ノートに(好き)って書いたら顔のいい変人に執着されました

 ゴールデンウイーク明けの放課後。
 オレはいつもの長椅子で、高森と日南が完成させてきた原稿を読んで、ため息をついた。
 ふたりとも、文章がうまい。
 とくに日南の原稿は、最初に書いたものとはぜんぜん違っていた。
 図書館で話をしてからふつかしか経っていないのに、もう、どこかから抜き出してきたような文章じゃない。
 ちゃんとしていて、でもちょっと変で、日南らしい。
 最後の『本を楽しく読んであげたいです。』には笑った。
 上からか。
 笑ったあとで、少し焦る。
 もしかしたら、ふたりには才能があって、オレにはないのかもしれない。
 結局、あれから一行も書けていない。
 自室でノートを広げても、浮かんでくるのは日南の顔ばかりで、小説の最初の一行は浮かんでこなかった。
 ほんとうにこのまま書けないかもしれない。
 そんな部長、いるかな。
 やっぱり部長交代か?
 そんなことを考えていたら――。

 いつものように横に座った日南が、ノートをのぞき込んできた。

「書けた?」

「うわっ、見るな!」

 思わず、パシッとノートを閉じる。
 別人みたいな声が出て、自分でも驚いた。
 でも、それ以上に日南のほうが驚いていた。

「あ、ごめん。つい……」

 オレは謝りながらも、ノートを胸元に引き寄せてしまった。
 日南はそれを黙って見ていた。
 まずい。なにか言わなきゃ。
 でも、なにを言えばいいのかわからない。
 申し訳ない気持ちと、見られたくない気持ちが、頭の中でぐちゃぐちゃになっている。
 少しして、日南が小さく言った。

「もう見ないからさ」

「え?」

 見ない? そんなことを言わせたかったわけじゃない。
 横を見ると、日南は今まで見たことのないような顔でテーブルを見つめていた。
 傷ついたというより、何かをすっと引っ込めたみたいな顔。

「ほんとに違くて……」

 説明しなきゃと思った。
 でも、日南がこっちを見ないから、うまく言葉が出てこない。

「……いいよ。悪いのこっちだし」

 そう言って、日南は高森の小説を手に取った。
 逃げるみたいに、文字の世界に入ってしまう。
 その瞬間、胸の奥がザワっとした。
 オレのノートはもう見ないのに、高森のは読むんだ……。
 って、そうじゃなくて!

「待って」

 日南が少しだけこっちを見る。
 その視線を、すかさず捕まえた。

「見られたのが嫌だったわけじゃないから」

 そこまで言って、言葉に詰まった。
 見られたくなかったのは、ほんとうだったから――だけど。

「え……と。小説、一行も書けてないのが、恥ずかしくて」

「そうなんだ……え、一行も?」

 日南が困ったように聞き返す。
 なんで書けないのか、本当にわからないみたいな顔だった。
 悪気がないのはわかるけど、なんか差を見せつけられたみたいで、一瞬へこむ。

「ゴールデンウイークに、日南と図書館で会ったじゃん」

「うん。嬉しかった」

「嬉……それは、ありがとう」

「こちらこそ」

 日南が少し笑った。
 さっきまでの固い顔じゃなくなっていて、ほっとする。

「……で。オレ、偉そうにアドバイスまでしたのに、自分が一行も書いてなかったことに、やっと気づいて。そのあともぜんぜん書けなくて。家でノート開いても、なんか、日南のことばっかり浮かんできて……」

 言葉にすると、思っていたよりずっとださかった。
 自分が悩んでいたことが、急に小さいものに見えてくる。
 汗ばんできた手のひらを、ぎゅっと握った。

「さっきは恥ずかしくて、つい、見るなって言った」

「そっか」

 そう言ったきり、日南は黙った。
 その沈黙が優しいのか、困っているのか、わからない。

「図書館で、喜世、偉そうじゃなかった」

 日南が、ぽつりと言った。

「偉そうだった! 思い出すだけで机の下に隠れたい」

「親切だったし、優しかった」

「だから、それは」

「図書館でさ。俺のこと、手伝ってくれたじゃん」

 その声がやけに静かで、つられてオレもおとなしくなる。

「そんなの。日南が困ってたから、それっぽいこと言っただけだし」

「でも、俺がそう思ったんだから、それでいいでしょ」

 そう言われて、完全に力が抜けた。

「……そうなの?」

「そういうことにしておく」

 日南はそう言って、またすぐに黙ってしまった。

「俺は」

 そこで言葉を切って、ノートを閉じたオレの手元を見る。
 やっぱり、まだ元気がない。
 その顔を見た瞬間、自分のせいみたいな気がして――つい手が伸びた。

「……喜世?」

 ――あれ?
 なぜか、日南の頬に触っていた。
 指先に、想像していなかった体温があって、当たり前なのに、少しびっくりした。
 日南は驚くでも、からかうでもなく、ただこっちを見ている。
 そのせいで、手を引っ込めるタイミングを失った。
 なにをしてるんだ、オレは。

