俺は「何」と心中しようとしたんだろう


 翌日、小雨になっていたので救助隊が結成され、体育館には回収された重傷者や亡くなった人が並んでいた。教室に移動するようにと言われた俺たちは思い思いの部屋へ行く。壁にかけてあったカレンダーから、ようやく今が九月末だとわかった。
 十八歳以上は手伝うようにと言われていたので、高宮さんも出て行ってしまっている。俺が行った教室には子供が多く、彼らは比較的大人の俺を頼って集まっていた。
 仕方がないから子供たちに絵本を読んでやりながら時間を潰していたら、沈痛な面持ちをして大人が一人やってきた。確か、役場の職員だったような気がする。
 彼は手に持ったリストを読み上げた。
「相川さん、小柴さん、佐伯さん、竹中さん、葉宮さん……、いらっしゃいますか?」
 自分の名前も出されたので、俺は片手をあげて立ち上がった。
「佐伯は俺です。佐伯空です!」
 他にも、子供の何人かが不安そうに手をあげる。
 役場の職員は唇を引き結んでから続けた。
「では、体育館に向かってください」
 嫌な予感がする。
 不快感でいっぱいになる胃を服の上から押さえて俺は子供の背中を優しく押し、一緒に足を踏み出した。


 体育館には床の半分くらいの面積のブルーシートが敷かれ、その上に複数の人が横たわっていた。上からは薄布をかけられている。汚れた足先を見て、それが死体だとすぐにわかった。
「……これ」
 俺は周囲の大人に視線を向ける。皆、気まずそうに顔を逸らすだけだった。現在は休憩中だろうか、体育館の壁に沿うように大人たちが座り、黙って紙コップに入ったお茶を飲んでいる。子どもに決定的なことを言う役割を誰かに押し付けたい、そんな感情を感じられた。
 その場で立ちすくんでいると、佐久間先生が俺たちに気付いて近づいてきてくれた。
「親御さんかどうか、確かめてください」
 彼の顔は白く染まっており、目の下のクマが目立った。いつも柔和な笑みを浮かべている顔も、今日は疲労が目立つ。
 まずは相川さんの家の子供、小柴さんときて、俺の番だった。
「ひっ……!」
 佐久間先生がめくった白い布から両親の顔が出てきて、俺は思わず両手で口元を押さえる。
 二人とも目を閉じており、青白い顔からは生気がなくなっていた。服が泥だらけになっていて、土砂の下敷きになったのだと察せられる。母さんは白く滑らかだった肌に無数の打撲痕が出来ており、痛々しかった。
「……なんで」
 両手で口を覆い、目を潤ませる。島の観光課に務めている父さんは職場にいたはずだし、フリーランスの母さんも、家で仕事をしていたのではないのか。
 何故、避難してこなかったのだ。時間は十分あったはずなのに。
 喉が引きつり、うまく喋れない。視界が滲み、唇が震えた。体中が重く痛く感じてくる。
「……父さん。……母さん」
 その場にうずくまり、もう答えてくれない名前を呼んだ。
 二人とも物言わぬ躯となり、横たわっている。
 佐久間先生がそんな俺の隣に腰を下ろし、俺の背中を優しく撫でてくれた。
「すみません……。あなたが一番年上なので、酷かとは思うのですが、追加で質問をさせてください」
 そっと彼に視線を移す。佐久間先生の手が静かに父さんにかかっていた白い布を更にめくった。
「……っ」
 思わず息を呑む。
 ボタンが留められていないワイシャツの中から青紫色のあざが見えていた。筋状に体につけられているそれは、まるで蛇のようにも思える。
「……何ですか、これ」
 俺の声は完全に震えていた。
「空君にも、覚えはありませんか?」
 尋ねられ、コクコクと頷く。
「今回、発見された遺体で、この痕が見られるものがいくつかありました。一人だけではなく、合計で四人です」
 目を見開いて佐久間先生を凝視する。何が言いたいのかわからなかった。
「蛇神様の祟りだぁ」
 遠くで吐き捨てるような声がして、そちらを見る。古くからこの島に住んでいるという老人がこちらを苦々しげに睨みつけていた。
「……蛇神様?」
 この島にある寺を思い出す。毎年夏には盆踊り大会が催され、年末年始には少ない島民が押し掛ける、この島唯一の寺だった。
 本土では神社と寺は別物だと聞いていたが、この島では寺と神社はほぼ同じものとして認識されていた。なので、寺に鳥居があっても誰もおかしいとは言わなかった。
 その寺に併設されている祠にはこの島の守り神である蛇神が祀られている。しめ縄に囲まれた中央に木製の蛇の像が置かれ、その瞳には金色のガラス玉が埋め込まれていた。そのすべてを見透かすような目を怖いと、幼心に思ったものだった。
「なんで蛇神様が祟るんだよ……!」
 思わず言い返す。俺よりも小さい子供がそばで聞いているということもあり、滅多なことは言ってほしくなかった。
「そのあざが浮き出ているのは、観光課の奴らだ。そいつらが観光客の誘致なんかしたせいで、あの事件が起こったんだ」
 老人は憎々し気に告げる。
 あの事件? と首を傾げていると、すぐに佐久間先生が割って入った。
「野間さん、適当な事を言わないでください! ただでさえ、空君は両親を失ったばかりなんです。人として、言っていい事と悪い事くらい分別がつくでしょう!?」
 佐久間先生に怒鳴られた野間老人は唇を引き締め、肩を落とした。
