俺は「何」と心中しようとしたんだろう


 意識を途切れさせようとすると、見張りの使用人によってガンガンと金槌と金属の食器による大きな音がならされる。身じろぎをするとカッとライトが点灯し、俺を照らしてくる。
 おかげで眠れず、その場にうずくまるしか出来なかった。
 明かり取りの窓のおかげで、大体の時間は察することが出来る。
 けれど、時間の感覚がおかしくなり、まるで一時間が三時間のように感じられてしまっていた。
 太陽が真上に来た時、下人部屋は地獄の様になっていた。
 小柴さんはたまに奇声を発してはずっと笑い続けている。葉宮さんはしきりに家族の名前を叫んではがくがくと腰を揺り動かしていた。
 父さんはというと、ずっと虚空に向かって『ごめんなさい』とつぶやき続けていた。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。蛇神様を疑ってごめんなさい。蛇神様は実在しました。今俺に罰を与えてくださっています。大変申し訳ありませんでした。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
 もう三時間近くこの状態が続いている。
 母さんも、一時間ほど前から様子がおかしくなった。
 ぱしん、ぱしんとしきりに自分の体をはたいている。
「もう嫌……。叩いても叩いても蛇が私の体を這い上ってくるの。なんなの、こいつらは……。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い……」
 ぼそぼそ呟きながら叩くものだから、体中に青あざが出来ていた。
「いいじゃないの、空ぁ……。あんたもう、高宮さんの愛人になっちゃえばさぁ……。そうすれば、こんなところから出られるんでしょぉ……?」
 俺は唇を噛む。昨日、彼女はそれに明確に反対を示していたというのに。
 更に母さんは呟き続けた。
「もう一週間もこんな状態なのよ……。いつになったら許されるの……」
 どうやら時間の感覚がおかしくなっているのは俺だけではないようだった。しかし、薬の効き目に差があるのか、単純に俺に使われた薬が薄かったのか、俺の感覚と彼女のものには乖離があった。
 俺は両耳をふさぎ、ぎゅうと目をつむって丸くなった。またもパッとセンサーライトが俺を照らす。
 今の状況がただひたすらに怖かった。
 夜になり、いびきが聞こえてきて俺は恐る恐るそちらを見る。
 見張りが眠ってしまっていたようだった。
 よくこんな状況で眠れるものだと周囲を見渡す。
 相変わらず小柴さんは奇声を発しているし、葉山さんは妻の名前を呟き、父さんは謝り続けている。母さんは体を叩きすぎてどろりと血が噴き出していた。
 シャ、と扉が開き、誰かが入ってくる気配がして俺はそちらを見る。
 朔弥が立っていた。
「……さくや」
 声が掠れてうまく言葉が発せられない。彼は小柴さんの方へ行くと、ケージの鍵を外し、彼の首筋に注射をした。そのまま、葉宮さん、父さん、母さん、それから俺へと注射をしていく。
 徐々に意識がはっきりとしてきた。
「解毒薬だよ。完全に効くにはまだあと何時間もかかるけど……、逃げるくらいはできるでしょ」
 朔弥は扉を開き、俺の腕を引っ張る。
 俺はふらつく足でケージの外へ出ると、彼に抱きついた。
「よかった……、朔弥……、俺、お前まで何かされてるんじゃって」
 朔弥は一瞬だけ俺を抱きしめると、すぐに離れた。
「うん。今直紀が必死に俺を探してる。怒り心頭のようだよ」
 それから、ずるり、ずるりと外へ出てくる大人たちに向かって告げた。
「皆さん、バラバラの方角へ逃げてください。そうすれば、一人当たりの生存率は上がります。それぞれが、生き延びることを第一に考えてください」
 よろける体で何とか立ち上がる彼らは映画で見たゾンビのようだった。
 そうか、と俺は彼の狙いを察する。
 彼はそうやって父さん達をおとりにするつもりなのだ。
 俺はブンブンと頭を横に振った。
 父さんと母さんが朔弥の前に来て、静かな視線を向ける。
「……わかりました。……そらを……、つれていって、くれますか?」
 不明瞭は発音ながらも、確かに母さんが尋ねる。朔弥は唇を引き結んで頷いた。
「……はい」
 彼の返事に、二人とも小さく笑みを浮かべる。
「え……、でも、父さん、母さん……」
 思わず二人に追いすがろうとする。俺の手は彼らによって払いのけられた。
「そら、わたしね、はしれないの。だから、そらは、そのひととにげて……」
「そのひとは、しんらいできそうだから……」
 父さんと母さんは、笑っているのだろう。しかし、いまだ症状が残る体で辛そうに顔を歪めるものだから、俺は鼻の先がツンとして視界が滲んでしまった。
