いいんだけど、いっこお願い聞いてくれない?」
少しだけあざとく小首を傾げてみる。
俺の視線が捉えたのはカップル割りだった。
夕暮れの帰り道を二人で並んで歩く。今日の出来事を思い出すと俺はなんだか恥ずかしい気持ちになった。
「なんかごめん。俺の方が年上なのに、奢ってもらったり色々」
俺がそう言うと、彼は驚いた後笑い出した。
「なんだあんた、そんなこと気にしてるのか」
意外とでも言いたげな彼の表情にムッとする。
「悪かったな。スマートさに欠けるよ、俺は」
また子供っぽさが出てしまった。恥の上塗りだ。
「いや、そうじゃなくてあんたは……」
俺がもにょもにょとしていると、彼は何かを言いかけてやめる。
なんだよ、視線だけでそう問うと、彼は観念したように続けた。
「姉さんみたいだと思ったよ」
ひどく眩しそうな顔でそう言うものだから、俺は耐えきれず茶化す。
「出たよ、シスコン。それ褒めてる?」
「はぁ!? 姉さんに似てるは最高の褒め言葉だろうが。あんたはわからなくてもいい」
俺がふざけたせいで、彼はふて腐れてそっぽを向いてしまった。けれど、すぐにこちらに向き直り真剣な眼差しで言う。
「でも本当に、あんたはあまり自覚が無いみたいだが、すごく優しいよ。俺はあんたのそういうところが好きだ」
彼の言葉はあまりにも直球で明け透けだ。素直に褒められて俺は照れてしまう。その瞬間、カップル割りを使ったことを思い出してしまった。
いや、別に、そういう意図じゃないから。あれは金策のためであって、別に深い意味なんてないから。
変に意識しだした自分に半ば言い聞かせるようにしていると、ばちり、と彼と目が合う。彼はひどく楽しそうに口角を上げた。
なんだか無性に悔しくて、俺は走りだす。
「駅まで競争だ! どっちが早く着くか勝負しよう」
「はぁ!? あんたずるくないか! もう走ってるじゃないか! っつ~、おい! ほとんど顔は出してないが俺は陸上部だぞ、なめるなよ!」
そう言って彼も俺の遊びに乗ってきた。
「陸上部なの!? 聞いてないが!?」
「言ってないからな!」
彼はしたり顔で笑いながら悠々と俺を追い抜かして行く。
この暑い中馬鹿みたいに走って、汗だくのまま俺たちは帰路についた。
「ごめん、待たせちゃったかな。ずいぶん早いね」
「俺のわがままに付き合ってもらってるんだ、待たせるような失礼なことはできない」
彼にそんな気遣いができるなんて、と俺は内心で失礼なことを考えた。
彼は本当に礼儀がしっかりしている。育ちが良いとはこういうことか。
「いつから待ってたの?」
「九時半くらいだ」
朝といえども夏の九時半はかなり暑い。照りつける日光に、蝉の声が加勢して本来の気温よりも高く感じる。
彼もさすがにバテているのか、口角が下がっていた。
この暑い中二十分も前から待ってたなんて、まるで忠犬だ。そう思うとなんだかおかしくて笑ってしまいそうになる。
熱中症にならないようにお茶をあげるが、笑いを堪えているのが顔に出ていたようで、彼は訝しげな目で見てきた。その姿さえ人慣れしていない犬が餌をもらうように見えて駄目だ。
俺は必死に誤魔化したが、彼はずっと不審げだった。
そうこうしている間に図書館が開く。
まずは朱花さんの本を返却して、彼女の居そうなコーナーや司書さんに話を聞いたりして回った。
館内全てを歩き回ったが、彼女の姿は見つけられなかった。
図書館にいるとはあまり期待していなかったので、早々に見切りをつけ新たな場所へ。
次は朱花さんがたまに行っていたというボドゲカフェだ。
カフェに着くと俺たちの前に二人組の女性客がいて、弟くんの顔を見るとそわそわし出した。
知っていたけれど、おモテになるようで。
