翌日、父さんが退院し、そのまま親子三人で集会に参加することになった。
「ここ?」
集会所は、公民館のような大きな建物だった。しかし、しっかり玄関に宗教名が掲げられており、心臓が落ち着かなくなる。
「あら、松崎さん。今日はお子さんも一緒なの?」
受付をしていた深山さんが目を細めて俺に視線を向けた。
父さんも母さんもとろけきった笑顔で頷く。
「そうなんですよ。颯太が実家を継いでくれるって言うので」
「いやぁ、ようやく跡取りとしての自覚が芽生えたんでしょうね!」
誇らしげだなぁ、とどこか他人事のようにそんな両親を見つめていた。
正直、三十万円も寄付していたと聞いてしまってから、苦々しい気持ちが拭えない。今となればほんの少し前まで感じていた実家を継ぐ使命感や、親に対する申し訳なさはなくなっていた。
父さんと母さんに促され、講堂のような広い空間に整列して並べられたパイプ椅子に腰かける。深山さんのほかにも俺を見て話しかけてくる信者の人たちがいて、父さんも母さんもずっと楽しそうに受け答えをしていた。
俺に話を振ってくれる人もいたが、基本的に話すことがないので、笑顔でごまかしつつ周囲を確認する。目の前には演台のようなひときわ大きな机があり、あそこでスピーチをするのだと察せられた。講堂の天井からはいくつかの液晶テレビが吊るされている。中央に大きく教祖の写真が飾ってあって、花も活けられていた。
パイプ椅子は横に十二脚、縦に二十脚ほどあり、思ったよりも規模が大きいものだとわかる。信者の人たちはこぞって前の方に座りたがるが、新米信者もいるようで、そんな人たちは出入り口近くを陣取っていた。
よく見ると、大地もそこにいる。
目深に帽子をかぶり、マスクをかけていた。長年の付き合いの俺でも一瞬見ただけではわからなかった。
昨日の朝別れた後、俺は自宅に戻り、ずっと母さんと一緒に店番をして、夜は仕込みをしていた。なので、その後の大地の行動は把握していない。今日の朝はずっと父さんと母さんの相手をしていたのであまり連絡も出来ていなかった。
にもかかわらず、大地が無事にここまでたどり着けていたようでほっとした。
彼は一番端の席に座っており、一つ席が空いて他の人も腰掛けていた。その人もマスクをつけて、サングラスをかけている。室内なのに、と思うが、それぞれ人には事情があるのだろうと、俺は自分のカバンに視線を移した。
ショルダーバッグの中にはぬいぐるみが五体詰められている。昨日、話し合いの結果俺が持っておくことになったのだった。
小さな声で尋ねる。
「大丈夫そうか?」
ぬいぐるみ達はコクコクと頷きを返した。
いまだに話を続けている両親を横目で確認し、俺はそっと前方の窓を指で示す。
事前の打ち合わせとして、どこに手形を出すのか話し合う必要があったのだ。どんなにがんばっても一度に左右あわせて十以上の手形は残せない。だから、窓を絞って手形を出させ、俺が誘導するという話だった。
時間になり、照明が落とされ、講堂内が薄暗くなる。中央にスポットが当てられ、これまで散々写真で見ていた教祖がゆっくりと控室に続くのであろう扉から入ってきた。
父さんや母さんよりも年上に見える教祖は男性で、お坊さんのように頭をそり上げ、袈裟のような衣を纏っている。俺の中に宗教に対する不信感があるからか、彼にカリスマ性は感じられなかった。
彼は中央の机の前で立ち止まる。
何も言わないのに周囲の信者が腰を上げ、俺もそれにならった。
そのまま一礼し、再び着席したところで彼の説法が始まる。
長い話は聞いていて眠くなってくる。うとうとし始めたところで、ようやく彼の話が終わった。
「以上で今回の集会は終わります」
教祖はぐるりと周囲を見渡す。そして、再び一番端の席まで通るような、力強い声を出した。
「皆様方が今日ここにいられるのは、仏のご加護あってのことです。病が癒えるのも、仕事がうまくいくのも、家族が笑顔でいられるのも、全て仏と、この私が皆様のために祈り続けているからに他なりません。どうか、その恩に報いてください」
いつもの口上なのだろう。横目で両親を見ると、うん、うんと深く頷いていた。
教祖は続けた。
「我々の信念は助け合いで、お金が余っている方々からご寄付を募り、困っている人を助けます。今週も、ご寄付を頂けるのであれば、どうぞこちらに」
