ノートに(好き)って書いたら顔のいい変人に執着されました

 図書室の奥にある準備室。そこが、文芸部の活動場所だ。
 部室は少しほこりっぽくて、雑然としている。
 机の上には、しまい忘れた資料やホチキスが出しっぱなしになっていて……これは、明らかにオレと高森のせいだ。
 先輩がいたときは、もっと片づいていた。
 年代物の黒い長椅子に座っていると、唯一の後輩である高森絆(たかもり きずな)が部室に入ってきた。
 そしてそのまま、いつもの席でキーボードを叩きはじめる。
 すごい速さだ。筆がのっている、というやつだろうか。
 まだ一作も書いたことがないオレからすると、かなりうらやましい。

「なに書いてるの」

 高森は指を止めると、チラッとオレを見た。

「教えません」

「あっそ」

 文芸部は、オレと高森のふたりしかいない、影の薄い部だ。
 あとひとり入らないと、同好会になる。
 そうなったら、部誌が出せなくなって、この場所も使えなくなるらしい。
 それだけは、避けたかった。

 『俺、まだ候補だから』

 不意に日南の言葉を思い出す。そういえば、日南には、まだ断られてなかった。
 あれはどういう意味だったんだろう。
 気が向いたら入るかも、くらいの意味なのか。それとも、ただオレの反応を見て楽しんでいるだけなのか。
 でも、日南がそんなことをして楽しいとも思えないし……。
 そんなことをぐるぐると考えていたら、高森が思い出したように口を開いた。

「先輩、日南永久と同じクラスだったんですね」

 いきなり出てきた名前に、心臓が変なふうに跳ねた。

「ひ、日南?」

 声が上ずって、あわてて咳払いする。

「すごいですね。あの日南永久と同じクラスだなんて」

「すごいかな」

 すごくはない気がする。
 偶然、同じクラスになっただけだ。
 昨日はじめてしゃべったレベルだし。

「なんで急に日南?」

 尋ねると、高森はキーボードから手を離して、めずらしく楽しそうな顔をした。

「私、図書委員なんですけど。図書委員の中に、日南永久研究会っていうのがあるんですよ」

「図書委員の中に!?」

 思わず声が大きくなる。

「そうなんです。そこで、彼は宇宙人かもしれないって説があって……先輩はどう思います?」

「どう思いますって、なんで急にSF?」

 話が飛びすぎていて、わけがわからない。

「読んでる量が普通じゃないんです。図書室にある文字を、端からインプットしてるんじゃないかって言われてます」

「それはさすがに、ひどくないか? それに、オレからしたら宇宙人っていうより、文字に憑りつかれた王子って感じだけ……ど」

 つい口がすべった。
 高森が黙る。
 カタカタッ、と短くキーボードが鳴った。
 今、絶対“王子”って打った。

「先輩には、王子に見えてるんですか? ちなみにどこが?」

 どこが。
 つい、日南の姿を思い浮かべる。

「……見た目とか、王子っぽくない? 少しだけ崩れた感じの」

「先輩は、乙女ですね」

「やっぱ、今のなし!」

「むしろ、小説にしたいです」

「ダメ」

「していいですか?」

「だからダメだって!」

 高森は書くのが早い。明日には本当に小説にしてきそうだ。
 しかも高森は、オレと違って、書いたものを人に見せることに抵抗がない。
 そこも、少しうらやましい……けど、今回に限っては困る。
 カタカタ、とまたキーボードが鳴った。

「今、打った?」

「打ってません」

「絶対打っただろ」

 止めなければと立ち上がったとき、ドアの向こうに人の気配がした。

「……図書室に誰かいますね。貸出、今日はないはずですけど」

「見てくる」

 オレは、そっとドアを開けて図書室をのぞいた。

「あ」

 目の前に日南が立っていた。
 さっき自分で言葉にしたせいか、それとも夕日のせいか。本当に王子みたいに見えて、なんだか落ち着かない。
 今の話、聞こえてないよな? ドアも閉まってたし、さすがに内容までは……。
 そう思いたかったけど、日南が少し笑っていて、嫌な予感がした。
 高森が、ドアの隙間から顔を出した。そして、高森にしては嬉しそうに声を上げた。

「日南先輩」

「王子って呼んでもいいよ」

「!」

 聞かれてた。
 顔に熱が集まってくるのがわかる。
 日南はオレを見て、少しだけいじわるそうに目を細めた。
 ……やっぱり、王子だ。

「入っていい?」

 日南は動揺しているオレをスルーして、その後ろを見た。
 つまり、部室の中だ。

「ど……どうぞ」

 隅によけて招き入れる。王子の来訪を拒む権利なんて、オレにはない。
 すれ違いざまに、シャツがふわっと腕に触れた。
 あたたかくて、王子にもちゃんと体温があるんだ……とか思ってしまった。
 いや、だから王子ってなんだよ。頭の中がヤバい。
 高森のせいで、いつのまにか、オレの中の日南が王子で固定されかけている。

