いつもの部室。
だけど今日は、廊下のほうがやけに騒がしい。
完成した文芸部通信が、図書室前の掲示板に貼ってあるからだ。
そこに人が何人も集まるなんて、奇跡レベルのできごとだ。
「日南先輩効果、すごいですね」
高森が小声で言った。
「……」
聞こえてくるのは、女子の声ばかり。
「日南くんの書いたやつ、これ?」
「字かわいい」
「本を楽しく読んであげたいです、だって」
「推せる!」
笑い声が響いてきて、落ち着かない。
ちょっとした自己紹介だけでこんなに人が集まるなら、日南がもっとちゃんとしたものを書いたらどうなるんだろう。
あっという間に人気者になって、文芸部どころじゃなくなるんじゃないだろうか。
そんなことを考えて、勝手に胸の奥がざわついた。
オレは、なんとなく日南のほうを見る。日南は廊下の声なんて聞こえていないみたいに、オレが勢いだけで書き上げた『文字師』を読んでいた。
いったい、人の恥ずかしい小説を何回読むんだ。もう、数えるのもやめた。
最初はからかわれているのかと思ったけど、本当に日南にとっては面白いらしい。
日南は最後のページまで読むと、顔を上げて言った。
「やっぱり、これ俺だ」
「まだ言う?」
「読むたびに俺にしか見えない」
いいかげんしつこい。でも、言われるたびに、ちょっとだけ嬉しくて、顔が緩んでしまうのが悔しい。
「ここ。勝手に助手の日記を読んで怒られてるのとか、完全に俺だし」
助手、という言葉に思わずドキッとする。
「それは、日記読まれたらだれだって怒るだろ」
助手のモデルは、オレだ。文字師のことを尊敬しているキャラで、文字師が適当に扱った文字を、横でせっせとノートに整理している。
うん。オレだ。
まだ尊敬なだけましだ。恋してるキャラだったら、部室にいられない。そう思った瞬間、高森がこっちを見た。
鋭い。もうなにもかもバレている。
「ねえ、日南」
「ん?」
「オレの小説、面白いんだよね?」
「すごく面白い」
あんまりあっさり言うから、本当に面白いと思ってるのが伝わってきて、少しだけ自信みたいなものがわいてくる。
「じゃあさ、オレの文字は、どんな感じ? ほら、前に言ってた踊ってるとか、寝てるとか、そういうやつ」
日南は「うーん」と考えながら、原稿に目を落とした。
「のんびりしてる」
「……のんびり?」
「でも、わちゃわちゃしてる」
「どっち」
「どっちも。喜世そのまま」
のんびりしているのに、わちゃわちゃしている文字がオレそのままってどういうことだよ。
いや。言われてみれば、自分だ。
「読んでて楽しい」
「……そっか」
それは、よかった。
欲しかった答えとは違ったけど、日南が楽しいと思ってくれるなら、それでいい。
「でも――」
日南が、ページの端を指で押さえてオレを見つめた。
「実は俺、喜世の文字よりも、助手のほうが気になったんだよね」
「助手?」
思わず声が高くなる。できれば、助手のことはそっとしておいてほしかった。
だから触れなかったのに、日南が思ったよりまっすぐそこを見てくる。
「助手、ずっと文字師の隣にいるじゃん」
「まあ……助手だから、ね?」
「でも、ただ手伝うためだけにいるわけじゃないよな」
「……」
日南は顔を上げて、まっすぐオレを見た。目が、ちょっと本気だった。
「助手が、何を考えてるのか、もっと知りたい」
「……」
静まり返った空気の中、高森がパソコンを閉じる音がパタンと響いた。助かった。これ以上助手の話をされたら、たぶんいろいろと耐えられなくなって、部室から逃げ出す。
「私は、そろそろ帰りますね」
「え、帰るの?」
思わず引き止めたくなった。でも、高森はもうカバンを肩にかけていて完全に帰る雰囲気だった。
「はい。文芸部通信の反応も見られましたし」
高森はじっとオレを見て言った。
「先輩」
「はい?」
「助手の気持ちは、ちゃんと書いたほうがいいですよ」
「……」
「私……日南先輩……読者は、そこがいちばん読みたいんです」
そう言って、高森は椅子から立ち上がった。
「では、お疲れさまです」
「お、お疲れ」
「……お疲れさま」
ドアが閉まると、部室は急に静かになった。残ったのは、日南と、オレと、机の上に置かれた『文字師』。
日南はぼんやりと窓の外を見ている。
