家から出たかった。
とにかく家から、出たかった。
だから、東京の会社にできる限り履歴書を送りまくった。結果、二社から面接の案内が来たので、就活が終わるまでこの五月から地方の実家を出て東京で生活しようと、俺はシェアハウスを探していた。
一カ月もあれば終わるだろうと思っていたので、四畳ほどの小さな部屋を借りられればそれでよかった。
俺と大地は小学校で知り合い、大学で進路が別れた今でも仲のいい友達を続けている。
彼に就職活動のために東京に行くと告げたら、先に東京で生活をしていた彼から提案があったのだ。
だったら俺の家に泊まらないか? と。
「ちょっと騒がしいかもしれないんだけど、颯太と一緒に暮らせるのは嬉しいし、よかったら来てほしい」
そう告げられ、俺は二つ返事で返した。
「いいの!? 俺も大地と一緒なら安心できそう! ぜひ頼む!」
そうして、俺と大地は就職活動期間中一緒に生活することになったのだった。
俺がこの家にお世話になることになった経緯を思い出していると、あっという間に近所の食堂に到着していた。
西東京の下町にある大地の家から徒歩五分ほどの個人経営の食堂は、夜は居酒屋になるものの、近所の学生のために定食メニューが注文できるようになっていた。
「悪いな……。言っていた通り、俺の家少し騒がしくて」
向かい合って座り、大地が申し訳なさそうに肩を落とす。
東京に出てもう二年経つというのに、俺の知っている高校時代の彼からあまり変わっていなかった。
とはいえ、彼は元々の素材がいい。
短く切りそろえられた黒髪にファストファッション店のTシャツとGパンを履いただけの姿でも見栄えがするのだからイケメンは得だと実感した。
通った鼻筋に薄い唇は飾り気がなく、耳にも穴は開いていない。
対する俺は就活に際して髪を切りそろえ、黒く染め、眉も整えて、と一生懸命外見を磨いたものの、元から持っている平凡な顔はどうしようもなく、大地と並ぶと見劣りがすると思っていた。
「いや……、騒がしいって……。そりゃ確かに騒がしいけど、思っていた騒がしさと違うって言うか……」
俺はぶつぶつと呟く。
そういえば大地は昔からどこか天然なところがあった。
そんな彼を正面から見つめ、俺は重々しく尋ねた。
「あれってさ……、いわゆる心霊物件だよな?」
俺の言葉に、大地は困ったように眉尻を下げる。
「まぁ……、そういう見方もあるよな」
だん、と俺は両手を机につけた。
「そういう見方しかねぇよ! 入ったらいきなり赤い手形がついてたし、ポルタ―ガイストとばかりに洗濯物が空中を舞い踊っていたし!」
一つ一つの物事はかなり恐ろしいのだったが、ああも立て続けにくるといっそ大地のいたずらかと思う。
しかし、彼は己の家のそんな状態を見ても動揺せず、それどころか眉間に皺を寄せ、冒頭のように恫喝したのだった。
「そうだな……。いつもはガラス戸越しに人の気配がしたり、ぬいぐるみが動くくらいなのに、今日は大盤振る舞いだ。きっとあいつらなりに颯太の来訪を歓迎していたんだろうな」
どこか微笑ましそうに大地が頬をほころばせる。俺は唇を尖らせた。
「いや……、だまされねぇからな? てか、何でお前は幽霊に対してあんなに馴染んでるんだよ! 普通怖いとか、引っ越すとか、そういうのあるもんだろ!?」
彼は真面目な顔を返す。
「正直最初の頃はどうかと思っていたんだが……」
彼は両手の拳を握る。その目は少し輝いていた。
「俺の作ったぬいぐるみの中に入って動き出した時、俺は恐怖よりも感動を覚えた。全てのぬいぐるみ制作者の夢じゃないか? 自分の作ったぬいぐるみが動くというのは」