二人は少し話し込んだ後、意を決したようにこちらに話しかけてくる。俺も普段なら舞い上がってしまうような場面だが、わかりやすすぎる態度になんの感情も湧かなかった。
「おふたりですか? よかったら相席しません? ほら、ボドゲって大人数の方ができるゲーム多いですし」
彼女たちの視線はほとんど唯我に向いていたが、提案自体はもっともだ。
それに俺たちの目的は店内を確認することと、店員さんに話を聞くことなので、彼女たちがいてもなんら支障はない。
お目当ては弟くんのようだし、と俺は彼に返答を任せることにした。
僻みをこめて彼を見ていたら、手首をグイッと掴まれる感覚とともに引きずり出される。
「すんません。この人とふたりで遊ぶために来てるんで」
いきなり矢面に立たされ、俺は目を白黒とさせる。彼女たちも急に出てきた人間に茫然としているようだ。
まさか断るとは思っておらず彼に耳打ちする。彼は褒められるのが好きそうなので喜ぶと思っていたのだ。
「俺に気を使ってるなら別に大丈夫だけど?」
俺のせいで彼の機会を奪うのは忍びない。そう思ったのだが、彼は少しバツが悪そうに前髪をいじった。
「違う。実はちょっと楽しみにしてたんだ。今日の外出。普通の友だちみたいだろ」
よく見ると彼の耳はうっすらと赤い。
どうも心待ちにしてくれていたらしいと知って思わず笑みがこぼれる。
そういうことならば仕方がない。俺の方からも女性たちに丁重にお断りすると、彼女たちは残念そうに店に入っていった。
正直ここまでずっと他人を気にしないような人間だと思っていたので、初めて見る年下らしさに親しみを感じる。
本来の目的を忘れるつもりはないが、素直に楽しませてやりたいと思った。
「せっかく来たし何かしようか。弟くんは何がしたい?」
二人用のボードゲームの棚の前に立ち、中身を確認しながら話しかける。
「その弟くんっての、唯我でいい。あんたの方が年上だし」
彼は目に付いたものを手に取り、俺に伺いを立ててきたので首を縦に振った。
「そっか、じゃあ俺も穂天でいいよ。けど君、本当は敬語使ったほうがいいぞ。だから陽稀とも揉めるんだ」
親しみやすさを感じていたせいでつい口が滑ってしまう。陽稀の話はあまり触れてほしくないのに、自分から振ってしまうなんて。
急に気まずくなって目を伏せる。
彼は何か言いたげな顔をしていたが、返事がこないことをわかっていたのか何も言わなかった。
席に着く前にドリンクバーのコーナーに寄る。
彼はこういったところが初めてらしく、妙に興奮していた。
「噂には聞いていたが、こんな感じなのか。ファミレスとやらにあるとは聞いていたが行ったことがなくてな」
生まれが違うので悪意がないことは百も承知なのだが、煽られているようにしか聞こえない。
「む? コップが一つしかないぞ、味が混ざるじゃないか。店員が取り換えに来てくれるのか?」
仕方がない、庶民として上流貴族様に教えてさしあげるか。そう思い、あたりを見回す彼の隣に並ぶ。
「店員が動いたらセルフの意味ないだろ。ほら、あそこに替えのコップがあるから、飲み終わったら交換するといいよ」
俺の教えになるほど、詳しいな! と、尊敬の眼差しを向けてくる。その目に俺はなんだか虚しくなった。もっと違うところで褒められたいものである。
唯我はテンションがあがって周りが見えていなかったらしく、後ろにいた女性客とぶつかった。
彼が持っていたコップが宙を舞う。
キャッという叫び声があがるより早く、俺は無我夢中で飛び出した。
女性客とコップの間に割り込み、オレンジ色の液体をなんとか受け止める。服にかかったそれを、どこか他人事のようにシミになるなと思った。
ぶつかってしまったことを謝罪するために、相手に声をかける。
「すみません俺のツレが。大丈夫ですか? 濡れてません?」