オレは、助手のことを考えた。助手は、文字師の世話をするために一緒に旅をしている。
文字師が適当に扱った文字を集めたり、地図が好きなくせに方向音痴な文字師の代わりに道を確認したり。
すごい能力を持っているくせに、いろいろ抜けている文字師の隣で、せっせと雑用をする。
ただそれだけの役のはずだった。
なのに、日南のせいで、急に人格を持ちはじめてしまった。
「昨日の答えなんだけどさ」
日南が、小説を手に取ってつぶやいた。
昨日の答え。
また今度、とはぐらかされたやつのことだろうか。
「俺、やっぱり助手が気になるんだよね」
「助手……」
助手はわき役だ。
文字師がひとりじゃかわいそうだと思って置いた、それだけのキャラ。
「助手ってさ、なにを考えてるんだろうね」
日南が言った。
助手がなにを考えているかなんて、考えたこともなかった。考えないようにしていた、のほうが近いかもしれない。
なのに、口が勝手に答えた。
「……助手は文字師にあこがれてて、一緒に旅するのが楽しくて」
「うん」
「文字師が適当に置いていった文字を集めるのも、嫌じゃなくて」
「うん」
「だから……文字師がいないと困るんだよ」
助手の話のはずだ。なのに、やけに胸が苦しい。
「隣にいたいって、思ってるから」
日南は、少しだけ目を細めた。
「それって、あれだよな?」
「あれ?」
「恋……とか」
そんなこと、書いてない。
でも、そうなのかも。
恋。
あこがれとか、尊敬とか、一緒にいると楽しいとか。
そういう言葉でごまかして、肝心なところは空白のまま考えないようにしていたけど。
それはつまり……。
「好きなんでしょ? 文字師が」
日南が、まっすぐオレを見る。
逃げ道をふさがれたみたいに、言葉が出なくなる。
「……そう、かな」
声が小さくなった。
「そうだよ」
日南が、嬉しそうに笑う。
「なんでわかるんだよ。書いてないのに」
「喜世の文字、服着てないからさ。ぜんぶ見えるの」
なるほど。
そういえばそうだった。オレの文字は服を着てないんだった。
「さっき、高森さんがいたから言わなかったんだけど」
日南が、少し笑ってこっちを見る。
「喜世の文字、ずっと文字師のことが大好きだって言っててさ」
「……ついに文字がしゃべるようになった?」
「喜世の文字って、声が大きいんだよな。本人はぼそぼそしゃべるのに」
「なんだ、それ……そんなの、なにも隠せないってことじゃん」
「うん。だから読めた」
オレは膝の上で、ノートの端をぎゅっと握った。
やっぱり、文字師……日南は、すごい能力を持っている。
いろいろ普通じゃなくて、オレの気持ちまで勝手に見抜いて、ずるい。
このまま黙っているのはなんとなく悔しい気がして、いちばん気になっていたことを聞いてみた。
「日南さ……本、好きになった?」
「なったよ。喜世のおかげ」
それは、めちゃくちゃ嬉しいやつだ。
思わず顔を見ると、日南はいつもよりやわらかい表情でオレを見ていた。
日南は、オレの膝の上にあるノートをそっと開いた。
見覚えのあるページだった。
最初に、日南に見られたページ。
角ばったオレの字で、そこにまだ残っている。
『日南永久(好き)』
ちょっとしたミスだったそれが、本当になってる。
日南はその横に、シャーペンを走らせた。
少し丸くて、見た目と合っていない字。
『俺も喜世が好き』
日南はノートの端を指で押さえたまま、オレの表情を確認するみたいにこっちを見た。
少し前の、何を考えているかわからない顔じゃなかった。
ちょっと変で、文字師で、王子みたいな、カッコいい日南。
「それって……」
「両想いってこと」
その瞬間、オレの頭の中でウロウロしていた文字たちが、一斉に止まった。
ぽかんと口を開けて、日南を見ている。
文字たちが頼りになりそうになかったから、オレは自分で言わなきゃと思った。
「オレも、日南が好き」
「知ってる」
「両想い?」
「そうだよ」
日南が笑って、腕を伸ばしてくる。
「喜世、初めての小説、おめでとう」
気づいたら、抱きしめられていた。
シャツ越しに感じる体温と、少し速い心臓の音。
オレは日南の肩に頬をつけたまま、ノートを見た。
今日はもう、なにも書けそうにない。でも、明日になったら、少しだけ続きを書くかもしれない。
文字師と助手が、旅を続ける話を。
