翌日の昼だった。
昨日俺がふさいでいた時から今まででさらに発見された死者が増えていたようで、体育館の三分の二が死体で埋まっていた。
その中の一角で高宮さんがうずくまり、小さく嗚咽をあげ、震えていた。
背中越しに覗き見た俺は口を押さえる。
高宮さんの父親の遺骸があったのだ。シャツにズボンといった彼の体には俺の両親にあったような蛇のような跡はなく、純粋に巻き込まれたのだろうと想像できる。
彼の父は早朝に発見されたらしい。役所から家に向かう途中の道の車の中にいたと言う。車は土石流で覆われ、潰されていた。大きな外傷はなく、土砂が流入したことによる窒息死だと噂で聞いた。
ただただ黙って悲しみに耐える彼に何を言っていいかわからず、俺はその後姿を見つめるしかなかった。
ざわ、と人々がざわめいたのでそちらを振り返る。体育館の入り口に頭をそり上げた女性が一人立っていた。
この島の尼の一人で高宮さんの母である志津子さんだった。
彼女は鋭いまなざしを周囲に向ける。彼女の近くにいる人から順に彼女に頭を下げていった。
切れ長の二重に整った鼻筋、薄い唇は高宮さんによく似ていた。女性ではあるが近くに立っている男性と同じくらいの背丈で、まるで背中に物差しでも入っているのかと思うくらいに、背筋がピンと伸びている。
袈裟に足袋という衣装を身に纏った彼女はこの場所においてまるで世界が違って見えていた。
きっと読経をあげるために来てくれたのだろうと、その姿を見てすぐに察した。
本土では僧が冠婚葬祭の際に読経をするというが、この島では僧ではなく尼が主流で、初めて本土のそういうしきたりを聞いた時は驚いたものだった。
「……母さん」
振り返った高宮さんがぽつりと呟く。
彼女は自分の息子に冷たい眼差しを送った。
「しっかりなさい。今日から高宮家の当主はあなたなのですよ!」
凛とした、張りのある声が体育館中に響き渡る。その声の大きさに俺も体をビクリと震わせてしまった。
「こんな時こそ、当主の腕の見せ所でしょう。悲しいのはわかりますが、すぐに感情は収めなくてはなりません」
母の言葉に、高宮さんは乱暴に顔を拭うと彼女に向かって頭を下げた。
「申し訳ありません。……これから、通夜の準備をしてまいります」
「手早くお願いします。これが終わったら、またすぐに別の避難所に行かなければいけませんから」
高宮さんは立ち上がると、この避難所を取り仕切っていた役員の元に行った。
壁の端のことなのでここまでは声が聞こえてこないが、役員はすぐに頭を下げ、また別の役員達に指示を送っていた。
それから、すぐに他の人々が空いている方の場所を開け、教室にいた人々を呼びに行く。
高宮さんの指示で動いている彼らの様子に、俺は口をぽかんと開けてしまった。
「空君」
ふいに志津子さんに名前を呼ばれた。俺の記憶にある、優しい『高宮さんの母』としての声だった。
「……はい」
恐縮しながらも振り返る。彼女は悲しそうに眉尻を下げていた。
「この度は、まことにご愁傷様です。心より、お悔やみを申し上げます」
俺の両親の死を悼んでくれている言葉に俺は頷くしかできなかった。
「……ありがとうございます」
「誠心誠意、読経をさせていただきます」
コクコクと何度も頷く。そんな俺の肩に、優しく彼女の手が触れた。
「直紀は、これから特に大変なことがたくさんあるでしょう。……今後、あなたは友として彼を支えてくださると嬉しく思います」
俺は思わず頬を緩ませた。本人の前では厳しい事を言っていたが、そんな彼女も一人の母として息子が心配なようだ。
「はい……。俺でよければ」
彼女の目が細められる。それから、懐から数珠を取り出した。
「あなた自身も、これから困難な道のりを歩くことになるかと思います。……それに、直紀から聞いています。この世のものではない存在にとりつかれているのだとか」
ぎゅ、と唇を引き結ぶ。高宮さんはそう伝えていたのか、と思った。
彼女は懐から数珠を取り出し、俺に握らせた。
「これはお守りです」
白い玉で作られた数珠は腕につけるもののようだった。よく観光客向けに売られているパワーストーンを思わせる外見をしている。
「蛇神様のご加護をこめた特別な数珠です。これを肌身離さずいつも持っていてください。……きっと、蛇神様が幽霊や怪異から助けて下さるでしょう」
途端に俺は両親の体についた蛇のような模様を思い出し、顔を曇らせてしまった。そんな俺の変化に気が付いたのか、志津子さんが首を傾げる。
「どうしたの?」
「あ……、いえ、その……」
視線をさまよわせる。蛇神様を祀っている寺は彼女の管轄下だ。そんな彼女にこんなことを尋ねていいのかと考えてしまった。
しかし、気になった物は仕方ないし、忙しい志津子さんに聞けるチャンスは今しかないかもしれない、と俺は彼女をまっすぐに見上げる。
「あの……! 俺の両親の死体にはまるで蛇神様に祟られているかのような蛇の這ったような模様があったんです。観光客を誘致したから祟られたんだって聞いたんですけど……、そんなことありえるのでしょうか?」
黙って俺の言葉を聞いていた志津子さんがゆっくりと瞬きをする。それから、気の毒そうに眉尻を下げた。
「蛇神様は、いつだって人を見守り、最善を選ばせ、許す神です」
