俺は「何」と心中しようとしたんだろう



 小学校に移動した後も、絶えず余震が続いていた。
 避難してきた人は全員体育館に通された。百人くらいの人たちが身を寄せ合っており、彼らは高宮さんの姿を見ると、何も言わずに壁際の席を開けた。扉から遠く風の当たらない席だった。そこに高宮さんを始めとした高宮家の使用人たちが陣取っていく。
 俺はきょろきょろと周囲を見渡した。
「……父さんも母さんもいない」
 子供は泣き叫び、大人は不安そうに隅に固まっている。高宮さんは俺を隣に座らせ、頭を撫でた。
「きっとそのうち来るだろう」
 俺は肩を落として口角をあげる。
「……そうですね。俺の家は少し遠いから、公民館の方に行ったのかもしれないし」
 高宮さんは眉間に皺を寄せて俺を見た。
「……なぁ、空。今、お前何歳なんだ?」
 いきなりの言葉に首を傾げた。
「……何歳って、えっと……、この前中学二年生になったから……、十四歳です」
 ハッと高宮さんは息を呑む。それから頭を抱えた。
「なるほど……。そういうことか」
「え?」
 彼は俺に視線を向ける。彼の目が細められ、慈しむような光をたたえていた。
「空、お前は今、十六歳だ。二年分の記憶が消えているんだよ」
「……は?」
 目を瞬かせ、高宮さんをまじまじと見る。彼は真面目な顔で続けた。
「去年、空は俺の家の近くに引っ越しただろ? でも、それを空は覚えていない。……つまり、そういうことなんだよ」
 信じられなかったが、だとしたら高宮さんが年を取っているように見えるのも納得がいく。俺が知っている彼は十五歳で、喉仏もこんなに発達していなかった。
 同情しているような顔をして高宮さんが俺の肩に優しく手を置く。
「無理やり心中させられそうになっていたようだし、本当に辛かったんだろうな……。それで、お前の頭が記憶を消してしまったんだ」
 そっと俺は頭に手をやった。巻かれていた包帯に触れる。
「……そうなのかな」
 思い出そうとするが、思考に白い靄がかかったようになって何も思い出せなかった。
 その時、小さな地響きとともに、老人が一人室内に駆け込んできた。
「山崩れだぁ!」
 避難していた人々の視線が集中する。
「山崩れ?」
 入り口付近に座っていた中年男性が返す。
「ああ。集落の一つがやられた……!」
 ざわ、とあちらこちらで不安の声があがった。
 現場を確認するためか、人々が波のように出入り口に押し寄せた。俺も気になって立ち上がるとついていく。高宮さんも同様に、俺よりも先に外へ向かっていた。
 小学校は小高い山の上にあり、運動場の方に行くと島が一望できる。
 大雨の中、確かに一部が茶色くえぐれており、集落が土石流に覆われていた。
「……あそこ」
 高宮さんが顔を引きつらせている。
 よく見ると、高宮家のあったところだった。彼の家だけではない。
 彼の家から隣十軒は被害にあっている。
「なんてことだ! 俺の家が!」
「私の家も!」
 後ろで絶望の声があがる。高宮さんの言う通りに、彼の家の近くに引っ越していたのであればきっと俺の家も土石流に飲み込まれているのだろう。
 心臓が震える。
「父さん……、母さん……」
 目の裏に優しい二人の顔を思い浮かべ、ぶんぶんと首を振る。まだ死んだと決まったわけではない。
 その場に倒れそうになったのを高宮さんが押さえ、引っ張り上げてくれた。
「中に入って、とりあえず落ち着こう」
 自分の家も被害にあっているというのに、彼の態度は堂々としていた。さすが高宮さんだ、と俺は感心する。同時に、今彼が隣にいてくれてよかった、と小さく安堵した。
 彼の家の方は全員避難できたからか、自然と高宮家の使用人が一帯に集まっていた。
「高宮さんのご両親は?」