(終)
だけど今日は、廊下のほうがやけに騒がしい。
完成した文芸部通信が、図書室前の掲示板に貼ってあるからだ。
そこに人が何人も集まるなんて、奇跡レベルのできごとだ。
「日南先輩効果、すごいですね」
高森が小声で言った。
「……」
聞こえてくるのは、女子の声ばかり。
「日南くんの書いたやつ、これ?」
「字かわいい」
「本を楽しく読んであげたいです、だって」
「推せる!」
笑い声が響いてきて、落ち着かない。
ちょっとした自己紹介だけでこんなに人が集まるなら、日南がもっとちゃんとしたものを書いたらどうなるんだろう。
あっという間に人気者になって、文芸部どころじゃなくなるんじゃないだろうか。
そんなことを考えて、勝手に胸の奥がざわついた。
オレは、なんとなく日南のほうを見る。日南は廊下の声なんて聞こえていないみたいに、オレが勢いだけで書き上げた『文字師』を読んでいた。
いったい、人の恥ずかしい小説を何回読むんだ。もう、数えるのもやめた。
最初はからかわれているのかと思ったけど、本当に日南にとっては面白いらしい。
日南は最後のページまで読むと、顔を上げて言った。
「やっぱり、これ俺だ」
「まだ言う?」
「読むたびに俺にしか見えない」
いいかげんしつこい。でも、言われるたびに、ちょっとだけ嬉しくて、顔が緩んでしまうのが悔しい。
「ここ。勝手に助手の日記を読んで怒られてるのとか、完全に俺だし」
助手、という言葉に思わずドキッとする。
「それは、日記読まれたらだれだって怒るだろ」
助手のモデルは、オレだ。文字師のことを尊敬しているキャラで、文字師が適当に扱った文字を、横でせっせとノートに整理している。
うん。オレだ。
まだ尊敬なだけましだ。恋してるキャラだったら、部室にいられない。そう思った瞬間、高森がこっちを見た。
鋭い。もうなにもかもバレている。
「ねえ、日南」
「ん?」
「オレの小説、面白いんだよね?」
「すごく面白い」
あんまりあっさり言うから、本当に面白いと思ってるのが伝わってきて、少しだけ自信みたいなものがわいてくる。
「じゃあさ、オレの文字は、どんな感じ? ほら、前に言ってた踊ってるとか、寝てるとか、そういうやつ」
日南は「うーん」と考えながら、原稿に目を落とした。
「のんびりしてる」
「……のんびり?」
「でも、わちゃわちゃしてる」
「どっち」
「どっちも。喜世そのまま」
のんびりしているのに、わちゃわちゃしている文字がオレそのままってどういうことだよ。
いや。言われてみれば、自分だ。
「読んでて楽しい」
「……そっか」
それは、よかった。
欲しかった答えとは違ったけど、日南が楽しいと思ってくれるなら、それでいい。
「でも――」
日南が、ページの端を指で押さえてオレを見つめた。
「実は俺、喜世の文字よりも、助手のほうが気になったんだよね」
「助手?」
思わず声が高くなる。できれば、助手のことはそっとしておいてほしかった。
だから触れなかったのに、日南が思ったよりまっすぐそこを見てくる。
「助手、ずっと文字師の隣にいるじゃん」
「まあ……助手だから、ね?」
「でも、ただ手伝うためだけにいるわけじゃないよな」
「……」
日南は顔を上げて、まっすぐオレを見た。目が、ちょっと本気だった。
「助手が、何を考えてるのか、もっと知りたい」
「……」
静まり返った空気の中、高森がパソコンを閉じる音がパタンと響いた。助かった。これ以上助手の話をされたら、たぶんいろいろと耐えられなくなって、部室から逃げ出す。
「私は、そろそろ帰りますね」
「え、帰るの?」
思わず引き止めたくなった。でも、高森はもうカバンを肩にかけていて完全に帰る雰囲気だった。
「はい。文芸部通信の反応も見られましたし」
高森はじっとオレを見て言った。
「先輩」
「はい?」
「助手の気持ちは、ちゃんと書いたほうがいいですよ」
「……」
「私……日南先輩……読者は、そこがいちばん読みたいんです」
そう言って、高森は椅子から立ち上がった。
「では、お疲れさまです」
「お、お疲れ」
「……お疲れさま」
ドアが閉まると、部室は急に静かになった。残ったのは、日南と、オレと、机の上に置かれた『文字師』。
日南はぼんやりと窓の外を見ている。
