僕らが最強だったあの頃

〈デビュー記念動画〉

 『えーっと、10年後か……27歳の俺。元気―?健康でメンバーと仲良く過ごしていると嬉しいな。今でもきっと、世界中に音楽を届け続けているんだろうね。俺の夢は、死ぬまで音楽を届け続けること。俺の音楽を必要としてくれる人が1人でもいる限り、その夢は続くんだ。大変だろうけど、きっと嫌ではないんだろうね。音楽なしでは生きられない、俺は昔からそう言う人間だから。後はー、えーっと』

 『おいソラ!長いぞー!』
 『尺稼ぐなー!』
 『ごめんごめん。えーっと、俺たちを応援してくれているファンのみんな。10年もずっと応援してくれている人とかいるのかな。…いるといいな。これからも、ずっと俺たちについてきてね。みんなで幸せになろう』


 教室の片隅で、私は毎日この動画を見ては、思いを馳せている。

 「あ、菜奈またその動画見てるのー?」
 「美香!おはよう、ってもう昼だけど今日も遅刻?」
 「んーちょっと寝坊しちゃってさ」
 「ふーん、ま、来たからいいけどさ、私美香いないと教室でひとりだから……午前中ちょっと寂しかった」
 「ふっ、ほんと素直でかわいいね菜奈は!」
 「うるさい!明日は絶対遅刻しないでよね?!」 
 「はーーい!わかったわかった」
 「ん、もう……」

 親友の美香は、超が付くほどのマイペースで自由人。学校だって、自分の気分で来たり来なかったり。そんな美香が、私はとても羨ましい。私が学校をずる休みしたら……そんなことを考えたくもないくらいに、母親の鬼のような顔が頭をよぎる。

 「美香、流石に再来週の卒業式は遅刻しないでよ?」
 「流石の私でもそれはしないよー!」
 「ほんとかな〜?気分じゃない、とか言い出しそうじゃん」
 「ないない、私ね、卒業式好きなんだよね」
 「何それ、卒業式に好き嫌いとかある?」
 「あるよ〜」
 
 美香は私に返事をしながら、カバンからパンを取り出して頬張る。

 「ま、来てくれるならなんでもいいんだけどね?」
 「行く行く!てかもう卒業式かーー、この一年あっという間だったねーー」
 「だね、美香と同じクラスになれて、やっと中学生してる感じがあった一年だったなあ〜」
 「菜奈、ずっとひとりだったもんね」
 「ちょっと、もう少しマイルドに包んで話してよねー?!2年間友達出来ずに苦しんでたんだからさ」
 「えーー?そうだったの?菜奈も私と同じで一匹狼タイプだと思ってた、誰かが菜奈の噂してるの聞いたことあったし」
 「んなわけないじゃん…誰も好きでひとりでいる人なんていないよ」
 「んーーー、まあそうかぁ」

 私は昔から友達を作るのが苦手で、何よりも家系が近寄り難い雰囲気を漂わせているんだと思っている。私の家は、代々音楽一家で、父は世界的ギターリスト。家にはほとんど居らず、世界中を飛び回ってスターの後ろでギターを弾いている。
母はピアニスト。今は引退してピアノ教室を営んでいる。現役を引退しても尚、未だにコンサートの出演依頼や、取材などを受けている凄い人。先月なんてお世話になった人が急遽出られなくなったからと言う理由で、代打でコンサートに出演した。新聞にもニュースにもなって、改めて自分の母親が有名人なんだと言うことを思い知らされた。

 そんな両親のおかげもあってか、みんな最初は私と友達になろうと寄ってくる。でも思うようにいかない私の冷めた性格に嫌気がさして、悪口を言い出したり、お飾りにならないと分かると簡単に切り捨てる。幼少期から続いたそんな出来事に私はうんざりしていて、気がついたら中学3年生になっても友達と言える人がひとりもいなかった。
 そんな中出会ったのが榎沢美香だ。同じクラスで席が前後になった事をきっかけに話すようになった。学校に来たり来なかったりする美香は、もちろんクラスの中でも目立っていたし、着崩している制服を見られては、生活指導の先生にしょっちゅう怒られていた。
 彼女と特別仲良くなったのは、夏のピアノコンクールの時期。私は幼少期の頃から、母に似てピアノが上手だと大人たちにチヤホヤされていた。本当に私のピアノが上手なのか、母親の名前があるから上手に聞こえるのかは、正直言って分からない。でも明らかに、他の子よりチヤホヤされる。少し弾いただけで歓声が上がり、中学3年生なんてそれなりに弾けて当たり前の年頃なのに、「未来の天才ピアニスト」と新聞を書かれたことがある。