彼の言葉で前の方にいる信者達が腰を上げる。
その時だった。
「お待ちください。閉会する前に、俺を助けていただけないでしょうか?」
低く響く声とともに大地に注目が集まる。彼は立ち上がっており、まっすぐに教祖を見つめていた。
ついに来た、と俺は心臓が震えた。俺のバッグの中のぬいぐるみはすでに出ているのか、何の反応もない。
教祖は大地に視線を移し、小さく手で信徒たちに座るようにと促した。マイクを手に取り、口に近づける。
「今回が初めての信者さんですか? お困りごととは何でしょう?」
優しい教祖の声音に、大地はうなだれたように肩を落として見せた。
「ここでは、悪霊を払ってもらえるとお聞きしました。なので、藁にも縋る思いで来たのです」
周囲の信者たちが頷いている。彼らも教祖に救ってもらったと思っている人々なのだろう。
「はい。もちろん。どんな霊でも除霊いたしましょう」
教祖が寄り添うような声音で返す。大地は助かったとでも言いたげに目を輝かせた。彼はこんなに演技がうまかったのかと今更知った。
焦燥しきったような大地の声が発せられる。
「もうずっと、悪霊に取り憑かれているんです。彼らは、いつも俺の後ろをぴたり、ぴたりとついてきて離れようとしません。……除霊してもらえないでしょうか」
彼の言葉に、教祖は同情するように眉尻を下げた。
「……なるほど、それはお困りですね。では、後ほど私の元へいらしてください」
「いえ、ここでお祓いしていただきたいのです」
けれど大地が食い下がる。
教祖は少し顔をしかめたが、すぐに笑みを作った。
「わかりました。しかし……、わかりやすい霊障などはありますか?」
彼が言い終わるか終わらないかという時だった。
バチィ……!
何かの破裂音とともに照明が落とされた。
「……なっ」
周囲で息をのむ音がする。まだ朝の十時頃なのに、中はやけに薄暗くなった。信者達が慌てて窓にかけられていた暗幕を開ける。
今だ、と俺は先ほど打ち合わせをした窓を指さした。
「あ、あそこ!」
バシ、バシバシ、バシ……。
俺が示した窓に次から次へと赤い手形がつけられていく。
「ひぃっ!」
暗幕を開けたため、それを近くで見てしまった信者の一人が悲鳴をあげた。
「な……、なにこれ! いたずら!? 何かのトリック!?」
「でも外には誰もいないじゃない! どうやってるのよ」
信者たちがざわめいている。ふいにブツリとテレビがついて砂嵐が流れた。
「て……、テレビまで!」
俺はまたも大声とともに上方についているテレビを指さす。これもあらかじめ打ち合わせ済みのことだった。信者たちは俺の声に導かれるように見上げる。
前から順番に電源が入っていき、全てのテレビがザザザ……という音を発した。
「わぁあ!」
信者たちが数人、立ち上がって出入り口の扉へと向かう。しかし、扉は何故か開かず、鍵を開けてもびくともしない。
教祖は、と振り返ると彼は恐ろしそうに顔をしかめて彼の正面右側に設置されていたテレビを見つめていた。
「さぁ、お祓いをお願いします」
大地はそう言って一歩前に出る。
「そうだ! 教祖様がきっと助けてくださる!」
「お願いします! 教祖様!」
奇跡を信じる信者たちの視線が教祖に突き刺さった。
ジャラ、と教祖は震える手で数珠を取り出す。
「観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時……」
独自のお経ではなく、般若心経なのか……。
どこか肩透かしを食らったように思いながらも、あ、と窓に視線を移した。
一つ、また一つと手形が消えていく。
ぞくり、と背筋が粟立った。
テレビも次から次に電源が落ちていく。慌てて俺はバッグの中のぬいぐるみを見た。魂が抜けたようになっていて、いまだに外に出ているのだとわかる。では、彼らはどうなってしまったのだろうか。
もしかして、教祖の力は本物だったのだろうか。
あいつらはいなくなってしまうのだろうか。
ひっと息をのむ。自分のせいで彼らが成仏してしまったのかもしれないと、下唇を噛んだ。
その時だった。
「こちらも、お願いします」
大地は隣の席の床に置いてあったスーツケースを引っ張り出し、通路で開く。あれがあったから大地の隣には誰も座っていなかったのだろう。
中には、ここのところ大地がずっと作っていたぬいぐるみが詰められていた。
バン!