普段、大地はほぼ鉄面皮で表情がわかりにくい。体格もいいので、クールで落ち着いた大人の男として、同級生の女の子たちにはモテ、男の子からは一目置かれる、そんな存在だった。
そんな彼が嬉しそうだとわかるのは、俺が小学校からの彼の幼馴染だからである。
大地はずっとかわいいものが好きで、話すようになった頃には自分でフェルト人形を作るほどだった。そんな彼はフェルト人形を売り、金を貯め、ミシンを購入した。そして、本格的なぬいぐるみ制作に乗り出し、毎週末には自分の考えた最強にかわいいぬいぐるみを制作するようになっていた。
そうして彼が作ったぬいぐるみは更にネットショップで人気を博し、それなりの儲けにつながっているのだとか。
そういえば、彼の作ったコツメカワウソのぬいぐるみがなぜか何の支えもなしに自立している写真がSNSにあがっていたな、と思い出す。
「いやまぁ……、そりゃ確かに嬉しいかもしれないけれど」
俺はそういう、自分の手で何かを作り出せる彼の事を尊敬していた。
彼はスマホを取り出すと、俺に向けて見せてくる。
そこには最近作ったというぬいぐるみが五体並んでいた。羊、クマ、猫、ウサギ、コツメカワウソといる。それぞれの型紙のパターンも自分で考えたらしく、独特のフォルムは愛嬌があって可愛らしかった。
彼がタップして動画を再生すると、ぬいぐるみ達が手を振って音楽に合わせて踊り出す。
俺は口の端を引きつらせた。
「……これ、AI動画じゃなかったんだな」
大地は大きく頷く。
「ああ。幽霊たちが一晩練習して踊ってくれたんだ」
彼の顔はどこか誇らしげでもあった。
まるでゲームやアニメに出てくる、精霊と一緒に暮らしているお姫様みたいだな、と何ともなしに考える。お姫様と言うには随分ごつい外見だが。
「……その幽霊って全部で五人なのか?」
「数えた事は無かったが……、多分五人以上はいるだろうな。とはいえ、ある程度の期間で入れ替わりはあるようだ。最初は三人だったけど、気が付けば六人になっていたり、五人になっていたりしていた」
「……そうか」
その状況で恐ろしさを感じていないあたり、彼は本当にぬいぐるみが好きなんだなぁ、と俺は現実逃避がてら考えた。
大地はどこか伺うような顔になって俺を見つめてくる。
「……颯太は、やはりこういうのは嫌か? その……、いわゆる幽霊屋敷というものに属するんだろう? 俺の家は」
屋敷と言えるほど広くはない1LDKだったが、確かに幽霊屋敷と言ってしまえるとは思う。
本来なら近寄りたくない物件だ。
しかし、と俺は己の貯金残高を考える。
製菓学校の費用は親が三分の一ほど出してくれているものの、残りは奨学金と俺のバイト代で、これまでろくに貯金出来てこなかった。その上、リクルートスーツの購入費や東京までの交通費で金がつきかけているのだ。
さらに、俺は東京に大地以外の友達がいない。
高校時代の知り合いが何人か東京には来ているのだが、家庭の事情によりほぼ全員から縁が切られているのだ。
そんな中でも俺の友達でい続けてくれた大地は俺にとっては大切で尊敬すべき相手で、彼の事を否定なんてしたくなかった。
「……嫌、じゃないけど……。驚いただけで」
そう、俺は自分に言い聞かす。
ホッとしたような大地の顔に、さらに続けた。
「幽霊よりも、生きている人間の方が強いに決まっているし、実際、俺からすると生きている人間の方が怖いって思うし……、大丈夫だよ」
これは半分自分自身に言い聞かせているようなものだった。
俺はがんばって口角をあげる。
「就活が終わるまでよろしくな、大地」
俺の言葉に、彼はホッと胸を撫でおろしたようだった。

