心霊物件に住む幼馴染と暮らしたら、幽霊が俺たちの恋愛応援団になった件



『今、説明会が終わった。約束通り、泊っている間は俺が出来る限りご飯作る。食べたいものはあるか?』
 そう大地にメッセージを送ると、すぐに返信があった。これは朝食の時間に話をしていたことだった。
 最初のうち、大地は遠慮していたが、せっかくパティシエ見習いがいるのだから、とごり押ししたところ、彼は折れてくれた。
『悪いな……。できればさっぱりした和食だと嬉しい』
 帰ってきた返信に頬を緩ませ、了解! と元気に返す。
 彼は申し訳なく思っていそうだったが、好きな相手に手料理を食べてもらえるのだから、俺としては張り切らない理由がなかった。
 俺はさっそく近所のスーパーで買い物を済ませ、大地の家へと戻る。もらった合鍵を使って中に入ると、陽気な音楽が聞こえてきた。
「……ん?」
 大地の声も混ざっていて、首を傾げつつ音が聞こえてくるリビングへ行く。
 大地は三脚にスマホを立て、ぬいぐるみを撮影しているようだった。
 全部で五体のぬいぐるみが、ぴょこぴょこ跳ねながらダンスを踊っている。
「そうだ! いい感じだ! 次、ターン!」
 大地の掛け声にあわせ、ぬいぐるみたちがくるりとスマホに背を向ける。その中の一匹がぽふんと転んで倒れてしまった。
 今日の朝、自分の頭についていたコツメカワウソだとわかり、俺は小さく『あ!』と叫ぶ。
 それで気が付いたのか、大地は目を丸くして俺の方に視線を向けた。
 俺達はお互い黙っていたが、やたら軽快な音楽が場違いにも流れ続けている。
「………………」
「………………何してんの?」
 黙って見つめあっているのもどうかと思い、一応尋ねる。
 途端に大地は頬を真っ赤に染めた。
「……帰っていたのか。言ってくれればよかったのに!」
 どうやら照れているようだ。
 大地はスマホをタップして録画を止めると、先ほど映した映像を見せてくれた。
 そこにはまるでAI動画のように踊る五体のぬいぐるみが映っていた。
「何となく音楽をかけていたら、気が付いたらテーブルの上で踊っていたんだ。それでつい……、動画を撮っていたら、どうやらテレビで見たダンスを参考にしているようだとわかったから、その動画を見せてあげて、練習につきあっていたんだ」
 大地が視線をぬいぐるみたちに向けた。
 ぬいぐるみ達は俺を見上げてうんうんと頷いており、思わずのけぞってしまう。
「うわ! 動いた!」
 持っていた買い物袋を落としてしまった。びくりとぬいぐるみたちが怯えたように下がる。
 彼らはそのままどうすればいいのかと大地と俺を交互に見ていた。
 ぴょこぴょことした動きをつい凝視してしまう。その動きに、きゅんと鼓動が高鳴った。
「…………かわいい」
 頬を押さえ、思わず呟く。
 動画越しだと作り物めいていたが、いざ目の前で動くぬいぐるみを見てしまうと、外見と相まってかわいらしい仕草は俺の胸を掴んだ。
 大地は緩む口角を必死に引き締めているようだったが、嬉しいと思っているのがバレバレの顔をしている。
「そうだろう……! かわいいだろう! 踊っているのを見ていると、応援したくなるだろ!」
 彼の輝く笑顔を眩しいと思いながら、俺は頷きを返した。
「そうだな! 仕草がまるでハムスターみたいだし、癒されるな!」
 実際に今幽霊たちが憑依しているぬいぐるみは手のひらサイズなので怖いどころか可愛くて仕方なかった。
 ぬいぐるみ達は照れたように頭をかいている。そのしぐさも現実で起こっているとなると愛らしく思えた。
「よし! ならさっそくもう一度チャレンジするぞ!」
 大地の掛け声に、ぬいぐるみ達は再びポジショニングする。どうやら場所も決まっているようだった。
 先ほどのコツメカワウソのぬいぐるみもよろよろと歩いて定位置らしき場所へ移動する。しかし、やけに動くのが大変そうだった。
「……なぁ、このコツメカワウソの子、他の子に比べて動きにくそうじゃないか?」
 尋ねると、大地はああ、と小さく呟いた。
「このぬいぐるみはペレットという……、綿に比べて少し重い小粒なプラスチックの塊を尻のあたりに入れてあるんだ」
「へぇ……、何のために?」