幸い、飲み物がかかった様子はない。
「ほらお前も」
そう言って少し唯我を小突くと、狼狽した様子で彼も謝った。
謝られた彼女は気を悪くした様子もなく、気にしないで、と言ってその場を離れて行く。優しい方で良かった。安堵して胸を撫で下ろす。
店員さんにタオルをもらい、濡れた服から水気を取っていると、唯我はしっぽを垂らした犬みたいな顔で見つめてきた。
「悪い。俺のせいであんたの服が」
しょげています。そう言わんばかりの顔に笑ってしまう。
彼は本当に感情が豊かだ。見ていて飽きない。
「いいよ、どうせ安物だし。それに俺で良かったじゃん。あの子みたいなかわいい服ダメにするよりかはさ」
本当に俺はそう思っているのだが、唯我は固まって言葉を失った。
「あんたも……そんな風に言うのか」
彼の言いたいことが理解できず、俺は聞き返す。
「あんたも、って?」
けれど彼はいや……と言ったきり、黙り込んでしまった。
まだ落ち込んでるのだろうか。ならば、と彼を元気づけるために思いついたことを提案する。
「じゃあここが終わったら、服買いに行こう。選んでくれる?」
そう言うと彼は急に明るくなり、俺に任せてくれと胸を張った。う〜ん、やっぱり大型犬だ。
水気も取り終わり、本格的にボードゲームで遊び始める。
俺たちは二人とも詳しいわけではないから、箱に記載された説明を見ながら進めた。
そのゲームは二人で協力し、誘拐された少女を助け出すというゲームだ。吸血鬼であるラスボスを倒し、少女がどこにいるかを探し当てるらしい。
内容を知らないまま取ったのだろうが、少し今の俺たちみたいだと思った。
「なあ、ちょっと俺たちみたいじゃないか?」
彼も同じことを考えていたらしい。
「この少年らが俺たちで、誘拐された少女が朱花さん? じゃあラスボスはどうするんだ?」
「警察とか? 後は、教師とか」
「ドラマの見すぎだろ。ガキかよ」
この短時間で彼を気安い存在に感じており、つい漏らしてしまう。
そんな俺の発言を彼は見逃してくれなかったらしい。へそを曲げて苦言を呈してきた。
「頭が良くて、運動もできて、顔もいい、この俺のどこがガキなんだ!」
顔がいい自覚もあるのね、あんま言わない方がいいぞ、と内心で呆れる。
「そういうところがガキなんじゃないか?」
俺の軽口にまた言ったな! と立ち上がって彼が怒るフリをする。俺はテンプレみたいな反応に声をあげて笑った。
なんだか、本当に友達みたいだ。
俺は今日の外出が楽しくなり始めていた。
ゲームをセットしていざ始めようとした時、彼は妙に実感のこもる声で呟く。
「後は親? それか自分自身かな」
どうやらそれは、先程の話の続きらしい。
店内は賑やかなジャズの音が流れていて、近くの卓の声は聞こえない。
良い機会だしこの際少し腹を割って話してみようか、そう思った。
「ねぇ、せっかくだし色々聞いていいかな? なにか役立つかもだし。朱花さん、親と仲悪かったの?」
俺の問いかけに彼は首肯し、カードを置いた。
こういった話をする時、片手間にせず向き合ってくれるところを好ましく思う。
「いや、表立ってそういうことは特に無かったよ。けどうちは結構男尊女卑の思考が強いって言うか、父親にみんな言いなりなんだ」
そう言って溜息とも、吐息ともつかない息を漏らす。
彼の様子から、そんな関係を苦々しく思っていることは見て取れた。
「だから、仲が良いとか以前に何も生まれない。俺はそう思っている」
傍から見れば羨ましいような皇家も、中に踏み込んでしまえば意外とドロドロとしているのかもしれない。
「その髪色とピアスも反抗の意志とかだったりするの?」
朱花さんに関係はないのかもしれないが、つい気になって聞いてみる。
