ノートに(好き)って書いたら顔のいい変人に執着されました

 自習の時間。
 オレはノートを開いて、ぼんやり考えていた。
 なにを書こう。今、いちばん書けそうなのは、日南のことだ。だけど、それをそのまま書いたら、本人に悪い気がする。
 ふと窓際を見ると、日南はいつもの席で、静かに本を読んでいた。
 装丁からして、たぶん小説だ。しかも、ちょっと難しそうなやつ。
 小説を読んでいるということは、日南は本をおもしろいと思えるようになったのだろうか。
 それとも、いつものように手近にあったものをただ読んでいるだけなのだろうか。ページをめくる指は、いつもどおり迷いがない。
 そのまま日南のことを書くのは、たぶん違う。でも、日南に読んでもらいたい。
 そうだ。
 日南を書くんじゃなくて、日南がおもしろいと思えるような話を書こう。それなら、書けるかもしれない。
 オレはシャーペンを手に取った。下手でもいいから、一気に書いてみよう。
 そう思ったのに、ついノートの端にメモを書きそうになる。
 違う。
 今度こそメモじゃなくて、小説を書くんだ。
 書きかけた線を消しゴムで消す。
 顔を上げると、日南はまだ本を読んでいた。
 さっきとは少しだけ体勢が変わっていて、左手で頬杖をついている。
 本を読む姿はやっぱり涼しげで、物語の主人公みたいだ。
 日南を主人公にするなら、やっぱり王子だろうか。いや、王子を書くってことは、姫も書くってことだ。
 姫ってだれだよ……やめよう。
 日南が読んで、少しでも共感できる主人公がいい。
 でも、それってどんな主人公だろう。
 文字が好きな人間?
 いや、そもそも日南は文字が好きなのかな。目が勝手に読むって言ってたし、それで嫌な思いをしたこともあるみたいだし、好きとは限らない。
 オレはシャーペンを持ったまま、もう一度窓際を見た。
 日南は、いつもだいたいひとりだ。誰かと話をしているときもあるけど、つるんだりはしない。
 寂しそうには見えない。でも、そう見えないだけかもしれない。本当は、だれかと一緒にいたいのかな。
 オレはもう一度、白いページに向き直った。
 まず、一行目を書いた。

『文字に呪われた男がいた』

 書いてみると、思ったより暗い。男がひとりで文字に呪われているだけだと、どこかホラーっぽい。
 日南は、ホラー好きかな。今度聞いてみよう。
 いや、それより。誰かが隣にいたほうがいい。
 ひとりで呪われているより、そのほうがまだましだ。
 オレは少し迷ってから、男に助手をつけることにした。

 それから数日かけて、どうにか短い物語を書いた。
 教室でも、部室でも、ふと視線を上げると日南がいた。だいたいなにかを読んでいるけど、たまに目が合う。
 でも、話しかけてはこない。遠慮しているのかもしれない。
 たまに、机の端にお菓子や飲み物が置かれていることもあった。差し入れだろうか。
 ありがとうと言うと、日南は少しだけ口角を上げる。そのたびに、ノートの話をしたくて困った。
 なんだこの感情。
 自分でもよくわからないまま、口が勝手に動いた。

「ノート、見てもいいよ?」

 変な言い方になってしまった。これじゃあ見てほしいみたいだ。

「今はいいかな」

 断られた。

「なんで」

「喜世が書いてるところ、見てるから」

「またそれ? おもしろいの?」

「うん。かなり」

 おもしろいのか。
 ちょっと居心地は悪いけど、嫌じゃない。むしろ、応援されているような気がした。
 オレは視線をノートに落として、物語の世界に戻った。

「喜世、帰ろ」

「え」

 顔を上げると、窓の外はもう夕方だった。
 その日の部室はいつも以上に薄暗くて、高森の姿もなかった。夢中になって書いているうちに、いつのまにか帰ったらしい。
 なんだか、日南の声を久しぶりに聞いた気がする。

