その日は金曜日だった。
大地から大学のコンパを断り切れなかったと連絡が届き、俺は一人で夕食を食べていた。
彼が帰ってきたのは深夜十一時を過ぎたところだった。
一応起きて待っていた俺はチャイムの音で玄関に向かう。
「こんばんはー! 誰かいますか?」
元気な声に目を瞬かせた。初めて聞く声だ。
「はい……」
扉を開けると、金髪に耳にたくさんピアスをした、いかにも都会の人間という感じの男がいた。その肩を大地に貸している。そんな大地は耳まで真っ赤にして俯いていた。
「大地、ウーロン茶とウーロンハイを間違えちゃってつぶれちゃったんですよ」
彼のカラっとした笑いに戸惑いながらも俺は頷く。
「お兄さんが大地の同居人ですか?」
男が首を傾げる。俺がここにいること自体は大地に聞いていたらしい。
大地はようやく自分の足で立ち、部屋に入り俺の隣に移動する。
「颯太、この人は白井蓮。俺と同じ研究室の同級生だ。白井、こっちは松崎颯太。俺の幼馴染で、中学高校と同じ学校で、同じクラスだった」
紹介され、俺は小さく会釈する。白井はニカっと笑って靴を脱ぎ、中に入った。
「そうなんだ! よろしく、颯太君! てか、俺も名前呼びでいい? 同い年なんだし、タメ語でいいよね?」
ぐいぐい来る人だ、と俺は苦笑を浮かべる。
「うん……、えっと、コーヒーでも飲む? 送ってきてくれたお礼に」
「そんなに気を使う必要はない」
ふらふらしながら大地が返す。
俺は苦笑を浮かべ、彼をベッドへ連れていく。白井はそんな俺の後ろからついてきた。
「おぉ~! 大地の部屋に来るの初めてなんだよね! これが作業机か~! ここで大地はぬいぐるみ作ってるんだな!」
ん? と彼を見る。彼は大地がぬいぐるみ作りを趣味としていることを知っているようだった。
「あー……、まぁな」
対する大地の方も流している。彼の場合は酔っているから余計に返事ができないだけかもしれないが。
「……知ってたんですか? 大地がぬいぐるみ作りするのが好きだって」
高校まではそのことを知っているのは大地の両親以外には自分だけだったというのに。
白井は俺を見てにっこりと笑う。
「そう、偶然だけどね。ハンドメイドマーケットで大地がぬいぐるみを売っているのを見かけたんだ」
大地はベッドの上で頭を抱えた。
「東京に出て……、開放的な気分になっていたんだ。何より、直接俺のぬいぐるみを買ってくれる相手の顔が見られるっていうのが本当に嬉しくて……。まさか同じ学校の奴が来てるなんて思わなかったんだ」
「いやいや、行くでしょ。あそこ、シルバーアクセとか、フィギュアとか、男心をくすぐるアイテムがいっぱいなんだから」
けらけらと笑う。
どうやら大地が自分からカミングアウトしたわけではなさそうだと俺はホッとした。
「あ、これ、もしかしてクッキー? てか、何これ、神棚?」
白井は昼に俺が備えておいたアイシングクッキーに目を向けて尋ねる。大地は両手を顔からずらし、上半身を起こしてそちらを見た。
白井がクッキーに手を伸ばしたところだった。
ばしばしばし!
神棚の周囲にまるで威嚇するかのように赤い手形がつけられる。
「ひぇっ!」
思わず声を上げたのは俺だけだった。
きっと触るなという意味だろう。しかし、白井はというと、顔を輝かせてスマホを取り出し、写真を撮った。
「うわ! マジだ! 本当に心霊物件なんだ! てかクッキーに触ろうとしたら出てくるとか、マジウケるんだけど」
いろんな角度から写真を撮っていく彼に頬を引きつらせる。
白井は俺の方を見て笑みを向けた。
「俺、心霊系動画配信者やっててさ、普段朗読とか心霊系の物件潜入とか、廃トンネルロケとか、そういう動画をあげてるんだよね。で、風の噂……、っていうか、大地のSNSで大地が心霊物件に住んでるって話を聞いてさ! ぜひ一度取材させてもらいたいって思ってたんだよね」
そうして彼がスマホの画面に見せてきたのは彼のSNSアカウントだった。数万人のフォロワーがいることから、そこそこ名の知れた配信者なのだとわかる。
「このクッキーって、颯太が作ったの? いい感じじゃん。なぁ、大地。これって、動画にあがっていたぬいぐるみ達だよね?」
「う……、うん。まぁ」
よろよろと起き上がった大地が確認しに来る。クッキーは彼のお気に召したのか、瞳がきらりと輝いた。
白井はますます興味深そうに顔を輝かせる。
「いいじゃんいいじゃん! それに、お供え物に触ろうとしたら威嚇してくる幽霊とか! めっちゃいいネタになりそう!」