「これを入れておくと、安定して座らせられるんだよ。逆に言えば、綿だけで作られた他の子に比べてターンの時に重心が安定しづらいし、少し重いんだ」
 コツメカワウソは大地の説明を所在なさげに聞いていた。
「そうなのか? なら、綿だけのぬいぐるみに憑依した方がいいんじゃないのか?」
 俺は大地に、というよりはぬいぐるみの方へ向けて問いかけた。
 大地もそう思っていたようで、コツメカワウソを黙って見つめている。カワウソは二人と四体の視線が集中したことで恥ずかしそうに一歩下がった。
 それでも、ぶんぶんと首を振って、小さな両手で自分の体を抱きしめる。
「……この体、気に入っているみたいだな」
 大地が優しくコツメカワウソの頭を撫でた。今度はコクコクと頷くものだから、大地の読みは当たっているのだろう。
 そのままカワウソは両手を前にやり、再びステップを踏む。
「練習するから、この体を使わせてほしい?」
 大地の言葉に、再びカワウソがコクコクと頭を縦に振った。なんで言っていることがわかるのだろうと思うが、あえてツッコミは入れなかった。
「……健気だな」
 代わりに、そんな事を呟く。実際、このコツメカワウソのぬいぐるみは他の子よりも少し小さいのでより庇護欲が掻き立てられるのだ。
 大地は目を細め、スマホを操作して音楽を流し始めた。
「そういうことなら、引き続き頑張ってもらおうか」
 彼の言葉に、カワウソはぐ、と両手を握るような仕草をする。まるでスポーツ漫画みたいだな、と俺は目の前の心霊現象をどこか微笑ましい気持ちで眺めていた。
 リビングで踊り続ける彼らから離れ、俺は一人で台所へ行き、夕食の支度を始める。
 先ほど落としてしまったので卵がいくつか割れてしまっていた。
 どうしよう、と卵を無駄にしないために頭の中でレシピを検索する。
 それから、俺は練習が途切れたのを見計らって大地に話しかけた。
「なぁ、この子たちって、ご飯食べるのか?」
 尋ねると、大地は目を瞬かせ、首を傾げた。
「いや……、幽霊だし、食べないんじゃないのか?」
 だよなぁ、と俺は小さく呟く。大地は壁の端を指さす。
 そこには棚板が設置されており、その上に榊の枝とお札、盛り塩が置かれていた。
「なんだこれ?」
「簡易神棚。引っ越してきた最初の頃に作ったんだよ。当時はラップ音とか金縛りが酷かったから、少しでも鎮めたくて」
 その割には今はもうお互いに馴染んでしまっているようだ。いや、これがあるから幽霊も暴れられないのだろうか。
 そんな事を考えていると、更に大地が続けた。
「ここにお供えしたら食べられるのかもしれないな。ほら、昔から貰い物はお供えしてから食べていただろう?」
「それって、仏壇のことじゃなくて?」
「似たようなものだろう? 明治維新前は仏も神もほぼ同一視されていたっていうし」
「そんなものか?」
 言いながらもぬいぐるみを見ると、まるで『そうなの?』とでも言いたげに話の成り行きを見守っていた。
「まぁいいや! せっかくだし、プリン作ってやるよ」
 俺はニカっとぬいぐるみにむけて笑みを作る。途端にぬいぐるみ達は両手をあげてばんざいのポーズを取りながら飛び回った。
 ゼラチンは買っていなかったので蒸しプリンとなる。
 五月ではあるが酷暑が続いていたので、あまり長い時間置いてはおけないだろうけれど、と俺は夕食の準備がてら作ったプリンを神棚にお供えしておいた。
 ちなみに夕食はリクエスト通りに冷しゃぶとサラダ、米とみそ汁で大地は嬉しそうに全て平らげてくれた。
 昔から彼は俺の作った物を美味しそうに食べてくれる。俺は頬をほころばせ、そんな彼の笑みを目に焼き付けた。
 こんな事で喜んでくれるのならいくらでも作ろう。
 そう、心の中で誓ったのだった。

 後片付けを終え、シャワーを貸してもらう。
 大地が大学の勉強を始めたので幽霊たちは憑依をやめたのか、皆ただのぬいぐるみに戻っていた。
 体を洗っていた時だった。
 俺は謎の寒気に襲われ、後ろを振り返る。
 そこには子供の人影が洗面所と風呂場を分ける扉の擦りガラス越しに見えていた。
「ひいぃぃ!」
 驚いて一歩下がると、浴槽にぶつかり、その場に尻もちをつく。
