「今の時間だったらぎりぎり最終便には間に合う。行こう」
屋敷の外に出た朔弥はそう言って俺の手を引く。
この島には朝昼夜と三回本土と行き来できる船が出ていた。その最終便の事である。一昨日から運営を再会していた。
「金は大丈夫なのか?」
思わず尋ねる。少なくとも俺の方は一文無しだった。
「大丈夫。一週間もあったんだ。高宮家が留守の間に結構お金はもらってあるよ」
「……その水鉄砲とかも、もしかして」
走りながら、朔弥はぺろりと舌を出した。
「壊れた家からもらってきた。どうせ誰も探さないだろうしって」
いわゆる火事場泥棒というものだろう。申し訳ない気はしたが、今は背に腹は代えられないと俺は黙っておくことにした。
港へ行く道を下ろうとしたところだった。
「待て!」
後ろから声をかけられ、びくりとして振り返る。高宮が追いかけてきていた。後ろには数人の使用人もいる。
彼の背後の高宮の屋敷を見ると、まだ火は燃えているようで、炎とともにもくもくと黒い煙が夜空へ向かって昇っていっていた。消防車は到着しているようで、三か所からあがっている炎のうち一か所の勢いがそがれていっている。
「待つわけないだろ」
朔弥は俺の手を握って方向を変えた。
「え、朔弥? 最終便は……」
「予定変更。懸念点が確信に変わった」
高宮のことを言っているのだろうか。走りながらも様子をうかがうと、彼は鬼のような形相で俺の後ろを追いかけてきていた。
あちらに行き、こちらへと進路変更をして気が付くとまた蛇浦岬へと追いつめられていた。
またここか、とひやりとする。嫌な思い出のある場所だ。
がけ下に海が広がっている。これ以降は逃げる場所がなかった。高宮家の使用人は出られる人は全員出てきているのか、行く先々で先回りをされ、成すすべなくここまで来てしまっていたのだった。
はぁ、はぁと肩で息をしながら高宮が近付いてくる。
「いい加減にしろ、空。もう行く場所なんてないだろう?」
俺は唇を引き締める。実際、崖へと追い込まれた今となっては彼の言葉は正しい。
「それでも……、俺はアンタと一緒は嫌だ。……全部思い出したんだ」
こちらも息も絶え絶えに返す。高宮の目が眇められた。
「……なら、死んでもいいというのか? なぜここから飛び降りて死んだはずの朔弥が生きているのか、俺も検討はついているんだ」
高宮は朔弥に視線を向ける。朔弥は静かに睨み返した。
「前回は満潮だった。だから、波が多少粗くても逃げ延びられただろう? でも、今回はちょうど干潮の時間だ。落ちたら岩に当たって確実に死ぬ」
俺はそっと崖下に視線を移す。
確かに、記憶にあるよりも水位が低く、ところどころ岩肌が見えてしまっていた。
背筋がぞっとする。再び俺は高宮の方に視線を戻した。彼はまた一歩近づいてくる。
「なんでそいつの方がいいんだ……。幽霊みたいだと、お前も言っていただろう? そんな不気味な男と心中なんて、どうかしている」
俺は唇を引き結ぶ。確かに今では朔弥を怖いと思っていなかったが、その特異な外見の為、初めて会った時には幽霊かと思ったのだ。
これには朔弥が軽快に返した。
「どうかしているのはそっちだよ。散々人の事を幽霊とか怪異とかこの世のものではないとか言ってくれて……。俺の髪も目もただの遺伝性の体質、――アルビノというだけだろう」
朔弥は少し憤慨しているようだった。俺は前に彼から聞いていた事を、今は思い出している。その際に、この外見のせいで苦労してきたと語っていて、かわいそうに思ったのだった。
彼は俺の方に視線を移した。
「前に、俺と直紀は異母兄弟と言っていただろ? ……俺は直紀の父が外に作った子供だよ。昔はお金だけを送っていてくれていたけど、俺が四歳の時に母さんが死んで、高宮家に引き取られた。とは言っても、当然俺は志津子からは嫌われた」
朔弥の目が伏せられ、再び高宮の方に向けられた。
「あの家を仕切っているのは実質志津子だ。彼女の一言で俺は世間的には死んだことにされていたし、ずっと幽閉されていた。いっそ施設に入れてくれればいいのにと思っていたけど、高宮家の汚名になるし、俺を支配下に置いておきたかったんだろうね」
彼の言葉は当たっているのだろう、高宮は小さく舌打ちをした。
俺はまじまじと朔弥を見つめる。彼が幽霊めいて思えるのはその髪や目の色だけではなく、浮世離れした美しさもあったのだが、それでも今は彼の事を人間として実感できた。