 部室に入った日南は、吸い寄せられるように古い地図の前に立った。
 地図に書かれた細かい文字を、じっと見ている。
 日南がいると、いつもの部室がいつも以上に散らかって見えるのが、不思議だ。
 棚の上に積んだままの部誌とか、ローテーブルの端に置きっぱなしの飲みものとか、今まで気にしていなかったものが、急に目につく。
 オレはあわてて空のペットボトルをゴミ箱に捨てた。
 ついでに、テーブルの上の本を無意味に整える。
 ひと息ついて定位置の長椅子に座ったら、地図を見ていたはずの日南が、隣にすとんと座った。

「え」

 向かいにも席はあるんだから、そっちに座ればいいのでは? そう思ったけど、日南は当たり前みたいに隣に座っている。
 そして、ごく自然に、オレのノートを横からのぞき込んだ。
 肩が触れそうで、シャーペンを持つ手に力が入る。

「メモ、書かないの? 見にきたんだけど」

 低くも高くもない日南の声が、耳のすぐそばで響く。

「か、書くことないし……」

「あるでしょ」

「え」

 隣を見ると、日南はなにも書かれていないページを、じっと見ていた。
 横顔が、きれいだ。

「ほら、早く」

 なにか書け、ということだろうか。
 オレは観念して、シャーペンを動かした。

『王子は意外と強引だった』

 日南が吹き出す。

「やっぱり、喜世のメモは最高」

「そうかな」

 これが最高?
 よくわからない。

「なんか、俺がおもしろい人みたいに見える」

「いや、元からだいぶおもしろいけど」

 つい、本音がもれる。

「変って言われることはよくあるけど、おもしろいって言われたのは、初めて」

 日南はそう言って、こんどはやわらかく笑った。
 王子だ。

「……」

 気づいたら、シャーペンの先が紙に触れていた。
 今ならなにか、書けそうな気がする。

「うーん」

 考えていたら、斜め前から視線のようなものを感じた。
 見なくてもわかる。
 高森だ。
 カタカタとなにかを入力している。きっと、オレたちのやりとりを小説にしている。
 自分でもなんでこんな妙な雰囲気になったのかわからないけど、とにかくこの状況はまずい気がする。

「ひ、日南。とりあえず、少しだけ離れてくれないかな。オレ、やることがあるし」

「やることって、小説書くとか?」

「いや……それは、まだ。今は、部員を集めないと」

 そうだ。
 顔が近いとか、横顔がきれいだとか、そんなことを考えている場合じゃない。
 この部室は、あとひとり部員を増やさないと、使えなくなるんだった。
 オレは棚から過去の部誌を取り出して、テーブルの上に置いた。

「これなに?」

「今までの部誌だよ」

 白黒の薄い部誌を一冊、日南に渡す。去年の文化祭で配ったものだ。
 コピー用紙を二つ折りにして、ホチキスで留めただけの、地味な冊子。
 オレは、なぜかこれが好きだった。
 卒業した先輩の短編。
 顧問が書いたあとがき。
 ちゃんとした本じゃないのに、誰かがなにかをがんばった跡が残っている。
 日南はページをめくりながら聞いた。

「喜世のは載ってる?」

「……ない。オレ、文芸部なのに、小説書いたことないんだよな」

 言ってから、自分で驚いた。そんなこと、言うつもりはなかったのに。スルッと口から出てしまった。
 静かに部誌をめくっている日南を、チラッと見る。
 文字に夢中になっていて、オレの答えを待っている感じではなかった。
 その沈黙がちょうどよくて、この雰囲気、いいなと思ってしまった。
 日南が文芸部に入ってくれたら。つい、そんなことを想像する。

 ただ、ページをめくる日南の顔は、楽しそうというより、なにかを確認しているみたいだった。
 そういえば、日南は本が好きじゃないと言っていた。
 じゃあ、部誌はどう見えているんだろう。横顔からは、なにも読み取れない。
 ページをめくる音だけが、やけに大きく聞こえた。
 もしかして、つまらないのかな。
 胸の奥がヒヤッとしたそのとき、パタンと日南が部誌を閉じた。

「帰るよ」

「え」

 突然用事でも思い出したみたいに、立ち上がる。
 ドアに向かう背中を、目で追いかける。
 部誌が気に入らなかったのだろうか。それとも、文芸部は自分には合わないと思ったのだろうか。
 そんな不安がよぎったとき、日南はドアの前で振り返って言った。

「また来ていい?」

「あ、うん。もちろん」

 間髪入れずに高森が言う。

「文芸部に入ってください」

「いや、落ち着け」

 日南が小さく笑った。
 その顔を見て、オレは少しほっとした。なにかが気に障ったわけではなさそうだ。
 日南はドアを開けて、そのまま出ていった。
 また来てくれるなら、まだ望みはある。
 もしかしたら、部員になってくれるかもしれない。
 そこまで考えて、気づいた。
 いつの間にかオレは、日南が文芸部に入ってくれることを、かなり本気で望んでいたらしい。

「本当に、また来るかな?」

 閉まったドアを見たまま、つぶやく。

「どうですかね」

 高森はそれだけ言うと、また黙々とキーボードを叩きはじめた。
 オレはノートに書き足す。

『来たら、こんどはちゃんと誘う』