スーツケースが開き切るとともに大きな音がして、部屋中の窓に大小様々な赤い手形がつけられる。
「……は?」
教祖がびくりと震え、読経を止めると呆然と見つめた。
恐ろしかったのは他の信者達も同様だったようで、あちらこちらで悲鳴があがったり、失神したりする人が現れた。
何が起こっているんだ。
これは俺も知らされていない。ただただ目の前の状況を眺めるしかできなかった。
ぺたり。
教祖の着ている袈裟に子供の手形がつく。
「なっ……、な……」
教祖の体が震え出した。さらにいくつもの手形が付いて、最後には彼の顔にまで達する。
「冷たい!」
彼が払いのけるが、その手は虚空を切るだけだった。
「……あ、……あ」
彼は何も触れなかった手を見て、恐怖に目を見開いていた。
ダメ押しとばかりに椅子の上に置かれていたパンフレットや、信者たちの荷物が空中に浮き、それぞれ別の方向へ放物線を描いて飛んでいく。
「教祖様!」
「助けてください、教祖様!」
信者たちは縋り付かんばかりで教祖を見つめている。しかし、彼はついにその場に座り込んでしまった。ガクンと体が傾き、泡を吹いて倒れる。
「教祖様!」
信者たちの声はもう届かない。失神してしまっているようだ。
最後に、中央に飾られた教祖の顔写真に、大きく『インチキ』という文字が書かれ、再び明かりがついた。
窓の手形は消え去り、宙に浮いていた荷物も、その場に落下する。
それでも、顔写真の文字は消えなかった。
「ああ……、ここの教祖も俺のことは救ってくれなかったか」
大地がわざとらしく呟き、スーツケースをしまう。
扉が開いたので、多くの信者たちは逃げるように講堂から出ていった。父さんと母さんはその波に乗り遅れたようで、呆然と状況を見守っている。
「おい! お前、何のつもりだ!」
それでも骨のある信者の一人が大地に食って掛かった。
「このままただで帰れると思うなよ……。どうせ何か仕掛けがあるんだろう!? 今すぐ吐け!」
いや、信者ではないのかもしれない。大地を殴らんばかりの形相をした男は、教団の名前が書かれている腕章をつけていた。そういえば彼は、教祖が寄付の単語を出した際に立ち上がり、彼の側に控えていたと思い出す。
「ただで帰れると思うなよ、とは?」
けれど大地も動じない。
「ズタズタにバラすに決まってんだろ! せっかくの金づるをこんなことにしやがって……!」
男は激昂していて何を言っているのかもわかっていないようだった。しかし、ふと周囲を見ると、残っているのは教団関係者が圧倒的に多いようだと察せられる。皆、同じ腕章をつけていたからだ。
男を中心に、いかつい関係者たちが大地を取り囲む。反社と繋がっているかもしれないと言っていたのは本当だったのか、と加勢しようとした時だった。
「はい、詐欺の証拠頂きました~!」
能天気な声がして、そちらに視線を向ける。大地の二つ隣の席に座っていた男は白井のようだった。彼はかけていたマスクとサングラスを外すと、スマホを自分の方に向けて自撮りを始める。
「見ましたか、皆さん! ぜひ通報をお願いします! 宗教を騙った悪徳詐欺集団の恐喝及び詐欺の証拠です!」
大地に食って掛かっていた教団関係者は手を止め、呆然と白井を見る。彼はにっこりと笑ってスマホの画面を見せてきた。
「現在配信中です! 何と、同時接続者数は一万人! つまり、一万人もの人が今この動画を見てくれているんですよ!」
そっと位置を移動し、白井のスマホの画面を見る。
本当に配信しているようで、ひっきりなしに彼の配信画面にはハートなどの絵文字とコメントが流れて行っていた。
「な……、な、違うんだ、これは……」
今更取り繕おうと男が歪な笑みを浮かべる。ふいにその時、外からパトカーの音が聞こえてきた。
「警察の到着です! さぁ、ここからどうするのでしょうか? さらに罪を重ねるのでしょうか?」
白井が更に煽る。
関係者たちはそんな白井を戸惑ったように眺め、がっくりとうなだれた。
警察がやってきて、次々に関係者を逮捕していく。
白井はそんな彼らを追いかけて、外に出てパトカーを撮影し始めた。
呆然とそれを眺めていた俺はふと我に返り、慌ててショルダーバッグの中身を確認する。
あの五人はどうなってしまったのだろう。
恐る恐るぬいぐるみを見て、ほっと胸を撫でおろした。
「……よかった」
そこでは五体のぬいぐるみたちが『やってやったぜ!』とでも言いたげにガッツポーズをとったり、万歳をしたりとワイワイ動き回っていたのだった。