「そんなの……嫌だ」
 朔弥は苦い顔をして俺の前に出る。
「誰か一人でも島の外に出られたら、通報してください。そうしたら、皆きっと助かります。……だから、空」
 彼の言いたいことを察し、俺は苦いものを飲み込んで頷いた。この部屋の扉から、まずは葉宮さんが出ていき、小柴さん、父さん、母さんと続く。
 俺は父さんと母さんの背中を見て、ぎゅっと目をつむり朔弥に手を引かれて逃げ出す。
 絶対にこの島の外に出て、通報しようと心に誓った。
 この屋敷は朔弥が熟知していた。
「いつもここから出ていたんだ」
 そう言って彼が案内してくれたのは裏手にある塀で、低木と岩で外へ出るための小さな穴を隠していた。
 何とか通ることが出来たので、そのまま俺たちは港へ向かう。
 港には、すでに高宮家の使用人たちが数人、棒を持って見回りをしていた。
「そりゃ……、そうなるよね」
 ぼそりと朔弥が呟く。
「どうしよう……、これじゃ、外に出られない」
 ここには島中の船が停泊していた。本来はここの船を拝借し、逃げ出す予定だったのだ。
「……空は、俺となら一緒に死んでもいいと思う?」
 物陰に隠れ、港を見ていた彼はふいに振り返り、そんなことを尋ねてきた。
 俺は息を呑む。
「……え? なんで?」
「このまま直紀に捕まって、愛人として監禁されるのと、俺と心中するの、どっちがいい?」
 彼の顔は真剣だった。
 ごくりと唾を飲む。高宮さんの恐ろしい顔を思い出し、俺は咄嗟に首を振った。
「高宮さんの愛人になんて、なりたくない」
 それを答えと受け取ったのか、朔弥は意を決したように頷きを返した。
「わかった。それじゃあ、一緒に来て。……天国に行こう。……全速力で走って」
 天国。その言葉を聞いて、俺も腹は決まった。
 朔弥は俺の手を取ると、坂へ向かって走り出す。その道の先には小学校があって、いつも二人で会っている蛇浦岬があった。
「いたぞ! 朔弥だ!」
 朔弥がいつも着ている白装束は夜の闇で大変目立つ。
 朔弥は下駄をカラコロと鳴らしながらもそれなりの速度で蛇浦岬へと駆けていった。その後ろを俺もついていく。
 たどり着いた頃には、追いかける人たちは膨れ上がり、二十人ほどになっていた。
 その先頭には高宮さんがいて、憎らしそうに俺を見つめている。
「どこまで俺を舐め腐ったら気が済むんだよ……。あぁ? 空」
 どす黒い声に俺は体を震わせた。先ほどまで彼によって与えられていた恐怖を思い出し、その場に倒れこみたい気分になった。
「何でもかんでも子供の頃から与えられてきた弊害だね、兄さん。そうやって思い通りにならないとすぐに癇癪を起すんだから」
 からかうように朔弥が告げる。本当に彼は高宮さんの弟だったようだ。
「黙れ! おい、空。今ならまだ許してやる。こっちに来い。他の大人は全員捕まえてあるんだ」
 高宮さんが俺に向かって手を伸ばす。
 父さん達が捕まっていると聞いて絶望的な気分になった。それでも、俺は咄嗟に首を横に振ってしまった。
「いやだ……。アンタの愛人になんてなりたくない!」
 逃げることが絶望的だとわかった以上、これ以上の地獄は受け入れたくなかったのだ。
 すると、彼は困ったように肩を竦めた。
「ごめんな……? 俺だって本当は空を本命の恋人にしたい。でも、俺は高宮家の長男として、跡取りを残さなくてはいけないんだ」
 何を言っているのだ。俺は更にぶんぶんと頭を横に振る。
「空はアンタよりも俺の方がいいってさ。……さぁ、空、行こう」
 朔弥は俺の手を引っ張ると崖の方へ歩いていく。ここから一緒に飛び降りようと言う事なのだろう。
 真っ暗な闇の中、崖の下からは波の音がひっきりなしに響いてくる。月明りの下、遠くで白い泡がさざめいていた。
 ここから飛び降りたら確実に死ぬだろう。
 ぞわりと背筋が冷える。怖くて朔弥に視線を移した。
「おい! 馬鹿なことはやめろ!」
 高宮さんが駆け寄ってくる。
 まるで逃げるように俺と朔弥は慌ててそこから飛び降りた。
「うっ……!」
 俺の服が何かに捕まれる。考えるまでもない。高宮さんだ。体が引っ張られる衝撃に、思わず朔弥と繋いでいた手を離してしまう。
 岩に打ち付けられ、ぎゅうと目をつむった。体が痛い。
 再び目を開いた時、朔弥の姿はなかった。
 はるか下を見つめると、白装束が海に向かって落ちていったところだった。
「あ……、あ……、あぁ……」
 声が震える。
 そのまま白装束は波へ飲み込まれていく。
 ――朔弥が死んでしまった。
「ああああああああああああああああぁぁぁぁぁ!」
 叫ぶ俺を高宮さんが引っ張り上げる。そのまま彼の手に抱きしめられ、俺は意識を失った。