少し逡巡した後、彼は自嘲気味に笑った。
「一番はかっこいいからだが、そういう意味もあるかもな。でもこれは父さんに、というより姉さんに、だ」
思いがけない言葉が出てきて少しびっくりする。彼は姉を慕っていると思っていたので意外だったのだ。
「どうして朱花さん?」
俺の問いかけに彼は昔話を始めてくれた。
「姉さんは昔からすごくかっこ良かった。芯があって、誰かのためなら自分が傷つくことも厭わず、どんな相手にも立ち向かえる」
彼は過去を懐かしむように視線を上げる。在りし日に想いを馳せる彼は少しだけ幼い。
「幼心に憧れたよ。日曜の朝にやってるヒーローよりかっこいいと思ってた」
それは彼を見ていればよくわかる。
みんな彼女のことを優しいとか、美人だとか形容するが、彼だけはずっと眩いものを見るような眼差しだった。
「俺が四年生ぐらいの頃だ。厳しい教育とか自由のない生活に嫌気がさした時、姉さんは内緒だよって俺を連れ出してくれた」
不自由だった彼にとって、自由で意志の強い姉は憧れになったんだろう。昔の姉を語る彼は凄く幸せそうだ。
「行き先は教えてくれなかったけど、とっておきの場所に連れていってくれると」
姉に手を引かれ、後を追いかける彼。
とても微笑ましい光景だというのに、話す彼の表情は曇りだした。
「でも、その道中で俺は事故に遭った。信号無視した車と接触しかけたんだ。捻挫程度で済むような大したことのないものだがな」
唯我はそう言うが、大事な一人息子の怪我をあの過保護だというお母さんが放置するとは思えない。
「家族は姉さんを責めた。どうして子供だけで出かけたんだって。今まで一度もそんなこと言わなかったのに」
やっぱり。案の定な結果に俺は胸を痛めた。
ルールを守らなかった大人のせいで彼女がひどく詰められるなんて。
「それからだ。姉さんがかっこよくなくなったのは。言われたことに一切反抗しない。何を言われてもだんまりになってしまった」
優しい朱花さんは唯我を傷つけてしまったことをひどく後悔したのかもしれない。そんな彼女が親に言い返せなくなるのは容易に想像できた。
「親の要求はどんどんエスカレートしていくのに、姉さんはいつだって言いなりだった」
唯我は言わなかったが、自分のせいだと感じていたんじゃないだろうか。姉が反抗できなくなってしまったこと、彼も苦しかったのだと思う。
「俺は納得がいかなくて親に反発するようになった。けれどそんなある日、姉さんが進路のことで揉めてるのを見たんだ」
思いがけない話に俺はつい口を挟んでしまう。
「進路? 朱花さんの学力ならどこでも問題なかっただろ?」
彼女は成績優秀で、先生からの評価も高かったと聞いている。
俺の疑問に彼は力なく笑いを漏らした。
「父さんは進学させる気がなかったんだよ。お前には良い場所をあてがってやるって。母さんもそうしておきなさい、って言いなりでな」
安物のグラスについた結露が一つ、流れ落ちて潰れた。
耳に入る軽快な曲と相反して、重苦しい空気を纏う彼は少し浮いている。
苦しそうに、それでも彼は続ける。
「姉さんもそれを受け入れようとしてたんだ。医者になりたいって言って、隠れてでも勉強してたのに」
隠れて、ということは反対されると彼女もわかっていたのか。それでも努力していたのに、その夢さえ叶えられないなんて。
「姉さんと喧嘩したのはそのことでなんだ。俺は我慢できなくてな。全部諦めてしまう姉さんに」
優遇される自分と、冷遇される姉。姉を愛しているからこそ、彼は悩んだのだろう。
途切れ途切れに言葉を紡ぐ彼はひどくつらそうで。
無理に話すことはない、いつもの俺ならそう言ってただろう。けれどひたむきに話す姿に、俺は最後まで話を聞きたいと思ってしまっていた。