 ある日の放課後、家に帰りたくなくて音楽室でピアノを弾いていた時、たまたま美香が音楽室の前の廊下を通って、声をかけてきた。

 「えまって、天才じゃん……!」

 何も知らないくせに、それはとても呑気で、あまりにも純粋な言葉だった。

 「ピアノの事何も知らないのに、天才なんて言わないでよ。私、その言葉大っ嫌い」

 今思うと、コンクール前でイライラしてた感情の当てつけでしかなくて、とても恥ずかしい。その時の美香は、キョトンとした顔をしてこう言った。

 「なんで?ピアノを弾いた事ない人は、ピアノを評価しちゃダメなの?」
 「え……そりゃ、そうでしょ」
 「じゃあ、月島さんのピアノを聴いて、初めてワクワクした私の気持ちは、どうなるの」
 「どうなるのって、そんなの……わかんないけどさ……」
 「天才って言葉が嫌いなら、謝る。嫌いな言葉使ってごめん。でも、月島さんのピアノの音、私すごく好きだな。なんか踊ってるみたいに聴こえた。ピアノ弾くの好きなんだね」
 「……!」

 私はその時初めて、母親の名前を使わずにピアノを褒められた。そう、私はピアノを弾くのがすごく好きで、たまたま母親がピアニストだっただけ。母親の名前が先行して、私が弾いている音を聴いてもらえていないのがずっと嫌だったことに気がついた。この頃から、私は美香に良く話しかけるようになって、自然と仲良くなっていった。

 そして、今年デビューをしたアイドル、「ルミナス」を好きという共通点が、私たちを急速に仲良くさせた。正直、ルミナスが繋いでくれた友情と言っても過言ではないと思う。私はクールで作詞作曲を担当するソラ、美香は圧倒的ビジュアル担当のハルキが大好きだった。
放課後、ピアノの練習がない日は美香の家でライブ映像を見た。応募しても落選ばかりでなかなか会いに行けない鬱憤を、部屋を暗くしてペンライトを振ることで吹き飛ばす。時には、ゲリラでCDショップに現れたりする彼らの情報を嗅ぎつけては、全力で走って向かったり、ラジオで自分の手紙が読まれて、感極まって泣いたりした。
 そうやって過ごした中学3年生は、とても楽しく、あと2週間で終わってしまうのが惜しいくらい有意義な時間だった。でも、高校生になったらバイトも出来るし、もっとルミナスにお金を使えるようになる。今は母親に内緒で推し事をしているけれど、いつか打ち明けて分かってもらって、ピアノと同じくらい堂々と好きでいたいと思う。


 「そういえば、卒業式の日、ピアノ弾くんだって?」
 「そう、少し前に楽譜もらったんだけどさ、わざわざピアノの尺長めに作ってあった」
 「それはさ、先生たちも最後に菜奈のピアノ聴きたいんだよ」
 「そう、かなぁ?まあ、きっと合唱曲を弾くことなんてもうないと思うし、いい思い出にちょっと気合い入れて弾くよ」
 「お!楽しみ!よっ!未来の天才ピアニスト!」
 「もう!天才って言うなーーー!!」

 美香となんでもない話をする帰り道が大好きだった。卒業したら別々の高校へ進学する私たちは、きっとお互いにその時間を大切にした。

 「高校生になったらさ、ルミナスのライブ一緒に行こうね!」
 「うん!あったりまえでしょ!菜奈はお母さんに許可取るの頑張ってよね!」
 「もちろん!ピアノももっと頑張って結果残して、ルミナスに会うの許可してもらう!」
 「なんか、楽しみだね、高校生」
 「うん!すっごく楽しみ!」

 そう会話した時の夕日は、大人になった今でも覚えている。何にでもなれる気がして、世界が広く感じて、自分が無敵に思えた。

 卒業式当日。私は無事に合唱曲のピアノを弾き終えた。それも、今までで一番と言ってもいいくらいに自分でも素晴らしい演奏ができたと思った。クラスのみんなや先生たちにも褒められたけれど、母親だけは私に牙を向いた。

 「なんだか、拍子抜けしたわ。あんな演奏しか出来ないなら、ピアノなんかやめた方がいい」

 私に「卒業おめでとう」なんて言葉はかけずに、ただピアノの評価だけを淡々として、母親は帰って行った。

 「菜奈ー!ほんとめっちゃ良かったよ演奏!私気づいたら泣いてたよ」
 
 駆け寄ってきてくれた美香の言葉はほとんど私に届いていなかった。母親から酷評をもらうことなんて今まで多々あったくせに、その日だけは一丁前に傷ついた。

 「……菜奈?大丈夫?」
 「え?ああ、大丈夫!ちょっと寂しくなっちゃって」
 「私も寂しい……こんなことならサボらず毎日学校来れば良かった……」
 「だーかーらー言ってたのにー!ちゃんと来てって!」
 「うわーん、高校生になっても会おうね」
 「もちろん!当たり前!」