 俺は周囲を見渡す。彼の父親はこの島の町長であり、母は尼としてこの島の冠婚葬祭を取り仕切っていた。
「父は多分町役場だし、母は今日は葬式でここの反対側の家に行っている。どちらも他に避難所があるから、そこにいるだろう」
 この島では冠婚葬祭を取り仕切るのは僧侶ではなく尼であるのが普通だった。
 彼の父も母も優しい人で、会うたびに飴や一口チョコレートといったお菓子をくれていたのを覚えている。
「そっか……、心配だね」
 先ほどの場所に戻って腰掛ける。そんな俺の頭を高宮さんが優しく撫でてくれた。
 雨の中外へ飛び出したので体が濡れている。くしゅ、と小さくくしゃみをした。
 そんな俺にタオルがかけられる。
 目の前に立っていた人を見上げると、この島唯一の医者である佐久間仁《さくまじん》先生だった。
 年のころは四十代で、目尻に笑い皺がある。診療中に被災したのか、白衣を纏っていた。
 街の人たちから慕われている優しい先生であり、俺も何度もお世話になった人である。
「雨の中外に出たんだから、早く拭いてください。風邪を引いてしまわないよう、気を付けてくださいね」
 穏やかな声にホッとした。
 ここに医者がいるというのがやたら心強く思える。
「ありがとうございます……」
 笑って受け取り、頭をガシガシと拭いた。佐久間先生は高宮さんにもタオルを渡している。どうやら小学校の備品のようで、学校の名前がプリントされていた。
 佐久間先生は俺の体を見て目を瞬かせる。
「佐伯君、その怪我は一体どうしたんだい?」
 彼は俺の胸元から覗く包帯を見つけたようだった。その問いには高宮さんが俺よりも先に答える。
「少し、やんちゃをしてしまったようです。怪我の手当てはきちんとこちらでしましたので……」
 もしかしたら俺をかばってくれたのかもしれない。
 確かに、心中しようとして失敗しただなんて言うと心配をかけてしまうだろうし、場合によっては島の外に出てカウンセリングなんてものを受けさせられてしまう。それは少し面倒だ。
 ふと気が付くと、周囲の視線が集まっていた。
 急に気恥ずかしくなって俺は手を振る。皆心配してくれているのだろうが、注目が集まるのは苦手だった。
「そうなんです! でも、本当に心配していただくほどのことじゃありませんよ!」
「……そうですか」
 それでも彼はどこか思案気な顔をし、片膝をついた。
 そのまま軽く俺の服の裾を掴む。
「失礼します」
 たくしあげ、包帯が巻かれているのを確認し、彼は笑みを浮かべた。
「うん。……そうですね。問題なく処置されています」
 高宮さんが苦笑する。
「疑われていたんですか?」
 佐久間先生は眉尻を下げてゆっくりと首を振った。
「すみません……。けれど、万が一ということもありますから。では、私はこれからしばらくは怪我人の対処で忙しくなるかと思います。佐伯君は少し後に、時間が出来たらまた私のところに来てくれますか? あらためて診断をしましょう。傷の具合も気になりますから」
 告げると、彼は立ち上がり他の人たちにタオルを配るべく移動する。次に彼は、高宮さんの隣に座っていたお手伝いさんに渡していた。
 未だに周囲の視線が痛い。俺は出来るだけ何でもないように高宮さんに話しかけた。
「佐久間先生も、大げさですね」
 出来るだけ冗談めかして告げると、周りの大人たちは再び自分たちの事に集中し始める。ある人は新聞を読み、またある人は寝転がり目をつむった。
 高宮さんも和らいだ表情を俺に向ける。
「まったくだ。とはいえ、この島の唯一の医者だから、怪我をしたとなると気になるんだろう」
 彼はため息とともに壁に背中を預けた。俺はそんな高宮さんの隣に移動して、そっと尋ねる。
「あの……、俺が心中しようとした相手って、いったいどんな奴なんですか?」