「俺はつい言ってしまったんだ、昔の姉さんの方がかっこよかった。今の姉さんはかっこよくないって」
それで仲直りも、言い合いもできずに朱花さんは死んでしまったのか。
机の上で固く握りしめられた手が震えている。
彼の痛みが伝播して胸が張り裂けそうになった。
「俺は姉さんのことが大好きだった。尊敬してた。憧れてた。なのにひどいことを言ってしまった」
彼は懺悔するように顔を伏せる。
「姉さんが死んだのも俺のせいなんじゃないかって、考えてしまうんだ」
できるのなら否定してあげたい。けれど俺は何も言えない。
だって俺はまだ、朱花さんのことも、唯我のことも、何も知らないから。無責任な言葉で、彼を傷つけることはしたくなかった。
「だからもう一度会いたいんだ。謝りたい。また会えるなら、恨み言だってなんだって聞かせてほしい」
俺はずっと彼のことを不謹慎だと、チグハグだと思っていた。けれど本当は実感が持てなかっただけなのかもしれない。
彼はずっと映像の中の世界を見ていたのだ。ここではない、どこか別の世界を。
そして今も、その世界から帰れていないのかもしれない。
「見つけよう、絶対に」
もう二度と、そんな風に悲しみを背負わずに済むようにしてやりたいと思った。
俺にできることは必ずする。言外にそう告げて、彼を強く見つめる。
彼は泣き出しそうだった顔を少し緩めて、ありがとうと呟いた。初めて見る傲慢さのない、ありのままの笑顔だった気がする。
なんだか変になってしまった空気を散らすように大きな声を出す。
「続きやろっか!」
止まっていた時が、動き出したような気がした。
結局、最後までプレイしたが誘拐された少女は見つけ出せなかった。
帰り際、トイレから戻ると唯我が支払いを終えて待っていた。あまりのスマートさに悔しさを覚えつつ、俺も払うよと財布を出す。
けれど、姉さんと違って小遣いも多いから気にしないでくれ、と笑えないジョークを言われては何も言えない。
店を出て、そのまま本屋、楽器屋と朱花さんの生活を辿った。
大きなショッピングモールだったので、軽食を挟み、約束していた服屋にも寄る。
彼に、あんたは壊滅的に服のセンスがない、と言われ、高校生なら尻込みするような値段の服をプレゼントされてしまった。
それを着た俺を見て、似合ってると笑った彼はあどけない。
遊びに来たつもりではなかった。
それでも、彼との外出は意外と楽しくて、時間はあっという間に過ぎていく。
楽しいと思うたび、朱花さんのことを考えてしまった。
高校三年生という若さで亡くなった女の子は、幸せだったのだろうか。自由に生きることも許されず、早くに亡くなった彼女の人生とは一体何だったんだろう。
遠くから蝉の鳴き声が聞こえた気がした。その声は途中で弾けて消える。
少しずつ夏が終わりに近付いていた。
「なぁ、やっぱりやめない? ほら、店内なら外からも見えるし」
彼女の道筋をたどるなら、当然避けて通れないのがここだった。
いや、正直俺としては避けてもいいところだと思うんだけれど。
水色を中心としたパステルカラーで仕上げられた店の外観は、到底男二人で入るものではなかった。
朱花さんが友人と行く約束をしていたというだけであって、特に思い入れ深い場所ではないだろう。
俺はそう思うのだが、彼はそうではないらしかった。
「あんたさっき絶対に見つけようって言ってくれなかったか」
その話を出されてしまうと、俺は何も言い返せないんだが。
「だからってここはさぁ、なんか違うじゃん」
「なんかってなんだよ。こういうところに行かないから、話しかけるのがオッサンばかりになるんじゃないか。ここなら若い霊もいっぱい居るだろう?」
じゃあ聞くけど。お前が霊になった後も、パンケーキ屋に行きたいと思うのか?