 いつもなら特に気にしないくせに、この日だけは母親の言葉が何度も反復して聴こえた。

私、中学を卒業したんだよ、それなのに、おめでとうも無しなんだね。

 美香と別れてからの帰り道、私はいつも通りイヤフォンを取り出した。再生したのは、ルミナスの「彼は誰時(かわたれどき)」と言う曲。これは私が大好きなラブバラードだ。嫌なことがあった時は必ず聴くようにしている。 
 ソラの優しい声、私好みのメロディー、5人合わさった時の歌声。視界が涙で滲んで、風に乗って散ってきた桜の花びらが、掌に優しく乗った。
 この時の私は、ほんの数秒後には、自分の人生が一変することを、予想もしていなかった。

 そこからは、今でもよく思い出せない。信号が青になり横断歩道を渡っている途中、微かに誰かの声がして顔を上げた。遠くで人が倒れていて、私に向かって走ってくる一台の大きなトラック。目の前のあまりの光景にギュッと目を瞑った。

 次に目を開けたときは病室で、真っ白な世界に戸惑い、看護師の声掛けも聞こえなかった。

 「菜奈……!菜奈、分かる?!」

 視界に入ってきた母親の顔は、さっき私のピアノを酷評していた姿とは裏腹で、なんだか少し窶れ(やつ)ているようにも思えた。ショートカットがトレードマークだったはずなのに、胸あたりまで伸びている。
どうして……?さっきまで卒業式で、ピアノを酷評されてショックで、ルミナスの曲を聴きながら帰ってて。

……!!そういえば、私あの時。

 私はそれからただぼーっと、流れる時間を過ごした。耳は聞こえているのに、なぜか話す気になれない。周りの会話を聞きながら、分かった事が2つある。
 1つ目は、私は卒業式の日に事故に遭って3年間眠ったままだったと言うこと。母親の伸びた髪はそう言うことだったのかと、妙に冷静に納得がいく。
 2つ目は、あのトラックの運転手は居眠り運転をしていて、最初の信号で人を跳ねてしまった事に気が動転してしまい、ブレーキを踏み損ね、私に突進してきたと言うこと。あの時、目を閉じる前に一瞬だけ運転手の顔が見えた。気が動転していた、と言う言葉をそのまま表したような表情だったことを覚えている。
 どうやら運転手は既に亡くなっており、母親は怒りをぶつける場所もなく苦しんだようだ。そして、その二つの事を超える事実が、私にはまだ待っていた。

 ぼーっと窓から見えるイチョウの木を眺めていると、ものすごい勢いで病室の扉が開いた。

 「菜奈……!」

 慌てた様子で病室に入ってきたのは、私が知っている美香よりも更に大人びた姿の、高校三年生の美香だった。肩までしかなかった髪の毛を、ポニーテールに結んでいる。唇が艶やかでメイクもしているようだ。ただ、制服の着崩し方はあの時から変わっていない。

 「美香……なんか……大人になったね」

 3年ぶりに目覚めて、初めて発した声が、あまりにも情けなくて、声帯どころか身体中力が入らない。

 「菜奈……本当に良かった……目覚めてくれて、良かった……」
 「うん……待ってくれてた?」
 「当たり前だよ……毎日来てたよ……」
 「……ありがとう」

 おかしな光景だ。私にとっては、さっき笑顔で「またね」と言った美香が、見た事のない顔で泣いている。不思議な感覚だった。

 「菜奈、私なんて言ったらいいか……こんなの、あんまりだよね……その、一緒にリハビリ付き合うよ、絶対絶対、また弾けるようになるからさ……」
 「……え?」

 美香は私の左手を握った。

 ……あれ?握り返したいのに、うまく動かない。右手は……大丈夫、力が入りづらいけれど、思うように動く。

 「もしかして……まだ聞いてない…の……」
 「えっと……左手、うまく動かないんだけど、これ、何…」
 「美香ちゃん」

 母親が美香の肩に手を置いた。美香は少し後ろに下がり、次は母親が私の左手を握った。私にとってはついさっき、現実世界では三年前の母親からは想像がつかないくらいの、下がり眉。困ったような、申し訳ないような、情けないような、そんな表情。いつも堂々として、ピンヒールの音を鳴らして、私のピアノの事しか興味のない母親は、もうどこにもいないみたい。