「もうそんな時間?」

「うん」

 日南は、オレのノートをちらっと見て言った。

「もう一か月ぐらい、そのノートに触ってない気がする」

「まだ三日だけど」

「三か月に感じた」

 日南が真顔で言うから、思わず笑ってしまった。

「もうすぐ書き終わるから」

「わかった。待ってる」

 誰かに待たれている小説。そんなものを、自分が書く日が来るとは思わなかった。
 下駄箱を出て、少し歩いたところで、オレは口を開いた。

「そういえばさ。オレのメモ、面白いって最初に言ったじゃん。あれ、どういう意味だったの?」

「ああ、なんていうか」

 日南は自転車のカギを外しながら、少し考えた。

「喜世の文字って、隠してないから」

「隠してない?」

「うん。かっこつけようとしてるのも、迷ってるのも、嬉しいのも、そのまま出てる」

「え。それマジで? 本当なら恥ずかしすぎる」

「そこが、おもしろいのに」

 日南がなんて思おうと、恥ずかしいものは恥ずかしい。考えてることが丸見えってことじゃないか。

「あとさ。喜世の文字って、なんか楽なんだよね」

「楽?」

 見上げると、日南は、ちょっと意地悪そうに笑った。
 たまに現れる、強引な王子のほうだ。オレは思わず身構えた。

「最初から服を着てないから、脱がさなくていい……みたいな」

 そういってオレをじっと見てくる。

「え、服……脱がす?」

 なに言ってるの。
 冗談?
 わからなすぎて、思わず足が止まる。
 日南は少し笑って、先に歩き出した。

「本当の気持ちを隠してないっていうか……」

 それは、喜んでいいやつなのだろうか。
 たぶん、隠してないんじゃなくて、隠せてないんだと思う。

「だから、好きになったんだと思う」

 さらっと言われて、返事に詰まった。
 メモの話だ。わかってる。
 わかってるけど、心臓にはかなり悪い。
 日南の背中を見ながら、思った。
 とりあえず服くらい着ろよ、オレの文字。



 自室で、最後の句点を書いた瞬間、手が止まった。
 終わった。
 たぶん、書けた。
 カーテンの隙間が、少しだけ明るい。いつのまにか、夜が終わろうとしている。
 オレはしばらくノートを見下ろしていた。
 文字を操る文字師と、その隣にいる助手の話。
 ちゃんと小説になっているのかは、わからない。というか、タイトルからして微妙だ。
 『文字師』ってなんだ。
 でも、書いた。
 日南に読んでもらうために書いた、オレの初めての小説。
 主人公の文字師は、やたらと顔がよくて、なんでも読めて、事あるごとに距離を詰めてくる。
 ……誰だよ。
 書いている途中で何回も消したくなった。でも、消さなかった。消したら、いつまでたっても日南に読んでもらえない気がした。
 あと数時間で、日南に会える。
 そう思った瞬間、体がむずむずして落ち着かなくなった。
 小説を読んでもらうだけだ。それだけのはずなのに、今すぐ日南のところへ走っていきたい。
 いや、さすがにそれはおかしい。まだ4時だ。



 そして、その日の放課後。ついにノートを、日南に差し出した。
 日南は珍しく、すぐには受け取らなかった。
 ノートとオレの顔を交互に見て、それから、両手でそっと持った。

「読んでいいの?」

「もちろん」

 日南のために書いた。それは黙っておく。
 日南はページをめくった。
 いつもみたいにスルスルと読み進めるんじゃなくて、一行ずつ、確かめるように読んでいる。
 その横顔を見ていたら、急に落ち着かなくなった。
 ちゃんと書けているだろうか。
 文字師のモデルが日南だってばれないだろうか。
 日南は最後まで読んで、しばらく黙っていた。
 それから、机に突っ伏して笑い出した。

「な、なに笑ってんだよ」

「いや、文字師って……俺じゃん!」

「は? 違っ……」

 そんな、一瞬でわかるくらいあからさまだった?
 自分では、ちょっと似てるかなくらいの感覚だったから、めちゃくちゃ動揺する。

「どう見ても日南先輩ですね」

 高森がページをめくりながら言う。

「違うって。文字師はもっと年上だし!」

 だから、なんなんだ。我ながら、言い訳が弱すぎる。

「でも、いいと思いますよ。私は好きです」

「俺も好き」

 さらっとふたりに言われて、返事に詰まった。
 小説の話だ。
 わかってるのに、ほかのなにかまでバレている気がして、落ち着かない。
 でも、もう読まれた。いまさら引っ込めるわけにもいかない。
 ふたりとも好きだと言った。
 だったらもう、どうにでもなれだ。

「内容は、どうだった?」

 半分やけになって聞くと、日南はまだ笑いをこらえたまま言った。

「すごくいい」

「どういいの?」

「それは、また今度言う」

「なんで。今言っていいから」

「ごめん。また今度」

 日南はもう一度、オレの原稿に目を落とした。
 どことなく、嬉しそうだ。
 その顔を見ていたら、書いてよかったと思った。
 それから三人で、文芸部通信のことを決めた。
 オレの小説は、載せないことにした。
 でも、ノートの端には小さく書いておいた。

『一作目。完成!』

 その下に、日南が勝手に一行足した。

『俺は好き』

「あ、勝手に書くな!」

「はは。ごめん」

 日南は謝ったけど、ぜんぜん悪いと思っていない顔だった。
 オレは文句を言いながら、その文字を眺めた。
 小説の話だ。
 わかってる。