「よかった……。除霊されたわけじゃなかったんだな」
小さく呟く。彼らは何故か照れたように頭をかいた。
「……なぁ、これって」
俺の後ろで呆然と父さんが呟く。普段の彼からは信じられないほどに弱々しい声だった。
「嘘でしょ……?」
母さんも先ほど起きたことを自分の中でどう処理していいかわからないようで黙ってただただ見つめていた。
大地はこちらに視線を向けると、静かに歩いてくる。
「大地……」
ぽつりと俺が呟く。大地はいまだにマスクをしていたが、目が優しく細められていたのでほっとしているのだろうとわかった。
「あの……、あれ……、なんで……」
こっそりと問いかける。大地は背後に置いてあるスーツケースに視線を移した。
「昨日、一度東京の方の家に帰って、家中の幽霊をかき集めてきたんだ。ちょうどぬいぐるみは大量に作っていたからな」
俺は部屋の隅に置かれていた段ボール箱を思い出す。白井の動画のバズから注文が殺到して、大地は夜な夜なぬいぐるみを作り続けていた。
そのぬいぐるみ達に憑依させ、スーツケースでここまで持ってきたようだった。
あんなに大量の幽霊と一緒に暮らしていたのか。
今更ながらにゾッとした。
「聞くと、皆あの部屋から出られなかったようで、外に出してやる代わりに協力しろと言ったら喜んで力を貸してくれた」
そういえば白井の友達という霊媒師もそんなことを言っていた。地脈により大量の悪霊が囚われてしまっているとかなんとか。
彼は、インチキじゃなかったのか。
内心でそんな失礼なことを考えていると、大地は申し訳なさそうに肩をすくめた。
「黙っていて悪かった。特に白井が来て配信すると言ったら、颯太は挙動不審になるかもと思って……」
確かに、と俺は前回動画に出た時のことを思い出して苦笑を漏らす。今回も配信されていると知ってしまえば、声が更に上擦ってしまっていたかもしれない。
俺は首を横に振った。
「いや! 助かった!」
「……助かった?」
背後から、母さんの戸惑っている声がして、俺は固まる。
大地は俺の後方に視線を移し、静かに会釈をした。
「……どういうこと? 颯太……? それに、天城君? 君、なんで」
母さんが一歩前に出て大地の正面に移動した。体格のいい大地と並ぶと、彼女はとても小さく見えた。
父さんも母さんの前に立ち、大地の胸倉を掴む。
「何でこんなことをしたんだ!? 君、何をしたのかわかっているのか!?」
対する大地は動じなかった。
「もしもあの人が本当に霊能力なり神通力のある教祖なら何とかできたでしょう。そういうことが出来ないにもかかわらず、仏だの何だのと言って人々から金を巻き上げていたから、あんな目にあったんです」
母さんは父さんの隣に回り、大地に怒鳴る。
「そういうことじゃないの! この場所は、私たちにとって希望の場所だったの……。なのに、こんな仕打ちをするなんて」
彼女は頭を抱え、震える声で呟いた。
「教祖様のおかげで……、何もかもうまく行っていたの。颯太も地元に戻ってきてくれたし……、彼についていた悪霊も払ってくれた。おかげで、颯太は女の子を愛せるようになっていたのに……!」
母さんの涙声に俺は唇を噛む。
大地は眉間に皺を寄せた。
「女の子を……?」
うっと息が詰まり、背筋が冷える。慌てて俺は両親を大地から引き離し、彼らの間に立った。
「い、いや! 気にしないでくれ!」
こんな人の多いところで話す内容じゃない。大地は俺から視線をそらし、俺の両親に体を向けた。
「あなた達が本来親としてやるべきだったことは、悪霊のせいにして宗教に縋るのではなく、きちんと颯太と向き合うことだったんじゃないでしょうか? 少なくとも、俺はそう思います」
「なっ……!」
母さんの顔が赤く染まる。逆に、隣の父さんは泣きそうに顔を歪めるだけで反論はなかった。
とんとん、と大地の肩が叩かれる。
彼の背後には警察官がいた。
「申し訳ありませんが、状況を詳しくお聞きしたいので署まで来ていただけますか?」
そちらに視線を向けると、すでに白井は警察官の隣にいて、あとは大地を待つだけの状態だった。
「はい」
大地は俺に顔を向け、口角を上げる。
「じゃあな、颯太。また後で」
彼はすぐに振り返り、警察とともに歩いて行った。
「……うん」
俺は小さく口の中で呟く。
その後、警察の先導により、信者たちは外に出され、今日は解散してほしいという旨を伝えられた。その際に全員分の住所と氏名を聞かれたため、すぐには帰れずに少しの待ち時間が生まれた。