 子供は小学校低学年ほどの身長に見えた。髪は耳の上で短く切りそろえられている。きっと男の子だろうと当たりをつけた。
「で……、ででで……、でた……!」
 恐怖で全身に鳥肌が立つ。
 ばん! とすりガラスに赤い手形がつけられた。
「ひぇ!」
 震えて身を縮こまらせる。俺が一人になったところを見計らってとり殺そうとしているのではと、背筋が冷えた。お経を唱えようにも混乱した頭では全く思い出せない。そもそも普段信仰もしていないくせにこういう時ばかり頼ってもどうしようもないだろう。
 大地を呼ぼう、そう口を開いたところで、さらに血で文字が描かれた。
 ありがとう。プリン、おいしかった。
「……は?」
 目を瞬かせ、文字を凝視する。
 間違いなく、小学生の子供の字でプリンについての感謝の言葉が述べられていた。
「……どういたしまして?」
 返すと、子供の幽霊はふっと血文字ごと消える。
 残された俺は頬を引きつらせるしかない状態で鳥肌が収まるのを待っていた。

 風呂から出ると、正面の洗面所の端にコツメカワウソのぬいぐるみが置かれていて、きっと先ほどの少年はこの中に入っていた子なのだろうと悟る。
 俺は真っ先に勉強中の大地の元へと向かった。
「なぁ、ここにいる幽霊って、もしかして子供の幽霊なのか?」
 ダンスを踊っていたあたりで精神年齢は低いのかもしれないと思っていた。大地は俺を見て、目を瞬かせる。
「もしかして、出たのか?」
 俺の状態に見当がついているようだった。コクコクと何度も頷きを返すと、大地は真面目な顔になってタブレットの画面を見せてくる。
 そこには事故物件を扱った有名なサイトが載せられていた。
「引っ越して最初のうちに確認したんだ。しかし……、何故かこの物件については何も書かれていないようなんだよな」
「何も書かれていない?」
「ああ……。つまり、ここが建つ前に事故が起きたとか……、そういう話は一切ないんだ」
 俺は眉間に皺を寄せた。
「……へぇ」
「まぁ、俺は結構この部屋の暮らしを満喫しているけど、やっぱり颯太からするとしんどいよな……。とはいえ、これまで住んでいて、この家から出てもついてきたことはないから……」
 一応、慰めてくれようとしているらしい。
 俺は頬を引きつらせ、大丈夫とだけ返しておいた。


 翌日、大地を大学へ見送ると、俺は家で一人になった。
 明日には課題提出とともに面接があるのでのんびりはしていられない。スーパーで課題として出されているマドレーヌの材料を購入して戻ってきた。
 課題提出については前もって知っていたので、マドレーヌの型は家から持ってきている。
 台所に立ち、早速調理を開始する。課題を提出するパティスリーは東京でも有名なところで、正直今回の二次選考に呼ばれただけでも信じられない気持ちでいた。
 しかし同時に、絶対に合格するのだという野心も生まれている。
 張り切って卵を割り入れ、オーブンの予熱を開始したところで、ふいに視線を感じて振り返った。
「ひぇっ……!」
 ぬいぐるみが五体、横に並んでダイニングテーブルから俺を凝視している。その目がきらきら輝いているように見えるのは光の加減だろうか。確実に家に帰ってきた時点ではこんなところにはいなかった。
「……気になるのか?」
 尋ねると、一番端に座っているコツメカワウソのぬいぐるみがコクリと頷きを返した。
 愛らしい仕草につい頬が緩んでしまう。
「静かにしてるって言うんなら、炊飯器の上に乗ってもいいぞ」
 告げると、瞬きの後にはもう、ぬいぐるみ達は炊飯器の上に移動していた。調理台のすぐ横に設置されているので、ここだと作業の様子を一望できるのだ。
「……うわ」
 思わず漏らす。
 てっきりこの小さな手足を使って移動するのかと思っていたが、そこはやはりきっちりと心霊現象で行くようだった。
 彼らは少し前のめりになって俺の手元を眺めている。心がくすぐられ、俺はあえてゆっくりと彼らの前で手を動かした。
 卵を割り、グラニュー糖を混ぜる。たったそれだけでもぬいぐるみ達は楽しそうにぱたぱたと手を動かした。
 マドレーヌ型に生地を入れ、オーブンで焼成する。その間に後片づけを済ませ、夕飯の仕込みをしていると、無事に焼きあがった。
