俺は「何」と心中しようとしたんだろう



「……思い出した」
 記憶のグロテスクさに、腹の奥がぐるぐるする。
 吐き気を押さえ、俺は両手で頭を掴んだ。
 全部、高宮さんのせいだった。
 それなのに俺は、記憶を失って、彼を慕ってしまっていた。その上、恋人になるとまで言ってしまっていた。
 吐き気が込み上げてくる。
 同時に、ふと疑問に思った。
 あれからたまに会っていた朔弥は、本当に生きていたのだろうか。
 俺は彼が波に飲み込まれていた所を見ていたはずだ。それがショックで記憶まで飛ばしていたのだから。
 けれど、彼は俺に触れられた。
 それでも、持田さんの目には見えていないようだった。
 であれば、あれは俺の頭が作り出した幻影なのだろうか。
 いや、しかし、そもそも朔弥は自分の事をいないものとして扱われていると言っていた。持田さん自身、今となれば信用できるとは思えない。
 俺はちらりと横目で持田さんを見る。
 彼はぬるりとした目でじっと俺を見つめていた。先ほどから何を言っても、俺と会話をしてくれない。そんな彼の言う事はどこまで本当なのだろうか。
 ふいにシャ、と引き戸が開いた。
 そちらに視線を向けると、志津子さんの姿があった。他にあと三名、女性の使用人が控えている。
 彼女は静かに俺の方に歩いてきて、ケージの前で屈んだ。
「しづこさん……」
 声がうまく発せられない。きっと、以前見た両親の様に、要領を得ない話し方になっているのだろう。
「たすけて……、おれ……、たかみやさんに……かんきん、されて……」
「監禁ではありません。あなたは蛇神様からお情けを頂けるのです。光栄に思いなさい」
 ぽかん、と口を開く。
「なにを……、これは、はんざいなのでは」
 彼女はまるでわがままな子供を見るような目になった。
「せっかく直紀からの寵愛を受けられる機会だというのに、そんなことを言うの? 困った子……。早く、自分の間違いを認められるようになるといいのだけれど」
 言葉が通用しない。ぞくりと背筋が粟立つ。後ろにいる使用人たちも、持田さんも、志津子さん――志津子の言葉に疑問を抱いている様子がなかった。むしろ、この場において異分子は俺のようで、まるでエイリアンを見るような視線を向けてきていた。
「あなた……、ははとして……、こどものはんざいを……、とめようと言う気は……、ないのですか?」
「あなたこそ、早く直紀を受け入れなさい。……あなたのせいで、四人も死んでしまったのよ?」
 俺は顔を歪めた。父と母、小柴さんに葉宮さんの顔が頭をよぎる。
「……おれのせい?」
「ええ、そう。あなたが直紀を拒んだから。さらに続けるようでしたら、今度はあなた自身の命が危ういかもしれませんね」
 平素だったらそんなわけがないと即座に返したが、彼女の言葉は今の俺の心をえぐった。薬のせいか、うまく物が考えられないのだ。
 確かに、俺が港で不用意に高宮の告白を断らなければ小柴さんがああやって高宮に近づいてもいなかったし、あんなことにならなかったのかもしれない。
「いやだ……、そんなの……」
 頭を抱える。耳の奥に父さんが何度も言っていた謝罪の言葉が蘇った。
 その言葉を言ってしまえば、楽になれる?
 高宮を受け入れれば、この地獄から解放される?