 「菜奈、混乱すると思うけど、話すね」
 「……うん」
 「菜奈は、事故の影響で左手がちょっと、動かしづらくなっちゃったの……でも、本当だったら、切断になってたかもしれないって先生が言ってた。左側から突っ込んできたトラックに対して、菜奈はとっさに両腕を庇ったんだと思う。だから切断まではいかなくて済んだの。ただ……ピアノはもう十分に弾けないかもしれない……ごめんね、菜奈……ごめんね」

 母親は見た事のない姿で泣き崩れた。
 幼い頃から、手を怪我したら大変だと、スポーツをさせてもらえなかった。体育も、いつも見学で、それのせいで悪口を言われたり、仲間はずれにされた。そんな思いまでして両手を大切に過ごしてきたのに……どうして……?

 自分の現状を受け入れられず、リハビリの話も断ってばかりいたある日、拙い足取りで購買に行き、フルーツを買おうとした時、レジ前にある新聞が目に入った。病室に戻り、思わず買ってしまった新聞を開くと、私のことが書いてあった。


 [未来を奪われた若き天才ピアニストの現在]

 ピアノの女神と呼ばれた元ピアニストの月島夏樹さんの娘である、若き天才ピアニストの月島菜奈さん。今から約三年前、彼女の未来はたったの数秒で奪われた。

………………

 現在は左手の不自由と戦い、ピアノとは一線を置いている。
 彼女が再び「天才ピアニスト」と呼ばれる日は来るのだろうか。
 彼女が再びピアノを弾く日は来るのだろうか。


──────────────────────

 って、何これ……
あまりの記事に、言葉が出なかった。「左手の不自由と戦い」なんて、嘘ばっかり。最近の私は、母親や美香に勧められたリハビリを断ってばかりだ。だって、頑張っても前みたいに弾けるようになる確証はない。例え弾けるようになったとしても、前みたいに音を奏でれないなら意味がないじゃない。リハビリの言葉をすぐ口にする母親と美香に、苛立ちすら覚える。

 「そういえば美香って、ルミナスのライブ行った?」

 私は美香がリハビリの話をしようとしてくるのが分かった時、瞬時に質問を投げかけた。美香は驚いた顔をして、戸惑いの表情を浮かべている。
 分かってる、嫌な質問だってこと。だって私たち、高校生になったら一緒に行こうねって約束したんだもん。それが事故に遭って眠ったままで……3年も、目覚めるか分からない私を待っているはずがない。

 「ごめん、一緒に行くって約束……」
 「ううんいいの、しょうがないよ、私ずっと意識なかったんだし……私がこうだからって、美香がルミナスに会いに行くの我慢する必要なんてこれっぽっちもないわけだし」

 ああ、嫌な言い方……こんなことが言いたいんじゃない、ただどこにもぶつけられない苛立ちを美香にぶつけているだけ。そんなこと分かっているのに、止められない。

 「ただ、なんかムカつくんだよね……」
 「え……?」
 「事故さえなかったら、私もルミナスに会いに行ってたし、ソラに大好きって伝えてた。ピアノも当たり前に続けて、名前ばかりの「天才ピアニスト」じゃなくて、本物の「ピアニスト」になってるはずで……あんなに大好きだったはずのルミナスの曲も、今は聴くのすら怖い。立ち直れないようなことがあっても、推しが救ってくれたとかよくあるでしょ。でもさ、もし今私が、ルミナスの曲を聴いて、何も感じなかったら……?私の救いにならなかったらって思うと怖いの。そうなったら私、私の人生から何もなくなっちゃう……」
 「……」

 美香は俯いてしばらく静かに泣いていた。私も、涙が流れて止まらなかった。

 「これ……」

 美香が突然、カセットテープを渡してきた。少し古びた、使い込まれたカセットテープ。

 「何?これ」
 「おばあちゃんの家にあったカセットテープ。中身は最近私が入れ込んだやつ」
 「これを私に……?」
 「うん、今の菜奈にはこれだけを聴く何かが必要だと思って作ってきた。携帯でSNS見たりするんじゃなくてさ、今はこれだけを聴けばいいと思う。今の私には、菜奈のピアノみたいに、人生をかけてやってきたものなんてないから、菜奈の気持ちを全て分かってあげられない。けど、私は敵じゃない。ピアニストになる未来は、確かにあの事故で奪われたかもしれない。けど、ルミナスとソラは、まだいるじゃん。私だっている。一緒に会いに行く夢は、まだこれから叶えられるでしょう?」
 「……」