 バターの香りに包まれたマドレーヌを型から取り出す。味見として一つ食べてみると、十分美味しいものが出来上がっていた。
「外はサクってなってるし、中はふんわり、しっとりしてる……! めちゃくちゃ美味しい!」
 ぬいぐるみに笑みを向けると、皆羨ましそうに見つめている。
 俺は審査用のものを分けておくと、五個取って神棚にお供えした。
 すぐにぬいぐるみは魂が抜けたようにその場に落ちる。
「……もしかして、今、神棚に集まってる……とか?」
 思うが、神棚のほうには何も見えない。幽霊とはよくわからないな、と俺は粗熱が取れたところで残りを冷蔵庫の中に入れておいた。


 夕方になり、大地が帰ってくる。
 俺はあの後、大地用に更にマドレーヌを作り、チョコレートでコーティングしたアレンジマドレーヌを作っておいたのだ。
 ちなみにお供えしておいたものも乾燥する前に取っておいて、チョコレートでコーティングした後にまた置いておいたところ、コツメカワウソと羊のぬいぐるみが取り囲んでいた。
 どうやら他の三体はチョコレートに興味ないようで、幽霊にも好みがあるのだなぁと思ったのだった。
「これ、俺に?」
 夕食後に食後の一服をしようと誘い、差し出したマドレーヌに大地は目を丸くする。
「おう……、台所使わせてもらったし、大地、こういうの好きだっただろ?」
 尋ねると、彼は嬉しそうに目を細めた。
「覚えておいてくれたんだな」
 言いながらおいしそうに食べる彼に、つい口角があがってしまう。
「まぁな。大地の事なら何でも覚えてるよ」
 得意な気持ちになりながら、そう返す。大地はくすぐったそうにしていた。
 そうしてもぐもぐと咀嚼する彼を、俺は幸せな気持ちで眺めていたのだった。


 食事を終え、先に風呂を使っていいと言われたので俺はシャワーを浴びることにする。
 髪を洗い、ふと背中に寒気を感じたので振り返った。
「ひぃっ……!」
 何度見ても風呂場のガラス戸越しの人影は心臓に悪い。それも、今回は前回の子を含めた五人全員が揃っていた。
 見たところ皆子供のようで、小学校低学年から中学生くらいまでと幅が広い。
 ばし! とまたも赤い手形がつけられた。
「な……、なんだよっ」
 仲良くなったと思ったのは自分だけだったのだろうか。もしかして呪い殺す気だろうか、と考えて心臓が冷え、けれど続いた言葉で目を丸くした。
『そうたは、やまとのことが、すきなの?』
 この前見た子供とはまた違う、大人びた血文字が書かれる。
「なっ……! な、ななななな、なんだよ、いきなり!」
『そうなんだ……』
 俺の反応は幽霊の子供にも丸わかりだったのだろう。彼ら彼女らは何かを言いたげにお互いの顔を見ていた。
 以前俺にありがとうと言った少年の像が一歩前に出る。
『おうえんする』
「……は?」
 その子どもの文字を見て、次々に『↑おれも』『→わたしも』といった文字が周囲に書き込まれていく。
「応援って……、何するんだ?」
 尋ねるが、一度瞬いた次の瞬間には血文字ともども幽霊たちは消えていた。相変わらず心臓に悪い子たちだ、と俺は唇を引き結ぶ。
 出来ることなら何もしないでいてもらえるのがありがたい。
 もしもこれで大地に『颯太は大地のことが好き』などとバラされてしまおうものなら、その後の立つ瀬がない。
 これまで、大地に彼女がいるのを見たことはない。しかし、中学高校時代とそれなりにモテているのを見てきたのだ。
 しかし、本人曰く、女性と付き合うよりもぬいぐるみを作っている方が楽しいとのことで、ずっと彼女はいなかった。何なら、他人とお付き合いをすることで自分の時間がなくなるのが嫌だとも言っていたような気がする。
 ならば、俺の気持ちを知られるくらいならば許してくれるかも知れない。
 しかし、自分のことを好きで、けれど自分はなんとも思っていない男と同居しなければいけないというのが一般的にしんどいということは考えなくてもわかる。
 大地はけして俺が男を好きだからといって差別したり侮蔑したりするような男ではないだろう。しかし、人間がどうなるかわからないのは自分の両親を見て学んでしまっている。