なんて心の中で思ったが、ちょっとした手掛かりでも見落としたくないのだろう。彼の気持ちを思うとこれ以上ごねることも憚られ、しぶしぶ俺は店に入ることにした。
三時のおやつタイムは少し過ぎていたが、それでも店内は賑わっている。中は女性客の集団かカップルばかりで、男二人で来ている俺たちは明らかに浮いていた。
彼と歩いていると女性は基本的にキラキラした目で見てくるのだが、今回ばかりは奇妙な目で見られる。
元気ではきはきと明るい店員に案内され席に着くと、メニュー表を出しながらカップル割りもありますよ、なんて笑顔で告げられた。
俺たちがカップル割りを使うように見えるのだろうか、などと、どうも心が少し荒んでいるようで、詮無いことを考えてしまう。店員さんもどうせ仕事だから言っているに決まっているのに。
俺は一番オーソドックスなパンケーキを頼むことにした。
パンケーキが来るまでの間、適当な会話を振る。
「君のお姉さん、俺が幽霊見える事をどんな風に話したの?」
彼はもうすでに一品頼んだというのに、まだメニュー表を見ながら質問に答える。
「簡単な話だ。あんたがばあちゃんの危篤を教えてくれただろう。どうしてわかったんだって姉さんに聞いたら、教えてもらったって」
まあそりゃそうか、そう言うしかないもんな。
彼女の性格上あまり心配していなかったが、言いふらしたりしている訳ではなさそうで安心した。
「逆に聞きたいんだがあんたはどうやって分かったんだ? 三文字の制約があるだろう?」
あの時のことはもうかなり曖昧だがわかる範囲で答える。
「確か、彼女の周りをおじいさんの霊が飛んでたんだ。すごく悲しそうな顔をして、焦っている感じで。俺がその霊に話しかけると母さんって」
そう、ひどく必死な顔をしていたので放っておけず、おそらく親族かなとアテをつけて声をかけたのだ。
「その霊の見た目を伝えて、焦っている様子と母さんって言葉を伝えたんだ。それがおばあちゃんの話だって判断したのは彼女自身だよ」
正直俺は大したことをしてない。信じてもらえるかどうかはわからないけど、とりあえず伝えただけだった。
「そう思うと、朱花さんはどうしてあんなにすぐ俺の言葉を信じてくれたんだろう?」
あの時は伝えられたこと、彼女が信じて走り出してくれたこと、それだけで満足したから気にしていなかった。
「さぁな。けど、そういえば姉さんはこんなことも言ってたぞ。やっぱり彼は変わってなかったって。多分あんたのことだろう」
「俺、前に朱花さんに会ったことあったっけ?」
思わずこぼれた質問に彼は首を振る。
「俺が知るわけないだろう」
そう言いながら彼は店員さんを呼びつけ追加で注文をいくつかした。
「えっ、まだ食べるの?」
「あぁ、悪いか? 甘いものはいくらでも食べられる」
焦って財布の中を確認する。先ほどは彼に支払わせてしまったし、服まで頂いてしまったので今度は俺が出そうと思っていた。
年下に払わせてばかりではメンツが立たない、男子たるもの見栄を張りたい。そう思っていたのだが予想外に彼がかなり食べるので、冷や汗をかく。
育ち盛りをなめていた。
財布を確認するとバイト代が入ったばかりだったので、少し余裕があって胸を撫でおろす。
届いたスイーツを彼は呑むように食べた。胃もたれしそうな気分で眺めながら、今日の成果を確認する。
朱花さんは美人だったので覚えている人や幽霊も何人かいたが、大した情報はなく進展はなかった。
唯我は帰るまでに、追加で三皿とドリンクを二杯頼んでいた。結構燃費が悪いのかもしれない。