 ……その通りだと思った。携帯の中にいる、クラスメイトだったはずの子たちが笑っている写真や、「月島菜奈」と検索して開きっぱなしのSNS。私はただ、どこにもぶつけられない苛立ちを、ずっと味方でいてくれている美香にぶつけているだけ。何もかもなくなったと自暴自棄になって、ぶつけているだけ。
 美香は静かに、「またくるね」とだけ言い残して病室を出て行った。
 私はイヤフォンをして、カセットテープを再生することにした。

 

 『えーっと、今日はソラの誕生日ということで、ソラに何でも聞いちゃおうコーナーです!』


 突然耳に飛び込んできたのは、聞き馴染みのあるルミナスのメンバーのハルキの声だった。


 『では早速、先日ラジオHPより募集した中から、ランダムで選んで質問を読み上げていきます!では一つ目、えーっと名前はミカさんですね』
 『ミカさん!ありがとうございます』
 
 ハルキとソラの声から聞き馴染みのある名前が出てきて驚いた。これってもしかして……

 『3年前、私の親友が事故に遭いました。ずっと眠ったままだったのですが、先日やっと、目を覚ましてくれました。私にとっては、遂に目を覚ましてくれたと、この3年間のゴールのように感じてしまいましたが、彼女からしたら、ただ辛い現実と向き合う生活が始まっただけで、ゴールでも何でもありませんでした。彼女と私は3年以上前から、一緒にルミナスを応援してきました。一緒にコンサートに行こうと言う約束もしていましたが、それが実現する前に彼女が事故に遭ってしまったんです。彼女はソラの音楽が大好きでした。けれど今は、聴いているところを見かけません。私が進んで聴かせてあげることも、無神経なのではないかと戸惑ってしまいます。
 ソラさん、どうか彼女にメッセージを送って欲しいです。彼女の名前は、ツキシマナナです。華奢で可愛くて、お花畑にいるようなオーラを持った優しい子です。1日をただぼーっと過ごすだけになってしまったナナに、どうか、声をかけて欲しいです。……とのことです』

 きっとランダムに引いたお便りの内容があまりにも深刻で、戸惑っているだろう間が流れた。それか、誰か私の名前に聞き覚えでもあったのだろうか。所々ざわついているような声も聞こえた。

 『まず、ミカさん。お便りありがとうございます。これを送るかどうかきっと悩みましたよね、勇気に感謝します。ありがとうございます』

 ソラの、優しい声。
 懐かしい、ちょっと低いソラの声。

 『そして、ナナさん。まず、生きていてくれてありがとう』

 ソラの声で、私の名前を呼んでくれた。
こんなこと……あっていいの……? 

 『目覚めてから、大変な思いをしたと思います。僕らが想像するにはあまりにも君のことを知らなすぎる。だからぜひ、僕たち会いましょう。会って、ナナさんの口から、今どう感じているのか聞かせてください。それまで、僕は君が好きだと思ってくれていた、僕の音楽を作り続けます。僕の音楽が、今の君に刺さって、心に届くかは分からないけれど、今これを聞いてくれているのなら、もう一度、僕らの歌を聴いてみてください。僕たち、絶対に会いましょうね。無理だけはせず、笑顔で、健やかに過ごしてください』
 『と、ここで時間です!いや〜、心にグッとくる話でした……ではここで一曲聴いてください。ソラが選曲をしました。ルミナスで「彼は誰時(かわたれどき)」』

 涙で視界が滲む。大粒の涙が布団に落ちて、大好きだった曲が、胸に静かに届く。
 「生きていてくれてありがとう」と言われたのは、目が覚めてから初めてではないのに、嬉しくて堪らなかった。

ピアノが弾けないって分かってからの私は、どこかで『生きている意味』を探していた。当たり前にピアニストになると思っていた未来を奪われ、何を目標にしていいのか分からなくなっていたからだ。
 母親の影響で始めたピアノだったけれど、私は酷く依存していたんだと思う。「将来何になりたい?」とかの質問には堂々と「ピアニスト」と答えていたし、「特技は?趣味は?」とかの質問にも「ピアノ」と簡単に答えていた。他の子が少し詰まる質問で、堂々と答えれる安心感が堪らなかった。自分が何者なのか悩む人生とは無縁で、私と言えばピアノと言う方程式に依存していた。

 それが無くなって、自分を見失っていたんだと思う。だから美香にもあんな態度をとってしまった。美香に、会いたい……。

 「もしもし……菜奈?」
 
 電話をかけると、優しい美香の声が携帯越しに聞こえた。

 「ごめん、私さっき、嫌なこと言った。美香にむかついてるんじゃなくて、こんなことになった自分の人生にむかついてるだけなの。ただ、当たっただけ。ごめん」
 「ううん……大丈夫だよ、そうなって当然だし、どんな菜奈でも受け止めるから、一緒に生きていこうよ」
 「うん……うん……カセットテープ、ありがとう……私、美香と一緒にルミナスに会いに行く。その為にリハビリも頑張る。ちゃんと体にうまく力が入るように頑張って、ソラの曲をこの耳で聴く。美香、ありがとう……」
 「……うん!一緒に会いに行こう」
 「うん……!」