俺は唇を引き結び、大地を見る。大地は面倒くさそうに白井に視線を移した。
「だから言っただろう? お前が直接幽霊たちと交渉しろって……。それでいいって言ったら俺の家でのロケを許してやるって……」
「え」
驚きの声をあげたのは俺だった。
昔の大地だったら、そういううるさいのを好まなかった。というか、今だって自分の領域を踏み荒らされるのは好きじゃなさそうなのに。
白井の頼みならいいのかと胸がモヤリとする。大地がこういうタイプの人の言うことを聞くところを見たのは初めてだった。
「そうそう。なぁ、颯太。颯太も手伝ってよ。なんか、幽霊たちに懐かれているみたいだしさぁ」
白井が俺の肩に手を回してくる。彼もそれなりに酒を飲んでいるのだろう、むわりとアルコールの匂いがして顔をしかめてしまった。
「えっと……、でも……」
助けを求めて大地を見る。大地は白井の服をつかんで俺から引き離してくれた。
「自分でやれ」
彼の顔が剣呑にしかめられている。俺は上目遣いに彼に視線を向けた。
「……大地は、いいの? この部屋で動画撮影とか……」
「大地自身がぬいぐるみ動画撮ってたじゃん」
白井のツッコミに俺はむぅと唇を尖らせる。大地は視線をそらして神棚を見た。
「……あいつら、たくさんの人に見てもらうと喜ぶだろ。特にクマに入っている子が踊るのが好きなようで……」
俺は目を瞬かせる。彼は口の中で呟くように続けた。
「……昨日、言い過ぎたかもしれないと思ったんだ……。それで……」
小さな声はもしかしたら俺にしか聞こえなかったかもしれない。
どうやらぬいぐるみのために、この部屋での撮影を許可したらしい。
俺は頬を緩ませた。
「俺も、仲直りのつもりであれ作ったんだ。……同じだな」
笑みを向けると、大地はどこか気まずそうに視線を伏せた。その口の端がむずむずと動いているのを見て心がくすぐられる。
「んー、じゃあ、やっぱ自分で交渉してみるか……」
白井はそう言って神棚に視線を向ける。
「おっ……!」
驚いたような声を出す彼に何事かと見てみると、そこには先ほどまでは存在しなかったぬいぐるみが五体並んでいた。
「……どうやら幽霊たちも白井の話に興味を持っているようだな」
大地が呟く。俺もコクコクと頷いた。
「えー、本当? じゃあさっそく本題なんだけど、君たちが踊っている所を撮らせてもらいたいんだ。これ、俺の動画配信サイトのチャンネル登録者数。ほら見て、十万人いるでしょ? これはね、俺のチャンネルを十万人の人が見てくれているってことなんだ」
実際には登録だけして動画は見ない層もいるだろうが、あえて今それに対してツッコミは入れないでおいた。
クマの子が少し前に出てスマホを覗き込む。白井は一瞬息をのんだが、さらに調子よく続けた。
「もしも君たちのダンスが魅力的だったら、さらに人を呼べると思うんだ。どうかな? 挑戦してみたくない?」
ぬいぐるみ達はお互いの顔を見て、再び白井に視線を向ける。一番最初に頷いたのは、やはりクマの子だった。それからほかの子たちも手を上げたり一歩前に出てやる気を見せる中、コツメカワウソの子だけはもじもじと体を動かしている。他の四体の視線が集まると、ようやく彼もコクコクと頷いた。
全てのぬいぐるみがやる気を見せ、白井は手を叩いて喜ぶ。
「やった! それじゃあ、よろしくね! 音楽はどうしようかな……、なんか踊りたいのある?」
ぴょんぴょんとクマのぬいぐるみがダンスを見せる。以前大地が動画を流してレッスンしていたものだった。
「これか?」
大地がスマホにその動画を流すと、クマはうんうんと頷いた。かわいらしい振り付けの、日本のアイドルの動画だった。
「あー、これ? ちょっと待って、著作権的にイケるかどうか確認するから」
少し黙った白井がスマホをスワイプする。
「あ、よかった。この事務所、動画配信サイトと提携しているから、音楽使えるっぽい。じゃあ、これでよろしく! 練習はあと何日くらい必要?」
クマの子が周囲を見渡す。すぐに神棚の後ろに手形が新しく追加された。
「うんうん、五日ね。了解! それまでに俺の方も準備進めておくよ」
よくこれでわかったな、と呆れたような、それでいて尊敬するような気持ちになってやりとりを見つめる。
とにかく嬉しそうなクマの子は本当にダンスが好きなのだろう。ほかの羊、ネコ、ウサギの子たちも『いっちょやってやるか!』と気合十分である。そんな中、コツメカワウソの子だけが心配そうに俯いていた。
そうして白井は、無事にスマホで簡単な契約書を作り、大地にサインさせると家に帰っていったのだった。