それは幼稚園の頃から何度も親や周りの先生から教えられてきたことだった。
蛇神様はいつだって人間を見守っていてくれるから、蛇神様に恥ずべきことはしてはいけない。
この島の教えで、俺もずっとそれを心掛けてきた。
志津子さんは続ける。
「人間が蛇神様に恥じる行いをしていなければ、蛇神様はいつだってよりそっていてくださることでしょう」
俺はぐ、と息を呑む。
前述した通り、この島では神も仏も同じ一つの信仰対象としてとらえているところがあった。特に蛇神様はこの島においては唯一神で、彼女は宮司でもあり尼でもあった。そういうところが、オカルト界隈の話題を集めた一因でもあるのだろう。
先ほどの彼女の言葉は尼として、また、神職についている者としては正しい言葉かもしれないが、今欲しい言葉ではない。
はっきりと、祟りについて否定してほしかった。
同時に、ふいに昨日朔弥に言われたことが頭をよぎる。ひたすら俺の事を好きだと言っていた彼は、なんとなく人の道理が通用しないような気がした。
「そうですよ。祟りなんて存在しないと、昨日言ったでしょう?」
志津子さんの話を引き取るように、佐久間先生が入ってきた。
彼は志津子さんの隣に立ち、恭しく彼女にお辞儀をし、俺に向きなおる。
「今は怪我人の看病で手が回っていなくて、まだ検案は終わっていませんが……。けれど、何か必ず科学的な説明がつくはずです。心配せずに待っていてください」
佐久間先生に優しく撫でられ、俺はコクリと頷いて黙った。二人の大人からこうして諭されてしまえば、これ以上探るのは子供じみていると思ったのだ。
「お通夜の用意が出来ました。読経をお願いできますか?」
どうやら彼はその言葉を告げるために近づいてきてくれたらしい。ふと見ると小学校に避難してきた人たちは皆空いていたスペースに座り、じっとこちらを見ながら会話が終わるのを待っているようだった。
「あ……! すみません、俺……!」
慌てて他の人たちと同じように空いている場所に移動する。志津子さんも後をついてきて、中央に座ると通夜の準備を始めた。
彼女の朗々とした声が体育館中に響き渡る。
遠くで響く虫の声に、少しの熱気。周囲から聞こえるすすり泣き。それらを力づくで押さえ込むような、そんな強さを感じさせる読経だった。
ぎゅっと両こぶしを握り、横たわる両親を見つめ続ける。白い布がかけられており、昨日見た蛇のような痕はここからは見えなかった。
無事に読経が終わり、志津子さんが軽く説法をした後に帰っていく。最初に言っていた通り、また別の避難所に読経をあげにいくのだろう。
まるで嵐が去った後のような一瞬の静けさの後、皆が思い思いに散らばっていく。本来ならば寿司でも取って簡単な宴会をするのだろうが、今はそれどころではない。
俺は隅の方で老人の相手をしていた佐久間先生が空くのを待ってから、彼に尋ねた。
「あの、この後どうなるんでしょうか? 父さんと母さんは、火葬されるんですか?」
彼はすぐに応えてくれた。
「いえ。実はまだ私は死亡診断書を出していないんです。お通夜や葬儀は執り行えますが、火葬はその後になります。書類が揃わないと火葬許可が下りませんから」
「え……? 何で出してないんですか?」
首を傾げると、佐久間先生は困ったように眉尻を下げた。
「もちろん、土石流にのまれたことが直接の死因となっていると判断できる方には出しています。でも、佐伯君のご両親については不審な点が多いので、この後本土に送ってより詳しく調べていただこうと思っています。……とはいえ、この蒸し暑さですから一刻も早く応援を呼ばなくてはいけないのですが……」
「……そうですか」
力なく俺は肩を落とす。
昨日の夜には死体から腐臭が漂ってきていて、本当に彼らが死んでしまったのを実感していた。俺個人としては早く弔ってあげてほしいという気持ちと、父さんや母さんの体を焼かないでほしいという気持ちが半々で、どっちともつかなかった。
「火葬をするにしても、これだけ多くの人は一度本土に送らないと火葬できません。この島の火葬場ではせいぜい一日に三人、四人焼けるかどうかなので、何日もかかってしまいます」
この島にも火葬場はあった。とはいえ、彼の言う通り規模が小さく、これだけの人をなるべく早く、と考えたら難しいだろう。
佐久間先生は俺の頭を優しく撫でる。
「先ほど高宮さん……、志津子さんの方ですね。彼女もおっしゃっていましたが、これから佐伯君にはたくさん大変なことが起こるでしょう。もしも何か私で力になれることがありましたら何でも言ってください」
「……ありがとうございます」
俺は胸のあたりでぎゅっと拳を握る。先生が味方に付いてくれていると思うと心強かった。
「それに、私もそろそろ時間が出来てきました。保健室に来てください。佐伯君の怪我も見ましょう」
佐久間先生は俺の隣をすり抜け、体育館の出口へと向かっていった。
そういえば、と思い出す。
ここのところ目まぐるしく変化する状況で忘れていたが、俺の体には崖から飛び降りた際の怪我があり、詳しい診察はされていなかった。
「はい!」
振り返り、保健室へ向かう彼の後ろをついていく。
遠目に、忙しく動き回る高宮さんの姿が見えた。