 携帯越しに美香も泣いているのが分かる。感謝しても仕切れない、そんな感情に胸が苦しくなった。

それから私はリハビリを頑張った。ピアノは前のように充分に弾けないけど、ペンライトを握ってライブに行くことを目標にした。

目覚めてから2年が経った頃、やっとの思いで当たったルミナスのライブに美香と参戦することが出来た。ペンライトも申し分ないくらいに握れるし、カンペだって持てるし、手も触れる。最高に楽しい時間だった。私の人生は、ソラに救われた。これからの長い時間を一緒に過ごして行けると、本気でそう思った。なのに……

──活動休止が発表されて2ヶ月後

[日頃よりLUMINOUSを応援し、また活動休止を発表してから今日まで再開を願ってくれていた皆様に、心から感謝申し上げます。今後のLUMINOUSについてのお知らせです。
…………
当社とアーティストで、何度も話し合いを重ねた結果、本日をもってLUMINOUSは解散とすることが決定いたしました]

公式からのメッセージと各メンバーのコメントのみで解散を告げられ、デビュー6周年目に差し掛かるところで、ルミナスの幕は閉じてしまった。

ずっと時間を共にし、会いに行けなくても観てきたのに、私は何も気が付けなかった。
私はこんなにも支えられて、救われてきたのに、彼らが本当に辛かった時、苦しかった時に、何も支えられない。そばに居て力になることも出来ない。

それは、アイドルとファンの関係性上、当然のことだと分かってる。でもその現実が、何よりも苦しい。どうして私はこんなに力不足なんだろう。

胸の奥が締め付けられて痛い。息が詰まっているみたいだ。それでも、映像を見返す手は止められない。
この表情はもしかしたら何かを伝えたかったのかもしれない。この時はもう解散の話が出ていたのかもしれない。彼らの声が、笑顔が、汗や涙が、全部私たちファンを呼んでいるみたいに見えた。


こんな、突然いなくなるなんて……
……ソラ、何があったの。何が、言いたかったの。
何も言わずに、置いていかないでよ。

そんな私の願いは叶うはずもなく、彼らは伝説になっていった。






 「ここか…」

 住宅街の中に冷たく聳え立つコンクリートの建物。ここがソラの自宅。Seiyaくんから「土曜日なら兄に会えるかも」と連絡が来て、美香とカフェに行く約束を断ってここへ来た。
昨日見た昔の夢が、更に私にとんでもない挑戦をしていると現実を突きつけてくる。緊張で震えが止まらない手でインターホンを押す。

「……あれ、いないのかな」

 住所を間違えてしまったのかもと不安に思い、携帯で確認をしていると、いきなりドアが開いた。

「……誰」

フードを深く被っていて、顔が良く見えない。声は、一瞬で良く聞き取れなかったけど、似ている気がする。

「あ、えっと、ガス会社の者なのですが、お隣のコンロに不具合がありまして、同じ会社が建てたと言うこともあって、この地域を問題ないか点検していまして……」

って、もっとマシな嘘思いつけよ自分!
会いたいが先行しすぎていて、細かい設定を考えることを忘れていた。こう言うところがいつもたっちゃんに呆れられているのに、本当に成長しない。

「家の中ですか?」
「えー、はいできればご協力を……」
「あー……まあ、どうぞ」

心臓の鼓動が聞こえないようにと、深呼吸をした。すんなり入れてもらえたことを不思議に思いながらも、貴重な第一歩だ。

 家の中は冷たく静まり返っていて、こんなにも大きな建物なのに、あまり物がない。リビングに行く途中に作業室らしき部屋のドアが開いていたが、何故かあまり覗くことができなかった。

 「で、なんの用」

 リビングに入った瞬間、ソラは立ち止まり、フードを脱いでこちらを見つめてきた。
 5年ぶりにみるソラの姿。髪色が金髪から黒に変わっている。肌の白さと、顔つきはあまり変わっていない。

……ソラだ。本物だ。

 「え……っと」
 「せいや、あいつ嘘つけないタイプ。まあ、人が来るとしか聞いてないけど」
 「え?な、なんだ、聞いてるんですね……いきなりすみません…でもなんで私を家に入れてくれたんですか?!」
「追い返してやろうと思ってたんですけど、あまりに下手な嘘ついてるんで面白くて」
「あ、それは……」
「芸能事務所の人?それともテレビ局の人?」