 我に返り、すぐに泡を洗い流して脱衣所を出る。そこには当然だが誰もいなかった。今回はぬいぐるみも落ちていなくて、やっぱりあれは幽霊たちだったのだな、と実感した。
 髪を乾かしてリビングへ行くと、大地は机に向かって新作のぬいぐるみを作っているところだった。もうほぼ出来上がっているようで、あとはさし目をつけていく段階のようだった。
 彼の態度を伺いながらも声をかける。
「大地、風呂ありがと。次どうぞ」
「ああ……」
 彼は心ここにあらずといった様子だったが、俺が隣に立つとようやく手を止めた。
「今回の新作もかわいいな」
 素直な感想を漏らすと、彼は嬉しそうな瞳を向けてくる。
 一見すると無表情に見える大地だが、俺には彼の表情の機微がわかった。
 俺が風呂に入る前と同じ態度で、隠しているところなんてないように思われる。まだ幽霊たちは行動に移していないのだろうか。
 彼と入れ違いに俺はリビングのソファに座ってスマホをいじり始める。
 相変わらずお祈りメールが並ぶメールボックスを暗澹たる気持ちで閉じ、アプリをつけて暇つぶしのゲームを始めた。
 それから十分ほどだろうか、ドライヤーの音が聞こえてきて大地がシャワーを終えたのを悟る。とはいえ、俺は特に何かをやるわけでもなく、目の前の手のひら大の画面に夢中になっていた。
 リビングに姿を現した大地が、無言でソファの隣に座ってくる。俺は少し体をずらして彼のためのスペースを作った。なのに、俺が引けば引いたぶん彼が詰め寄ってくる。
「…………大地?」
 一時停止して大地に視線を移す。彼はじっと俺を見つめていた。
「……どうしたんだ?」
 徐々に距離を詰められ、気がついたらソファの肘掛けに背中があたっていた。大地の右手が俺の肩を掴み、左手が俺の背後の肘掛けにあてられる。
「だ……、だだだだだ大地?」
 いきなりの壁ドンならぬソファドンに俺は頬が熱くなった。
 心臓もバクバクとうるさい。
 まるで恋人同士のようだと考えていると、彼の顔が接近してきた。
 夢に描いていたような光景に、思わず目を瞑る。このままキスされるのではないのかと思った。
 彼の吐息が俺の唇に触れた瞬間だった。
 バシッ!
 大地は自分の手で自分の顔を殴る。
「……は?」
 目を開けた俺は彼の頬が赤く染まり、額に血管を浮き立たせて自分の体を自分で抱きしめているのを見てぽかんと口を開けた。
「逃げろ……、颯太。俺の体がまだ制御出来ているうちに……!」
「え? え? い、一体どうしたんだよ!」
 そこまで言って、幽霊たちの『応援する』という言葉を思い出し、あっと思わず息を呑む。大地はそんな俺なんて視界に入っていないかのように台所に行くと卓上塩を持って自分で自分の体にふりかけた。
「俺の体から出ていけ! さもなくば、今すぐ般若心経を唱えてもいいんだぞ!」
 あまりの剣幕に、俺の方が怯えてしまう。見守っていると、ようやく大地が己の体から力を抜いた。彼はホッとしたように肩を下ろし、俺の方に向き直った。
「悪かった……。幽霊に憑依されたのか、体の自由が効かなくなっていた。無理やり襲うような真似をして、申し訳なかった」
 彼が深々と頭を下げる。俺は慌てて両手を振った。
「い……、いや! 気にしなくていいよ!」
 むしろ自分からするとラッキーだったとは到底口に出せない。
 体を操られていた大地にとってはとんだ厄介事だったと理解しているからだ。
 大地はふだん幽霊たちが憑依しているぬいぐるみを並べる。
「悪いと思っているんなら、今すぐ降りてきて謝りなさい」
 怒気をはらんだ声は逆らえない恐ろしさを感じた。それは俺だけではなかったようで、全てのぬいぐるみが土下座をするかのようにその場に倒れ込む。実際に小さくカタカタと震えているあたり、怯えきっているのだろう。
 大地は彼らのいるローテーブルの正面にあぐらをかくと、腕組みをして彼らを睨みつけた。
「いいか? 同意なく他人のプライベートゾーンに触れるのはいけないことなんだ。一歩間違えれば犯罪だ。わかっているか?」
 ぬいぐるみ達の首がコクコクと縦に揺れた。
「颯太だって、いきなり同居人に襲われたんだから怖かっただろう? ちゃんと謝りなさい」
 まるで教師のように大地が俺の方を示す。ぬいぐるみ達はくるりと俺の方を向いて、再びぺこりと正面に倒れた。
