短い晴れ舞台さえ生きられなかった蝉は、何を想って死んでいくのだろうか。
長い長い地中の生活から、やっと外に出てきたというのに。
うだるような暑さが続く日だった。いやに、蝉の鳴き声が耳についていた気がする。
暦上では残暑と言っても差し支えないそうだが、肌を焼く陽光にそんな気配は微塵もない。じりじりと照りつける太陽が俺の気力も体力も削いでいく。
学校の改修だとかで、大半の生徒は半日で帰ったのに、なんでか俺は先生に付き合わされていた。
「いや〜、助かったよ沢村くん! 腰をやってしまったのに誰も通らなくて終わりかと思ってた。キミがいてくれて良かったよ」
先生は人好きのする笑みを見せながら背中をポンポンと叩いてくる。
「疲れただろ、暑い中すまないねぇ。そうだ、これあげるよ。たいしたものじゃないけど」
ポケットをガサゴソとあさり、渡されたのは包装紙に包まれたチョコレート。
長時間掃除を手伝って、四階まである階段を何往復かさせられたお駄賃がチョコ一粒とは。
しかも先生の尻ポケットに入ってたものだ。溶けてぐちゃぐちゃになってるだろうことは想像に難くなく、正直あまり欲しくはない。
案の定受け取った包みはドロッと柔らかく、感触だけでも食欲を失う。
けれど気が抜けるような柔和な笑みに、そんなこと到底言えるはずもなく不満の言葉はしまいこんだ。
先生、いい人だから悪気はないんだよな。
「あざます」
困ってるのを見過ごせなくて声をかけたのは俺だったし、別に帰宅部だから予定もなかったもんな。とか、言い訳を呟きながら社会科準備室を後にする。
廊下に出るとむわっとした風が顔にぶつかった。
暑さを少しばかりでも軽減しようと窓が開けられているが、吹く風だってぬるいもので空気は停滞して濁っている。まだ気持ちだけ扇風機がついている準備室の方がよっぽどましだった。
額の汗をシャツで拭っていると、頭上に影が差した。
反射的に顔をあげると、揺れる赤いリボンが落ちてくる。
真っ白な肌、弧を描く口元。それは雲ひとつない綺麗な青空によく映えていた。
汗が一滴、空に向かって弾けて消える。
俺は彼女から目が逸らせない。
けれどその体は抵抗する間もなく地面に吸い込まれていった。
一瞬だったような気がする。
ともすれば、ひどく長い時間だったような気も。
耳に甲高い悲鳴と嫌な鈍い音が届く。その音で停止していた脳がゆっくりと動き出した。
体が酸素を求めて新鮮な空気を吸い込む。その風は、窓の下から鉄の香りを連れてきた。
彼女の安否を確かめなくては。まずは救急車? それとも先生? 半ばパニックになりながら、急いで窓に取り付き、階下を見下ろす。
その時俺は何故か、蝉は上を向いてしか死ねないということを思い出した。
立っていられず、バランスを崩して床に手をつく。
「うっ……、うぉぉえっ」
びちゃびちゃと、中身の伴わない胃液を吐き出した。
鼻をつく酸の臭気と、ほのかな鉄の香りが混ざって胸を刺す。
頭がガンガンと痛み、目の前の光景が受け入れられない。
鼓動が今更速くなる。胃がひっくり返りそうな感覚に目を瞑った。
閉じた暗闇の中で思う。彼女は一度でも空を飛べたのだろうか。
世界が回る。
この世に残るのは抜け殻だけだった。
九月。学園のアイドルが死んだ。
長い長い地中の生活から、やっと外に出てきたというのに。
うだるような暑さが続く日だった。いやに、蝉の鳴き声が耳についていた気がする。
暦上では残暑と言っても差し支えないそうだが、肌を焼く陽光にそんな気配は微塵もない。じりじりと照りつける太陽が俺の気力も体力も削いでいく。
学校の改修だとかで、大半の生徒は半日で帰ったのに、なんでか俺は先生に付き合わされていた。
「いや〜、助かったよ沢村くん! 腰をやってしまったのに誰も通らなくて終わりかと思ってた。キミがいてくれて良かったよ」
先生は人好きのする笑みを見せながら背中をポンポンと叩いてくる。
「疲れただろ、暑い中すまないねぇ。そうだ、これあげるよ。たいしたものじゃないけど」
ポケットをガサゴソとあさり、渡されたのは包装紙に包まれたチョコレート。
長時間掃除を手伝って、四階まである階段を何往復かさせられたお駄賃がチョコ一粒とは。
しかも先生の尻ポケットに入ってたものだ。溶けてぐちゃぐちゃになってるだろうことは想像に難くなく、正直あまり欲しくはない。
案の定受け取った包みはドロッと柔らかく、感触だけでも食欲を失う。
けれど気が抜けるような柔和な笑みに、そんなこと到底言えるはずもなく不満の言葉はしまいこんだ。
先生、いい人だから悪気はないんだよな。
「あざます」
困ってるのを見過ごせなくて声をかけたのは俺だったし、別に帰宅部だから予定もなかったもんな。とか、言い訳を呟きながら社会科準備室を後にする。
廊下に出るとむわっとした風が顔にぶつかった。
暑さを少しばかりでも軽減しようと窓が開けられているが、吹く風だってぬるいもので空気は停滞して濁っている。まだ気持ちだけ扇風機がついている準備室の方がよっぽどましだった。
額の汗をシャツで拭っていると、頭上に影が差した。
反射的に顔をあげると、揺れる赤いリボンが落ちてくる。
真っ白な肌、弧を描く口元。それは雲ひとつない綺麗な青空によく映えていた。
汗が一滴、空に向かって弾けて消える。
俺は彼女から目が逸らせない。
けれどその体は抵抗する間もなく地面に吸い込まれていった。
一瞬だったような気がする。
ともすれば、ひどく長い時間だったような気も。
耳に甲高い悲鳴と嫌な鈍い音が届く。その音で停止していた脳がゆっくりと動き出した。
体が酸素を求めて新鮮な空気を吸い込む。その風は、窓の下から鉄の香りを連れてきた。
彼女の安否を確かめなくては。まずは救急車? それとも先生? 半ばパニックになりながら、急いで窓に取り付き、階下を見下ろす。
その時俺は何故か、蝉は上を向いてしか死ねないということを思い出した。
立っていられず、バランスを崩して床に手をつく。
「うっ……、うぉぉえっ」
びちゃびちゃと、中身の伴わない胃液を吐き出した。
鼻をつく酸の臭気と、ほのかな鉄の香りが混ざって胸を刺す。
頭がガンガンと痛み、目の前の光景が受け入れられない。
鼓動が今更速くなる。胃がひっくり返りそうな感覚に目を瞑った。
閉じた暗闇の中で思う。彼女は一度でも空を飛べたのだろうか。
世界が回る。
この世に残るのは抜け殻だけだった。
九月。学園のアイドルが死んだ。