クールだけど、優しい話し方。人を無下にするような突き放すようなそんなことはしない。初対面の人にも気さくに話せる。そんなところ、全然変わっていない。

 「初めまして、冴島空さん。サクラエンターテイメントの月本菜奈です。いきなりの訪問と嘘をついて立ち入ろうとしたことをお詫びします。申し訳ございませんでした」
 「サクラエンターテイメント……最近売れてるあの俳優の子がいるところか」
 「知ってくれてるんですね!」
 「別にたまたま知ってるだけだけど」
 「それでも嬉しいです、ありがとうございます」

 ソファーに座るように案内をしてくれて、透明なグラスにお水を注ぎ、私の目の前に置いてくれた。
 ソラからお水をもらった……というか、このソファーいつもソラが使ってるんだもんね、やばいかも……なんて気持ちが顔に出ないように私は必死に「大丈夫」と心の中で唱える。

 「で、早速だけど、なんの話ですか。弟も内容だけは教えてくれなくて。楽曲提供の話なら無理ですよ。今あるものは弟のものなんで」
 「いや、えっと私は……」

 淡々と話すソラに、一歩下がってしまう。あれ、なんか今言い方冷たかった気が…。ソラの一言一言で、一喜一憂していたあの頃みたいに感情が揺さぶられる。

私は、覚悟を決めてここに来たの。
拳に力を入れて、気持ちを精一杯伝えるの。

「冴島空さん。いや、ソラ」
「え、なに」
 「私がもう一度、貴方をスターにしてあげます!!!」
 「……はい?」

静まり返った部屋の中はとても居心地が悪い。

 「えっと、ですから、私がソラをまたスターに……」
 「いらない」
 「待って、説明をさせてください!」
 「だからいらないってば!……そんな話なら、帰ってください」
 「ちょっと待ってください!私はあの頃のLUMINOUS を……」
 「その名前を!!!出すなよ……お願いだから」

 今にも泣き出しそうな、悲しい声。「LUMINOUS 」の名前すら、聞きたくないの…?

 「ソラは……このままでいいの?」
 「……は?」
 
冷たい目線で睨みつけられた。

「今の音楽の仕事で満足いってるの?あの頃みたいに、自分の音楽を世界中の人に聴かせたくないの?もう、あの夢は忘れちゃったの……?」
 「あの夢……?」
 「デビュー当時のインタビュー動画で……」
 「うるさい……いいから出てって」

 腕を引っ張られて、ドアの外に放り投げられた。強く閉まるドアの隙間に、苦しそうなソラの顔が見えた。
 やってしまったかもしれない。でも、こんなことでへこたれられない。私は覚悟してここに来た。私はここまで来て、もう引き下がれない。
次の日、私はめげずにもう一度ソラの家を訪ねた。


 「あのさ、しつこいんだけど」

 何度もインターフォンを鳴らすと、20回目くらいでソラが眠そうな顔をしながら出てきた。
 
 「あの、一度しっかり話をさせてください」
 「……あんたさ、お人よしだね。何、今更俺たちが可哀想になった?助けてやりたいってヒーロー気取り?俺たちがまた一緒になることが正義だと思ってんの?」
 「……思ってますよ、私はそれが正義だって本気で思ってますよ!」

 勢いよくソラの体を押し、無理矢理に家に入った。

 「イッタ……ちょ、不法侵入なんだけど」
 「ソラ、いいから私の話を聞いて。お願いだから」

 服を引っ張り目力で訴えた。そう、これは昨日一人反省会をした成果。熱量で訴える。これしかないと思った。
一歩間違えたら、ストーカー?不法侵入で犯罪者?そんなのを考えてる余裕はこの時の私にはなかった。

 「……わ、わかったから離れて。話だけなら聞いてやるから」
 「ほんとですかー!!!」
 「どうせくだらないだろうけどな」
 「1から丁寧に説明します!!!」

 ほら、ソラの人の良さが出てる。お人よしはどっちよ。と心の中で思った。

 「んで、俺らを復活させてあんたは何がしたいの?」
 「何がしたいっていうか……世界中にいるファンの笑顔が見たいです」
 「なんだよそれ……てかすごいことしようとしてる自覚ある?あんたらが俺らを買うってことだよ?そんなお金、あんの。事務所もリスキーだろ」
 「お金は、正直ないです。貯金苦手だし……」
「いや、お前の貯金の話じゃなくて……」
「でも事務所にはちゃんと話してるので大丈夫です」
 「はあ、どうだか……俺らがまた芸能の世界に戻るのなんて、下手打ったら事務所潰れるよ?」
 「……私は、皆さんを再びスターにする為に、勉強して勉強して、就職しました」
 「え、あんたバカなの?俺らのためって。もっと明るい夢持った方がいいって。若手を指導するとか、国民的スターを生み出すとかさ……俺らもうとっくに終わってんだから……」
 