オレは、助手のことを考えた。助手は、文字師の世話をするために一緒に旅をしている。
文字師が適当に扱った文字を集めたり、地図が好きなくせに方向音痴な文字師の代わりに道を確認したり。
すごい能力を持っているくせに、いろいろ抜けている文字師の隣で、せっせと雑用をする。
ただそれだけの役のはずだった。
なのに、日南のせいで、急に人格を持ちはじめてしまった。
「昨日の答えなんだけどさ」
日南が、小説を手に取ってつぶやいた。
昨日の答え。
また今度、とはぐらかされたやつのことだろうか。
「俺、やっぱり助手が気になるんだよね」
「助手……」
助手はわき役だ。
文字師がひとりじゃかわいそうだと思って置いた、それだけのキャラ。
「助手ってさ、なにを考えてるんだろうね」
日南が言った。
助手がなにを考えているかなんて、考えたこともなかった。考えないようにしていた、のほうが近いかもしれない。
なのに、口が勝手に答えた。
「……助手は文字師にあこがれてて、一緒に旅するのが楽しくて」
「うん」
「文字師が適当に置いていった文字を集めるのも、嫌じゃなくて」
「うん」
「だから……文字師がいないと困るんだよ」
助手の話のはずだ。なのに、やけに胸が苦しい。
「隣にいたいって、思ってるから」
日南は、少しだけ目を細めた。
「それって、あれだよな?」
「あれ?」
「恋……とか」
そんなこと、書いてない。
でも、そうなのかも。
恋。
あこがれとか、尊敬とか、一緒にいると楽しいとか。
そういう言葉でごまかして、肝心なところは空白のまま考えないようにしていたけど。
それはつまり……。
「好きなんでしょ? 文字師が」
日南が、まっすぐオレを見る。
逃げ道をふさがれたみたいに、言葉が出なくなる。
「……そう、かな」
声が小さくなった。
「そうだよ」
日南が、嬉しそうに笑う。
「なんでわかるんだよ。書いてないのに」
「喜世の文字、服着てないからさ。ぜんぶ見えるの」
なるほど。
そういえばそうだった。オレの文字は服を着てないんだった。
「さっき、高森さんがいたから言わなかったんだけど」
日南が、少し笑ってこっちを見る。
「喜世の文字、ずっと文字師のことが大好きだって言っててさ」
「……ついに文字がしゃべるようになった?」
「喜世の文字って、声が大きいんだよな。本人はぼそぼそしゃべるのに」
「なんだ、それ……そんなの、なにも隠せないってことじゃん」
「うん。だから読めた」
オレは膝の上で、ノートの端をぎゅっと握った。
やっぱり、文字師……日南は、すごい能力を持っている。
いろいろ普通じゃなくて、オレの気持ちまで勝手に見抜いて、ずるい。
このまま黙っているのはなんとなく悔しい気がして、いちばん気になっていたことを聞いてみた。
「日南さ……本、好きになった?」
「なったよ。喜世のおかげ」
それは、めちゃくちゃ嬉しいやつだ。
思わず顔を見ると、日南はいつもよりやわらかい表情でオレを見ていた。
日南は、オレの膝の上にあるノートをそっと開いた。
見覚えのあるページだった。
最初に、日南に見られたページ。
角ばったオレの字で、そこにまだ残っている。
『日南永久(好き)』
ちょっとしたミスだったそれが、本当になってる。
日南はその横に、シャーペンを走らせた。
少し丸くて、見た目と合っていない字。
『俺も喜世が好き』
日南はノートの端を指で押さえたまま、オレの表情を確認するみたいにこっちを見た。
少し前の、何を考えているかわからない顔じゃなかった。
ちょっと変で、文字師で、王子みたいな、カッコいい日南。
「それって……」
「両想いってこと」
その瞬間、オレの頭の中でウロウロしていた文字たちが、一斉に止まった。
ぽかんと口を開けて、日南を見ている。
文字たちが頼りになりそうになかったから、オレは自分で言わなきゃと思った。
「オレも、日南が好き」
「知ってる」
「両想い?」
「そうだよ」
日南が笑って、腕を伸ばしてくる。
「喜世、初めての小説、おめでとう」
気づいたら、抱きしめられていた。
シャツ越しに感じる体温と、少し速い心臓の音。
オレは日南の肩に頬をつけたまま、ノートを見た。
今日はもう、なにも書けそうにない。でも、明日になったら、少しだけ続きを書くかもしれない。
文字師と助手が、旅を続ける話を。
(終)