 高宮さんは少し考えたような顔をして視線を宙に泳がせる。先ほどまでのリラックスした顔から一転して、緊張した面持ちになった。
 背中がピリっとひりつく。けれど、気になってしまったものは仕方がない。
 彼は数度口を動かして返した。
「せっかく忘れているなら、それがいいんじゃないのか?」
 彼の表情が真剣で、俺は思わず息を呑む。彼の目は反論を許さないといった強い光をたたえていた。
「うん……、でも、気になるから」
 高宮さんは少し舌を舐め、続けた。
「……何と言っていいのかな。……俺は、アイツはこの世のものではないと思っている」
 彼の言葉に眉間に皺を寄せる。
「この世のものではない?」
 高宮さんは真面目な顔で頷いた。
 ぞくりと背中が粟立つ。
「……なんだそれ。じゃあ、俺は幽霊と心中しようとしていたってことですか?」
 ありえなさに笑えてくる。しかし、高宮さんの真剣な表情に気圧され、ごくりと唾を飲んだ。
「あいつは空に呪いをかけた怪異だ。空は怪異に魅入られて、一緒に死のうとした。俺が止めなければ死んでいた。空がそいつの記憶をなくしているのは、呪いから解放されたからだと、俺は思っている」
 彼の言葉に、ぽかんと口を開ける。
「え……? 怪異? ……そんなの、ありえるんですか?」
 さすがに非科学的だ、と俺は笑おうとした。けれど、高宮さんの顔があまりにも真剣で、俺はそれ以上何も言えなかった。
「それまでは……、空は俺と結構いい雰囲気だったんだ。……俺の方は、恋人になりたいと思っていた」
 俺は驚きで後ずさってしまった。俺の記憶の中の高宮さんと俺は確かに仲が良かったが、まさか将来そこまで関係性が発展しているだなんて。
「……あの、俺も高宮さんも男ですよね?」
 一番最初に気になったのはそこだった。
 この小さな島には俺や高宮さんと同年代の女の子はいない。テレビや雑誌でしか同い年の女性は見たことがなかったが、それでも俺は将来は女性と結婚するものだと思っていた。
「そうだな……。それでも、俺は空の事が好きだった」
 高宮さんがあまりにも悲しそうな顔をするものだから、俺はぐっと奥歯を噛んだ。
「……すみません」
 じわじわと罪悪感が湧いてくる。高宮さんの右手が、そっと俺の左手に触れてきた。
「もう……、今はだめか? 俺の気持ちは、受け入れてもらえないのか?」
 真面目な顔にどくどくと心臓の鼓動が早くなっていく。
 すっと通った鼻筋に薄い唇を持った彼はいわゆるイケメンの部類に入る人で、そんな人が平凡な俺を好きになるというのは実感がわかない。
「えっと……、あの……、う、嬉しいです。……嬉しいですけど」
 頬が熱い。俺は視線をさまよわせて続けた。
「その……、男性同士というのは、どうにもよくわからなくて……」
 ぽつりと告げると、高宮さんは俺の顔を覗き込んできた。
「なら、お試しでつきあってみないか? そうしていたら、また前の空に戻っていくんじゃないのか?」
 彼の色素の薄い瞳に見つめられ、俺は言葉に詰まった。
 こんな大勢がいる所で、と周囲を見回すが、皆が皆自分の事に夢中で聞いている様子はなかった。
「……俺、記憶もないし、うまくできないと思うんですけど……」
「それでもいい。また、俺の事を好きな空に戻ってほしい」
 う、と唇を引き結ぶ。しかし、記憶がない以上、これ以上は反論できなかった。
 更には、今頼れる相手は高宮さんしかいないのだ。断ってしまったら、きっとぎくしゃくしてしまう。
「わかりました。……俺でよければ」
 返すと、高宮さんが頬をほころばせた。あまりにも幸せそうな光を目に宿していて、その顔の麗しさに俺は眩しくてぎゅうと目を閉じてしまった。
「嬉しい。よろしくな」
 高宮さんの手が更にぎゅっと掴んでくる。
 気恥ずかしくて俺はその手を振りほどきたくなってしまった。