 「終わってる」という言葉を今まで私は一番嫌ってきた。分かってる。分かっているけど……。

「分かってます。私一人に何ができるのって無理だって、散々言われてきましたから。両親には常に心配の目で見られてしつこい連絡が毎日来ます。友達も今は一人しかいません。将来の夢を語った友達はほとんどいなくなりました。鼻で笑われ、陰でバカにされた。でも私は、それでも、LUMINOUS が好きです。5人が好きで、一度でいいからまた会いたいんです。ステージに立っている5人に。たったそれだけの願いだけど、私にとっては人生最大の夢です。だって、皆さんは私を救って……」
 「人生最大とか、正直さむいわ」
 「……すみません」
 「あんたさ、俺たちがなんで解散したか知ってんの」

 解散理由?それは確か内部分裂って記事には書いてた。

 「それは、皆さんの中で何かあったんですよね。解散するくらい大きなことが」
 「ああ、まずそれ調べたらどう?俺からは絶対言わないけど」
 「え……理由を知って欲しいんですか?私にとっては解散理由なんて正直どうでもいいというか……またスターになってくれればそれで」
 「だから、俺らが5人ともまたあの生活に戻りたいって思わせてみたら?って言ってんの。解散した理由すら知らない人の言葉なんて、全てが軽いけどな」
 「あ……」
 
 私、なんか失礼なこと言ってしまった気がする……また独りよがりなところが出ちゃったよね。

 「とりあえず、出直してよ。今のあんたと話すこと俺ないわ」
 「……すいません、でした」
 
 ソラに背中を向けて部屋を出て行こうとすると、呼び止められた。
 
 「あ」
 「……なんですか」
 「でも、あんたが俺たちのファンだったんなら、これだけは言っといてやる」
 「はい?」
 「救ってくれたとかさ、そんなの、救われてたのは俺らの方だっつの」
 「え?」
 「あの頃、俺らの生活は睡眠時間は少ないし、忙しいって簡単に言えないくらい忙しかったよ。だから必死に笑って仮面被ってステージ立ってた時もあった。でも、ファンのみんなに出会えてよかったとか、応援してくれてありがとうって気持ちは、嘘じゃなかった。絶対、偽りなんかじゃなかった。ファンがいたからステージに上がれた。あんたみたいなファンがいたから、笑えたんだ。だから、救われてたのは俺らの方」

 ソラの言葉を聞いて、気がついたら視界がぼやけていた。涙が頬を伝って、胸が苦しい。それは、あまりにもソラが、過去を思い出しながら、嬉しそうに話すからだ。

 「あんたも、俺らを救ってくれていたファンの一人なんだな、ありがとう」

 頭に大きな手のひらが優しく触れる。サイン会に行けなかったあの頃。ペンライトを握れるように頑張ってリハビリをした日々。ソラの言葉で、私の過去が救われた。……また、救ってもらった。

 「……おい、そんな泣くなよ」

 そう言ったソラの声がいつもより少し掠れていて、そっと寄り添ってくれているような暖かい声だった。

アイドルとファンは、救い救われる関係だと、学生の頃美香が言っていたことを思い出した。
アイドルがステージで輝ける原動力はファンがいるから。ファンがいないとそもそもお仕事にならない。
ファンが私生活を頑張って生きられるのは、アイドルがいるから。ライブがあるから仕事を頑張ろう、サイン会があるから可愛くなろう。アイドルと言う原動力がないと生きる意味を見出せない人は山ほどいる。
 
救い救われる関係。なんて綺麗なのだろうと思う。恋愛や友情ではなかなか得られない関係。それこそが、私とLUMINOUS の関係だった。
もちろん、この関係は全ての人に当てはまる言葉で、何百、いや何千万人いるみんながそれぞれそう思っているはずだ。世界には一部、私が推しあげていると思う人もいるみたいだけれど、それはまあ人それぞれだ。アイドル側だって、幸せにしてあげてると思う人がいたっていい。

大勢いるファンの内の、ちっぽけなひとりだけど、そのひとりがいないと大勢にはなれない。一人一人が出せる精一杯の愛を叫んで、彼ら一人一人をやっと満たせるんだ。
ソラが言ってくれた、『ありがとう』を、私は思い出す度に涙を浮かべた。