 けれど、野間老人の隣に座っていた人がまた続ける。
「でもなぁ、先生。他に理由なんて思い当たらねぇよ。あの、蛇神様の祠に落書きをしたっていう配信者が自殺してから三日。そこから地震があって、雨も降り続いている。こんなことは今までなかったんだ。蛇神様の祟りだとしか考えられねぇよ」
「黙ってください!」
 それでも、佐久間先生は強めに言って黙らせる。
「蛇神様の祟りなんて、あるわけないでしょう? 遺体は私が診ますし、あざの原因も探ります」
 彼の言葉に、老人たちは舌打ちをして視線をそらし、一人、また一人と立ち上がって体育館から出て行った。
 出ていく際に、誰かの口から『よそ者が』と漏れたのを聞いて苦々しい気持ちになる。佐久間先生はこの島の生まれではない。それでも、過疎地域に医者として赴任してきてくれたのだ。
「……すみません。あの、佐久間先生……、俺……」
 なんと言っていいかわからず、俺は先生を見上げる。彼は俺の視線を受けて、苦笑を浮かべた。
「いえ……。どこにいってもああいう迷信を信じる人はいるものですよ。気にしないでください。それよりも、嫌な事を聞かせてしまいましたね。ご両親が亡くなられたばかりなのに」
 そっと彼の手が俺を撫でてくれる。俺は唇を噛んで目を伏せた。
「あの……、先生、配信者って、どういうことですか?」
 先ほど老人が言った事は、俺がなくしてしまった記憶の中にあったのだろう。佐久間先生は目を瞬かせた。
「ご存じありませんか? かなり騒がれていたでしょう?」
 俺は気まずく思いながらも頷きを返した。
「まぁ……、知らないのであれば知らない方がよかったかもしれませんね。私もあまり詳しい事はわからないのですが、ここ半年ほど、蛇比良島の観光課……、つまり、空君のお父さんたちは観光客誘致に力を入れていたんですよ」
 父さん達は、蛇比良島ののどかな自然に惹かれて俺が生まれる前にこちらに引っ越してきていた。そういえば、蛇比良島の魅力をもっと発信したいと前から言っていたな、と思い出す。
「それで……、蛇比良島の風習が一部ネットで噂になったらしくて……。島独特の蛇神様なんて民俗信仰が物珍しかったんでしょうね」
 佐久間先生は眉間にシワを寄せた。
「オカルト好きの若者たちが入ってきて、無責任に変な曰くをでっちあげて動画にするようになっていったんです。今から一か月前、ある動画配信者が噂の否定をするとか言って、蛇神様の祠にらくがきをする動画をあげてしまいました」
 ぐ、と息を呑む。
 蛇神様の祠とは、寺の隣にある洞窟の中にある祠のことだろう。
「当然、島の人たちは激怒します。らくがきを消す様にと抗議しましたが、動画配信者は無視を続けていました。次第に矛先は観光課の人たちにまで向けられるようになっていっていました。
 そして、今から三日前のことです。その動画配信者がSNSでこう投稿しました。
『神聖な祠に落書きをしてしまい、大変申し訳ありませんでした。蛇神様は存在しました。この非礼は命で償わせていただきます』と」
 ぞくりと背中が粟立つ。
 まるで映画の中の出来事のようだった。
「それで、本当に……?」
 動画配信者の中にはそうして炎上して再生数を稼ぐ人がいると聞いている。そうしたパフォーマンスの一環だったら、と思ったが、そんなわけないともわかっていた。先ほど老人も言っていたではないか
 佐久間先生は悲しそうにうつむく。
「彼は、その日のうちに自宅のベランダから飛び降りました。十二階だったので、即死でした」
 俺は唇を引き結ぶ。この島の老人が祟りだと言いたくなるのもわかるような気がしていた。
 はっとなって俺は両親の死体に視線を移す。
「もしかして、その人の体にも、蛇のような模様があったとか……」
 乾いた笑いを浮かべる。そんなわけないと言ってほしかったが、佐久間先生は更に苦しそうに下を向いた。
「そういう噂ですね」
 心臓がざわつく。立っているのが辛かった。
「……迷惑な観光客を誘致したから、俺の父さんと母さんも呪われちゃったの?」
 声が震える。佐久間先生が優しく頭を撫でてくれた。
「そんなはずがありません。先ほども言ったでしょう? 祟りも呪いもあるはずがないって」
 こらえきれなかった涙がポロリと一滴ブルーシートの上に落ちる。
 彼の温かい言葉が嬉しかった。
「とにかく、今日は休んでください。そのうち波も穏やかになって、本土から救援が来ます」
「……はい」
 乱暴に目を拭って立ち上がる。他にも壊れた様に泣き続ける子供たちを促して、俺は再び教室へと戻ったのだった。
 もう、絵本を読む気にもなれなかった。教室の隅で膝を抱えてうずくまる。頭の中に両親の色んな表情が浮かんでは消えていった。
 昨日からずっと頭が混乱している。地震、土石流、心中、体中の怪我、両親の死。それから、やたら美しく、俺の事を愛していると告げる男。
 もう何もわからない。
 ふと、蛇神様の木造についている金色の瞳は、あの男の目に似ているな、と思った。
 ふるりと心臓が震える。
 幽霊と思っていたあの男が、蛇神様の化身のような、ありもしない妄想が頭に浮かび、慌てて振り払った。
 そんなことあるわけがない。
 それでも、両親の体についていた傷が目の奥に浮かび、俺は胃の奥があぶられるような、そんな怖さを感じていたのだった。