「だから何だ。育ててもらえただけでもありがたいと思え」
高宮が吐き捨てる。
「アンタの立場でそれ言っちゃうんだ」
からかうような朔弥に高宮は舌打ちをし、そばにいた使用人に視線で合図を送った。
バンッ。
いきなりの発砲音にそちらを見る。暗くて気が付かなかったが、六十代位の男性が猟銃をこちらに向けていた。
次に視界に入ったのは、血を吹き出し、後ろに倒れる朔弥だった。彼は足を滑らせ、そのまま崖下に落ちていく。
「……え」
その光景が信じられなくて、俺は崖下を覗き込んだ。
朔弥の白装束がやけに目立っていた。それは一直線に水面に向かっていき、海の波にさらわれる。
「え……、えぇ……?」
両手で口を押さえた。体が震えだしそうだった。
「今度こそ、死んだな」
ふいに耳元で囁かれる。体に腕が巻き付けられる感触がしてそちらを見ると、高宮に抱きしめられていた。
俺の体を引き寄せ、高宮は持っていた懐中電灯で海を照らす。
朔弥の白装束は波に翻弄され、徐々に飲み込まれていっていた。
「……いやだ。いやだいやだいやだ……、朔弥……!」
叫び出しそうになった俺の口を高宮の手がふさぐ。震えが止まらない。
彼はにぃと笑って俺を見つめてきた。
「これで、ずっと一緒だな」
ぞくり、と心臓が縮んだような気がした。
いやだ、と体をねじろうにも彼の力の方が強い。
「邪魔者はいなくなった。空は俺だけのものになったんだ」
万が一のためだろうか、猟銃の銃口が俺に向けられているのが見える。ここで高宮を振り切って逃げても、逃げ出す事なんて出来ないだろう。
俺は両親を、そして朔弥を奪った男を睨みつける。
そして、彼に抱きつき返した。
「……空?」
高宮の声が上ずる。本当に彼は俺の事が好きなようで、声が少し跳ねていた。
俺のどこがいいんだか。
思いながらも彼と一緒に崖下に飛び降りようとする。俺の狙いを察したのか、高宮はその場で足に力を入れて踏みとどまった。
「絶対に、俺一人では死なない……。お前も道ずれにしてやる」
低い声で呻く。筋力は高宮のほうが上である。彼は俺の背中に手を回して力を入れた。
「この期に及んで、ふざけんなよ……。絶対俺に服従させてやるよ」
彼の低くなった声に、俺は何度も地団太を踏んで暴れる。高宮はそんな俺の腕や腰を掴み、地面に押し付けた。
その時だった。
ゴ……、と言う音とともに、俺と高宮のいる崖の一角が崩れる。
「……は?」
彼が何が起こっているか理解する前に、俺たちは海へ向かって落ちて行っていた。
地震の後で地盤が緩んでいる上に、その後長い間雨が降り続いていたのだ。崖が崩れやすくなっている。
万が一の可能性にかけて崖の端の方で暴れてみたが、本当にうまくいくとは。
自分の命はあと数秒というところだな、と落ちる際に手を離してしまった高宮を見つめる。彼は信じられないような目をして俺を凝視していた。
ふいに、ぐいっと俺の体が崖の途中に生えている木に引っ掛かり、何かによって後ろに引かれる。そのまま、俺はどこかに着地し、高宮だけが海へ向かって落ちていったのだった。
「……え?」
木に隠れた場所に横穴が広がっていた。そして、そこに朔弥がいた。
彼は持っていたリュックサックからシャツとズボンを取り出して海へ向かって投げ捨てる。
少しして上の方から懐中電灯の明かりが落ちてきて海面を照らした。
「……直紀様とガキの服だ」
「あの小僧……、蛇神様を巻き込みやがった」
そうした声が漏れ聞こえてくる。
「え……? えぇ……?」
何が起こっているかわからなかったが、ここで声を出すのはまずいということはわかる。俺はすぐに自分の口を押さえた。
背後を振り返る。
朔弥が口に人差し指を当てていた。白装束を脱いだ彼は下着一枚に下駄を履いただけの姿だった。
その姿を見た途端、トリックに気がついた。彼は白装束だけを落とし、死んでいるように偽装したのだ。
俺は震える手を彼に伸ばし、抱きついた。
彼も手を伸ばして抱きつき返してくれる。
彼は生きている。そのことが叫び出したいくらいに嬉しかった。
「とにかく、下に行くぞ!」
上の方から聞こえる掛け声に、俺と朔弥は離れた。
「これ着て」
朔弥はリュックから黒いシャツとズボンを渡してくる。彼も自分の服を手に取り体に纏い、キャップで自分の白い髪を隠した。
「話はあとだ。今はとにかく俺を信じてついてきてくれ」
彼の言葉に俺は何度も頷く。洋服を着た彼の背中がやけに頼もしく思えた。

