ノートに(好き)って書いたら顔のいい変人に執着されました

 日南が入部届を持って来たのは、休み明けの月曜だった。
 速い。
 土曜に部室で話をして、あいだに日曜を挟んだだけなのに、いったいいつ決めたんだろう。
 こっちは「あのノートがこんなに好きなの、俺だけだから」が、まだ耳から離れないっていうのに、日南は特別な意味なんてなかったみたいに、涼しい顔をしていた。
 入部届には、『日南永久』と思ったよりかわいい字で書かれていた。
 見た目と合ってなくて、少し笑える。
 ……いや、笑ってる場合じゃない。
 これを出したということは、日南が文芸部員になるということだ。
 つまり、毎日、部室に来る。
 毎日、ノートを見られる。
 いままでみたいに、高森がキーボードを叩いているのを眺めながら、のんびりと過ごしてる場合じゃない。
 そう思ったら、急に落ち着かなくなって、無意味に椅子から立ち上がる。
 挙動がおかしくなったオレに、日南はいつもの調子で言った。

「これで、毎日喜世のノートが見れる」

「……」

「ていうか、毎日見るために入ったんだし」

「……」

 微笑みがいつもより怖いのは気のせいだろうか。いろいろ不安だ。
 なんにしろ、これで文芸部がなくなる心配はなくなった。顧問の先生に報告したら「よかったね」と軽く言われて、あっさり問題は片づいた。
 あれだけ必死に候補の名前をノートに書いて、声をかけて、勝手にへこんで、部長らしいことをしようとしていたのに。終わるときは、あっけない。

「で、文芸部ってなにすればいいんだっけ?」

「え……っと」

 いきなり聞かれて、さっそく言葉に詰まる。そういえば自分が部長になってから、活動らしいことはなにもしていない。
 高森はいろいろと書いてるみたいだったけど、オレは過去の部誌を眺めたり、勧誘でいっぱいいっぱいになったりしてただけだった。
 ヤバい。
 本当に名前だけの部長だ。
 高森がパソコンから顔を上げて言う。

「文芸部通信でも作りますか?」

 文芸部通信。
 掲示板に貼る手作りの新聞みたいなやつだ。
 後輩の提案に「あ、うん。そうしようか」なんて答えている自分が情けない。いっそ、高森と部長を交代したほうがいいんじゃないだろうか。そんな考えが、頭をよぎる。
 過去の文芸部通信を探してきて、ローテーブルに置くと、さっそく日南がペラペラとめくりはじめた。

「どう?」

「これ、知ってる。去年の全部読んでる」

「あー」

 そういえば日南は、あちらこちらの掲示板の前にいることが多い。読んでて当然な気もする。

「あ、中身把握済みなんですね。さすがですね」

 高森が言う。
 え。
 もしかして、日南を部長にしたほうがいいんじゃないか? 掲示物も読んでるし、知名度もあるし、オレよりずっと文芸部っぽい。
 オレは無意識にノートに『部長交代』と書いていた。書いてから、ひとりで後悔する。本当に交代したいわけじゃない。やる気も、ないわけじゃない。ただ、入ったばかりの高森や日南のほうが向いてそうなのが、ちょっと嫌だっただけだ。
 ごしごしと『部長交代』を消しゴムで消していたら、高森が難しい顔で言った。

「問題は、日南先輩を前面に出すかどうかですよね」

「どういうこと」

 日南が不思議そうに首を傾げる。
 オレには、高森が言いたいことがすぐわかった。
 日南はいろんな意味で有名人だ。変わり者でも有名だし、この見た目。名前を出した瞬間、オレの勧誘なんか意味なかったみたいに、簡単に部員が増えるかもしれない。

「日南先輩の文章を載せたら、入部希望者、確実に増えますよ」

 高森が言う。

「そうかな? 俺、文章まともに書いたことないけど」

「そうなんですか? 意外です。でも私、日南先輩の書いたものならどんなものでもひとつ残らず読みたいです」

「高森さん、怖い」

 日南が引いている。
 でも、高森の気持ちはよくわかる。日南が書く文章なら、オレだってどんな文章でも読んでみたい。
 だけど、それを人集めのために使うのは、なんか違う気がした。
 日南のそういうところを、文芸部の宣伝にしたくなかった。

「日南を前面に出すのは、やめよう」

 急に部長らしいことを言ってしまった自分に、少し驚く。

「どうしてですか?」

「文芸部通信だし。日南通信になるのはよくないと思う」

 日南が、こっちを見た。止められた理由がわかっていない顔だ。

「部員紹介はやろう。今年度の第一号だし。高森だって新入部員だから」

 慌てて付け足す。

「じゃあ、日南先輩のは、入部コメントをさりげなく入れるくらいにしますか」

「入部コメント?」

 日南が聞き返す。

「入部理由とか抱負とか、適当でいいですよ」

「俺は喜世のノート読むために……」

「却下です」

 即答だ。

「なんで」

「それはちょっと……おすすめできません」

 高森はそう言って、その辺にあったコピー用紙を差し出した。

「では、こちらに一言お願いします」

 日南は差し出された紙に、なにかを書きはじめた。
 涼しげな目元は、文字を読んでいるときと同じだ。
 まともに書いたことないと言っていたわりに、少しも迷っていないのがすごい。

「書けた」

 高森が紙を受け取って読み上げる。

「このたび、文芸部に入部させていただくことになりました、日南永久です。微力ではございますが、部の一員として精一杯努めてまいります。どうぞよろしくお願いいたします」

「……」

「……」

「どうかな?」

 高森は紙を見たまま、真顔で言った。

「社会人の挨拶ですか?」

「いや、自然に思いついたけど。変かな」

「ゴールデンウイークの宿題にします」

「え」

 高森と日南のやりとりを聞きながら、オレはノートを開いた。
『日南永久』
『本は好きじゃない』
『文字を見ると読んでしまう』
 本は好きじゃなくても、文字は好きってことなのか?
『文芸部に入った理由はオレのノートを見るため』
『思ったより字がかわいい』
 日南永久は変だ。変で、カッコいいのに、字はかわいい。
 書けることがたくさんあって、うらやましい。

「それ、俺のこと?」

 いつのまにか、日南が横からノートをのぞき込んでいた。
 もう驚くのも面倒になってきて、素で答える。

「ただのメモ」

「俺のメモでしょ? なんて書いてるの?」

「なんて……って、まあ。いろいろ」

 部室に、会話が増えた。
 居心地がよくて、楽しくて。
 そのぶん、なにかを忘れているような気がした。
 そんなに重要じゃない、けど大事な、ちょっとしたなにか。

 そうだ。自分の小説だ。

 慌ててページをめくる。
 過去の部誌のページ割り。
 読みたい本のリスト。
 気になった一文。
 日南のこと。
 勧誘の下書き。
 日南のこと。
 また、日南のこと。
 そして、日南のこと。
 日南のことばっかじゃん!

「俺のことばっかだね」

「待っ……」

 めくってもめくっても、出てくるのは日南のことばかりだった。

「先輩って、人をよく見てますよね。主に日南先輩を」

「見てない」

「でも、実際書いてあるし」

 日南が、うれしそうに笑った。

「ちょっと、トイレ!」

 オレは耐えきれずに部室を出た。だれもいない図書室で立ち止まる。
 うす暗いその場所で、オレは両手で顔を覆った。
 どうしよう。
 これは、まずい。
 オレは日南を好きなのかもしれない。