 難しい事が考えられない。ふと、自分の体を見る。何匹もの蛇が体を這い上ってきていた。
「うわぁあっ……!」
 のけぞり、己の体を叩く。志津子はそんな俺を感情のこもらない瞳で見つめていた。
 朔弥の言葉が頭に蘇る。
 俺を信じて。考えて。俺は空の味方だから。
 いつだって彼は真実を言ってくれていた。狂っていたのは俺の周囲の、高宮家の人々だったのだ。
「ごめん……、さくや」
 ぽつりと呟く。志津子の眉間がピクリと動いた。
「ちゃんと、しんじていればよかった……」
 再び志津子を見上げる。
「おれは……、たかみやさんじゃなくて……、やっぱり、さくやが……」
 どう考えても今言っていいことではない。もしも平時の状態だったら、きっともう少しうまく立ち回れただろう。
 志津子の顔が般若のように歪んだ、その時だった。
 ぶしゅ、と上の方から水が飛んできて彼女に命中した。
「たらたったったらたったらったった」
 陽気なハミングに、音の発生源に視線を向ける。屋根の一部が取り外されており、そこからするりと朔弥が降りてきた。
 彼は相変わらず白装束を着ており、足には下駄を履いている。いつもと違うのは、背中にリュックを背負い、右手にウォーターガン、左手に小さなチェーンソーを持っているところだろうか。
「は……? 朔弥!?」
 志津子や持田から絶妙に距離を開けて降り立った彼はチェーンソーをケージの上に置いて、上機嫌で歌を歌いながら持田や他の従者たちにも水を噴射していた。
「おい! お前! 朔弥! 何してやがる!?」
 持田が怒鳴る。
 ようやく朔弥は歌を止め、持田の方を見てにぃ、と口角をあげた。
「あれぇ? 持田さん、俺に話しかけてもいいの? 俺の事は無きものとして扱えって、そこのオバサンに言われていたんじゃなかったっけ?」
 俺は目を見開いて持田を見る。彼は口をぱくぱくと数度開けては閉じてを繰り返した後、乱暴に顔を拭った。
「今はそんな時じゃねぇだ……っ、うわっ!」
 更に朔弥が持田に向けて水を噴射する。そのまま志津子の顔にもめがけてトリガーを引いていた。
「やめなさい! 朔弥!」
 けれど朔弥は意に返さず、さらに鼻歌を歌いながら地面にも水をまき散らし始めた。
「たたったらった、たたったら……」
 その光景が異様だったからだろうか、その場にいる連中は誰も彼の近くに寄ろうとせず、黙ってその様子を見つめていた。
 そこで、ようやくその音楽の名前を思い出す。
 オクラホマミキサーで、毎年小学校低学年が運動会で踊る音楽だった。
 十分水浸しになったところで、朔弥はリュックから何か黒いものを取り出すと、床に刺すようにぶつけた。
「らったらったら♪」
 バチィ!
 うまいとは言えないハミングのサビとともに志津子ら五人が体を震わせ、地面に倒れる。更に朔弥は何度もそれのスイッチを押したり離したりしていた。そのたびに彼女たちの体が震える。
 不謹慎だが、朔弥が歌うオクラホマミキサーのリズムに合わせて揺れるものだから、そういう玩具のようにも見えてしまった。
 よく見ると彼が持っていたのはスタンガンのようだった。
 俺は志津子たちにかけている最中に頬にかかった水を舌ですくう。
 塩辛い。
「塩水……?」
 彼らの足元に視線を巡らせる。
 朔弥は下駄を履いており、それが絶縁体となって電流を通さなかった。対する志津子たちは足袋や素足で、塩水を通して電流が体に流れてしまったのだろう。
 こうして朔弥はあっという間に五人の人間を再起不能にしてしまった。
「助けに来たよ、空」
 歌い終えた彼は俺の方を見て笑う。チェーンソーを手に取り、ゲージの柵を切り落としていった。
 一辺を完全に切り取り終わると、彼は半身を中に入れて俺の首筋に注射をする。
 きっと以前も打ってくれた解毒剤だろう。
 志津子を見ると、時折ピクピクと動いているようだが、何も言葉は発せないようだった。俺がやられた時と同じスタンガンかはわからないが、彼女が今どんな状態か理解できる。しばらくは動けないだろう。
 朔弥の手が俺の手を取ってケージから引っ張り出そうとする。俺は自分でもケージから飛び出した。
「ありがとう……、朔弥!」
 ぎゅう、と彼を抱きしめる。彼の体は相変わらず冷たかったが、しっかりと実態があった。
 生きている。それだけは間違いないと信じられた。
「ごめん……、俺……、忘れていて……、お前を……、疑って……」
 朔弥の方も俺を抱きしめ返してくれた。
「思い出してくれたみたいだからもういいよ」
 彼の手が離れ、俺も立ち上がる。
「早速逃げよう」
 朔弥は引き戸を開き、周囲を確認する。外はやけに騒がしかった。
「一体どうしたんだ?」
 俺は声を潜めて尋ねる。朔弥はしれっと返した。
「家のところどころに火をつけておいた。皆鎮火に忙しいだろうね」
「は……!?」
 大声を出しそうになって、俺は両手で自分の口を押さえた。
「より確実に逃げるためには、問題を複数、別々の場所で一気に起こせばいい。行こう」
 以前逃げ出した時と同じように朔弥が走り出す。色々と思うところはあったが、あえてそれを口には出さず俺は朔弥の後ろをついていった。