「い……、いや、本当にそんなに謝らなくていいよ! 驚いたけどさ……」
「よくない! いいか? 嫌な時はちゃんと嫌だと言わないと関係は改善されないんだからな?」
 大地のこめかみに血管が浮き出ている。
 嫌じゃなかったんだよなぁ……。
 そう言えればどれほどいいことか。
 俺は眉尻を下げて頬を引きつらせるだけに止めていた。
 大地は再びぬいぐるみの方を向く。
「いいか? キスは相手が嫌がっていたらしてはいけない行為なんだ。それを憑依することで無理やり行わせようとするのは、相手に対して、お前の意思は尊重していない、俺の好きにさせろと言うようなものなんだ。もしもそんな事を自分がされたら嫌だろう?」
 人間として百点満点の答えだが、言われれば言われるほど俺の心をぐさぐさと刺していく。
 俺としては嬉しい行為でも、大地にとっては嫌なことだったんだな、とわかってしまった。どんどん俺の肩が落ちていくことに、きっと大地は気がついていない。
「颯太だって、不快な気持ちになったかもしれないだろう? そういうことをお前たちはしたんだ」
 俺は大地の後ろでぶんぶんと首を振るが、彼はこちらを振り向きもしなかった。代わりにぬいぐるみたちの視線が俺に集中する。
「というか……、取り憑いていたのはどいつなんだ? 誰か、颯太とキスしたかったのか?」
 大地の声がより低くなった。ぬいぐるみ達は飛び上がってコツメカワウソのぬいぐるみをかばうように取り囲む。四匹の中心でコツメカワウソの子が怯えきっている様子は可哀想に思えてきた。
「……お前か」
 どこかイラッとしたような大地に、つい俺は彼の手を掴んでしまう。
「わ、悪気はないと思うんだ! そんなに怒らないであげて!」
 俺にプリンの礼を言ってくれた幽霊を思い出した。小さな子だった。きっとまだ色々とわかっていなくて、純粋に俺のためを思ってくれたのだろう。
 そのまま今度は俺がぬいぐるみを庇うようにローテーブルの対面に回ると彼らを両腕で抱える。ぎゅ、と彼らが俺の腕を握るものだから、余計に庇護欲が湧いてきた。
 む、と大地は唇を引き結ぶ。
「ちょっと興味が湧いただけだと思うんだ。俺を傷つけようとか、そういう意図はなかったんだと思うよ!」
 眉間にしわを寄せて見つめてくる大地に、俺はぺこりと頭を下げる。
「だから……、大地からしたら不満かもしれないけど、今回は許してあげてほしい! お願いします!」
 自分を応援すると言った結果のことなのだ。一概に彼らだけが悪いとは言い切れない。何より、俺は嬉しく感じてしまったのだ。
 しばらくの沈黙の後、大地が溜息をつく音に恐る恐る顔を上げた。
「……被害者の颯太がそう言ってるんだから、今回はこれで終わりにする。……しかし、次はないからな」
 ギロリと彼に睨まれたぬいぐるみたちはビクリと震える。
 どう考えても一番の被害者は大地だと思うのだが、今回はそれについては不問に処してくれるようだ。
 俺はホッと息をついて彼らを再びローテーブルの上に置いた。
「そういうことだから……、もうこういうことはしちゃダメだよ」
 彼らは一様にしょんぼりとうつむいている。見ているとまた可哀想な気になったが、不機嫌な大地を前にするとこれ以上何も言えなかった。
 幽霊たちは一人、また一人と抜け出ていったのか、ぬいぐるみたちが支えを失ったかのように倒れていく。ペレットが入り、重心が安定しているコツメカワウソの子だけはその場に座り込んでいたので、どうなったのかはわからない。
「……俺、もう寝るね」
 できるだけいつも通りに見えるように笑顔を作って俺は布団の方へと向かう。カーテンを引けば、一人の空間ができあがった。
 スマホを充電ケーブルに挿して横になる。目を瞑ると、本気で怒っている大地の顔が脳裏に浮かび、心臓がじくじくと傷んだ。
 あんなに怒るほどに、俺とキスさせられそうになったのが嫌だったのかと思うと鼻の先がツキンと痛む。大地のことだから、強い倫理観から強い言い方になっただけだと思いたい。
 忘れよう、なかったことにしようと眠りにつこうとするが、頭の中で嫌なことを考え続けてしまい、結局眠れたのは窓の外が白み始めた後だった。