いい時間になってきたので、店を出ることにして伝票を持って席を立つ。
「結構食べてたけど晩ごはん食べられるの? 大丈夫?」
「無論。平気だ。自分の腹の具合ぐらいわかっている。それがわからず残す奴らは管理がなってないんじゃないか」
喋っていてわかったがこれは彼の悪癖だな。
自分ができることは、大抵の人間が出来て当たり前だと思っている。この差異が彼を孤立させるんだろう。
「君はちょっとあれだな、色々と厳しすぎるよ。もう少し肩の力抜きな」
先輩として軽くアドバイスをしてみたが、彼は不思議そうな顔をしていた。
うん、まぁ、上手く伝えられなかったなら仕方がない。これ以上言及する勇気はなくそのままレジに向かった。
財布を出そうとする彼を制して、俺が支払いをする。
先輩のメンツも立ててくれよ、そんなことを言うと彼は素直に引いてくれたのだ。
俺は意気揚々と支払おうとした。支払おうとしたのだけれど。
「お会計一万一千円です」
会計金額と財布の中を見比べる。足りる、が、高校生にとって安い出費ではない。
みるみる顔色が悪くなっていく俺を見て、彼は財布を出そうとする。
「やっぱり俺が――」
言葉の続きを遮って止めた。
「いい、いいんだ。いいんだけど、いっこお願い聞いてくれない?」
少しだけあざとく小首を傾げてみる。
俺の視線が捉えたのはカップル割りだった。
夕暮れの帰り道を二人で並んで歩く。今日の出来事を思い出すと俺はなんだか恥ずかしい気持ちになった。
「なんかごめん。俺の方が年上なのに、奢ってもらったり色々」
俺がそう言うと、彼は驚いた後笑い出した。
「なんだあんた、そんなこと気にしてるのか」
意外とでも言いたげな彼の表情にムッとする。
「悪かったな。スマートさに欠けるよ、俺は」
また子供っぽさが出てしまった。恥の上塗りだ。
「いや、そうじゃなくてあんたは……」
俺がもにょもにょとしていると、彼は何かを言いかけてやめる。
なんだよ、視線だけでそう問うと、彼は観念したように続けた。
「姉さんみたいだと思ったよ」
ひどく眩しそうな顔でそう言うものだから、俺は耐えきれず茶化す。
「出たよ、シスコン。それ褒めてる?」
「はぁ!? 姉さんに似てるは最高の褒め言葉だろうが。あんたはわからなくてもいい」
俺がふざけたせいで、彼はふて腐れてそっぽを向いてしまった。けれど、すぐにこちらに向き直り真剣な眼差しで言う。
「でも本当に、あんたはあまり自覚が無いみたいだが、すごく優しいよ。俺はあんたのそういうところが好きだ」
彼の言葉はあまりにも直球で明け透けだ。素直に褒められて俺は照れてしまう。その瞬間、カップル割りを使ったことを思い出してしまった。
いや、別に、そういう意図じゃないから。あれは金策のためであって、別に深い意味なんてないから。
変に意識しだした自分に半ば言い聞かせるようにしていると、ばちり、と彼と目が合う。彼はひどく楽しそうに口角を上げた。
なんだか無性に悔しくて、俺は走りだす。
「駅まで競争だ! どっちが早く着くか勝負しよう」
「はぁ!? あんたずるくないか! もう走ってるじゃないか! っつ~、おい! ほとんど顔は出してないが俺は陸上部だぞ、なめるなよ!」
そう言って彼も俺の遊びに乗ってきた。
「陸上部なの!? 聞いてないが!?」
「言ってないからな!」
彼はしたり顔で笑いながら悠々と俺を追い抜かして行く。
この暑い中馬鹿みたいに走って、汗だくのまま俺たちは帰路についた。