「ご、ごめん!」

 慌てて手を引っ込めようとしたら、日南がオレの手首をつかんだ。
 そして、そのまま自分の頬に押し当てる。

「喜世の手、冷たい」

「緊張してるから……かな?」

「緊張してるの?」

 日南が笑った。あの、無駄に爽やかな王子の笑顔で。
 ここでその顔をするのは、反則だ。
 顔が熱くなっていくのが自分でもわかる。
 隠したいのに、手をつかまれているから隠せない。

「日南、手……離して」

「あ、ごめん」

 日南は案外あっさり手を離した。
 そして、そのまま少しだけ視線を落として言った。

「俺さ、文字があると、つい見ちゃうじゃん。小学生のころ、それでけっこう怒られてて」

「……」

 なんとなく想像できた。
 それで、さっきあんなに驚いた顔をしたのかもしれない。
 だとしたら、ほんとうに悪いことをした。

「だから、喜世のノートも、勝手に見ちゃだめだったんだよな」

「……まあ、最初はそう思ったけど」

「最初は?」

「今は、別に……嫌じゃないっていうか」

 言ってから、恥ずかしくなった。
 日南がちらっとオレを見る。
 上目遣いみたいになっていて、それを少しかわいいなんて思ってしまう。

「むしろ、読まれるの待ってた」

 ちゃんと言った。
 日南がオレのメモを読んで、笑ったり、まじめな顔で首を傾げたりするのを、いつのまにか待っていた。

「だから、さっきのは……日南が嫌だったわけじゃなくて、小説がないノートを見られるのが嫌だっただけだから。ごめん、驚かせて」

 日南は閉じたノートを見て、それからオレを見た。
 いつもの日南の顔に戻りかけている。

「そっか。じゃあさ」

「うん」

「俺、これからノートじゃなくて喜世を見る」

「は?」

「ノートが嫌なら、喜世を見る」

「いや、ノート、見ていいし。むしろ見てほしいって話を今……」

「でも、俺は喜世のほうが気になる」

「ええ?」

 こっちは息が止まりそうなのに、日南は変なことを言っている自覚がなさそうだ。
 真剣にこっちを見ている。
 その視線に耐えきれなくなって、口が勝手に動いた。

「そ、そんなに見ても、なにも出ないからな」

 オレの言葉に、日南が口元だけで少し笑った。

「出るかもよ?」

「なにが?」

「小説とか」

「なんでそんなの、わかるんだよ」

「俺が読みたいから」

「……」

 強い。
 やっぱり、日南には勝てない。

「先輩方、そろそろいいですか?」

「え! なに?」

 見ると、高森がドアから顔を出して、こっちを見ていた。

「文芸部通信の話なんですけど」

「あー、はい」

「そんなに無理に書く必要はないと思います」

「……」

「今までのを見ても、わりと内容は自由なので。読んだ人が、文芸部楽しそうだなって思ってくれる内容になればいいと思います」

「……確かに」

 少しだけ、肩の力が抜けた。
 文芸部通信は、小説発表会じゃない。
 高森の短編があって、新入部員の自己紹介があって、部の紹介があって。
 それだけでも、たぶんちゃんと文芸部通信だ。

「でも、私も先輩の小説は読みたいですけどね」

「またそれ……っていうか、まさか今の話聞いてた? どこから聞いてたんだよ!」

「先輩が『見るな!』って叫んだところですかね」

「叫んでないし! てか、それ一番最初じゃん」

「びっくりして立ち止まったら、入るに入れなくなって」

「なんで」

「途中から、かなりいい感じだったので。続きが気になって」

「いい感じじゃない!」

「私には、かなりいい感じに見えました」

「……」

「文芸部通信に載せたいくらいです」

「載せるな!」

 高森にも勝てない。
 なんでオレが部長なんだろう。
 オレはノートを開いて、ページの端に小さく書いた。

『みんな強すぎ』

 その横に、少し迷ってから、もう一行足す。

『こんどこそ小説を書く』